01 第十六話:アパートにて(前編)
「すみません。宮崎さんはいらっしゃいますか?」
ノックのあとに男の低い声が聞こえてきた。玄関から入ってくる光で出来た男の影が、不安をさらに増幅させた。
さて、どう対応するべきだろうか。居留守を使うか、それともあえて返事をして相手の出方を見るか。どちらにしても相手の行動を警戒しなければいけない。
もちろん、相手が悪人と決まったわけではない。しかし、見た感じ一般人とは考えにくい。一般人以外=悪人という考え方は良くないとは思うのだが、悪人と仮定することは正しいことだと俺は思っている。
とにかく相手の出方を見なければ。返事をしたとしても相手との会話から情報を収集するのは、俺の頭脳ではおそらく無理だろう。
居留守を使えば相手は必ず何らかの行動を起こす。その行動に対して対策を取ればいい。俺はあくまで受け身の立場になれる。
脳内での議論の結果、居留守を使うことにした。
まぁ、こんな議論をしているうちに時間は経っているのだが。
もしかしたら家に何らかの方法で侵入してくる可能性がある。ということは俺は見つからないように隠れていなければいけない。一番侵入しにくいのは…このボロアパートの中で唯一鍵がついており、しかも二つも。そして、窓は強化ガラス(見た感じでは…)。おそらくバレないだろう。
立ち入り禁止の部屋のドアを開き内側から鍵をかけた。菊地は部屋に出るとき鍵をかけなかった。俺がグダグダ言ったから閉め忘れたのだろう。過去の俺ナイス。
床に散らばった紙やファイルを足で退かしながら端にあるクローゼットを開いた。前に入ったときより服の数が減っている気がする。菊地が着ていった服はここにあったものなのか。
しかし、今重要なのは服ではない。
前と同じように爪を隙間に刺し、ゆっくりと引いていった。板を取ると銃は一丁も残っておらず、ナイフがひとつだけ残っていた。
ポケットにもナイフは入っているのだが、念のために持って行くことにした。
ポケットに丁寧にネイフを入れていたが、玄関から音が聞こえた。戸を開ける音だ。一応かぎは掛けてあるから…ピッキングして入ってきたということか
板をすばやく戻し、クローゼットを閉じた。腰から銃を取り出し、誰も立っていないドアへと銃口を向けた。撃つことなら誰だってできるだろう。しかし、当てれるかが問題だ。
廊下の脆い床が軋む音がゆっくりと近づいてくる。ドアを開けないということはどういうことだろう。誰かがいるということがわかっているのだろうか。
ということは居留守を使ったということはあまりにも危険すぎる。
留守だと分かったら去るのが普通だろう。しかし、そこで去らずにピッキングしてまで入ってきたということは、何か狙いがあるはず。
そんなことを考えていたとき、男が言った言葉を思い出した。
「すみません。宮崎さんはいらっしゃいますか?」
俺の名前を出したのだから俺に用があるはずだ。そして、その用とはただの用ではないことだ。どんな用がなのかは予想できない。おそらく物騒なことなのだろうが。
音をたてないようにドアに近づき、その場で腰を下ろした。
息を潜め男の次の行動を窺った。しかし、軋む音しか聞こえず他には何も聞こえない。うろうろしているだけなのだろうか。俺が出てくるのを待っているのだろうか。
だとしたら無駄だな。
そんなことを考えている間に音は止まったらしく、アパートは無音の世界となった。
しかし、それはそう長くは続かず、待っていた次の行動は立ち入り禁止の部屋のドアのピッキングだった。
そのとき、自分がこの部屋を隠れる場所にした理由を思い出した。
この部屋にはこのアパートで唯一「鍵がついている」部屋だからだ。誰だって他のものと比べておかしかったらそこに何かがあると考える。ましてやこの部屋には二つも鍵がついている。
何かあると考えるに決まっている。
焦りと不安が同時に襲ってきた。
マズイ。このままでは見つかってしまう。なんとかして外に出なければ。
そう思い立ち上がったがそれよりも早くドアが開いた。とっさに銃口を持ち、銃で顔を出してきた男の後頭部を殴り、横腹を蹴り部屋から飛び出した。
玄関から外に出るのはマズいかもしれない。そう思い、自分の部屋へと向かった。
敵に背を見せて逃げるな。
そう自分に言い聞かせながら体を男のいた場所に向けながら歩いた。銃をしまい、背中に壁の感触が伝わるのを待った。
何かが倒れる音がしたと同時に、部屋から黒い影が出てきた。玄関から入ってくる月の光に反射して何かが光った。
ナイフだ。自分の直感がそう告げた。
自分のドアにもたれながらドアノブをひねり、ドアに自分の全体重をかけた。このまま転がり込むように部屋に逃げ、窓を開け外に出る。完璧だなとそう決め付けた。
しかし、見落としていたことがことがひとつあった。
このアパートのドアは廊下側からは引いて開けなくてはいけない。つまり、このドアを開くためには体の向きをドアに変え、後ろに下がりながらドアを開けなければいけない。
確かに簡単なことだ。しかし、動揺している間に目の前には先ほど殴った男が立っていた。
暗くて表情は読み取れないがキレているのは確かだ。
体勢と呼吸を整えるとナイフを逆手に持ち変え、顔めがけて殴りかかってきた。
左によけ、そのまま玄関に向かって走ればいい。しかし、左によけたら確実にナイフに斬られてしまう。ならばここは安全に右によけ、後ろに回りこんでもう一度蹴りを入れる。そのまま、逃げればいい。
脳をフル回転させ相手の攻撃の対処法方を練った。
ギリギリのところで男の攻撃をよけると、後ろに回りこもうと足を踏み出した。
ドアはメキっという情けない音を出しながらへこんでしまった。
しかし、俺はある可能性を見落としていた。もう一方の手で殴ってくるという可能性。その手にナイフを持っているという可能性を。
次の攻撃が来ると分かり、避けようと体を逆に飛ばそうとしたが、体はすでに前へと進もうとしてしていてうまく避けれなかった。突きは避けれたのだが反応が遅れていたためナイフを避けることは不可能だった。
傷口からは黒いドロドロとした液体が流れ落ち、床に斑点を作り始めた。
反射的に斬られたところを押さえ、後ろに下がろうとした。しかし、背中と壁の間はかなり短く、完全に追い詰められてしまった。
俺の部屋は綾さんの隣の部屋。綾さんはアパートの一番奥だから、一度部屋に逃げるのに失敗すると完全に逃げ場を失ってしまう。
こうなったらあれを使うしかない。
斬られていない右手を後ろに回し、銃を抜き取ろうとした。男は体を左にひねり、こちらに背を向けながら俺のみぞおちへと蹴りを入れようとしていた。
後ろに回した手を前にやり、蹴りから身を守ろうとした。
しかし、左手を斬られていることを忘れており、防御は崩れ壁へと叩きつけられた。壁に押し戻されるように前へとふらつきながら進み、その場に倒れこんだ。蹴られた衝撃で腕からはさらに血が流れ出し、浅くしか斬られていないのに腕は血だらけになってしまった。
目の前には男の足。恐らく顔を蹴られるのだろう。いや、銃で頭を撃ち抜かれるだろうか。
本人もキレているだろうから、痛めつけられながら死ぬんだろうな。
…このままじゃ本当に殺されてしまう。
こんなときに何やってるんだよ菊地は… |