第九話:さよならマルコ
グリフォンでの空の旅を終えて、マルコのダンジョンにたどり着く。
さっそく【転移】のための陣を用意しようかと思ったが止めた。
転移陣を仕掛けるということは、いつでも相手のダンジョンに忍び込めるようにするのと同義だ。許可を得てからじゃないと失礼にあたる。
マルコのダンジョンに入るなり顔なじみのサキュバスが出迎えてくれた。
そして【転移】でマルコの元に運んでもらう。
◇
転移先はマルコの水晶の部屋だった。
その部屋の玉座でマルコは座っている。褐色の肌に、白い狼の耳と尻尾を持つ妖艶な美女。
いつもより際どい服装をしていた。だが不思議と下品には感じない。マルコの持つ気品のせいだ。
「おかえり、プロケル。その表情だと下見はうまくいったみたいだね」
少し寂しそうにマルコはつぶやく。
もしかしたら俺が出ていくことを惜しんでくれているかもしれない。
「ああ、うまくいった。俺が必要な条件は全て整っていたよ。あの場所なら街が作れる」
マルコがくすくすと笑う。
「初めて君の夢……『人間の欲望と絶望を食い物にするダンジョンではなく、たくさんの人間を集める街を作って、笑顔を糧にする』そんな夢を聞いたときは戯言だと思ったんだけどね。まさか、本当に実現しようとするんだもんな。君にはいつも驚かされるよ」
「戯言じゃない。俺は絶対に最高の街にして見せる」
「その言葉は疑ってない。君は言ったことを実現する男だ。私はそれを見てきたんだ。本当にいい男になった」
湿っぽい空気だ。
こんな空気は俺たちに似つかわしくない。
そんなことを考えていると、マルコが咳払いをした。
話の流れを変えようとしているのだろう。
「君の後ろにいる子、見覚えがあると思ったら、ダンタリアンのところの子か」
「もらったんだ。転移の使える魔物は役に立つから助かってるよ」
「君も気づいていると思うけど、それは監視だよ。あいつが生まれたばかりの魔王をそこまで警戒するなんて驚きだ。誇ってもいい」
その言葉は世辞じゃないだろう。【刻】の魔王はそれほどまでに強大な魔王であり、彼に関心を持たれること自体が誉だ。
「マルコ、この魔物が監視だということは気付いている。見られて困るものがないから利用させてもらうつもりだ」
「うん、いい覚悟だ。その子を使うつもりがあるなら、私のダンジョンに転移陣作っておきなよ。少しは遊びに来やすくなるだろう? 君は今日にはここから出ていくのかな?」
「そのつもりだ。街はもう作った。あんまり留守にできない」
魔王が自らのダンジョンを留守にするのはあまりよくない。
そして、クイナが首を長くして待っている。
「そうか、寂しくなるね。……贈り物をしてあげたいけど。残念ながら親は最初のDPと三枚のメダル以上は贈っちゃだめな決まりなんだ。許してほしい」
「許すも何もない。俺は今までマルコからたくさんのものをもらってきた。本当に感謝している。だから、贈り物を贈るとすれば俺のほうだよ」
俺は【創造】でダイヤの首飾りを作った。
大きすぎず上品で装飾に凝った首飾り。
ダイヤ自体はあっても、この世界の技術では、ダイヤの魅力を引き出すための、精密な多面体を演出するダイヤモンドカットなんてものは出来ない。
世界でただ一人、俺だけが用意できるプレゼント。
マルコのところまで歩いていき、その首にダイヤの首飾りをかける。
「この宝石は、百年経とうが千年たとうが永遠に変わらず、輝きを放ち続ける。たとえ、俺がここを出て独り立ちしようとも、マルコとの友情は変わらないし、俺はマルコの恩も優しさも忘れない。その気持ちを込めた贈り物だ」
彼女のおかげで今の俺がある。
親としての義務以上にさまざまなことをしてくれた。
「……プロケル。まったく、そんな嬉しいことを言われたら、泣いちゃうじゃないか。私が涙を流すなんて百年ぶりだよ」
マルコが涙を流したまま微笑んだ。
「プロケル、君に形のあるものは贈れないけど、心ばかりのプレゼントを贈ろう」
マルコが立ち上がると、俺の左半身にもたれかかってくる。
豊満な胸が俺の腕で形を変える。
甘い香り、男を狂わせる色香、熱いどこまでも熱い。
俺の頬にキスをした。
やわらかな唇の感触。
「どう、プロケル。私の贈り物喜んでくれたかな?」
一瞬俺は呆けてしまった。溶けそうなほど頭が熱くてくらくらする。
「マルコ、ありがとう。最高の贈り物だ。嬉しいよ」
「そう、良かった。私を抱かなかったこと後悔してくれたかな?」
マルコの誘いを断ったことを気にしていたのか。
本音を言えば、今からでも抱かせてくれといいたいぐらいだ。
だけど、それは選ばない。
「少しだけ後悔した。そろそろ俺は行くよ。今までありがとう」
「こちらこそ、楽しかったよ。君が居る間、寂しさが紛れた。プロケル、いつでも遊びに来なよ」
俺は薄く微笑む。
そして、口を開いた。
「ああ、そのつもりだ。マルコを歓迎できるほど街が育ったら誘いに来る。俺にできる最大限の歓迎をさせてもらう」
「それは楽しみだね。きっと君は精一杯私を喜ばせてくれるんだろうから」
俺はマルコに背を向ける。
視線を感じた。
「ただ、最後に一つだけ愚痴を言わせて欲しいんだ。もうすぐ消える私に、永遠の輝きを放つ宝石なんて、少し酷じゃないかな?」
俺は振り向かない。
マルコも振り向くことを期待していない。
これはそういう類の言葉だ。
歩きながら、自分の手の平を見る。
【風】の魔王ストラスとの余興でもらった報奨。
それは本来、たった二回だけ自らの魔物を救済、あるいは強化するための力。だが、あるいはそれを使えば、形を変えてマルコの命を繋ぐことができるかもしれない。
……いや、それは理に反する。だからこそマルコはかつて俺に危険な力だと警告したのかもしれない。
◇
マルコとの会話が終わったあと。マルコに借りていた居住区の部屋に行く。
そこでは、ワイトやドワーフ・スミスたちが忙しく働いていた。
「これは我が君、戻られたのですね」
「ああ、おまえたちを迎えに来た。無事俺のダンジョン……いや、街が出来たんだ」
「それは重畳です。新たな街で、このワイト、粉骨砕身がんばる所存です」
やる気十分と言った声音で、ワイトは相変わらず優雅な礼をする。
「それで、頼んでいた仕事は問題なく進んでいるか?」
「全て滞りなく、我が君が留守にしているあいだ、ドワーフ・スミスたちとゴーレムたちは、全力で採掘を行っておりました」
そう、ワイトを連れて行かなかったのは彼に残った魔物たちを使った作業の全体監督を任せていたからだ。
超一流の魔王であるマルコのダンジョンに設置されている【鉱山】からは、ミスリルは当然としてオリハルコンやアダマンタイトなども発掘できる。
魔王のレベルと【鉱山】の質が比例する以上、今の俺の【鉱山】から採掘できるのはミスリルが限界、可能な限り素材は確保しておきたかった。
ゴーレムたちは不眠不休で採掘できる上に力が強い。さらにドワーフ・スミスたちはベストな採掘ポイントを見つけだすことができる。
だからこそ、超効率の採掘が可能なのだ。
「もう一つはどうだ」
「そちらも滞りなく、進んでおります。こちらに来てください」
ワイトに言われるがままについていく。
彼に案内されたのは倉庫として使用している建物だ。
そこではもくもくとスケルトンたちが作業をしていた。
ワイトだからこそ、スケルトンたちに細かな作業を命令できる。
彼らが作っているのは爆薬。
俺が【創造】で生み出したいくつかの薬品と採掘した鉱物をドワーフ・スミスたちが加工したものを混ぜて作る。
レシピ自体はエルダー・ドワーフが作り限界まで簡略した手順のものを使用しているので、スケルトンたちでも作ることができる。
こうすれば、爆弾そのものを【創造】するよりも、重量が軽くなり大量に用意できる。
大量の爆弾というのは防衛のためにも、攻めにも使える。
俺は、人間を幸福にするための街を作るが、非戦闘主義者ではない。平和を買うためにも多大な金と力と血が必要になることは理解できる。
「よくやったワイト。おまえが支えてくれるから俺は頑張れる」
ワイトは目立たないが、様々なところで役に立つ。彼は魔物たちの裏リーダーだ。
アンデッド系以外の魔物たちにもきちんと慕われている。
実際に俺のいない間のとりまとめをそつなくこなしてくれていた。
「身に余る光栄です。このワイト、我が君の命であれば、いかなる命令であろうと果たして見せましょう」
「そんなことを言っていいのか? 無茶ぶりをするかもしれないぞ」
「それはありえません。聡明な我が君が命令するのであれば、実現可能なことなのです。果たせないのなら我が身の不徳。そして、私は我が君の期待を裏切らない」
まったく、そんなことを言われたらプレッシャーがかかるじゃないか。
だが、そのプレッシャーが心地よい。
カラスの魔物が転移陣を描いていた。
その転移陣が光り輝く。
これで、すでに転移陣を描いている俺の街と一瞬で移動できる。
「ワイト、このカラスの魔物は俺の新しい仲間だ。とは言っても訳ありだがな」
「ええ、伝わります。こやつは我が君に心を許してません」
「わかるのか?」
「ええ、何十体ものアンデッドを従える身ゆえに、感情の機微を読み取るのは得意です」
「なるほど。このカラスが心を許してないのは確かだが、便利な力を持っている。利用させてもらおう」
本当にワイトは優秀だ。
だからこそ、惜しく感じることがある。
ワイトは軍団の指揮者であり本人の戦闘能力はさして高くない。
固定レベルのBランクの魔物。これ以上強くなることもない。
もし、クイナたちと同じように生み出してやっていればと考えたことも一度や二度じゃない。
……そして、それができる力が今、手の中にある。
「我が君、失礼ながら一つ伝えさせていただきたいことがあるのです。私は今の自分が好きです。うぬぼれかもしれませんが、我が君の期待に応えられている実感があります。そして、それは、我が君の娘君たちには出来ぬこと。たとえ、この身が非力であれど、私がそのことを嘆くことはありえませぬ」
「……魔物だけじゃなく、俺の考えていることもわかるのか」
「私は常に敬愛する我が君のことを、理解しようと努力しておりますので」
少し心が軽くなった。
だからこそワイトに問いたい。
「もし、やり直せるならどうする? たった二回だけだが、俺は魔物を記憶をもったまま【合成】し直すことができる。その力を俺は創造主から得た。お前が望むなら、強い魔物に生まれ変わらせてやることができる。それこそクイナたちのような」
特別な報奨として創造主から得た力。
それは合意を得た対象をメダルに変えてしまう力だ。しかもそのメダルを使えば、メダルにする前の記憶を引き継げる。
もし致命傷を負った魔物が居れば、その魔物を一度メダルに戻すことで蘇らせることができるのだ。
もちろん、致命傷を負った魔物を救うだけではなく、魔物を作り直して強化することだって可能だ。
だが、それができる権利は二回だけしかない。
ワイトのために、この力を使ってもいいと俺は考えていた。
「それは不要です。くどいようですが私は今の私が好きなのです。我が君が生んでくれた今の私が。だから、我が君よ。その力を私のために使うことはおやめください」
「だが……」
「いいのです。ただ……もし、我が力及ばず、我が君よりも先に逝くことがあれば、その力を振るってくださいませぬか。我が君の期待を果たせぬまま逝ってしまうことに耐えられません。必ず、その力で今の私が果たせなかった使命を果たして見せましょうぞ」
力強い言葉だ。俺への忠誠がひしひしと伝わってくる。
「ふっ、これじゃ、どっちが魔王かわからないな。頼りにしている”参謀”」
裏のリーダーではなく明確な役割を言葉にする。
たとえ、【誓約の魔物】ではなくても、俺はワイトを重要視することを示したかったのだ。
その気持ちが伝わったのかワイトの感情の虚ろなはずの瞳に炎が宿った気がした。
そして彼は敬服をする。
「光栄です。その大役、仰せつかりました」
「期待しているぞ。ワイト。さっそく命令を与える。今より引っ越しを行う。みんなをうまくまとめてくれ」
「はっ!」
そうして、収容できる魔物は可能な限り俺が収容し、それができない連中は順番に並んで【転移】することになった。
カラスの魔物は一日四往復が限度。ゴーレムたちは五体が一度に【転移】できる限界なので一日では転移しきれないが、地道にやっていけばいい。
こうして、マルコのダンジョンから本格的に拠点の移動が始まった。