#197 2匹のザナドウ
まだ、夜も空けきれない薄明の時刻に、ふと目が覚めてしまった。
東の空は少しずつ明るさを増し、西の空に輝く星々を1つずつ飲み込んでいる。
断崖の傍に行って下を覗き込むと、クレーターの底はまだ薄暗い闇に包まれている。
「お目覚めですか、マスター?」
「あぁ、何か目が冴えちゃってね。コーヒーがあれば貰えるかな?」
直ぐに、ディーは焚火の傍にあるポットのお湯でインスタントのコーヒー作ってくれた。
シェラカップを持ちながら断崖の底を再び覗き込む。
「ディー。ザナドウは移動してるの?」
「移動はしていませんが、昨夜は活発に行動していました。生物を捕食していたようです。」
「生物って、どんな奴だ。ディーは暗視が出来るよね?」
「巨大な長い体持つ生物でした。口から吐いた液が地面に接触すると高温になります。その高温部目掛けて飛び込んでくるリオンを捕食していましたが、ザナドウの触腕に絡めとられ、捕食されました。深夜には数匹が活動していましたが、薄明の始まりと同時に地面に潜ってしまいました。」
そうか、やはりいたか…。飲み終えたシェラカップをディーに渡して、タバコを咥えながら考える。
昨日、この断崖を見た時から、俺の中にあった疑問の1つが解決した。
ザナドウが何を食べているか…。
ザナドウは肉食だ。その体を維持する為には結構な量を食べなければならないが、この辺りには獣が少ない。リオンでは小さすぎてその役にはたたないだろう。
となれば、リオンより大きく、ザナドウより小さい獣がいるはずだ。それはリオンが活発に動く夜に活動する獣だろうとは思っていたが…、ディーの話を聞くと、蛇かミミズの大型種のようだ。
今日はザナドウを狩る事になるが、狩る時間が夕刻を過ぎるような場合は十分注意する他はあるまい。
朝食を食べながら、クレーターの底にザナドウ以外にも肉食の蛇みたいな生物がいることを皆に説明した。
「やはりのう…。ザナドウと言えども生き物じゃから、食べるものは必要と言う事じゃな。婿殿の心配はもっともじゃが、夕刻までに此処に戻れば問題あるまい。朝食を終えたなら、直ぐに出発じゃ。」
御后様はそう言って焚火の傍から立ち上がった。
昨日見つけた崖下までの溝の降り口に全員が集まった。姉貴が【アクセラ】を唱える。
これで、崖を下りるのが少し楽になるはずだ。
慎重に溝に突き出た岩の露頭に足をかけてゆっくり下り始める。ケイロスさんと近衛兵達が先行して溝の状態を確かめる。
その後は、ご婦人方と嬢ちゃんずが続き、最後は俺達ハンターが下りていく。
嬉しい事に溝は崖に対して斜めに穿たれており、ゆっくり進めばそれ程危なくは無い。
念のために、断崖の岩からロープをずっと下ろして来ているから、上る時にはロープを伝ってよじ登れるだろう。
断崖には殆ど草も生えない。下に下りるにつれて、気だるさが増してくる。これがディーの言っていた強力な磁界の乱れというやつだろうか。ハンターの持つ束ねた投槍の穂先で時折スパークが走る。
それでも、1時間程かけて断崖を下りてクレーターの底に下り立つ事が出来た。
平坦な地故に、ザナドウを2匹しっかりと見る事が出来る。まだ距離は500m位離れている。
急いで装備を整える。
俺は、kar98を袋から取り出すと、ボルトを操作して弾丸が装填されていることを確認する。念の為にポケットに予備のクリップを入れて置く。ベルトのポーチには爆裂球が3個入っているし、腰のバッグには取出しやすい場所に爆裂球が5個入っている。
俺の投槍は姉貴と嬢ちゃんずに1本ずつ持って貰った。
姉貴達はクロスボーを背負って腰のボルトケース2個には爆裂ボルトが10本ずつ入っている。更に姉貴は薙刀を持っている。
御后様は矢ケースに鎧通しの矢が入った矢を20本入れている。それとは別に爆裂球を先端に付けた矢を数本手に持っていた。
イゾルデさん達は投槍を束ねた紐を解いて数本の投槍をバラで持っている。
御后様…キャンディ様は魔道師の杖を持っている。右手でローブのポケットを確認しているのは、持ってきた回復薬の所在をもう一度確認しているのだろう。
俺達は、ディーを先頭にゆっくりとザナドウに近づいて行く。
【アクセラ】で身体機能が増加しているはずだが、この場所は歩くだけでも疲れが溜まる。
残り300mで姉貴が進軍を停止しさせた。
「全員、ジギタを飲んでください。効果の程は分かりませんが、飲まないよりはマシです。」
俺達はポケットや腰のバッグから、小さな竹筒のような入れ物に入っている。薬剤を飲み干した。
「「「苦い…。」」」
皆、慌てて水筒から水を飲んだ。
確かに、苦い。でも、何か少し楽になったような気がするぞ。とんでもない苦味で、効いたような気がするだけかもしれないけど、確かに飲むだけの価値はあるようだ。
「ザナドウの移動は極端に遅いですから、狩りが終るまであの位置から動くことは無いでしょう。
向かって左側のザナドウは私達のパーティが仕留めます。右奥のザナドウはアテーナイ様のパーティが仕留めてください。
…自分の持ち場は分かりますね。絶対に100D以内に近づかない事。もし、近づく場合は食腕に十分注意してください。
では、各自の奮闘を期待します。」
姉貴が俺を向いて頷いた。
俺も頷いて了解の意を伝えると、前方のザナドウに向かって走った。
素早く150m程に近づくと、kar98のボルトを操作して初弾を送り込む。
ターゲットスコープのT字にザナドウの目を捉えてトリガーを引いた。
タァーン!っと銃声がクレーターに木霊して、ザナドウの右目が吹き飛んで青い血潮が飛び散る。
とたんにザナドウの重低音の叫びと体表面の模様が目まぐるしく変化する。
素早くボルトを操作して薬莢を排出して次弾を装填する。
そして静かに、もう片方の目を狙う…。
手前のザナドウの両目を潰した所に姉貴達が駆けつけてきた。
「後は頼むぞ!」
姉貴が頷くのをちらりと見て、俺は御后様の後を追うように2匹目のザナドウに向う。
ザナドウの手前60mには御后様と2人の弓兵が最初の矢を放っていた。
ザナドウの触手状に飛び出した目の付根に3本の矢が深く突き刺さっている。
邪魔にならない場所で膝撃ちの姿勢で目を狙う。タァーンっと言う乾いた音がして青い血潮と共に右目が飛び散った。
続いてもう片方の目を狙う。60mの距離ではスコープ内に大きく目が映る。T字に捉える必要もない位だ。そして静かにトリガーを引く。
急いで銃を袋に仕舞う俺に、御后様が口を開いた。
「目が無くなった方が、動きが良くなったように思えるのじゃが…。」
「暴れてるんですよ。俺達の動きを地面の振動で捉えるので、近づかないようにしてください。」
「了解じゃ!」
そう言いながら、御后様は何本目かの矢をザナドウに放った。
姉貴のところに駆けて行く。駆けながら自分に【ブースト】を掛ける。
最初のザナドウは、体のあちこちから青い体液を滲ませながら長い食腕を振り回していた。
姉貴の傍に行くと、手前の足2本に爆裂ボルトを集中して撃ち込んでいるようで大きく足の肉が抉れている。
「アキト、お願い!」
姉貴の後に地面に突き刺した投槍が2本あった。
素早く1本を抜き取って、投擲具にセットする。
ザナドウから50m位まで接近して1本目をその胴体に突き刺した。
2Dを越える穂先が完全に埋まった。そしてザナドウが一瞬ブルっと震える。
続けて2本目を投擲してザナドウに突き立った事を確認して、アルトさんの所に急ぐ。
「遅い!…もう直ぐザナドウが転がるぞ!!」
いきなりのお叱りだけど、これでも急いで来たんだぞ。
「悪い!」そう言って、アルトさんの後に転がっている投槍を掴む。
素早くセットすると、ザナドウ目掛けて駆け込み、50m付近で投槍を放った。
ズン!と言う音が聞えた気がする。
俺の投げた投槍はザナドウの体深く沈んで2Dの穂先は完全に体の中だ。
次の投槍がザナドウに突き刺さった時、ザナドウの足の1本が爆裂ボルトで破壊された。
もう片方の足にも爆裂ボルトが集中して突き刺さる。転倒するのは時間の問題だ。
ズン!っと鈍い振動が伝わってきた。
振り向くと、最初のザナドウが転倒している。それでも、触腕を振り回しているから、まだ近づけない。
「転倒したら、今度は頭を狙ってくれ!」
「了解じゃ。直ぐに転倒じゃ!」
俺の指示に、アルトさんが直ぐに応じてくれた。
姉貴のところに駆けて行くと、姉貴とミーアちゃんは既に頭に回ってディーと一緒に攻撃している。
何度目かの爆裂ボルトを受けて心なし、触腕の動きが鈍くなってきたように思える。それでも、振り回した食腕で投槍の柄を叩き落している。
それをケイロスさんが長剣で牽制しながら近衛兵が素早く拾って再度攻撃を繰り返していた。
転倒したザナドウの口が見えた。触腕の様子を伺い、素早く接近するとザナドウの口に爆裂球を放り込む。
ドオォン!っと言う音が響いたが、それはザナドウの近くからだった。爆裂球が嘴で弾き返されたようだ。
「お兄ちゃん、退いて!」
ミーアちゃんがタタタ…と走ってきて俺をどかす。そして20m位の距離から爆裂ボルトをザナドウの口に放った。
ドン!っと小さな音がして、振り回していた触腕が一瞬だらりと下がった。
その一瞬を逃さず俺は走りこむ。そして刀を抜くと触腕を一刀の元に両断した。続いてもう一本を両断する。
スルスルと伸びてくる短い触手状の足を素早く退く事でやり過ごす。
ドオォン!っと爆裂球が炸裂すると触手状の足も大人しくなる。
素早く頭に走ると、ザナドウの頭に刀を突き入れる。
その時、背中に鋭い痛みを感じた。
背中に手を伸ばすと、矢が突き刺さっている。無理やり引抜くと、また刀を頭に突き刺した。
煩いほどに聞えていた重低音の響きが消える。そして、ザナドウの体表面に幾何学模様が走り回っていたが、その模様がぼやけて消えていった。
「アキト!」
振り向いた俺に向かって姉貴が薙刀を投げる。
右手でそれを受取ると刀の血糊を払って鞘に仕舞う。
ゆっくりとザナドウに近づく。
「死んだのか?」
「まだ、油断できません。急いで解体します。」
ケイロスさんが俺に近づいて訊ねてきた。
外套膜に薙刀を突き刺して一気に外套膜を切り裂いた。そして、まだ脈動を繰り返す心臓に薙刀を突き立てる。青い血潮が飛び散り、脈動が停止した。
後を姉貴に任せて、御后様の方に駆けて行く。
ザナドウは吼えるように重低音の音を響かせている。そして、その体表面の模様もザナドウの発する音に合わせて変化しているようだ。
「婿殿…。なるほどザナドウはしつこいの。」
俺に振り向きもせずに、ザナドウの頭目掛けて矢を放っている。
ザナドウは既に転倒しており、アルトさんとサーシャちゃんで頭部への爆裂ボルト攻撃が続いていた。
頭部には矢がウニのように突き立ち、一部には深い穴まで開いている。
だが、ザナドウの触腕はムチのように振られて接近を困難にしている。
「サーシャちゃん。あの口に爆裂ボルトを撃ち込めないか?」
「簡単じゃ…。」
30mの距離からサーシャちゃんが嘴の開閉のタイミング計って、爆裂ボルトを打ち込んだ。
ドン!っとくぐもった音がして、食腕が下に落ちる。
すかさず走りよって、刀で触腕を両断した。返す刀でもう一方の触腕を切り上げるようにして両断する。
まだ短い触手が動いていたけど、アルトさんが爆裂球を口に放り込んだらそれも静かになった。
急いで頭に走りより、刀を両眼の間に深く差し込む。
一際大きな重低音が響くと、体表面の色が瞬間的に目まぐるしく変化したかと思うと、その色が段々とぼやけ始めた。
姉貴の薙刀を外套膜に突き入れ、一気に胴の端まで切り裂くと内臓が現れた。
まだ脈打つ心臓に薙刀を突き入れて止めを差す。
「終ったかの…いや、この歳でザナドウ狩りなぞするものではないの。いや疲れたわい。」
「やったのですね…。これで、アンに示しが付きます。アキトさん、ご苦労様でした。」
「アテーナイ様、イゾルデ様ご苦労様でした。これ程、魔法を放ったのは久しぶりですわ。」
それぞれ、アテーナイ様、イゾルデさん。キャンディ様のお言葉だ。
やはり、疲れたんだろうな。
「ご苦労だった。話には聞いていたが、あれだけ投槍を打ち込んでも平気でいるとは恐れ入った。さすが、ザナドウの名に恥じない生物ではある。」
ケイロスさんが俺の肩を叩きながら言った。
「今回は何とか…です。」
俺がそう言うと、また肩を叩いて部下達のところに歩いていった。
「申し訳ありません。矢を当ててしまいました。…鎧通しをもろに背中に受けてましたが、大丈夫ですか?」
弓兵が俺の所にやってきてペコペコと頭を下げる。まだ若い…キャサリンさん位の兵隊だ。
「あぁ、大丈夫だ。とりあえずは【サフロ】で傷を塞いだからね。後で姉貴に【サフロナ】を掛けて貰うから、心配しないで。」
そう言って急いでその場から離れた。
だいたい、矢を受けたのを忘れてた位だ。サフロナ体質ってこんな時には便利だと思う。
ちょっと休んだその後で、ザナドウの肝臓と嘴を切り離して袋に詰める。
その後は、外套膜を各自切取って袋に詰め込んだ。
「美味しいぞ!」
アルトさんの一言でこうなってしまった。
あっという間に外套膜は無くなり、内臓と食腕だけがクレーターの底で、さらしものになる。
やり遂げた充実感が俺達の体を軽くする。外輪山を登るのにさほど苦労は無かった。
そして、その夜の焚火で、久しぶりに烏賊焼きを堪能した。