#472 肉が食べたい!
夏だ。
姉貴は「夏よ!」って言ったかと思ったら、ディーとアルトさん達を引き連れてサラブの町へガルパスを走らせてった。
「後は宜しく。」って俺に言ったという事は、プロジェクトの面倒をしっかり見ろ、って事だよな。
現場に向かうバジュラの足取りも俺の気持ちを汲んでいるのか何となくとぼとぼとした足取りだ。
日差しは強いから、夏用の山岳猟兵用の帽子を被り、アトレイム王都の工房で作ってもらった短パンとTシャツを着てサンダル履きだ。それでも装備ベルトにはグルカを背負っているし、M29はバッグの裏に隠してある。
砂浜の強い日差しをサングラスで防ぐ俺の姿は、傍目で見るとどんな風に映るのだろうか?
事務所に着くと、バジュラを下りた。バジュラは事務所の影に移動していく。やはり暑いのは苦手のようだな。
バジュラを見送って、事務所の扉を開くと、…あれ?嬢ちゃん達がいないぞ。
キョロキョロしている俺に、デリムさんが気付いたようだ。
「皆、海に出掛けたよ。朝早くミズキさん達が誘いに来たんだ。」
「済みません。忙しい最中ですのに。」
「いいえ、構いませんよ。」
そう言って、工程表が張ってある壁に近くのテーブルに俺を誘った。
奥に、声を掛けているのは、お茶を頼んでいるのかな?
「まぁ、座ってください。もう直、ヘンケン殿もやって来ます。」
日焼けしたお姉さんが俺達にお茶を運んできた。サラブの娘さんかな。
氷が入った大き目の木製カップに入ったお茶を飲んでいると、ヘンケンさんが入って来た。小柄なドワーフの体形だが、筋肉はトラ族並に付いている。
灰色の短い髪を掻き上げて俺達のテーブルにドカッと音をたてながら座った。
「いやぁ、暑いわい。…こりゃ、ありがたい。」
そう言って、お姉さんの運んで来た冷たいお茶をごくごくと飲んでいる。
「やはり、バビロンの鋼材は、王都の工房製と違って、頑丈じゃわい。高炉を納める建屋の基本はバビロン製じゃから問題はないが、反射炉の方は工房製じゃ。まぁ、天井が低いから問題はないじゃろう。
しかし、高炉の底部は厚さが5D(1.5m)はあるぞ。耐火レンガを3重に積んでいる。それを外側に積んだレンガで押さえているのだが、更に鋼材を立てて針金で巻いている。あれ程頑丈な炉を見るのは初めてじゃ。」
「高炉の高さは100D(30m)はありますからね。まぁ、上部は煙突を兼ねてますけど。反射炉は銑鉄の精製用ですから、高さはそれ程必要ありません。」
「あれを見ると、毎日風呂桶程の鉄が出来ると言う話も頷けるというものです。親父達も見にきて驚いていました。たぶん、今頃は輸出先を探している筈です。」
鉄道も大事だが、維持する為の資金調達も大事だよな。
その辺は、御用商人達に任せよう。きっと良い輸出先を見つけて来くれるだろう。
場合によっては、農機具等に加工して販路を開くのも良いかもしれない。
「鉄鉱石の輸送については、途中まで運搬船を使える。一度に運べる量は荷馬車5台分じゃ。そして送風機じゃが…性能は良いが、風量が足りん。連結する事になりそうじゃ。」
まぁ、シリンダーの径と行程で決まるからな。それでも試作品は4気筒だぞ。ディーは3気圧程度に圧縮されてると言っていたが…。
「こんな感じで、最大3機を連結しましょう。そして、並列にもう1列を直ぐ隣に設けます。片方の修理をしている時に切替えて使えば、送風が止まる事はありません。」
「そうじゃな。蓄圧機もあるが、余り役にはたたんじゃろう。水車の設置場所付近はこれで決まりじゃな。」
「もう1つ、鍛造用のハンマーも動かしたいですね。ディーが2組持ってきた筈です。」
「あれか?…ハンマーの重さだけで50G(グル:100kg)を越えるぞ。あんなハンマーを動かせるのか?」
俺の言葉に驚いているようだ。
「水車の径を大きくすれば動きます。」
「ふむ。じゃが、場所が微妙じゃな…。」
そう言うと席を立って、壁に貼り付けた製鉄所の配置図を見に行った。
「そう言えば、数日前に用水路に設けた閘門の見学に王子達が来てましたよ。」
「こっちは小さいけど、向こうは大きいからね。参考にしようと来たんだろうけど、あの閘門を連結して使うのが運河だよ。」
「私も最初は耳を疑いました。カリストの港とモスレムの王都では運河を作っても勾配があまりにも大きい。200D(60m)以上あるでしょう。用水路の間違いでは?と思ったのですが船で荷を運ぶと聞いて再度驚いたものです。」
「それ程大きな船は浮かべられませんが、相互に通行出来る事が基本です。でも、ここは一方通行です。荷を降ろした船は荷車で運ぶ。まぁ、それだけでも大量移送は出来ます。」
最終的には、港への運河も出来るだろう。それとも港を拡大して、カリストと定期便を作る事になるかもしれない。何れにせよ、製鉄所の稼動で多量の廃棄物が出る事は間違いない。港の埋め立て拡張は今の内に計画を立てておいた方が良いのかも知れないな。
「新たな水車用の用水路を設ける事にする。やはり、高炉を基本に西に建物を作る方が、製品の移動が楽じゃ。何せ相手は鉄じゃからのう。
建物が水路に囲まれる事になる。これも問題じゃぞ。ある程度の標高で造らねば排水路の大きくせねばならん。」
ヘンケンさんが課題として認識していれば問題ない。腕の良い工兵だったから、そんな問題は対処出来る筈だ。
「まぁ、状況はだいたい分りました。先は長いですから宜しくお願いします。」
そう言って立ち去ろうとした時、ヘンケンさんから声が掛かった。
「1つ作業員から、不満が出ておる。魚ばかりでなく、肉を食わせれろ、との事だ。ハンターならば融通出来ないか?」
確か、サラブの東に森があったよな。
「何とかしてみましょう。でも、期待しないで待っていてくださいね。」
2人にそう告げると、2人とも微笑んでいる。やはり期待してるって事かな。
事務所を出て別荘に帰る途中、港に寄って見た。
結構大きな港だな。海岸から150m以上張り出している岸壁には大型の商船も接岸出来るようだ。トラック2台分程の作業船が沖合いに堤防を作っているのが見える。
港の反対側の高台には体育館程の倉庫が数棟建っており、その近くには事務所も見える。数からして御用商人達の倉庫だろう。
「あのう…。アキト様ですか?」
戸惑うような声に振り返ると、中年の男が麦藁帽子を被って立っていた。
「確かに、俺がアキトですが…、何でしょうか?」
ちょっとした立ち話になったが、どうやら港の管理人らしい。
そして、用向きは港の将来の事だった。
「用水路を作っていると伺いました。その用水路の水を港にも分けて頂きたいのです。」
「確かに用水路を施設しています。ですが、港の需要がどの程度あるのか分りませんから判断しかねますが…。」
「水車を動かすと聞きました。その後は海に流すのであれば、その水を港に引きたいのです。勿論、必要な工事はこちらで手配します。」
「それなら、問題はありません。1つ、こちらからもお願いしてよろしいですか?」
「何でしょう?…水の使用量はそれなりにお支払い出来ますが…。」
「それは、事務所にいる人達と調整して下さい。俺からのお願いは、港の拡張工事なんです。更に大きくしたいと思っています。その為の埋め立てにスラグを使いたいんです。スラグは製鉄で廃棄される石の塊のようなものです。鉄分が含まれてますから、石よりは少し重くなるかも知れません。」
「それは願ったりなお話ですが、どれ程の量なのでしょうか?」
「製鉄所が稼動しなければ分りませんが、荷馬車2、3台分は1日で発生しますよ。」
俺の言葉を聞いて、顔が綻んだ。彼も港の拡張は考えていたらしい。
思いがけない処から埋め立て用の石材が手に入ると考えたようだな。
男と分かれて、今度こそ別荘へとバジュラを走らせる。
修道院の石塀にそって丘を上ると、途中に大きな石碑が建っていた。
この周辺一帯に、スマトル戦の敵兵が埋葬されているのだ。高さ4D(1.2m)一辺の長さが20D(6m)に組み上げられた石積みの上に、団子のような巨石が載っている。
巨石には荒々しく、スマトル兵ここに眠る。と書かれているだけだ。
バジュラに乗ったまま、帽子を取って深々と一礼をすると、再び帽子を被り直して別荘へと向かった。
別荘に着いたのは昼を少し回ったばかり。
早速、昼食がリビングに運ばれてきた。サレパルと冷たく冷えたカップスープを俺の前に並べてくれる。
「あのう…。サラブの人だよね。」
「えぇ、そうですよ。父は船大工をしています。アキト様の事は良く父が私達に話してくれました。」
「お父さんって、メイクさん?」
俺の吃驚した言葉に、娘さんが頷いた。
世間は狭いな。でも、娘さんがいるって事は、聞いて無かったぞ。
「ジーナと呼んでください。3人兄弟の末っ子です。兄たちは王都の工房で働いています。」
山荘にいた侍女達はシグさんに付いて来た者達だ。シグさんが製鉄所の事務棟に移動したので全員そちらに移動している。
今、ここにいるのはディオンさんが雇い入れてくれた娘さん2人だ。
たぶん、サラブのギルドに紹介を頼んだのだろう。俺達がいる間の期間限定雇用と言う事になるんだろうな。
「ちょっと教えてくれないか。サラブの東に森があるよね。あそこってリスティンみたいな獣がいるかな?」
「リスティンって、聞いた事があるだけですが…、大きな草を食べる獣ですよね。リスティンはいませんが、ガトルの3倍程の獣は沢山いますよ。
ハンターの人達が狩をしています。でも、上位のハンターは余りサラブには来ませんので、たまにしか、私達は肉を食べる事が出来ません。」
なるほど、肉はいるんだな。そして、レベルが低いハンターではし止めるのに苦労するという事だ。それは、素早い相手という事になるのだろう。
ここは1つ、アルトさんに頼んでみるか。
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姉貴達は日暮れ前に帰って来た。
大きな魚をディーが担いできたから、久しぶりに刺身が食えるぞ。
俺が鯛に似た50cm位の魚を捌いていると、侍女達がアラを使ってスープを作っている。具には貝を使うみたいだな。姉貴達が一生懸命に貝の身を剥いているけど、どう見ても目付きが怪しい。ひょっとして、真珠を狙ってるのかも知れないけど、ハマグリに似た2枚貝では、入ってないと思うぞ。
それでも、テーブルを侍女の2人を加えた7人で囲み、刺身と魚介鍋で夕食を食べるときには、にこやかな顔付きになっている。相当、腹を減らしてたみたいだな。
「生じゃが、確かに美味しいのう。ミーアがいたら、さぞや喜ぶに違いない。」
アルトさんの言葉にリムちゃんも頷いている。
たぶん、夏の間には1回位来るんじゃないかな。
「ところで、アルトさん達に頼みがあるんだけど…。」
「何じゃ?」
全員が俺の顔を見る。何だろうって感じだな。
「サラブの東で焼肉用の獣を狩って来て欲しい。製鉄所の連中の希望だ。出来れば叶えてやりたいんだ。」
「そんな事ならたやすいぞ。だが、獲物はおるのか?」
「パンジーと言う草食獣がいます。でも、村のハンターでは中々刈る事が出来ません。すばしこくて、その上警戒心が強いと聞きました。弓でも中々です。」
ジーナさんが、アルトさんに説明してる。
ジーナさんは無理だと思ってるらしいけど、その話を聞いているアルトさんとリムちゃんの目は輝いてる。難しいなんて聞くと、余計に奮い立つ性格だからな。
「2日待つのじゃ。たぶんサーシャ達も退屈しておるじゃろう。たっぷり肉を食わせてやるぞ。」
食後のお茶を飲みながら、そう俺達に言い放った。
確かに仲間がいた方が良いかも知れないけど、サーシャちゃん達って閑なのかな?
だけど、「来い!」って言ったら、仕事を放り投げて来そうな感じもするぞ。
姉貴の顔を見ると、俺の視線に気付いて首を振っている。もうダメって事かな。アルトさんは一度言ったらきかないからな。
ここは、のんびりと獲物を待っていた方が良さそうだ。