第七話:【邪】の魔王モラクス
塔形のダンジョンの最奥にある水晶の部屋で、人型の悪魔たる【邪】の魔王モラクスはグラスに入れたワインを楽しんでいた。
肴にしているのは水晶に映し出された映像。
彼が見ているのは火の海になっている自らの第一階層の第一フロア。
「ふむ、こうなってしまうとは」
【創造】の魔王プロケルが強いとは思っていた。
警戒していたからこそ、こうして三人がかりで戦いを挑んでいたが、予想をはるかに超える強さだった。
ちょうど今、【粘】の魔王ロノウェのダンジョンも襲撃されており、第一フロアの彼の主力の魔物が蹂躙されて、やすやすと突破を許しているところだった。
まさかの、二つのダンジョンの同時攻略。
それも一瞬にして主戦力の壊滅。もう、完全に【鋼】陣営の作戦……一つのダンジョンが攻められれば残り二つのダンジョンから大量の戦力を吐き出して叩き潰すというプランは瓦解している。
「こんなの、誰も予想できない。ふっ、あるいは【刻】の魔王なら、この姿が見えていたのかもしれませんな」
【邪】の魔王は、四つ子の悪魔越しに【粘】の魔王ロノウェの水晶から写し出されている光景を見て、つぶやく。
各魔王にレンタルしている四つ子の悪魔。
それを【粘】と【鋼】の魔王たちは便利な通信装置と思っているが実際は違う。
常に四つ子たちは意識共有をし続けている。
つまるところ、すべてが【邪】の魔王である自分に筒抜け。
そして、この悪魔は四つ子なので四体居る。
最後の一体は、真の同盟者に預けてあった。
自分に何があっても、今回の戦いの情報を共有するための仕掛けだ。
「【創造】の能力が気になりますな」
【粘】のダンジョンでは、プロケルのキツネの魔物のたった一発の大魔術で主戦力を壊滅させられていたし、それと同格の魔物がもう一体、【粘】のダンジョンには現れていた。
おそらく、ベテラン魔王から貸し出されている魔物でも、【粘】の魔王のダンジョンに現れた魔物を止めることはできないだろう。
そのことで【粘】の魔王をふがいないと責めるつもりはない。
純粋に相手が強すぎる。
いったいどんな能力を与えられれば、この短期間にあれほどの魔物を作ることができるのか。
そして、もっと恐ろしいのが自らのダンジョンでグリフォンが落とした不思議な武器だ。
ランクが高い強力な魔物を生み出せる。これはまあいい。脅威ではあるがどうしたって数に限りがある。実際、プロケルが用意できた強力な魔物はたった三体しかいない。
しかし、プロケルが平然とやっているランクが低い魔物たちに凶悪な攻撃力を持たせるという行為は違う。
今後、プロケルの稼げるDPが増えていけば、あのグリフォン軍団を数千、数万と用意できるだろうし、【風】の魔王の魔物を蹂躙したゴーレムだってそうだ。手札にはおそらくあれ以外にも強力なカードが並んでいる。
プロケルは放っておけば、間違いなく歴代最強の魔王に至ってしまう。
それは、遠い未来に自らの野望の障壁となる。
「ここで、潰しておきたかったですな」
そのつもりで、【鋼】の魔王ザガン……自分が優秀だと思い込んでいる馬鹿を炊きつけて三対一の戦争を起こさせ、反則まがいの手法をそれとなく吹き込んで、主犯となってもらった。
ここまでやらかせば、【戦争】が終わってから何かしらのペナルティを課せられるだろうが、主犯である【鋼】がもっとも大きな罰を受け、自分は軽微な罰で済む。
うまく行くと思っていたが、ここまでプロケルが規格外だとは思っても居なかった。
自分もまだまだ甘い。いい勉強になった。
このまま、水晶が砕かれるのは間違いない。
その事実が変えられない以上、いかに被害を少なくして負けるかを考えないといけない。
そんなことを考えていると、四つ子の悪魔が口を開いた。
【鋼】の魔王ザガンが連絡をしてきたようだ。
「モラクス、何をしている。ロノウエがプロケルに攻められていると聞いている。僕のほうはすでに魔物たちに進軍を指示した。おまえもはやく魔物たちを攻撃に回せ」
【鋼】の魔王が馬鹿面を晒して、命令してくる。
まったくお気楽な奴だ。
まあ、馬鹿だから、そそのかすことができたのだから、そこに文句を言っても始まらないだろう。
そして、こんなことを考えている自分も相手の戦力を読み誤った愚か者であることに変わりはない。
「そうしたいのはやまやまですが、一階に集めていた主戦力たちが壊滅させられてしまいましてな。【粘】のところと同時に攻めつつ、この戦力の充実っぷり。【創造】の魔王はなかなかの食わせ物ですな」
【鋼】の魔王ザガンは、いっきに顔を青ざめさせる。
小心者の彼にはショックが大きすぎたらしい。
目を白黒させて、汗ばんでいた。
だが、彼がショックから立ち直るのを待っている時間はない。
「こうなることは想定外でしたな。【鋼】の魔王ザガン。次の戦術は? 【鋼】単体で攻めますかな?」
なかなか答えは帰ってこない。
彼はくちをぱくぱくとさせて、うめき声をあげ、ようやく現実を認識し終わる口を開く。
「うっ、嘘だ。プロケルの奴は防衛用の戦力を残さないといけないのに、二拠点同時攻撃!? しかも、【粘】の魔王も主力を皆殺しにされていると言っていた。二拠点の主力を真正面から殲滅するだけの戦力を出したって言うのか!?」
「残念ながらそのようですな。おそらくこちらの作戦を読み切り、あえて守りのために、攻めたのかもしれませんな。こちらが浅い階層に集めた戦力を叩けば、こちらの攻め手は薄くなる。いやはやプロケル殿は策士ですな。それで、次の手は?」
「そっ、それは、その、プロケルの奴に、そっ、想定以上の戦力があった以上、当初のままは、駄目だな、駄目、絶対、うん、ここは一度守りを固めつつ、作戦を練り直してだな」
守りを固める? 作戦の練り直し? 何を言っているんだこいつは。
【邪】の魔王は、必死に口汚い言葉で罵ろうとする自分を必死に抑える。
馬鹿だ、馬鹿だと思っていたがここまでとは。
守って、時間を与えれば、いずれプロケルが外に出している二つの拠点を攻撃している戦力が手元に戻ってくることなんて猿にでもわかるだろうに。こいつは猿以下なのか?
「ふむ、私も可能な限り時間を稼ぎますが、いずれは突破されるでしょうな。【粘】も長くはもちますまい。私たち二人が倒され、全ての戦力を自由に使えるようになった【創造】相手に一人で勝つ自信がおありかな?」
この戦いは負け戦だ。
それは動かないだろう。だが、何もできずに退屈な展開にするわけにはいかない。
創造主は、退屈している。その創造主相手にお粗末な【戦争】を見せてしまえば、彼の裁量で決まる罰は、当然重くなってしまう。
親から聞いた話では、創造主の思考回路は単純明快。面白ければ、なんでもいい。
少なくとも、【創造】の魔王プロケルには苦戦してもらわねばならない。
この【戦争】を盛り上げなければ、いかに主犯ではないとはいえ、このままではわが身に待つのは破滅だ。
「僕一人だけで攻める? そっ、それは、少し苦しいが」
「ほう、少し苦しい。勝てるのですな。さすがは【鋼】の魔王ザガンですな」
「まっ、まあな。僕の【鋼】は戦闘に向いてるし、僕のユニークスキルも強いから」
【邪】の持つグラスにヒビが入った。そろそろ我慢の限界に来そうだ。【鋼】のユニークスキルは金属精製と金属操作。
魔力の消費量に応じた金属を生成できる。彼は全魔力を使えば、こぶし大のオリハルコンすら作れると自慢していた。オリハルコンを材料にした武器を魔物に装備させるのだそうだ。
それがいったいなんなのだ。
オリハルコンが欲しいなら、【鉱山】でもDPで買えばいい。
プロケルの魔物は、もっと洒落にならない武器を”無数”に用意してある。
「私の意見を言わせてもらいますとな。攻めるなら今しかない。たった一人でも、手薄になっているプロケルのダンジョンを狙うべきですな」
それしかもう手はない。いくら持とうが今以上に有利な状況で攻められる機会はない。
少なくとも、プロケルの三体の誓約の魔物は全員留守だ。
「だっ、だけど。あいつ絶対に何か隠してあるって、それを調査して、見破って、作戦を立てないと」
いったい【鋼】はそれにどれだけの時間をかけるつもりだろうか?
そう聞きたいのをこらえて、別の切り口で話を進めようと【邪】は考えた。
「だとしてもですな。【鋼】だけで不安があるなら、借りているAランクの魔物も投入するべきですな」
「そんなことをして、もし、攻めてこられたら」
「【鋼】のダンジョンにプロケルが攻め込めるようになった状況の時点でもうすでに負けていますな。【創造】は、私と【粘】のダンジョンが落とした上で、しっかりと守りを固め、万全の状態にならない限り攻めてこないでしょう」
こいつはこんなことすらわからないのか!?
そう言いたくなる気持ちを必死に抑える。
我慢だ。まだ、我慢だ。
「わっ、わかった。だけど、条件がある。お前が貸りているている魔物を僕に渡せ! さすがのあいつも、手持ちの切り札全部を外に出している状態で、二体の変動Aランクの魔物の攻めは受けきれまい」
ふう、ようやくそこに気付いたか。
初めから言ってやっても良かったが、妙にプライドの高い【鋼】は人から言われた作戦を受け入れる度量がない。
自分で思いついたと、そう思ってもらわないと困るのだ。
「それは名案ですな。借りている魔物をそちらに転移させます。私の水晶が砕かれても消えないように支配権も【鋼】に移して置きましょう」
【鋼】陣営はお互いのダンジョンに転移陣を仕込んである。
それを使えば、無事魔物を貸し出せる。
とは言っても【転移】が使える魔物は一体しかおらず、一度の【転移】で運べるのはせいぜい、人型の大きさで五体程度。三往復で魔力切れしてしまうので、気軽には使えない。
「感謝しろよ。ふがいないおまえたちのぶんも僕が頑張ってやるんだから。僕が、あいつの水晶をぶち壊して勝つんだ。ふふ、ふふふ。そうだ、僕自身も自ら奴のダンジョンを攻めてやろう。僕の勇気と力、見せつけてやる」
「それはすごいですな。私はなるべく時間稼ぎをして奴の戦力を帰さないようにしますので、はやく決めてほしいですな」
【邪】は内心であざ笑う。
それは勇気じゃない。ただ、強い魔物がそばにいないと安心できないだけの弱さだ。
まったく、世話が焼ける。
これで敗北する確率が一〇〇パーセントから八〇パーセントぐらいにはなった。
追い詰められて、思いついた手だが意外に悪くない。
【鋼】陣営に魔物を送り込むとすぐに通信が切られた。
【鋼】は魔物を返せと言われると面倒だと考えてのことだろう。
もっとも、そう【鋼】が思い込んでいるだけで、今も四つ子から情報は送られ続けているのだが。
「さて、最後の悪あがきをするだけするとしますかな」
魔王の書を取り出し、残ポイントで限界まで階層を無駄に増やし、さらにフロアは最大まで広く、無駄に入り込んだ迷宮にした。
あまりに広すぎると、魔物で迎撃する際に大変だ。
それに冒険者たちに不評になるという問題もある。
だが、もうそんなことは言ってられない。
一秒でも長く時間を稼ぐのだ。ここで時間を稼げば稼ぐほど、【鋼】の魔王ザガンがプロケルのダンジョンを突破する可能性が高くなる。
「さて、プロケルがやってきたらどうしますかな」
速やかに降伏して、命だけは助けてもらう。
水晶は砕かれてしまうが、それによる損失は許容範囲内だ。
今まで作った魔物は全て消滅する。ダンジョンもそうだ。
だから、なんだと言うんだ。
幸い、まだ【誓約の魔物】を選んではいない。
三百年という長い人生のうち、今までの三か月と新たな水晶が渡されるまでの九カ月の時間を無駄にするだけ、巣立ちのあと、また作りなおせばいい。
今回得た授業料を糧にして、より強く。何十年かけてでも元はとって見せる。
そのためには……。
「【創造】の魔王プロケル。おまえの全てを学ばせてもらおう」
そうして、四つ子の悪魔から情報を集め始める。
しばらくして、【粘】の魔王が借りていたオリハルコン・ガーゴイルが打倒された。
それを見て、【邪】の魔王は確信する。
【鋼】の魔王に守りの要たる変動Aランクの魔物を渡したのは正解だったと。
結局は足止めにしかならない。なら、まだ攻めに使ったほうがましだ。
何気なく画面を見ていると、金髪のエルフが妙に気になった。
美しい、それにあれは、具合がよさそうだ。
魔物を増やす方法はDPやメダルだけではない。
同一種族内で番いになって子を作ったり、アンデッドのように死体を使ったり、【粘】のスライムのように自然と分裂したり、そして自らの悪魔型や魔獣型の一部は、他種族の雌の魔物を苗床にして新種の魔物を生み出すものもいる。
そして、【邪】たる自分にはその能力があった。
配下の魔物のうちの何体かは、人間の冒険者を使って生み出した魔物だ。強い魔力を持つ個体ほど、そして【聖】に属するものほど強力な魔物が出来た。
ごくりっ、生唾を飲む。
あのエルフは理想的な母体だ。あれで魔物を作ればとても素敵な魔物ができるだろう。己の直感と股間にあるアレの主張がそれを証明している。
試したい。試してみたい。
正面から戦いを挑めば、一瞬で蹂躙されるだろうが、虚をつけばあるいは。それに適した魔物はまだまだ残っている。
いや、待て、落ち着け。ここで、【創造】の魔王プロケルを怒らせてはいけない。穏便に、穏便にするんだ。時間稼ぎに徹し、ここにやってきたら、【鋼】の魔王に騙されて利用されたと、泣きついて、命を助けてもらうように懇願して見逃してもらわうと決めていたではないか。どこか甘いところがあるプロケルはそれで命は助けてくれるはずだ。
でも、でも……。
「私は、私は、もうしんぼうたまらんのですな」
思えば、あの馬鹿に付き合って随分とストレスを抱えてきた。
少しぐらい楽しんでもいいかもしれない。