#239 明けの明星
ネウサナトラムの2月は村が雪に埋もれる。
通りは溝のようになって両脇は俺の背丈に近い雪の壁だ。家の屋根も月に2回は雪を下ろさねばならないけど、前の世界の東北地方のようにスコップで下ろすのではなく、【フーター】のお湯で屋根の雪を溶かして一気に滑り落とすんだ。
最初はちょっと怖かったけど、慣れるとこの方法が一番簡単で安全だ。もっとも、雪が滑り落ちる場所に人がいないことが前提だけどね。この頃は、雪下ろしもギルドの依頼として掲示されている時があるので、依頼を受ける者がいない時はちょっとした小遣い稼ぎが出来る。
今日も、そんな依頼をギルドで受けて、ロムニーちゃんと2軒の雪下ろしを終えて帰って来た。
ロムニーちゃんを連れているのは、雪が落ちる付近に人が入らぬように見張り人を頼んだ為だ。出歩く人はいないけれど、ギルドの依頼書にも見張り人を付ける事と書いてあった。
扉を開けて「「ただいま!」」と嬢ちゃん達に声を掛けると、俺達が凍えているのを察したのだろう。暖炉の前を空けてくれた。
「ご苦労な事じゃ。昨年まではキャサリンがしておったようだが、もう村にはおらぬからの。これからは他のハンターがせねばなるまい。」
「たまに屋根から下ろさないと潰れちゃいますからね。報酬が安くとも引受けますよ。」
アルトさんに振り返りながら、そう応えるとサーシャちゃんがテーブルでお茶を入れてくれた。
テーブルに集まって皆で飲むお茶の話題は、テーバイの事だ。
テーバイに行った事があるのは、アルトさんだけだから、アルトさんに質問が集中してしまうけど、アルトさんは几帳面に応えてくれる。
「…荒地の中に突然現れる王都なのじゃな。」
「王都ではあるが、王宮は小さいぞ。民衆の住処を優先すると言っておったな。王宮は水場の直ぐ傍じゃ。水量豊富な泉は王都の重要な飲料水になる。そして、余った水は用水路で王都の城壁の外に導かれて、荒地を灌漑しているはずじゃ。」
「確か水場は2つあるって聞いたけど…。」
「王都から北西に20M(3km)程の所にあったぞ。他に水場が無い故、この2つの水場を使った国造りとなろう。荒地で育つ乾燥に強い作物でなければ、農業は無理じゃろう。…そういえば、見たことも無い棒を整然と荒地に差して水を掛けていたな。さらには茎丈の長い作物を育てているようじゃった。」
見たことの無い棒は、たぶん桑の苗だな。茎丈の長い作物って何だ?…後で姉貴に聞いてみよう。穀物であればネイリー砦の周辺の開拓地に使えるかもしれない。
しかし、水場2つでいったいどれだけの国民の喉を潤せるのだろうか。それに、水は農業にも必要になる。
何らかの方法で更なる水場を確保する必要がありそうだ。
「泉の森の東にはタグの巣穴がありました。砦から徒歩で6日の距離にある王都の周辺にはどんな獣がいるのですか?」
ミーアちゃんらしい質問だ。サーシャちゃんやロムニーちゃんも興味深々にアルトさんを見ている。
「王都の周辺の獣は調査中であった。…鎧ガトルとカルートが多いらしい。スカルタは王都の周辺で見かけるのは稀だと言っておった。それと、タグは王都のずっと北部の山裾に幾つも巣穴を作っておるらしいが、これはあまり注意を払わなくとも良かろうと思う。」
確か鎧ガトルがアルマジロでカルートがカンガルーだったな。スカルタは大蜥蜴らしいけどドラゴンライダーが乗っていたのとは種類が違うみたいだ。
タグがいないのは少し安心できる。何と言っても大型の蟻だから群れで来られるとそれだけで恐怖だぞ。
「あの固い奴がいるのじゃな!」
「ユリシーさんに、トンカチを作ってもらおうかしら…。」
「そんなに硬いの?」
「ボルトが跳ね返るぐらいじゃ。」
確かにあれは凄かった。御后様なんか斧の背中で殴ってたもんな。
もっと効率的なのを作っておいた方が良さそうだ。
「カルートについては、良い話を聞いたのじゃ。…何でも奴は食べられるらしい。遊牧民は好んで食べると聞いたぞ。今度狩ったら皆で焼肉じゃ。」
焼肉と聞いて嬢ちゃん達の目が輝いてるって言うのが何とも…。肉食系女子そのものじゃないか。
確か、カンガルーって草食だよな。それを考えれば食えない事は無さそうだ。それに、せっかく畑を作っても、カルートに荒らされたりしたら大変だ。
嬢ちゃん達に積極的に狩りをしてもらわねばなるまい。
「鎧ガトル用の武器は俺が何とかするよ。カルートはテーバイの始めたばかりの農業に打撃を与えそうだ。食料になるならば積極的に狩ってもいいのかもしれないね。」
「母様は斧を使っておったぞ。あんな固い奴を倒す武器なぞ聞いたことも無い。」
アルトさんが俺に叫ぶように言ったけど、それも仕方ないだろう。この世界の鎧は、鎖帷子がごく一部、主流は革鎧だもんな。
「俺の国のとある地方の鎧は、金属板で体を被っものだ。そんな鎧を着た者同士が戦う時は剣すら役に立たない。そこで発達したのが打撃武器なんだけど、その1つが使えそうだ。ユリシーさんに頼んでみるよ。」
「全身を金属板で被う鎧だと…。そんな物を着て戦えるものなのか?」
「チェスの駒でナイトがあるだろう。あれがそれを着て馬に乗った姿をモデルにした物だ。俺の国では騎士って言うんだけどね。」
・
・
それから、10日程して、数個のモーニングスターの試作版が出来た。
テーブルの上に置いた武器は、棘付き鉄球が2D(60cm)位の鎖で1D(30cm)鉄の柄に付いている。
唖然とした表情で嬢ちゃん達は眺めていた。
「これが、鎧ガトルを一撃で倒せる武器だ。名前はモーニングスター。明けの明星っていう意味なんだけどね。」
試作品は棘付き鉄球の大きさを少し変えてある。アルトさんではどう考えても通常のモーニングスターの鉄球では無理な気がするからね。
「この柄を持って振り回して鉄球を相手に叩きつけるのじゃな。…初めて見るが使い方は理解できる。どの程度の威力があるのじゃ?」
「試して見なければ分からない。結構な威力はあると思うんだけどね。」
アルトさんはしばらく考えていたが、やおら席から立ち上がった。
「なら、試してみるまでじゃ。山荘に出かけるぞ。準備を急げ!」
アルトさんの指示で嬢ちゃん達は早速着替えに部屋に走って行く。
「悪いが、モーニングスターを橇に積んでおいて欲しいのじゃ。」
扉から顔だけ出してアルトさんが俺に頼み込んだ。
どれ…って感じで橇を玄関前に引き出して、モーニングスターを積み込んだ。
厚い毛皮のマントを纏って、嬢ちゃん達が橇を引いて山荘に出かけるのを玄関先で見送りながら一服を楽しむ。
リオン湖は暑い氷に閉ざされており、アクトラス山脈は灰色の雲と降りしきる粉雪で全く見ることが出来ない。後1月はこんな暮らしが続くと思うとちょっと憂鬱になりそうだ。
凍えてきたのでリビングに戻ろうとした時、マントに身を包んだ2人組みが小道を歩いてこちらに近づいてくるのが見えた。
「あれ?…どうしたの、外になんかいて。」
「あぁ、お帰り。…ちょっと一服さ。嬢ちゃん達が山荘に武器を試しに行ったんで見送りを兼ねてね。」
そんな話をしながらリビングに入ってテーブルに着く。俺はテーブルに着く前に暖炉へ薪を数本投げ入れた。
俺がテーブルに着くと早速ディーがお茶を入れてくれる。長らく外にいたから冷え切った体には温かいお茶が何よりのご馳走だ。
「それで、女王とは上手く事が運んだの?」
「とりあえずはね。…女王も商船からの情報である程度は渡りバタムの被害を知っていたわ。まさか、2カ国に跨る大被害が起きているとまでは知らなかったみたい。情報統制が掛かっているみたいだから、やはりテーバイの属国化というか植民地化の方向でスマトル王国は動いていると女王は言っていたわ。」
「という事は、御后様が言うように今年中に戦が起きると…。」
「互いに出来る事を始める。…と言う事で合意してきたけどね。」
姉貴は頷きながらそう応えた。
「それで、地図は出来たの?」
「これよ。…テーバイ王都を中心に周囲50kmの地図を作ったわ。」
姉貴がテーブルに広げた地図は1.2m×2m位の大きさだ。グリッドピッチは2cmが1kmだから、結構詳しい地図になる。
「定規と分度器も欲しいわね。後でユリシーさんに頼んでくれない?」
「いいよ。他に頼むのがあれば纏めて頼んどくけど…。」
しばらく姉貴はお茶を飲みながら考えていた。
「盾と、見張り台かな。盾は板につっかえ棒が付いた奴でいいわ。見張り台は、発光信号器の通信にも使えるから高さは2m以上確保したいな。全部、組立て式でお願い。」
つっかえ棒が付いた盾って、日本の戦国時代の映画なんかに良く出てくるやつだよな。あれなら連結させればちょっとした防壁に使えるから意外と使えるかもしれない。問題は見張り台だが、盾を組み合わせて箱が出来れば、その上に乗ることが可能じゃないかな…。ユリシーさんに相談すれば案外簡単に作れそうだぞ。
「それと、荒地を行く荷車の車輪が埋まって輸送が大変なのよ。荷車の車輪の横幅を大きく出来ないかな。」
「それが一番簡単だね。ガルパスで引けるように小型の荷車も作って貰おうよ。」
そう言って俺が温くなったお茶を飲み干すと、ディーが新しいお茶を入れてくれた。
姉貴も「有難う。」って言いながら、お茶を入れて貰っている。
「ところで、アルトさん達は?」
「あぁ、モーニングスターを作ったんで山荘へ出かけたよ。威力を試すんだって言っていた。」
「モーニングスター…あぁ、鎧ガトル対策ね。出来れば屯田兵の一部隊に渡しておいた方が良いわ。意外と王都の周辺に沢山いるみたいだから…。」
姉貴の言葉から判断すると、鎧ガトルを狩る専用の部隊を作るつもりのようだ。生態系を壊さないように狩らないと大変なようにも思えるけどね。
玄関先が騒がしくなった。…と思う間も無く扉が開いて嬢ちゃん達が帰ってきた。
あれ?って感じで姉貴とディーを見ていたが…。
「帰ってきたのじゃな。テーバイの様子はどうであった?」
何時ものテーブル席に座ると、アルトさんが早速姉貴に質問する。
「予想はしていたみたいね。ただ予定が少し早まった事に驚いていたわ。此方も早めに準備しなければいけないわね。」
「鎧はある。爆裂球も前回に懲りてたっぷり持っておるぞ。後は、何を用意するのじゃ?」
「戦は武器だけでは出来ないわ。食料、薪、水、それに寝る場所だっているのよ…。」
今回の派遣軍は、モスレム亀兵隊200人、連合国の亀兵隊120人、それに屯田兵が200人、さらに連合軍の正規軍が400人の約900人だ。
食料だって半端じゃない。それにテーバイは荒地に立国した国だ。薪だって集めるのは困難を極める。
「各国の御用商人達が物資を集積してるわ。それに各国から作戦参謀も集まってるのよ。大掛かりな兵站の維持と管理を商人を使って行なうのは初めてらしいわ。」
「物流を考えながら戦うなんて初めてだね。」
「それだけ大掛かりで厳しい戦いだと思えば良いわ。」
「あのう…、兵站ってにゃんですか?」
おずおずとミーアちゃんが姉貴に質問する。
「あまり馴染みの無い言葉でしょ。私達はロジスティックという時もあるけど…、物資の供給を必要な場所に必要な時に送る為の組織の事を言うの。
テーバイで戦う時は、テーバイの資源を使わない。これは連合国の了解事項よ。その為に、色んなものをマケトマムに集めて、そこから荷車でテーバイの集積所に送るの。
派遣軍はテーバイの集積所から必要な物資を受け取りながら戦う事になるわ。
この時、物資の無駄を出さないようにしながら、無理なく物資を送り続ける組織全体を兵站と言うのよ。」
姉貴が丁寧に説明してるが、この世界の人達に果たしてきっちり伝わったかどうかはちょっと疑問だ。
でも、派遣軍の士気を低下させることなく戦闘を継続するためには、物資の安定供給は必要不可欠であることは確かだ。