#371 ユグドラシルの守人
小さな焚火で昼食用のスープを作っている時に、ディーが北西方向より帰って来た。
直ぐに俺達に報告してくれた内容は…。
南西に60km程の所に村があるそうだ。土塁で囲まれた村は数百人程の生体反応があるらしい。
そして、西北西に軍事拠点があるらしい。距離は約120km。駐屯している兵士の数は2千以上との事だ。
軍事拠点から東に2箇所の監視所を見つけたと言っていたが、その距離はここから80kmも西だから、俺達の行軍に何ら支障はない。
「問題は、こんな荒地に何故軍事拠点を置くのかという事よね。」
姉貴がディーの報告を聞いて呟いた。
「軍事拠点って…何らかの脅威に備えるか、他国への侵略のためじゃないの?」
「まぁ、そうだけど…。侵略する国家も無ければ拠点に集合している兵員も少ないわ。どちらかというと、防衛を任務とした拠点だと思うの。…だとしたら、何の脅威?」
俺の言葉に、姉貴が更に疑問を投げかける。
監視所は北方に数箇所展開しているようです。その内、1箇所はこのまま北西に進みますと、2日後に10km程の距離まで接近します。」
ディーの言葉に再度姉貴と顔を見合わせる。
「小競合いは起こしたくないわ。…5日程は夜の行軍にしましょう。」
姉貴の言葉に俺は頷く。
天幕から出て来た嬢ちゃん達に、昼食を取りながら状況を説明する。
こんな北の果ての軍事拠点にアルトさんは興味を持ったようだ。
「西に王国があるのは聞き及んでおるが、まさかこのような地まで勢力を伸ばしておるとは思わなんだ。」
「我等が聞いた王国と同一であるという根拠はないぞ…。それならば領地は連合王国の2カ国以上になってしまう。商人達が取引をしている王国の北に位置する国と考えるのが妥当じゃろう…。」
サーシャちゃんの考えの方が理屈にあってる気がするな。それだとセリウスさんの話とも符合する。
「夜間の通信で母様に聞けば、もう少し事情が分かるやも知れぬ。…ところで、数日は夜間の行軍になるのじゃな。我等が監視を引き継ぐ、アキト達は一時休むが良い。」
アルトさんの言葉に甘える事にして、昼食を終えると姉貴と一緒に天幕に潜り込む。
6人用の天幕に姉貴と2人だけだから、蹴飛ばされる事はないだろう。そんな事を考えながら何時しか眠りに付いた。
…焚火に俺と長老が座っている。これって、夢の中なのか?
のんびりとパイプを咥えながら、ジッとカラメル族の長老は俺を見ていた。
「ここは…?」
「どこでも無い場所じゃ。…それより、少し気なっての。北北西に大きな気の乱れがある。乱れと言うよりは渦じゃな。」
俺は、バッグからタバコを取り出して焚火で火を点けた。
「…たぶん、バビロンの神官の言う歪みではないかと…。」
「その歪みという物じゃが…脈動しておるぞ。大きさが不定期に変わりおる。それが周囲の気を乱しておるようじゃ。」
「俺達は何とかその歪みを消去しようと考えているんですが…。」
「フム…。確かに長期的には問題がありそうじゃな。…もし、どうしても解決策が見つからぬ時は村に帰ってからキューブを使うが良い。キューブに強い念を送れば答えてくれるじゃろう…。」
そう言うと焚火の反対側に座っていた長老の姿が闇に消えていく。
そして焚火をしていても周囲の闇が迫り、何時しか俺も闇に包まれていった。
ズン!という鈍い痛みが横腹に伝わる。
驚いて飛び起きると、姉貴の片足が俺の腹にあった。
シュラフから片足を出すとは…どんな寝相なんだか…。
天幕の外はすっかり暗くなっている。もう日は落ちたようだ。
急いで装備を身に着けて、天幕を出ると焚火に向かう。
俺が焚火の傍に座り込むと、ミーアちゃんがお茶を入れてくれた。
ちょっと苦みのあるお茶はたちまち俺の思考を活性化してくれる。
「まだ、ミズキは起きないのか?」
「まだ、夢の中だよ。…リムちゃん起こしてくれないかな?」
うんって小さく頷くと焚火を離れて天幕に入っていったけど、ちゃんと起こせるかちょっと心配だな。
それでも、寝ぼけ眼の姉貴がしばらくすると焚火の傍にやって来た。
揃った所で夕食だ。だいぶ夜更けではあるけどね。
食事を終えると、行軍の準備を始める。嬢ちゃん達が食器を洗い、姉貴とディーで天幕を畳み、俺は焚火の傍に穴を掘る。
全員が焚火の傍に揃った所で焚火の残り火を穴に落として野宿の痕跡を消した。
「北西は監視所があるみたいだから、北に進みましょう。」
姉貴の言葉にディーが小さく頷き、北に向かって歩き始めた。直ぐ後を嬢ちゃん達が歩き出す。そして、何時も通りに最後尾は姉貴と俺だ。
夏だと言うのに、夜中に草原を渡る風は冷たく感じる。全員が革の上下だから寒くはないと思うけど、この地の秋はもう始まってるんじゃないかな。そんな感じの風が北から吹いてくる。
夜に歩いて昼間は眠る。そんな行軍を数日続けると、前方に大きな山が見えて来た。その東には険しい山脈が続いているが、西のほうには低い山並みがうねっているだけだ。
「あの山が宝珠だとすれば、あの山を東に回った所にエルフの隠れ里があるんだわ。」
「そうすると、ユグドラシルはもう少しじゃな。」
「西に約260km…1万7千Mとなります。」
エルフの里より西に300kmだったな。後、10日位で着きそうだ。
「進路を北西に変更します。…このまま西でも良いんだけど、例の監視所が気になるの。なるべく遠回りに進みましょう。」
遠回りと言っても、ここまで来れば到着が3日程度遅れる位だろう。
俺達は前方の大きな山を迂回するように低い山並みに向かって歩き出した。
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低い山並みの裾野を縫うように俺達が行軍していると、ある日早朝の偵察から帰ったディーがユグドラシルの情報を持ち込んできた。
「南西20kmで建造物を確認。GPSとの照合でユグドラシルと確認しました。
建造物の周囲は湖です。南方向からユグドラシルの建造物まで砂の道が出来ています。水面と道の高さは60cm…2D程です。砂の道の延長は約2km…13M。」
「いよいよじゃな。周囲に人影は無いのじゃな?」
「湖から南方1kmの小高い丘に、20人程度の監視所が設けられています。」
俺達は顔を見合わせた。
「昼間の訪問は発見されるわね。ここは深夜に訪問しましょ。」
「砂地が厄介じゃな。足跡が発見されそうじゃ…。」
姉貴と嬢ちゃん達が相談してるけど、1km離れて監視しているのであれば、足跡は判らないと思うぞ。俺としては、何故湖から離れて監視しているのかが気になるな。
「湖に生体反応は?」
「薄い反応ですがありました。生物の姿は確認できませんでした。」
そして、その夜に俺達はユグドラシルに向かって歩き出す。
監視所との距離はディーが確認出来るので、監視所から数kmはなれた場所で行軍を止めて、次の夜にユグドラシルへ向かう事にした。
次の日、9時頃に起床した嬢ちゃん達に代わって眠りに着くと、夕方に俺達の南にいる連中の情報がアテーナイ様からもたらされた。
煙が出ないように炭火で作った食事を取りながら嬢ちゃん達の報告を聞く。
「アトレイムの西に広がる荒地を更に西に行くと、やはり王国があると言っておった。スパリアム王国とネーデル王国の2つの王国じゃ。
連合王国の商人達はスパリアム王国との貿易をしておるという事じゃ。鉄や甲虫の羽が輸入されると言っておったぞ。
そして、スパリアム王国とネーデル王国は何時果てるともない戦をしているそうな…。今では両国とも戦の原因すら知らぬであろうと母様は言っておった。
ただ、北に向けて軍事拠点を作る理由は判らぬという事じゃ。」
「南の軍事拠点の兵員はネーデル王国と見て間違いないね。」
「隣国と泥仕合をしている割には、物々しいのう…。」
食事にはあまりそぐわない話だが、それだけの軍事力を北方に展開するのは、どんな理由があるのだろう。南に向ければ意外と戦が早期に終りそうな気がするぞ。
そして、食事が終るといよいよユグドラシルへの最後の行軍だ。
何時も通りにディーの先導で俺達は歩き始めた。
1時程、西に歩くと湖の岸辺に出る。
どうやら円形の湖のようだ。向こう岸は見えないけれど、湖の中程に浮かぶ小島には月光に照らされて銀色に光る建造物が見て取れる。
ツアイスで見てみると、ピラミッドを半分に切断したような四角錐の形をしている。
そして、3km程先の岸辺からピラミッドのある小島に向かって道が伸びているのが見えた。
「岸辺よりを歩くわ。…ディー。周辺監視を宜しく!」
姉貴の言葉に、小さく頷いたディーが先を急ぐ。俺達もその後に続いて歩き出した。
ディーの先行偵察では、岸辺より1kmの距離に監視所があるはずだ。
俺達の姿を捉えるかどうかは微妙な距離だが何か動きがあればディーの監視に引っ掛かるだろう。
小島に続く砂の道まで到着した。北の小島に向かって真っ直ぐに幅6m程の道が続いている。
ディーがスタスタと道を歩き始めたので、いそいで俺達も後を追う。
ディーは2kmと言っていたから約30分の距離だ。
道の両側が湖だと言うのがちょっと怖い気がするけどね。結構幅のある道路なのだが、真っ直ぐに続いているから、湖に中に消え入りそうな錯覚を覚える。
砂の道を半分も過ぎると、前方のユグドラシルの建造物が大きく見えてくる。
ツアイスで覗くと、数段の幅の広い石段の奥に入口らしき扉が見えて来た。
「左方向より生体反応、急速に接近してきます。」
「前方駆け足!」
ディーの言葉に続いて姉貴が大声を上げると、全員が前方の小島目掛けて走り出した。
野宿箇所から出る時に姉貴が全員に【アクセラ】を掛けているから、短距離走をするような速度で長距離を駆けることが出来る。
「生命体…後方の水面に浮上します!」
ディーの言葉に俺達は後ろを振り向いた。そこには…水面から顔を出した無数の魚の頭があった。
ユグドラシルの建造物まで残り300m程になった時に、再度後ろを振り向く。
そこにはひたひたと俺達を追ってくる人影が見える。
小島にたどり着くと、急いで階段を駆け上がり入口らしき場所に辿り着いた。
直ぐに姉貴がゴールドカードを取り出すと周辺を探し始める。
「【シャイン!】」
姉貴が光球を作り出して扉を調べようとした時、誰かが俺の裾を引張る。
ん?…振り返ると、ミーアちゃんだ。そして右手をすいって伸ばした先には、数十人の半漁人が俺達に向かって歩いてきていた。
「これだわ!」
振り返ると、姉貴が金属製の扉の一部にゴールドカードを差し込んでいた。
一瞬、扉の一部が輝いたがその後の変化は無い。
そしてこの扉にはどこにも取っ手らしきものが無いから、こじ開ける事も不可能だ。
「手をかざせ…ってどういう事かしら?」
姉貴の呟きにもう1度扉を見ると、表面に文字が浮き出している。
確かに手をかざせと書いてあるな…。そして、文字列の下には手の形が光る線で浮き出している。
「…無駄じゃ。その扉を開ける者は、最早誰も居らぬ。ここは我等、ザイラスの統べる土地じゃ。早々に立ち去るが良い。」
数mの距離を取って俺達を囲んだ異形の者が告げた。
「アキト…誰と話しているの?…キャァ!」
俺の方に振り向いた姉貴は、いきなり叫ぶと俺の後ろに身を隠した。
「確かに我等はおぞましい異形ではある。しかし祖先はお前達と同じ姿体を持ち、その扉の向こうにあるユグドラシルで暮らしていたと伝承は伝えている。
我等はユグドラシルを後にした。その後、この扉が再び開く事は無かった。
我等よりは変容が少なくとも、もはやこの世界にユグドラシルで暮らしていた人類と同じ者は居らぬ。我等に武器を向けぬ以上、見過ごすことは可能じゃ。早々に立ち去るが良かろう。」
ごぼごぼと音が混じる聞き取り辛い発音ではあるが、その言葉には知性がある。
「最後に少し試したい。アキト…。この手形に合わせて右手をかざしてみよ。」
アルトさんに引っ張れれるように扉の前に行くと、その手形に右手をかざした。
ヒンヤリとした金属の触感が伝わると同時に、チクリと指先に痛みが走る。
突然、扉全体に光が走り抜ける。そして、ゆっくりと扉が上にせり上がっていった。




