#400 ブルーマーリン
抜けるような蒼い空の下、青い大海原を真っ白な帆を張らませて俺達を乗せたクルーザー『トロイカ』が疾走する。
姉貴が命名したんだけど、どっから持って来た。とき聞きたくなるような名前だ。
確かに、この船の巡航状態の操縦は3人で出来るんだけど…。
疾走と言っても、ディーの話では時速20kmに満たないらしいが、体感速度はそれ以上に思える。少し三角帆側に船を傾けて走るので、嬢ちゃん達はご機嫌だ。そして、1本マストの上で周囲を見張っているミクとミトも全く下りようとしない。双子が乗っている帆桁部分は完全に海の上だけど怖く無いのだろうか?
姉貴とアテーナイ様それにミケランさんは船首部分でのんびりと日光浴だ。
全員水着なんだけど、ちょっと年を考えて欲しいようなビキニだぞ。
シュタイン様とセリウスさんが驚いてたけど、似合ってるんだよな。ディーもビキニだし嬢ちゃん達はセパレートタイプの大人しい奴だ。
ミクとミトはどこで買った!と言いたくなるようなスクール水着に浮きを背負っている。サーシャちゃんとリムちゃんも腰に付けてたな。
「これがあれば万全じゃ!」
なんて言ってたけど、泳ぎを覚えようと言う考えは無いのだろうか?
そんな嬢ちゃん達は、小さなキャビンの上に上がって望遠鏡を覗いてはしゃいでいる。
そして、俺達はサーフパンツモドキをはいて、船尾の舷側に腰を下ろしてのんびりとタバコを楽しんでいた。
「初めて船に乗るが中々じゃな。」
「意外と速度が出るもんだな。港を出るときは10隻程一緒だったのだが、完全に俺達だけになってしまった。」
「まぁ、速度に特化しましたからね。多目的に使える構造です。今回は海釣りですから、小型の帆を張ってますが、大型なら武装商船と張り合えますよ。」
そんな事を言いながらも、船から4本出した竿に目は行っている。
ちょっとしたトローリングだ。何が掛かるかは判らないけど、あまり大物でも困るぞ。
それでも万が一を考えて、俺達のいる後ろの舷側には銛や網、そして棍棒までもが横にしてしっかりと固定されている。
「これでポカリなのか?」
船に乗る時にそれを見て笑っていたシュタイン様も、今では真剣な顔付だ。
「しかし、こんなに速度を上げて釣れるのか?」
「大丈夫です。魚が泳ぐ速度は、速い奴はこの3倍以上の速度で泳ぎますからね。そんな連中が狩りをしている場所を探すのが、最初の仕事なんですが…。」
退屈してきたセリウスさんが俺に話しかけてきた時だ。
「11時に鳥が渦を巻いてるよ!」
帆桁に掴まって周囲を観察していたミトが俺達に大きな声で知らせてくれた。
「エイオス!…進路11時。速度このまま!!」
「了解!」
キャビンのエイオスに指示すると、直ぐにベルアとカインが飛び出してきた。
早速2人で帆の角度を変え始めたが、この3人、親は漁師だったらしい。俺達の話を聞いてミーアちゃん達と共にやって来たのだが、たちまちこの船の操縦をものにしてしまった。
「ガルパスよりは速度が出ませんね。」なんて言っていたけど、おかげで俺達が暇になってしまった。
まぁ、俺達だとちゃんと走らせられるかどうか怪しい限りだけど…。
進路が変わった事を知った姉貴達はキャビンの屋根に上ったようだ。
全員で鳥山を見ている。
「あれは初めて見る光景だな。」
「鳥山と言って、小魚が大型の魚に追われて海面付近に上がって来てるんです。そこを海鳥達が見つけて上空から狙っているんです。…いますよ。大きいのが。」
俺の話を聞いて2人の顔に笑いが浮ぶ。
大物釣りの期待に溢れているようだ。
「鳥山を掠めて通ります。釣れなければ反転して中を通ります。」
エイオスがキャビンから俺達に大きな声で進路を伝えてきた。
「了解だ!」
鳥山まであと200mも無い。俺達3人はジッと竿先を睨む。
そんな俺達と違って、姉貴達はキャーキャー言いながら鳥山の光景に見入っていた。
アテーナイ様も初めて見る光景なんだろうな。帆柱に寄り添ってジッと見ていたぞ。
突然、1つの竿先がガクンっと大きく揺れる。続いてガクガクっと引き込まれ始めた。
「シュタイン様!出番です。」
「おお!!」
俺の声でスイッチが入ったように、大きな引きに見入っていたシュタイン様が立ち上がる。
舷側の穴からロッドを手に取ると、大きく仰け反るようにして合わせを行なう。後は力比べが始まるのだ。
その隙に、俺達は残った竿の糸を巻き上げ始めた。こうしないと釣り糸が絡んで後が大変だ。
「おじいちゃん、頑張って!!」
キャビンの屋根に俺達の方を向いて座ったサーシャちゃんとリムちゃんがシュタイン様に声援を送る。
「何の!…これしき…。」
まだ余裕があるみたいだな。
帆柱の上からはミク達がかたずを飲んで見守っているし、アテーナイ様は心配そうに見ているな。
ディーはすかさず銛を掴んで、何時でも投擲出来るように後ろで控えている。
ベルアとカインは船の速度を一定に保つように微妙に帆の角度を保つのに懸命だ。
バシャン!っと魚が海面に顔を出すと尾びれで海面を歩くように跳ねる。
あのテールウォークはカジキだな。俺の脳裏にお刺身が浮んだ。
嬢ちゃん達は目を丸くしてその光景に見入っている。
カジキの特徴はジャンプとテールウォークだからな。そんな動きで針を外そうとするんだ。
「シュタイン様。糸は常に張るようにしてください。あれはカジキです。大物ですよ!」「おお!、大丈夫だ。まだ体力はあるぞ!!」
俺にそう答えてるけど、体が真っ赤になっている。相当力を込めて糸を巻き取っているようだ。
「お兄ちゃん、他の船が近付いてくるよ!」
「黄色の旗を上げてくれ。そうすれば近寄ってこない筈だ。」
ミトが首に巻いていた旗を帆柱のロープに結び付ける。
あらかじめ定めた約束事項だ。黄色は『現在取り込み中、近寄るな』で、赤が『緊急事態発生。救助請う』の印になる。赤はミクが首に巻いてたな。
「分かったみたい。進路を変えたよ!」
ミトの声に俺は片手を上げて答えた。
シュタイン様の奮闘は15分以上続いている。セリウスさんは何時でも交代出来るように後ろに控えているし、いつしか嬢ちゃん達も声援をやめてシュタイン様とカジキの闘いに見入っていた。
残り約50m。ゆっくりと体を起こし、リールを巻き取りながら体を前に倒す。
単純なようだが、相手は大物だ。シュタイン様の両腕からは汗が滴り、少し震えが見える。
だが、弱音は吐かずに、ひたすら糸を巻き取っている姿は、どこか神々しく見える。流石は、元一国の国王だと感心してしまう。
「見えてきました。残り約20m。…舷側付近に寄せたところでギャフを打ち込みます。」
何時の間にか、ディーは銛ではなくフライングギャフを手にしている。大きな釣針にも見えるギャフは相手に打ち込めば柄が外れるが、ギャフに結び付けられたロープで獲物を手繰り寄せられるように工夫したものだ。
「「「おお!!」」」
キャビンの上から喚声が漏れる。
引き寄せられてきたカジキの大きさに改めて驚いたようだ。
「もう少しです。ここで油断をすると逃げられますよ。」
「何の、もう2,3匹は大丈夫だ。」
そう言ってるけど、全身汗まみれだぞ。
「セリウスさん、ギャフはディーが打ち込みます。俺とディーで引き揚げますから、その棍棒で奴の頭をぶん殴ってください。でないと、あの鼻先の槍で俺達が危険です。」
「確かに、3D(90cm)はありそうだ。」
セリウスさんは舷側から棍棒を引き抜いて右手で握る。
バシャ!!
勢い良く振り下ろしたギャフがカジキを捉えた。
ロープをしっかりと持って船尾に移動する。
「皆、手伝ってくれ!!」
俺の声で嬢ちゃん達がキャビンの屋根から飛び降りてきた。
船尾の舷側は大きく取外せるようになっている。その板を俺が外すと、皆で綱引きが始まる。
カジキの頭が水面から顔を出したところで、セリウスさんの棍棒が唸りを上げてカジキの頭に命中した。
抵抗しなくなっても、大物だから引き揚げるのは大変だ。
力を合わせて甲板にようやく引き上げた。その大きさは4mを軽く越えているぞ。
「皆、一瞬だから、良く見ておくんだよ。」
まだ鰓が動いているカジキを見て俺が言った。
鰓の動きが緩慢になり、やがて止まる。…その瞬間!一瞬全身の色が深い蒼に染まると直ぐに銀色の魚体に変化した。
「何と神々しい色なのじゃ。あれが魂が離れる瞬間なのじゃな。」
アテーナイ様が感じ入ったように呟いた。
大急ぎで、今度は甲板の板を外す。その下は、長さ5m。横幅1.5mそして深さ1mの大きな箱が納まっている。そこにカジキを落として【シュトロー】で氷浸けにした。
帆桁にいるミトに大物を釣り上げた目印の白い吹流しを着けるようにお願いする。
俺とシュタイン様が、パシ!ってハイタッチをすると、それにセリウスさんが続く。
ドサリと、ようやく海水で洗い流した血で汚れた甲板にシュタイン様が腰を下ろすと、リムちゃんが冷たいお茶を運んできた。
ゴクゴク…と喉を鳴らして一気にお茶をあおると、どうやら一息付けたようだ。
「いやぁ~、あれ程の引きだとは思わなかった。下手したら引きづり込まれそうだったぞ。」
その時は手を離しても大丈夫ですよ。竿にはロープが結んでありますから、皆で回収すれば良いんです。…どうですか、大物を釣り上げた気分は?」
「最高じゃ。リオン湖のトローリングも良いが、これは別じゃな。まるで格闘しているような気分だったぞ。」
「次は俺がやらして貰うぞ。シュタイン様を見ていて俺も興奮していたようだ。手が震えて棍棒を握るのに苦労したぞ。」
ミーアちゃんが俺達の分を運んできてくれたので、冷たいお茶を飲みながら、さっきの興奮を冷まして、タバコを楽しみながら心地よい余韻を味わう。
「これですか?…これだけの大物は年に1、2匹と言うところでしょう。大会前なのが残念です。」
エイオスがカイン達に操縦を任せて、獲物の検分にやって来た。
「確かに、だがこれで他の船もやる気が出る筈。この大会は面白くなるぞ。」
そう言って甲板の板を外してカジキを見ていたエイオスに、シュタイン様が笑いかける。
「しかし、このような釣りがあるとは知りませんでした。カジキは魚を餌にして運任せで釣るんです。」
「面白いだろう。でも、この疑似餌を水中で引くと、カジキには小魚に見るらしい。大きいのから食いついてくる。」
後で、作り方を教えてください。と言いながらエイオスはキャビンに戻って行った。
その後、当たりもなく鳥山も消えていった。
確かにそれ程釣れるものでもない。今日は運が良かったのだ。
俺達は昼食のサレパルを食べながら帰路についた。
途中、ちょっとした根をディーが見つけたので、嬢ちゃん達が釣りを始める。
全員分を用意しておいたので、それぞれ船べりから仕掛けを投入して真剣な表情で当たりを待っている。
「来た!」と最初に言ったのはリムちゃんだった。鯛に似た1D(30cm)位の魚を釣り上げた。
続いて、ミーアちゃんが釣ったのはサバだな。餌が下に落ちる前に掛かったらしい。
アルトさんとサーシャちゃんも50cm位のカサゴみたいな底者を釣り上げた。
姉貴達も仕掛けを借り受けてやってみたが、ミケランさんが大きな海老を釣り上げた。海老って釣れるんだ!…ちょっと感心してしまった。
夕方近くになって、カリストの港にトロイカを泊める。
俺達が吹流しを付けて戻って来たのを見た、観客と俺達のライバル達が船着場に押し寄せてくる。
そして、手回し式のウインチで岸壁に釣り上げられた大カジキを見ると、「「「ウオォー!!」」」という歓声が上がった。
その歓声を聞きながら俺達は船から上がる。
「なんちゅう大物じゃ。俺は始めてみたぞ!」
そんな声を出しながら俺達の肩を叩いてくれる。そして、そのまま港の酒場に連行されてしまった。
姉貴達が笑いながら見送ってくれる所をみると、見逃してくれるのかな?
意外と、明日は私達が…なんて言い出しそうでちょっと怖い感じだな。
酒場は皆が熱狂している。
早速、冷えたビールのような酒が出されると、全員で乾杯だ。他の船が釣り上げた獲物が焼かれてテーブルに出される。
それを摘みながら、飲むビールは無くなると直ぐ次のカップが渡された。
「まさか、あれ程の大物が近海にいるとは思いませんでした。早速工房に送りましたから、一月後には剥製でお送りします。」
ケルビンさんが俺達に報告してくれた。
そして、釣り上げたのがシュタイン様だと知って驚いているのも面白い。
「ところで、明日から始める大会にはどれ位集まったんですか?」
「現時点で14チーム。後1チームがアトレイムから来る予定です。町も大勢の見物客で賑わってますよ。開会式には国王一家もご出席くださります。」
「わしが出ることは知っているのか?」
「知っております。私が伝えましたから。シュタイン殿が出られて、ワシが出られぬとはどう言う訳じゃ!と重臣に文句を言っておりました。」
それを聞いてシュタイン様が笑いながらビールを飲んでいる。
「やはり、隠居は良いのう…。后に従って良かったわい。」
そう言って、残りのビールを一気に飲むと新しいカップを受取った。
セリウスさんも見てるとビールをがぶ飲みしてるし、明日の開会式は大丈夫なんだろうか。かなり心配だぞ。
全員二日酔いでは、ちょっと情けない結果になりそうだ。
「餌は、何を使ったんだ?」
「どうやって取り込んだんだ?」
引っ切り無しに俺達に質問が来る。明日からの大会に少しでも大きな獲物を獲りたい気持ちが出てるな。
可能な限り答えてあげたけど、今から準備したんでは間に合わないんじゃないかな。
でも、賑やかな酒場でそんな話をするのも悪くないと思う。