#286 北の部族
ひたすら北に向けて歩くのもいいかげんに飽きてくる。
周りは一面の荒野で所々に潅木が茂っているだけだ。それでも季節の変化はここにも訪れる。
アクトラス山脈を越えた頃には雪景色が残っていたが、あれから1ヶ月近く歩いていると、荒野と言えどもまばらな草原が広がっている場所もある。
そんな草原を渡り歩く草食獣の群れを見たときには、ちょっとホッとした気分になる。
気温も何時しか上がったみたいで、日中の行軍時には暑い毛皮のマントは必要無くなった。
それでも、休息を取るときには冷たい風で体が冷えぬようにマントを羽織る事になるから仕舞いこむには至っていない。
「まだ北に進むのか?」
「ジュリーさんに貰った地図だと隠れ里は山脈の麓にあるのよ。横たわる竜は東方遥かにまでその尾を伸ばし、顎よりその体内に入る…。の記述があるの。
横たわる竜は山脈だと思うから、山脈にぶつかった所で西に進路を取れば良いわ。」
じれったそうに姉貴に訊ねたアルトさんへ、姉貴が丁寧に教えているけど、確かあの地図には横棒が書かれただけのようだったな。
あの横棒が山脈だとすれば、俺達は更に北へと進まなければならないようだ。
それから2日後に、ディーが早朝の上空からの監視で、前方に巨大な山脈を見つけた事を俺達に告げた。
そして次の日の夕刻、俺達の目にも山脈がその姿を現した。
夕日を浴びて真っ赤に染まっている山脈は雄大で、その頂きの高さはアクトラス山脈の比ではない位に聳え立っている。
更に2日間歩いて、俺達は山脈に繋がる麓の森林地帯に入った。
身を隠す場所がある事から、ここで丸1日の休憩を取る。
何と言っても、携帯食料として持ってきたパンを長持ちさせる為に、簡単なパンをここで焼く必要があった。幸い薪は豊富だ。
焚火を焚いて炭火を作り丸底の鍋を被せて、水で練った小麦粉を薄く延ばす。すると、ナンのような薄いパンが出来上がる。
100枚近く焼けば、しばらくは食い繋げる。
俺は嬢ちゃん達と荒地を越えて来た時に仕留めた獣の肉を使ってシチューを作る。大きく切った肉を長時間煮込めば乾燥野菜だってそれなりに煮汁が染み込む。
久しぶりに少し手の込んだ料理を味わい、のんびりと日中の風呂に浸かる。
のんびりと姉貴がパンを焼くのを見ながらタバコを楽しんでいると、リムちゃんが俺の所に駆けて来た。
「お兄ちゃん、大きいのが向こうにいるの!…早く来て!!」
俺の腕を掴んで立たせようとするから、姉貴に小さく頷くとタバコを焚火に投げ捨ててリムちゃんに連れられて林の端に行く。
この先は何処までも続く荒地の筈だが…。
「連れて来たか。…あれじゃ。あそこを見てみよ!」
アルトさんがボーっと立っていた俺を急いで座らせると、荒地の一角を指差した。
確かに、何かが動いている。
ツアイスを取り出して焦点をあわせると…それはゾウが歩く姿だった。
数頭のゾウがゆっくりと荒地を西に向かっている。距離は約2km位だろうか。小さいゾウもいるから親子かも知れないな。
「何じゃあれは?」
アルトさんが望遠鏡を覗きながら俺に聞いた。他の嬢ちゃん達は、その答えが知りたくて望遠鏡を下して俺を見ている。
「あれは、ゾウという生き物だ。鼻が長くてその鼻を手のように使うんだ。南国に昔は一杯いたらしいんだけどね。」
「じゃが、ここは北国じゃ。鼻の長い動物の話は我も聞いた事がある。じゃがその鼻は1本。あれは違うぞ!」
えっ?…もう一度双眼鏡でよく観察する。
確かに、見た目はゾウだがよく見れば違いがある。
鼻は2本。曲がった牙はもう少しで一周しそうだ。さらに全身は長い毛で覆われている。
これに最も近い生物は…マンモスだ。
だが、マンモスにしたって鼻は1本。マンモスに似た別の生き物という事になるんだろう。
「新種だと思う。…結構大きいな。ゾウの2倍は確実だ。」
「ならば、名前を付けんとな…。そういえば、前にザナドウ狩りをする時にこれと似た絵をミズキが描いておったな。あれは何という獣じゃ。」
互いに望遠鏡を覗きながら俺とアルトさんは話し合う。
「あれは、マンモスだ。あれも、鼻が2本の違いはあるけどそっくりだ。」
「なら、マンモスでよかろう。それで、危険は無いのか?」
確か、マンモスはゾウだから草食性だよな。俺達が狩り等行なって怒らせない限り安全だろう。
「たぶんな。マンモスは草食性だ。手出しをしない限り安全だと思う。」
「なら、良い。…しかし大きいのう。」
俺が立ち上がって戻ろうとした時に姉貴が駆けつけて来た。
ミーアちゃんが知らせたらしい。早速双眼鏡で覗きながら、「マンモスだ!」ってはしゃいでいたけど、まさか狩るなんて言わないよな。
焚火に戻るとディーが風呂から上がったようだ。
変りは無いはずなんだけど、どこかさっぱりした様子で俺を見ている。
「何か異変でも?」
「いや、大きな獣がいたんだ。マンモスは知ってるかな?…あれに鼻が2つあるやつだ。これからはあれがマンモスになるんだろうな…。」
ディーは首を傾げている。電脳の記憶にあるマンモスには鼻が1つだからだと思うけど、そんな仕草が人間らしく見える。
皆で焚火を囲み、たっぷりと夕食を食べれば疲れは取れる。それは若者の特権だと思う。俺と姉貴それにアルトさんが小さなカップで蜂蜜酒を飲む。嬢ちゃん達は葡萄ジュースだ。樽で持っては来たものの、毎日飲めば直ぐに無くなる。こんな休息を取る時には丁度いい嗜好品だ。
周辺に生体反応が無い事をディーに確認して、天幕にもぐり込む。ディーはのんびりと焚火の番をしてくれているが、夜分に出てくる小さな獣を楽しみに待ってるようだ。
次の朝。昨日焼いた薄いパンに焼いたハムを挟んだ朝食を取る。大目に沸かしたお茶を各自に入れて残りは水筒に入れておく。
「後、どの位だ?」
「ほぼ西に1,050kmです。」
直ぐにディーが応えてくれたけど、約2ヶ月の距離だな。気が遠くなりそうだ。
聞かなければ良かったな。なんて思いながらも俺達は西に向かって歩いて行く。
先頭は俺だ。その後に姉貴と嬢ちゃん達が続き殿はディーが務める。そして、林を進むから近接戦闘が可能なように俺はショットガンを担いでいる。
何事もなく、俺達は西に進んでいるが、やはりここにも遅い春が訪れたようだ。
何時しか周囲の雪が消え、針葉樹の林にも若葉が生えてきたのが判る。
直ぐ右手の荒地には雑草が茂り始め、名も知らない花が咲き始めた。
北国の花畑は綺麗だと聞いた事があるけど、きっとあのような風景を言っていたんだと思う。
そんな、ある日の事。ディーが俺達の歩みを止めた。
「進軍停止!…南西方向で争いが起こっています。停止して状況を確認した方が良いでしょう。」
ディーの話を聞くと直ぐに俺は林の切れ目を目指して、木立の影から荒地の様子を覗う。
そして、そこにいたのはマンモス狩りをしている人間達だった。
急いでツアイスを覗く。
なめした毛皮を巻き付けて紐で結んだだけの狩人達が石槍を持って、落とし穴に落ちたマンモスを攻撃している。
マンモスの分厚い毛皮を貫通するのは、あの石槍では大変そうだが、数十人の狩人はひたすら石槍をその巨大な体に投げている。
そしてその狩人達だが、どうも違和感がある。
良く観察してみて、ようやく理解できた。…毛深いのだ。セリウスさんやダリオンさんも毛深いけど、それとは比較にならない。どちらかと言うと類人猿…に近い。
こちらには誰も注意を払っていない。あれだけの大物相手に戦っているのだから、ちょっとした不注意が命取りになるのだろう。
先程1人が長い鼻の1つに巻き取られ、遠くに投げ付けられていた。
俺は急いで姉貴達の所に戻り、直ぐにここを離れる事にした。
休息も、昼食も取らずにひたすら西に歩き、林が森に変わった所で大木の洞を見つけた。周囲に危険がない事を確認して、ほらの中で今夜は過ごす事にした。
「…で、どうだったの?」
「原始人を見た感じだな。マンモスを穴に落として狩りをしていたよ。見ている内に1人やられた。結構命懸けの狩りだな。」
この洞は10畳位ある広いものだった。入り口を防水布で被えば明かりは外に漏れない。籠に集めておいた薪で小さな焚火を作れば、ディーが早速お茶を沸かし始めた。
問題はあの原始人がどこからやって来たかだ。狩りの現場から10kmは離れたと思うけど、近くに彼らの集落があってもおかしくない。
原始人の暮らしは良く判ってはいないけれど、多分部族社会だと思う。他部族は嫌うし、狩りの対象ともなり得る。
この場は、素早く立ち去った方が良さそうだ。
「この間のマンモスを狩っていたのじゃな。それは見ものだったに違いない。」
俺の話を聞いていたサーシャちゃんが呟いた。他の嬢ちゃん達も賛意を示している。
「狩っていたのは毛深い人達だった。魔族とは言わないけれど、あの姿に近い。関わりあいになるのは極力避けたかったんだ。」
「魔族に近い毛深かな人とは聞いた事が無いぞ。」
「俺も、初めて見た。石槍を使うのはリザル族に似ているが、見た感じは、頭の大きな魔族だな。勿論頭は2つ無いけどね。」
ふーんって感じで嬢ちゃん達が俺の話を聞いているけど、分かったのかな?
「とりあえずは、早めにここを離れましょう。明日は早くから出発するわよ。」
姉貴の言葉で、俺達は小さな焚火の傍で横になる。
大木の洞は、周囲が囲まれているだけに温かかった。
翌朝は、早めの朝食を取り、まだ薄暗い中をひたすら森を西に進む。
そして朝日が昇る頃、ディーが俺達の歩みを止めた。
「前方900mに、約80前後の個体がいます。集落と判断しますが…。」
ディーの報告を聞いて、俺とアルトさんが素早く偵察に出かけた。
森を進んでいくと、人の気配がする。身を屈めて少しずつ前方に行くと、集落を取り巻く低い棘のある木で囲まれた集落があった。
木を丸く組み合わせて、その上に毛皮を乗せて雨露を凌いでいるようだ。あれでこの地の厳しい冬を越すのか…と少し哀れみを感じる。
くいくいと俺の袖をアルトさんが引く、俺がアルトさんに振り返ると、望遠鏡を覗いたままで指先を伸ばす。
その先には…。骸骨があった。
やはり、他部族とは相容れない種族のようだ。ここにあの骸骨があるという事は、付近には、同じような集落が点在していると考えた方が良さそうだ。
静かに後に下がると、急いで姉貴達の所に戻った。
「かなり物騒な種族のようだぞ。集落の中に骸骨があった。埋葬しないならもっと骸骨があっても良さそうだが、1体ぶんしか無かったところを見ると意図的に殺されたと考えられる。」
「迂回したほうがいいかな?」
姉貴の言葉に俺とアルトさんが頷いた。
今度はディーを先頭に北側に大きく迂回する。
他にも似たような部族がいることが判っているから、何時襲われるとも限らない。臨戦態勢で音を立てないように静かに俺達は歩いて行った。