#491 後は任せた
反射炉から3日目に取出した鉄はどうやら、軟鉄と呼べる物になっていた。
「これなら細工が容易じゃな。工房の連中も喜ぶじゃろう。」
そう言いながら、10kgはある鉄の棒を片手で掴んでヘンケンさんがしげしげと見ている。
「問題は値段ですね。初めての製品ですから高額になると思いますが…。」
「現状で、3日おきにこの棒が300本じゃ。今は、高炉の試験中だからそれ程、手に入らぬが、本格稼動が始まれば600本を越えるぞ。そして、この棒で剣や鍬なら2本は作れる。しかも粘りがある鉄だから折れる事は少ない筈じゃ。」
「鍬なら80L前後になりますか…。それが2本であれば160L。しかし工房での加工もありますから半値以下という事になりますね。仮にその棒を80Lとすれば、5日毎に600本として、年間金貨360枚ですか…。原材料費と工賃等を含めても年間の経費は金貨200枚じは掛かりません。この製鉄所の建設費は金貨1000枚を超えてはいません。10年も掛からずに元金を回収できますよ。」
デリムさんはいささか興奮気味だな。
そんなデリムさんを冷ややかにヘンケンさんがパイプを咥えながら見ている。
事務所で俺達がそんな事を話しているテーブルにシグさんがお茶を運んでくれた。自分のカップを手に持つと、空いた椅子に腰を下す。
「皆さん驚いたというか、感動してましたわ。鉄がまるで川のようだと言ってましたよ。」
「うむ、正しく川じゃな。ワシも長く生きていたが、鉄の流れる姿を見たのは初めてじゃ。」
まぁ、インパクトはあったろうな。だが、これは始まりに過ぎない。
「それで、アキト様の計画も進みますの?」
シグさんの言葉にデリムさんとヘンケンさんが俺を見る。…あれ? 言ってなかったかな。
「製鉄所を作る最大の目的は線路を作る事にあります。ある意味、鉄の販売は2次的要素が高いんです。当然出資者の利益は考えないといけませんから、先程のデリムさんの概算に利益を還元できる最低額を検討して、線路に使える鉄の分量を決めなければなりません。」
そう言って、テーブルに地図を広げる。
「良いですか? 連合王国は現在4つの王国で構成されています。将来は、カナトールやテーバイも参加するでしょう。
この広大な国家の情報伝達は無線通信網で確保されています。
ですが、情報は分っていても、実際に物を動かす物流のシステムが遅れているんです。デリムさんならこの課題の意味が分りますよね。」
「情報は素早く手に入るが、それに物流が伴いません。みすみす商機を逃す事は多々ありますね。
「それと、線路がどう関係するんじゃ?」
「物流の促進です。線路を使って馬車を走らせれば走る速度も上がり荷も増やせます。荷物だけではなく、人の動きも今よりは多くなるでしょう。」
「連合王国全体が一つの国となるのですね。」
「それを実体験する簡単な方法は、連合王国内の品物の均一値段と、好きな時に好きな場所に移動出来る交通手段の発達です。」
「それが線路という事になるのか…。じゃが、大量の鉄を使いそうじゃな。」
「そうです。ですから、製鉄所の製品に付加価値を付けます。あの水車で動く大型ハンマーを使って鍛造をすれば、工房では出来なかった大きさの鍛造品も作れるでしょう。鋼に鍛える作業も炉の隣でやれば燃料の節約になります。そして、鉄の鋳物も均一な物が出来ますよ。鍋や、ポンプを大量に作る事が出来ます。」
「なるほど、この棒状の鉄を売る事も出来るが、加工品として売れば製鉄所の儲けも多くなるという事ですか。ハンターにしておくのが勿体無い商才ですね。」
「確かにな。ならば、工房の連中と相談する事になるの。それはワシが話しをつけよう。」
よいしょっとヘンケンさんが席を立って、事務所を後にした。
鉄の棒を持って行ったところを見ると、工房で鍛冶をしながらその性質を工房の主達と相談するのかな。かつては工房で働いていた事があると言っていたから、その辺の事は良く知っているのだろう。
「何を作って、何を売るかはコニーちゃん達と相談してください。なるべく安く鉄道を作りたいのです。ある程度線路を敷いて鉄道馬車を走らせれば、株の発行も可能になるでしょう。そして、俺は来年の春でここを去る事にします。」
「後を私達に任せるという事ですか?」
「そうです。少なくとも20年は動かす事が出来ます。ただし、途中で止められない事が課題ではありますが…。そして、倉庫には後1個の高炉と反射炉を作るだけの対価レンガが積まれています。2つ目の炉が限界になるまでに、耐火レンガを作れるように頑張ってください。作り方はメモをシグさんに残しておきます。クォークさんが手伝ってくれると思いますよ。」
試験が終れば俺の仕事は無い筈だ。村に戻って狩をして姉貴達と過ごそう。
姉貴達も町が出来て、モスクが出来れば思い残す事は無いだろう。
「何かあれば連絡します。その時には…。」
「直ぐに駆け付けますよ。ガルパスを使えば3日は掛かりません。」
「それで、アキトさんはこの後、何をするのですか?」
「例の件が残ってます。そろそろ親友の便りが来ると思うんです。遅くても来年には届くでしょう。俺にとってはそっちの方は無視出来ません。それに他の者に託すという事が出来ませんからね。」
「例の件とは歪ですね。父王から聞きました。でも、それを破壊すると上位魔法が使えなくなる可能性があるとか。」
「直ぐにではありません。徐々にという事です。たぶん100年程度では変化は現れないんじゃないかと思います。魔気が薄れるのは遥か先になるでしょう。
ですが、その備えとして学校を作り教育を始めました。効果は直ぐには現れないでしょうが、100年先には色々と変化が見られる筈です。」
医学の発展には100年ではどうかと思うが、カンニングして勉強するようなものだ。結果をある程度知っているから、一旦始まると雪達磨式に学問が発展するんじゃないかな。
「線路を作るのは、ここを基点にすれば良いでしょう。」
俺は話を切り替えようと、そう言言いながら地図を指で示す。
「モスレム王都とエントラムズですか…。その理由を聞いても良いですか?」
デリムさんが興味を示して俺に聞いてきた。
「サーミストの貿易港カリストからモスレム王都に運河を作っているのはご存知ですね。そろそろ半分位にはなるでしょう。そして、この運河が出来たあかつきには大量の品物がモスレム王都に運び込まれます。
それこそ、王都だけでは消費出来ないほどにね。
という事は、モスレム王都から他の王都に向けた運送が重要になります。連合王国の反映がサーミストとモスレムだけでは他の国王とて領民に顔向けが出来ません。
最終的にはアトレイム王都まで運河は伸びてきますが、それには長い年月が必要です。
という事で、迅速に大量の荷物を運ぶ手段が運河以外に必要になる訳です。」
「でしたら、最初から鉄道馬車を使えば良いように思えるのですが?」
「運ぶ量と時間が異なります。運河を船で運ぶなら大量の荷を運べますが時間は掛かります。鉄道馬車は船に比べれば運ぶ量が格段に少ないですが、迅速に荷を運べます。」
「ふむ、その違いを利用する訳ですね。モスレムに荷が届いて、1日も掛からずにエントラムズに同じ荷が届けば…、なるほど商人は喜びますね。そして、荷馬車だけでなく馬車に人を乗せれば、野宿せずとも王都間を移動出来るという事ですか。」
どうやら、理解してくれたようだ。
「最初はモスレムとエントラムズ、次ぎはアトレイム、そしてサーミストと順番に工事を行い、最後はテーバイです。」
「何年掛かるでしょね。でも出来たら、皆があちこちに出掛けるでしょうね。」
「旅行って言うんだ。景色の良いところや、有名な建物や記念碑、美味しい料理が食べられる場所なんかに友達いや、家族と出掛けるんだよ。宿や交通手段の便宜を図る旅行専門の商売だって出来るんだ。」
「それは面白そうですね。今度の集まりで話してみましょう。」
王子達のサークルがあるように、次期の御用商人達のサークルの活動も活発なようだ。
「デリムさん達には負けませんよ。商会にもその事を話してみましょう。」
2つの旅行会社が出来そうだな。将来の庶民は楽しみが増えそうだぞ。
「なるほど、それが最終的な目標ですね。距離は広がるが、移動時間が短縮される。それによって、現在の王国を離れる事の無い庶民が、自由に連合王国内を移動する事になる。王国内の格差が無くなり、少しでも住みよい場所に人々は移動するでしょう。
施政を預かる者達は脅威でしょうね。搾取しようものなら直ぐに相手がいなくなりますよ。」
そう言ってデリムさんが笑い出した。
どうやら、民衆が施政を行う事の意味を少しは理解できたのかな?
「でも、地理的に住み易い、住み辛いはあると思います。それは、幾ら施政を良くしても領民が移動するのではないでしょうか?」
「2つの方法があると思う。1つは環境を変えること。もう1つは、その環境でも満足出来るだけの収入があることだ。」
「アキト様が目指すのは単なる民衆の均質化ではなく、少しの幸福という事ですか。確かにその地で満足出来るなら他に移動することはありませんね。」
「自分の故郷が一番良いと思える国を作りたいですね。」
「移動する手段があり、それを使って連合王国の隅々まで旅を安全に楽しむ事が出来るが、住むのは今の所が一番。…そういう世界ですか。」
そして、俺達はそんな世界を思い浮かべながら温くなったお茶を飲む。
理想社会では無いが、今よりは暮らし良い。それが一番だと俺は思うな。
「幸せってなんだろう、と考えてしまいますね。そして一部の者だけが幸せになるんじゃなくて、皆がちょっぴり幸せになれば良いんですね。」
そう呟いたシグさんだったが、何か悩みでもあるのかな?
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「アキトの方は上手く行ってるのね。こっちも段々と青のモスクが形になってきたわよ。いよいよタイルを張る事が出来るわ。」
別荘で姉貴と夕食後のお茶を飲みながら、のんびりとした時間を過ごす。
アルトさん達はジーナさん達と一緒にスゴロクを楽しんでるようだ。
ディーは俺達の隣で何かの図面を描いている。
この間の蒸気機関やカラクリ時計では無さそうだな。車軸が4つある馬車のようなものが2両連結してあるな。
まだ、完成はしていないようだから出来上がったら見せて貰おう。
「製鉄所の方はヘンケンさんとレジナスさんにバリスさんで何とかなりそうだ。デリムさんとコニーちゃん達が事務処理をしてくれるだろう。これで、製鉄所は軌道に乗ったようなものだ。俺の役目は終ったよ。」
「私の方は、来年の春まで掛かるかもしれないわ。手伝ってくれる?」
まぁ、それは想定内だ。俺はにこりと姉貴に頷いた。
ところで、どんな具合になってるんだろうな。しばらく町には行ってないからちょっと楽しみではある。
次の日、朝食を終えると姉貴達とディーの操縦するイオンクラフトで町に出掛けることになった。
「アキトと一緒に仕事とは久しぶりな気がするぞ。」
アルトさんの言葉にリムちゃんも頷いている。
確かに久しぶりだな。去年のバーベキュー以来のような気がするぞ。
「製鉄所の方は上手く行っているのですか?」
「あぁ、後はヘンケンさんにお願いした。デリムさんもいるしシグさんも中々だぞ。」
心配そうに俺を見ているリムちゃんにそう言って笑い掛ける。
「まぁ、商売ならばデリムに任せればよい。シグの後ろには商会もおる。上手く行ったなら早めに身を引くのも良いじゃろう。」
まぁ、そういう事だな。軌道に乗ったのなら早めにこの世界の者に任せた方が良いはずだ。それもまた技術の発展になるだろう。
そして荷台から姉貴のいる操縦席越しに見えてきたのは、貯水池の傍に広がる大きな町だった。
中心部にある玉ねぎ型の分神殿の周囲には4つの尖塔が立っている。その尖った屋根は青いタイルで飾ってあった。
白い塔壁にマッチしてるな。後は、あの礼拝堂を飾るだけだ。




