九日目◆後:別離
午後になって照り付ける太陽の強い日差しで気温はめきめき上がり、唸るような暑さになった。島には蜃気楼が発生してゆらゆらと揺らめく。
人間暑くなれば涼しさを求めるもの。
ガイアが海水浴に行きたいと言い出して、それなら聖璃架と華蓮も誘おうと思って家へやってきた。
「本当に待ってればいいの?」
「ああ、多分」
海パン姿で浮き輪を嵌めるガイアに問われて、同じく海パン姿のネイキッドが答えた。
流石に炎天下で待つのは辛いと木陰に入ったが、待つ事なく見えないドアが開いて聖璃架と華蓮が姿を見せた。
「こんにちは」
「お姉さん、海水浴行かない?」
「かいすいよく?」
と聖璃架が首を傾げる姿はやっぱり可愛くて、ネイキッドはきゅんとする。
そして先程の事を思い出して顔が熱くなった。後で聖璃架の分身だったと聞いたが、肌や唇の感触が凄くリアルで。大胆で聖璃架とは似ても似つかなくて驚いたけど、刺激的だった。
――聖璃架さんの本物もあんな感じで……
どきどきしながらネイキッドは聖璃架の唇に注目する。
真っ赤な紅を差した聖璃架の唇は艶っぽくて、知ってしまったからには余計にキスしたくなってしまう。――今すぐ抱きしめて奪いたい。
……ああ、今夜からやばそうだ。
「海で泳ぐことだよ」
「えッ、あ、あたし泳げないから」
「それならオレが教えますよっ!」
素早くネイキッドが言って、ガイアは半眼になった。
「で、でも」
困り顔で聖璃架は華蓮を見る。
「華蓮ちゃんどうする?」
「私が行く訳ないでしょう」
「じゃああたしも」
「え〜〜」
と声を揃えてネイキッドとガイアに言われてしまった。
「行こうよお姉さん!」
「泳げるよーになったらとっても楽しいですからっ! 行きましょうっ!」
「聖璃架、折角お誘い頂いたのだから行ってきたら?」
「華蓮ちゃん行かないのに?」
「お姉さん行かないとぼく泣いちゃうよ?」
ガイアにうるうるした瞳で見つめられてしまっては、聖璃架は断れない。
「わかったから泣かないでガイアくん」
「ほんと!?」
ガイアが喜んで、ネイキッドはよっしゃとガッツポーズを取った。
「聖璃架さん、海で泳ぐには水着に着替えないと」
実は聖璃架の水着姿が楽しみだったのだ。男ならそりゃそうだろう。家へ来るまで頭の中は聖璃架の水着姿を想像しっぱなしで。
ここは是非男の浪漫のビキニを、とネイキッドが思った瞬間――聖璃架の衣装が真紅の紐ビキニになって鼻血を吹き出す。
「キャア! ネイクさん大丈夫ですか!?」
「あ、は、はい」
両手で鼻を押さえて返事をしたネイキッドを、ガイアは顔を顰めて見ていた。
ネイキッドは鼻を押さえたまま、聖璃架を上から下までじっくり見つめる。
顔はいうまでもなく可愛くてばっちり、胸は服の上からでしか見てなかったけど大きくもなく小さくもなく自分好みでグー! そして括れた細い腰と、その下は……
再び鼻血が出てしまって慌てるネイキッド。
「これでよろしくて?」
――華蓮さん、最高っす!
美麗に微笑む華蓮にネイキッドが親指を立てた。
今日は暑くてどうせなら海で泳ぎたかったが、こんな腕では無理だ。
せめて潮風でも浴びて涼もうと思って、歳朗は木陰で凭れて腰を下ろすと煙草に火をつけた。煙を吐いて海を眺める。
――それに泳ぐなら一人ではなく、あいつも……
聖璃架……
俺はあんな事本心で言ったなんて思っちゃいねェ。あんな泣きそうな面して吐いたおまえの言葉など、誰が信じるか。あの女に言わされただけだろ。
絶対に問い質してやる。俺は、おまえの側にいると決めたんだ。
「海だー!!」
元気な声が聞こえてそちらを見るとガイアだった。
子供は元気だ、なんて思っていると聖璃架の姿もあって、気づいたら歳朗は走っていた。――聖璃架に向かって。
「聖璃架ッ」
「――土浦ッ!」
駆け寄ってきた歳朗をネイキッドが睨んだ。
聖璃架は気まずそうな表情で顔を背けようとしたが、歳朗の腕を見てはっとする。上着を脱いだ状態で、胸元の開いたシャツの袖を捲くって包帯を巻いていた。
自分のせいで歳朗に怪我を負わせてしまったと、聖璃架は胸が痛んだ。
「おい聖璃架ッ! おまえなんて格好してんだよッ」
目のやり場に困って歳朗は視線を外して言った。
「何言ってんの歳朗さん。海水浴に来たんだから当然でしょ」
「海水浴?」
ガイアの言葉に反応してから、歳朗は聖璃架の手を握る。
「来い、話がある」
「おいどこ行く気だッ!」
「関係ねェだろ」
「関係あるッ! 聖璃架さんはオレ達と海水浴に来たんだぜッ」
「なら用が済むまで待っている」
歳朗に言われてネイキッドはかちんとした。
「お互いハッキリさせねーか。――オレは聖璃架さんが好きだ」
「…………」
「オメーはどーなんだよ。聖璃架さんのこと好きなのかッ!?」
「…………だったらなんだ」
「――……」
それを聞いてネイキッドは戦意を喪失してしまった。
二人が想い合っているのでは、自分の入る余地がないではないか。
「うわーこれって三角関係ってやつ?」
三人の様子を見てどきどきしながらガイアが言った。
「ねぇお姉さん! お姉さんはお兄ちゃんと歳朗さん、どっちが好きなの!?」
「えッ」
ガイアに問われて狼狽える聖璃架を二人は見つめるが、答えの解っているネイキッドは浮かぬ顔だ。
「どうなんだ聖璃架、答えろ」
「…………」
「決められないの? だったら男らしく勝負して決着つけたら?」
俯く聖璃架を見兼ねてガイアが提案した。
「――その勝負乗った! 聖璃架さんには護っていける強い男がふさわしいからな」
「いいぜ、受けて立ってやる。聖璃架、離れてろ」
「えっ、な、何を始める気ですか」
「もちろんおまえを賭けた戦いだ」
「そんな! 戦いなんてやめてください!」
「止めないでください聖璃架さん。オレ、前々から土浦と真剣勝負したかったんだ」
言ってネイキッドが身構える。
「やめてください! お二人には本当に申し訳ないですけど……あたし誰も好きになりませんから」
「えッ」
ネイキッドが拍子抜けして、聖璃架は頭を下げる。
「ごめんなさい」
「…………誰も好きにならねェだと。ふざけんじゃねェ。言い切れるのか? 俺は、気づいたらおまえに惚れていた。色恋沙汰などくだらねェと思っていた俺でさえもそんなことがあるんだよ。人の気持ちなんてそんなもんだ。――おまえは、俺らの気持ちを踏みにじったんだぞ」
「……ごめんなさい」
歳朗が怒るのは当然だ。聖璃架は顔を上げられなくて、上げたら怒った歳朗がいると思って頭を下げたまま謝った。
「土浦ッ! テメーがそーだったからって聖璃架さんに当たんじゃねーよッ!」
ネイキッドに言われて歳朗は不愉快そうに舌打ちすると去っていった。
顔を上げて聖璃架は遠くなっていく歳朗の後ろ姿を見つめる。
……あたしって、最低…………
涙を流す聖璃架にネイキッドは言う。
「聖璃架さんっ、アイツに言われたことなんて気にすることないすよっ」
「要は二人ともフラれたってことだね」
冷静なガイアの言葉がネイキッドの胸に突き刺さる。
「……オレはとっくにフラれてたさ」
「そうなの?」
「聖璃架さん、なんで土浦を選ばなかったんすか」
「……ダメなんです」
「え?」
「魔女の掟で、魔女は恋をしちゃいけないんです」
泣きながら口にした聖璃架の言葉は余りにも悲しくて、ネイキッドは衝撃を受けた。
「――そんな……」
「あたしは、恋をしちゃいました……。魔女失格です」
「お姉さん」
「魔女は涙も流しちゃいけないのに……あたしって本当にダメ……」
「……いいじゃないすか魔女失格でも」
とネイキッド。
「恋とか泣くのを我慢しなきゃならねーなら、魔女失格でもいーじゃないすか。だって恋しちまったらしょーがねーし、泣きたい時だってありますから」
「そうだよね」
「……ガイアくん、ネイクさん」
涙を拭って聖璃架は微笑む。
「ありがとうございます。ちょっと気が楽になりました」
聖璃架の笑顔にネイキッドはほっとする。
やっぱり聖璃架には笑顔が似合う。悲しい顔をするくらいなら魔女失格でもいい。笑っていられるなら恋をして幸せになってほしい。――たとえその相手が自分ではなくても。
海から上がってネイキッドは日陰の砂浜にビニールシートを敷く。
「どーぞ」
「ありがとうございます」
言って聖璃架がビニールシートに座ると、ネイキッドも隣に座った。
「疲れましたか」
「ちょっとだけ。でも楽しいです」
「そーでしょうっ?」
とネイキッドは嬉しそうに言った。
二人の視線の先には、ガイアが元気に浮き輪ではしゃぎながら泳ぐ。
「ガイアくん楽しそう」
「ああ、お子様は元気っすねー」
「そうですね」
さざめく海は太陽の強い日差しを受けて眩しいくらいに輝いて、波は規則正しく打ち寄せては引いていく。
暫く海を眺めたが無言でも聖璃架となら苦じゃなくて、寧ろ居心地の良い時間が流れて。
だがふと頭をよぎったのは――
『魔女は恋をしちゃいけない』
魔女にそんな掟があるなんて……
深くため息をつくと両腕を枕にしてネイキッドは仰向けに寝転んだ。
「どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
「あ、いや」
心配して尋ねた聖璃架と目が合った。
……やっぱ可愛いな。
自分を見下ろす聖璃架の、水気を吸ってしっとりした髪から冷たい雫が落ちてくるが不快ではない。水を弾く肌は張りがあって艶めかしくて、白い肌に真紅のビキニがよく似合う。そして形の良い撓わな二つの膨らみ。
手を伸ばしたら触れそうな至近距離で目が吸い寄せられてしまって――触ってみたい。
「あの、大丈夫ですか?」
未だに心配そうな聖璃架を見つめて、ネイキッドは腕を引いた。
「キャッ!」
バランスを崩して聖璃架はネイキッドの胸板にうつ伏せになる。聖璃架の柔らかな乳房が弾んで押し付けられて、ネイキッドの目前が谷間で埋まった。
――おおっ。
この瞬間、まさに昇天してもいいと思った。
「ヤッ!!」
「――!? アヂィッ!!」
慌てて飛び起きたネイキッドの頭は燃えていて、海に向かってまっしぐらだった。
日暮れまで海水浴を楽しんで、ネイキッドとガイアと別れた聖璃架はどうしても心に引っかかっている事があって帰る気になれなかった。
木陰からこっそり覗くのは真誠軍の家だった。先程から様子を見ているが、あの人の姿はどこにもなくて。
……居たってどうしようもないじゃない。もし居たとして、どうするつもりなの?
もやもやした気持ちのまま、帰ろうと思って振り返ると物凄く驚いて飛び退いた。
歳朗が居て、肩がびしっと凍りつく。
「…………やめてくれ」
「こんな所で何してるんだ」
解凍した歳朗に問われて、聖璃架はしどろもどろになりながらも答える。
「ちょっと通りかかりまして……」
「ほう、通りかかって人んち覗き見するのか」
うっとなってしまった聖璃架に歳朗はふっと笑う。目が笑んで優しい表情だった。
「冗談だ。で、俺に用なんじゃねェのか」
「……あ、あの、あたしのせいで腕ケガさせちゃってごめんなさい」
聖璃架に頭を下げられて歳朗はむっとする。何故自分のせいだと思っているのかと。
「馬鹿、これはおまえのせいじゃねェ。いいかそんなこと気にすんじゃねェぞ。わかったな」
怒ったような声音で言われて、聖璃架は頭を下げたまま言う。
「……あと、お花、ありがとうございました」
「花?」
顔を上げて聖璃架は花を取り出す。
泥で汚れて萎れた花を見て、歳朗は目を見開いた。
「おまえ、そんな物持ってたのか」
「だって、せっかく土浦さんが摘んできてくれたのに」
「――…………」
泣きそうになった聖璃架を歳朗は抱きしめたくなったが堪える。動きそうになった体を懸命に止めた。
「……おまえに、もっといいものを見せてやる」
「え?」
歳朗は聖璃架の手を引いて歩き出す。
「だ、ダメ!」
腕に力を入れて聖璃架は足を止めたが、強引に歳朗に引かれて。
「土浦さん」
「離さねェ」
強い口調の歳朗に手をぎゅっと握られて、聖璃架はどきんと胸が高鳴った。
こんな所を華蓮に見られてしまったらと不安になるが、気持ちは裏腹にどきどきしてしまって、嬉しい自分がいた。
――……華蓮ちゃん、ごめんなさい。これを最後にするから、お願い許して…………
着いた頃には空は月星が出ていて、それを水面に映して美しく輝く湖。それは昨日と同じ景色だった。
「おまえにこれを見せたかった」
「わあ、今日もとっても綺麗です」
――今日も?
聖璃架の言葉に歳朗は引っかかる。
「来たことあるのか」
「はい、ネイクさんに連れてきてもらいました」
「ネイキッドに? 二人でか」
「いえ、華蓮ちゃんも一緒に」
「そうか」
ほっとして歳朗は自分が嫌になる。いちいち動揺してしまって情けない。
最近の自分は聖璃架が中心になっていて、一喜一憂している自分がいて。
……それだけ、聖璃架に惚れているという事なのか。
湖に見入る聖璃架の横顔を見つめて思う。
聖璃架と居る時間が好きだ。心穏やかになって、心地良くて。
ずっと考えた。やはり俺は――
「聖璃架」
意志を固めて声をかけた自分に、聖璃架は愛らしい顔を向ける。
湖の輝きにも劣らない美しい聖璃架を、これからも見ていたいと心底思う。だから想いを伝える。
「俺は、おまえに好かれずとも構わねェ。ただおまえの側で、おまえを護れればそれでいいんだ」
「…………」
「だから、これからも側にいていいか」
「お気持ちは嬉しいですけど、ごめんなさい」
「何故だ。あの女に言わされてるだけだろ」
聖璃架は心が痛む。
ここまで自分を想ってくれる歳朗に悪くて。――きちんと話さなければ。
「土浦さん。あたし――あなたに恋しちゃったんです」
「あッ?」
突然何を言い出すのかと仰天する歳朗。こんな事を言われるなんて全く思いもしなくて。
「テッメェ、何訳のわからねェこと言ってやがる。さっきと話違うじゃねェかッ」
「聞いてください。魔女には掟があるんです。――魔女は恋をしちゃ、いけないんです」
聖璃架が口にした言葉を聞いた途端胸が裂けた気がした。腕の痛みよりも強烈な激痛が稲妻のように走って、初めて味わう痛みだった。
これが俗にいう失恋てやつなのかと。――……予想外に辛いものだ。
「だから、もう会えません」
「…………そうだったのか」
歳朗の声はやっとの思いで絞り出したような、悲しみが込められていて。
「……俺は軍人として生きる身だ。少しでも色恋に溺れた罰として受けよう」
「土浦さん……」
「じゃあな」
歳朗は去っていって、残された聖璃架は力なく座り込んだ。
「聖璃架」
湖の辺で足を抱えて泣く聖璃架の元へ、箒に乗った華蓮が着地した。
「……華蓮ちゃん」
「今すぐ泣くのをやめて。魔力が抜け続けているわ。このままだと魔力が消えてしまうわよ」
華蓮に言われて聖璃架は涙を拭って堪える。
「聖璃架、歌いましょう。ね? 悲しみを忘れられるわ」
「……うん」
湖の辺で華蓮はピアノを奏で始めて、旋律に乗せて聖璃架は歌い出す。
〜あたしは落ちこぼれって いつもみんなから非難されてた
仕方ないけれど でもやっぱり悲しかった
周りは冷たい視線で 少し離れた所から見てた
それが辛くて どこか遠くへ逃げ出したかった
けれどあの日あの時あなたは どうしてこんなあたしに
優しく声をかけてくれたの
正直言うとね とても不安で でも嬉しかったよ
あなたに会えて どんな時もがんばれた
あなたが側に いてくれるから幸せなの
あなたがいて あたしがいて この歌を歌えるから〜
歌い終えると拍手の音が聞こえて、振り向くとネイキッドとガイアだった。
「お姉さんの歌、素敵だったよっ」
「ガイアくん」
「聖璃架さん人が悪いなー。今夜リサイタルやるなら呼んでくださいよー」
ネイキッドに言われて聖璃架は微笑む。
「ごめんなさい、急にこうなって」
「ねぇお姉さん、もっと歌ってー」
「うん……」
頷いて聖璃架は華蓮を見る。
「それじゃ歌います。聞いてください」
煌めく湖を背にピアノを奏でる華蓮と歌う聖璃架の姿は、まさに絵になってネイキッドは目を奪われた。額を持ってきて、そのまま嵌め込んで飾ってしまいたい。
涼しい夜風が聖璃架の歌声を運んで、島全体に広げていって。
それを耳にして、皆顔を上げる。
勿論それは、歳朗の耳にも。
――歌……?
しっかりと、届いていた。
【九日目◆終】
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