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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
78/116

木曽川の戦(後)

 不破太郎左衛門には、織田の大将、三郎信長の手勢が退く気配をみせている、様に見えた。

「敵が退くぞ。竹中どの」

「さもありましょうが…今まであれほど激しく打ち合うて居ったのに退く事などありえましょうや。我等は川を渡るどころか、あのうつけ殿の手勢にこっぴどく叩かれて居りまするぞ。うつけ殿は勝って居る。それを退くなど…」


竹中善左衛門の目にも、信長勢が退く気配にある事は充分に見てとれる。が、敵はこの場では勝ち戦である。

退くだろうか。何か策があるのではなかろうか。

「竹中どのの存念はわかる。されどうつけ殿の退き際に併せて此方が攻めれば乱戦じゃ。川さえ渡りきってしまえば、この場は我等の方が兵は多ござる。敵に策があるやも知れぬが、これを逃す目はござらぬ、と思われぬか」

「されどのう」

竹中善左衛門は納得がいかなかった。不破の云う事もいちいちもっともではある…されど合点がいかぬ…


「た、竹中どの、いかん」

不破太郎左衛門と竹中善左衛門の問答の間にも織田勢は完全に撤退にかかっていた。それに釣られるように美濃勢の先手の先頭集団がばらばらと織田勢を追い始めている。

このままでは美濃先手衆は統制が取れなくなる恐れがあった。目の前から逃げる獲物は、逃がすには惜しい大金星なのだ。


竹中善左衛門が一瞬目を閉じた後、大きく見開く。

「不破どの、うつけ殿を追おうではござらぬか。今のままでは味方は崩れ申す。若にはそれがしが使いを出すゆえ、早う下知を」

「承知した」

美濃先手衆に鬨の声が挙がる。






 一宮の勘十郎信行と平手監物の許には、木曽川の戦況偵察に出してあった物見達が続々と戻って来ていた。それぞれ帰還時刻に差がつけられており、順に戦況が分かるようになっていた。


 「お味方有利。河尻勢の鉄砲にて美濃の先手は撃ち竦められておりまする。美濃先手およそ三千。敵将は不破太郎、竹中善左の由」


 

 「お味方河尻勢、陣替えの由。代わりに御大将自ら川辺にて督戦でござりまする。御旗本、黒母衣合わせおよそ五百」



 「御大将、またその手勢、健在でござりまする。その数およそ四百五十。退き戦を始められる由」



 物見が帰着するまでの時間差がある為、どうしても戦況報告を聞いた上で想像で埋めなければならない部分がある。報告の内容を訊くだけでは、勘十郎信行には味方が優勢なのか劣勢なのか判断がつかない部分があった。

そのためか、必死に平静を装っているが、勘十郎信行は落ち着いてはいられない。


「…監物。兄者は大丈夫であろうか」

「屹度無事でござりますれば、ご安堵なされませ。それに、退き戦を戦うておるのは、今頃は佐久間どのになって居りまする」

平手監物は立ち上がって外の様子を窺っている。幕外では陣払いが始まっていた。

「なんと…では兄者は」

「近習と共に柴田どのと合力なされておられる頃合でござりましょう」

「退き佐久間が兄者の影武者になっておるのか。よくもまあ」

「これより我等も出張りまする。上手くすれば…佐久間どのの殿戦に計られた敵勢は、左から柴田の伏勢を受け、右より攻めに転じる旗本勢と佐久間勢に挟まれまする。更に真っ先に退いた河尻の伏勢より鉄砲を撃ちかけられまする……その上少し遅れて我等がいくさ場に着く…三方より囲みますれば、此方は合わせて五千、敵は多くても三千にはなりませぬ。勝ちは必定でござりまする」

そう云って勝利を確信する平手監物の顔は能面のようであった。








 竹中善左衛門からの使番の報告を聞いていた斎藤義龍は、思わず盃を使番に投げつけていた。

何も云わず、使番が下がっていく。

「よくもうつけめ…不破も竹中も敵の策があるとは思うておらんのか」

激昂する義龍を、恐る恐るといった体で日根野備中が宥めにかかる。

「若、報せにもあった様に味方の崩れを防ぐ故の已む無い仕儀にて」

「判っておるわ。それで、中備は何をしておる」

「…朝餉の片付けを終えたばかりでござりまする」


 日根野備中の申し訳無さそうな報告を聞いて、義龍は拳を握り締めた。

仕方ないのだ。先手はともかく、この段階で中備には何もする事が無い。まずは後片付け…当然、中備も物見は出していただろう。渡河の膠着した状況を見て、先手の渡河完了にはまだ時間がかかると中備が判断しても不思議はない。


「先手が織田に誘いだされる様を、中備の者共はのうのうと見ておったというのか」

「申し訳ござりませぬ」

「ヌシが悪かろう筈も無い、よせ。で、今は中備はあわてて川を渡る支度の最中か」

「その様にござりまする」

日根野備中がホッと胸を撫で下ろしそうになった時、彼等の前に新たな使番が飛び込んできた。

「申しあげまする。犬山を発した織田勢、およそ五千、大垣に向けて動いておりまする」


「五千だと」

義龍は恐縮する使番を一睨みすると、日根野備中に向き直った。

「備中、どう思うか」

「…はっ、五千とはまあ云い過ぎかも知れませぬが、三千程が大垣か此方にに向かって居るのは有り得まするな」

「さもあろう」

「鵜沼の大沢どのはご隠居様の女婿でごさりますれば、彼奴等が織田勢が罷り通るのを許したのやも知れませぬ」

「父上はまだ隠居ではないぞ…まあよい。先手に退けと伝えよ」


義龍は、よいのでござりまするか、と後の言葉を続けようとする日根野備中の胸ぐらを、いきなり掴み上げた。

「良い訳がなかろうがっ。愚図が過ぎれば父上から横槍が入るわ」

備中を離すと、義龍は瞑目して空を見上げた。


犬山から進発の織田勢は、大垣に向かうと見せて我等の後背を突くだろう。が、我等の後ろを取るには稲葉山の父をどうにかせねばなるまい。父上も馬鹿ではない、たとえ帰蝶とうつけが可愛かろうとも、織田勢に美濃を勝手にはすまい。


ということは。

父に助けを乞えば…乞わずともいずれ出て来ようが…木曽川は先手と中備に任せ、俺の本陣と父上とで犬山からの織田勢を挟み撃ちにすることも出来よう。

だが、先手と中備にこのまま戦わせても、先手は満足には戦えまい。

うつけの奴腹が我等の先手を誘い出したのは、それだけの仕掛けを拵えたからであろう、助けることは叶うまい。

それに中備は無理をしてまで木曽川を渡ろうとはすまい。弟たちが先手に合力せよと下知しても、オトナ共が止めるであろう。弟どもは此程の大いくさをしたことがない。手抜かりであったわ…。


「如何なさりまするか」

日根野備中が再び訊ねる。

「待て」

先手を崩したうつけの軍勢は再び木曽川を渡ることはすまい。今になってやっと得心がいく、この戦は彼奴等の尾張一統の為の戦だ。

うつけが木曽川を渡らぬとなれば、中入りした犬山からの軍勢も退くであろう。

…勝つにせよ、引き分けにせよ、先手衆は失う。

引き分けでは面目は保てよう。

が、勝ったならば…

勝つには勝ったが先手を失うた上に、勝つ為に父の助力が無ければ勝てなかった、と言われるのは目に見えて居る。

そう言われてはこの先色々と差し障りが出よう…。


義龍は大きく息を吸い込む。

「備中、粗相して済まなんだ。やはり先手には退けと伝えよ。中備の弟達には、先手の退き戦を助けよ、と。…父上にはご助力無用と急ぎ使いを出せ。此度はうつけにしてやられたわ」

固く拳を握る義龍の唇には、血が滲んでいる。





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[気になる点] 「今になってやっと得心がいく、この戦は彼奴等の尾張一統の為の戦だ。」                ↓ 「今になってやっと得心がいく、この戦は彼奴等の尾張統一の為の戦だ。」
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