十日目◆後:喪失
……聖璃架。
何故おまえはこんな所に居るんだ。何故こんな所に来たんだ。
酒臭い部屋で酒臭い男の腕に抱かれて、目を閉じて動かない聖璃架に歳朗は心の中で何度も問いかけた。
強い憤りと悲しみが、自分を支配している。
辛くてどうしようもない感情が、腹の底でどす黒く蠢いて発狂しそうになる。
汚い手で聖璃架に触れるな。その汚い手で聖璃架を汚したのか。――今すぐ腕ごと切り落として、二度と聖璃架に触れられないようにしてやりたい。
――聖璃架に触れていいのは俺だけだ。
昨日聖璃架に別れを告げられても、そう思ってしまう自分がいて。
「なんだてめぇ、いいのか? 二人だけで行かせちまって」
「奴らなど二人で充分すぎるくらいだぜ」
歳朗に言われてハーレーはかちんとする。
「俺らヴァーミニオンをなめんじゃねぇぞ」
「聖璃架を渡せ」
静かだが迫力のある声音で歳朗が言った。
たとえ聖璃架から乗り込んだのだとしても、いつまでも触れさせておきたくはない。そんなの自分が絶対許さない。
「ああん? 聞こえねぇな」
「聖璃架を渡せと言っている」
銃口を向けながら歳朗は歩み寄るが、ハーレーは口の端を上げて言う。
「それ以上近づくとこのねーちゃんがどうなるかわからねぇぜ」
「――くッ、卑怯者が」
「銃を捨てな」
言われるがまま拳銃を捨てて、歳朗は隅へ蹴る。
「よーし、そのまま動くんじゃねぇぞ」
ハーレーが片手を突き出した。掌に気が集中する。
それを見て歳朗は覚悟を決めた。――勿論死を。
――くそ、俺もここまでか。
昔から戦場に骨を埋めると決めてきた。だから戦って死ぬなら本望だ。――だが聖璃架を奴の手に渡したまま死ぬなんざ真っ平御免だ。死にきれなくて化けて出るに決まっている。
――聖璃架、おまえはなんとしても必ず助けだしてやる。
呼応するように聖璃架は目を開けた。
崩れた壁から入る光を浴びて、逆光の中で立つ人影を見つめる。
誰だか解らなくて目を凝らした。
やがてはっきり見えると、それは――
……土浦さん……
そして歳朗に向かって気を放とうとしているハーレーに気づいた。
「――ダメェェ!!」
「あッ!?」
シーマの蛇炎が蜷局を巻いて勇作に迫っていく。
刀を振るって勇作が炎を断ち切ると、飛び出した総助の滅多突きをシーマは素早くかわした。
ローレルの両手から放たれた渦巻く二本の旋風が勇作と総助を追いかけて、二人は移動しながら避ける。
構えの体勢のままハーレーは石となった。
「聖璃架」
歳朗は上着を脱ぐと聖璃架に掛けて抱き起こす。
「酒を飲まされたのか」
「はい……体が、いうこときかなくて」
「おまえ、何故こんな所に来た。何故自ら危険に身を投じた」
「……魔力を、高めるために」
「まりょく?」
「魔女は、人間と交わり魔力を高めるんです……あたし、もう魔力が残ってなくて、それで……」
「そんなことなら、俺が」
「ダメなんです。魔女と交わった人間は……生命力を奪われて衰弱死してしまうんです」
それを聞いて歳朗は目を見開く。
「衰弱死?」
「あなたを、そんな目にあわせるわけにいかない」
「……だが、おまえに俺以外の男が触れるのは耐えられねェ」
「仕方ないんです。そうしないとあたし」
「だったら俺と交われッ! おまえのためなら俺はこの命、惜しくねェ」
心から思って出た言葉だった。聖璃架の為なら命も捨てられる。――この思いに嘘はない。
「嫌、それだけは嫌ですッ」
「おまえは誰にも渡さねェ、愛してる」
歳朗は聖璃架に唇を重ねた。聖璃架の鼓動がどくんと高鳴って、体から一気に黒いオーラが抜け出る。
初めて味わう聖璃架の柔らかい唇の感触に、歳朗は鼓動が高鳴る。ずっとこうしていたくて、中々唇を離せない。だが二人のしているキスは唇が触れ合うだけのもの。はっきりいって歳朗はこれ以上の知識は皆無に等しい。
歳朗は自ら色事を避けてきた。目つきは悪いが決して顔が悪い訳ではなくて、整った顔だちの歳朗は寧ろ男前。硬派なのが逆に女性に受けたりして、誘惑されたりもするが歳朗は頑として考えを曲げなかった。
いつまでもこうしていたいがそういう訳にもいかず、唇を離すと歳朗は愛おしんで聖璃架を見つめて、優しく髪を撫でる。
聖璃架の顔色が良くなった気がする。真っ白だった肌は肌色で、だがそれでも色白な方だ。熱を帯びた珊瑚色の頬と薔薇色の唇。瞳は透明感があって、澄んだ空のような青玉。確か紅玉だった筈だ。印象的で夜でも光って見えたから間違いない。それ以外は金髪のままだし、愛らしい顔だちも変わっていないが。
聖璃架を抱えていってやりたいところだが、生憎腕が使い物にならないときた。
「聖璃架、立てるか? 支えてやるから」
「はい」
立ち上がって歳朗は手を差し出して、聖璃架は掴んで立ち上がると掛けられていた上着が落ちて。
歳朗は首から上が真っ赤になった。何故なら聖璃架が生まれたままの姿だったからだ。
「――っ」
余りにも驚いて歳朗は口が金魚のようにぱくぱくしてしまって。聖璃架はどうしたのだろうと言いたげにきょとんとしている。
「……おまっ……服っ」
やっとの思いで出た歳朗の言葉に、聖璃架は自分の体を見てはっとして片手を突き出した。
「――…………」
「…………何してるんだ」
片手を突き出したまま止まっている聖璃架に、歳朗が視線を外して言った。
「……箒が出ない」
「あ?」
「魔法が使えない……。あたしの魔力、完全に消えちゃった」
「何ッ!?」
放心状態に陥ってしまった聖璃架。
衣装も魔法で出している物で、魔力が消えたと同時に消えてしまったのだ。
「と、とりあえずこれを羽織れ」
目のやり場に困った歳朗が上着を聖璃架に羽織らせた。
ローレルの鼻がぴく、と反応する。
「女の匂いだっ」
なんて言い出して周囲を見回すローレルにシーマは怒鳴る。
「馬鹿者! 戦闘中だ!」
空を見上げてローレルははっとする。
月の輝きのような長い銀髪を風に靡かせて、箒に腰を据えて冷たい視線で見下ろす華蓮の姿があった。
華蓮の体から黒いオーラが発した瞬間――圧が掛かって四人は身動きが封じられた。
それは聖璃架と歳朗も同じだった。
歳朗の額から冷や汗が流れる。
――またこの感覚。という事は――
思った時には華蓮が居た気がした。気がしたというのは自分には姿が見えなくて、目前の聖璃架の表情が怯えたものに変わったからだ。
「聖璃架。貴方、完全に魔力を失ってしまったようね」
静かで冷たい華蓮の声が響いて、歳朗はやはりと思った。
聖璃架は声が出せなくて、怯えた表情でしか華蓮に答えられない。
「最後まで貴方には失望させられたわ。ちっとも魔女らしくなかった貴方には、本当に早く一人前になって欲しかったのよ。今更どうしようもないけれど」
……華蓮ちゃん……
黒いオーラを発した華蓮が冷酷に光る紫水晶の瞳で自分を見据える。初めて向けられた冷たく、迫力のある表情。
華蓮が怒るのは当然だ。それだけ自分は、華蓮の期待に何一つ応えられなかったのだから。
「もう魔女でなくなってしまった貴方の顔など、見たくないわ!」
華蓮の瞳が発光して聖璃架は吹き飛んだ。
――聖璃架!
声が出ない。聖璃架に駆け寄る事も出来ない。
聖璃架を護ると決めたのに、出来ない自分がまたしても不甲斐なくて情けなくて、歳朗は涙が流れた。
出来たのは、自分の前を横切る華蓮の冷酷な横顔を見るだけ。
生まれたままの姿でうつ伏せに倒れる聖璃架を、華蓮は冷たい視線で見下ろす。
「でもまあ、最後に私の役に立ててあげる。その綺麗な瞳と髪を使って、最高の魔法薬を作るわ。死んでも私の役に立てるのよ、感謝しなさい」
――……なんて女だ……
惨酷な華蓮の言葉は歳朗の耳に届いて、腹の底から激しい憎悪と怒りが込み上げるがやり場がなくて、姿の見えない聖璃架の無事を只祈るしかなかった。
……華蓮ちゃん。
圧に耐えながら聖璃架は手に力を込めて、懸命に体を起こしていく。
華蓮の瞳が発光すると聖璃架に掛かる圧が更に強くなり、床を突き破って沈んだ。だが再び体を起こし始めた聖璃架に華蓮は目を見開く。圧を強くしても聖璃架は耐えながら立ち上がった。
「……カ…レ…ちゃ」
「気安く私の名前を呼ぶんじゃないわよ。魔力をなくした下等動物が」
聖璃架は少しずつ華蓮に足を進めていく。
「カレ…ちゃん……」
「また!」
かっとなって華蓮は聖璃架の頬を叩く。
「……あた…し達…は…友…達…だよ」
「何を言っているのよ!」
「あた…しは…思…てる……思…てて…も…い…よね……」
僅かにしか動かせない口で途切れ途切れに紡いで、聖璃架はにこ、と微笑んだ。叩かれた頬は赤くなって。
「――……聖璃架」
聖璃架の笑顔に戦意を喪失して、華蓮のオーラが消えた。
圧が治まると歳朗はすぐ聖璃架に駆け寄る。
「聖璃架ッ!」
体が動かなくて姿が見えない間、不安で不安で仕方なかった。聖璃架の姿が見えた時は本当に安心して、夢中で聖璃架を腕の中で抱きしめた。
「土浦さん」
「大丈夫か、体は」
「はい、大丈夫です」
「よかった」
歳朗の頬には涙の跡があって、だが抱きしめられている聖璃架には見えないだろう。
立ち去ろうとした華蓮の足音に気づいて、聖璃架は引き止める。
「待って華蓮ちゃんっ」
「聖璃架。貴方には敵わないわ……。どうして貴方は、そんな事が言えるの」
「だって華蓮ちゃんは、あたしのたった一人の大切な友達だもん。それは変わらないよ」
「……そうね、私が間違っていたわ。私達の心にある思い出は、いつまでも消えないのだから……」
華蓮の瞳から一筋の涙が流れると、肩の黒猫がゆっくり浮き上がる。
黒猫は変形しながら大きくなっていって、正体のはっきりしない黒い影となった。
きつい紫色の目が開いてぎらりと光った瞬間――華蓮は背後から胸部を貫かれて大きな穴が開いてうつ伏せに倒れ込み、聖璃架と歳朗は目を見開いた。――それは僅か数秒の事。
『余ハ 涙ヲ流スヨウナ 愚カナ魔女ニ 仕エル気ハナイ』
言って影は姿を消した。
華蓮の体から真っ黒な血がどんどん広がっていって、目前で起きた事が聖璃架は信じられなくて体が震えた。
――嘘、嘘でしょ…………
「……か……華蓮ちゃァァ――ん!」
やっと絞り出した声で華蓮に駆け寄って、聖璃架は膝を付く。
「華蓮ちゃん、華蓮ちゃんッ」
涙を流して聖璃架が声をかけると華蓮はぴく、と反応した。
「聖璃架……」
口の端から血を流した華蓮が最後に聖璃架に向けたのは、以前と変わらぬ微笑みで。華蓮は目を開いたまま力尽きたように動かなくなった。
「華蓮ちゃんッ」
華蓮の姿がすぅと消えてしまって、そこに残ったのは――――黒い血の海だった。
頬を伝ってぽたぽたと落ちる聖璃架の涙が、華蓮の血と混ざって。
狂ったように泣き叫ぶ聖璃架の痛々しい絶叫が響き渡った。
【十日目◆終】
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