第二十六話:君の名は……
俺の切り札の使用を遮った天狐は、笑みを浮かべて口を開いた。
「じゃあ、行ってくるの。おとーさん、帰ってきたらいっぱい褒めてね。エルちゃん、修理をあとで頼むの!」
天狐がショットガンを腰だめに構え、さらに周囲に炎を巻き起こした。
炎の結界だ。風の刃に対抗するために展開したのだろう。
天狐が全力で竜巻の中心にいるエメラルド・ドラゴンに向かって駆けだす。キツネ尻尾がたなびく。
彼女の通り過ぎたあとには血の跡があった。まだ血が止まってない。
「少しでも支援する」
エルダー・ドワーフが地面に手を当てる。
すると、天狐の走る両側に土の分厚い壁ができる。
それは風を阻む。
だが、壁は一秒ごとに削られていく。削られた壁は竜巻に巻き込まれ凶器となって天狐を襲う。
しかし、それは天狐の結界に触れた瞬間、すぐに燃え尽きた。
なにかしらの手品で燃えやすい壁にしたのだろう。
エルダー・ドワーフは気が利く奴だ。
「エルダー・ドワーフ、天狐は何をするつもりだ」
「私の改造ショットガン。ED-01Sはフルオート射撃にも対応してる。それを使うつもり。レバーをSからFに切り替えたから間違いない」
「フルオートが出来たのか。それは初耳だな」
「まだ、試作段階だからマスターには言ってなかった。できるだけで、撃つと壊れる。こんな未完成なもの恥ずかしかった」
あの大火力のフルオート射撃なら、奴の堅い防御を貫けるかもしれない。
「大丈夫なのか? 暴発はないんだな?」
「一弾倉だけ、たった一回のフルオートなら発射が終わる瞬間まで耐えられる。天狐が取り付けた弾倉は、ED-01Sの強度から逆算して、どうせ壊れるなら、フルオート射撃一回を耐えきれる限界まで火薬量を増やす調整をした最初で最後の切り札」
「教えてくれてありがとう。しかし、あの風をかき分けて。至近距離からフルオートで撃つのは並大抵のことじゃない」
エメラルド・ドラゴンの厄介なところは、身に纏う竜巻による弾の威力の減衰に加え弾丸の方向を変えられて鱗で滑ってしまうことだ。
だが、それは大火力のフルオートなら解決できる。
一発目の弾丸が風を押しのけて作った道を二発目、三発目が直進する。
並みの連射なら、一発目の作った風の道を通る前に新たな風に行く手を阻まれる。
だが、フルオートでの連射速度ならそれが可能だ。
それを実行するには至近距離まで近づく必要がある。
「私にはできない。できるとしたら天狐だけ」
「確かにそうだ」
「何もできない自分が歯がゆい」
エルダー・ドワーフが拳を握りしめる。
天狐は真っすぐに進む。
地を這うに低く。
吹き飛ばされそうな小さな体で、必死に耐え、炎の結界でも相殺しきれない風の刃に身を削られながら、それでも前へ。
頑張れ、心の中で応援する。
あと少し、あと少しで到着する。
その時だった。
エメラルド・ドラゴンが尻尾を地面にたたきつけた。
翡翠色の尻尾から鋭い鱗が無数に飛び散る。
その鱗が周囲に渦巻く風に乗る。
「きゃああああああ」
天狐が悲鳴をあげる。
鱗は風の刃なんて目じゃない超高速の鋭利な刃物になって、竜巻の中で回転する。
天狐の炎の結界を容易く貫き、襲い掛かった。
もう踏ん張ることもできず、天狐が吹き飛ばされ、身を削ってまで詰めた距離がまた開いた。
「天狐!」
俺は叫ぶ。
すると天狐が血まみれになって立ち上がった。
「大丈夫、まだ、やれる。私は勝つの。おとーさんの一番の魔物だから、他の魔王の魔物になんて負けない」
どう見てもボロボロだ。
それなのに、天狐は突っ込む気だ。
「やめろ天狐、もういい」
「やだ! 天狐はおとーさんの期待を裏切らない」
天狐は傷ついた体でまた、突っ込もうとしていた。
魔王の【命令】なら止められる。
しかし、それは天狐の覚悟を踏みにじることになる。
そんな躊躇をしていると、エルダー・ドワーフが叫んだ。
「マスター。天狐に名前をあげて。名前さえあれば、私たちは強くなる。このままじゃ、天狐が死んじゃう」
「エルちゃん、やめて!」
「どうして!?」
「いいの。まだ、名前は」
天狐が振り向かずに言った。真っすぐにエメラルド・ドラゴンを睨みつけていた。
「天狐は、ずっと名前欲しがってたはず」
「名前は欲しいの。ずっと欲しかったの。でも、今はただもらうだけじゃいや。ちゃんとした形で欲しい。おとーさんが、心の底から天狐のことが好きになって、その好きがいっぱい詰まった名前が欲しいの……仕方なくとか絶対いや」
それは天狐の本心からの叫びだったのだろう。
彼女と初めてあった日を思い出す。
そのとき、天狐は俺を騙して名前を得て強くなろうとした。
その彼女が、こんなことを言ってくれている。
俺たちとの暮らしの中で成長したのだろう。
そのことが限りなくうれしかった。
ただでさえ好きだった天狐が、もっと好きになった。
あふれる気持ちが押えきれない。
そんな天狐が死地に向かう。
だから俺は……。
「負けるな、クイナ」
彼女の名前を呼んでエールを送った。
名前を呼んだ瞬間、ガツンッと心に何かが響き、つながった。
天狐、いやクイナの力が流れ込み、俺の力がクイナに流れ込む。
気持ちいい。それに温かい。
「おとーさん」
天狐が驚いた顔で振り向いた。
「クイナ、それがお前の名前だ。おまえが最初の【誓約の魔物】だ」
「名前、こんなところで、欲しくなんてなかったのに」
天狐がこんなときなのに頬を膨らませて拗ねる。
「適当な気持ちなんかじゃない。ずっと前から天狐に名前をあげようって考えてた。考えに考え抜いた名前だ。俺の一番大好きな女の子に喜んでもらうために、全身全霊をこめて決めた名前だよ」
「……そんな、嘘」
「嘘じゃない。俺はクイナの強さを知っている。クイナの優しさを知っている。クイナがどんなに俺を好きかも知っている。だから、一生、共に歩くと決めていたんだ。追い詰められたからじゃない。クイナが、クイナだから選んだ。俺はクイナを愛しているんだ! クイナ。その名前を受けとってくれ。そして、俺の【誓約の魔物】が世界一だって証明してくれ」
天狐……いや、クイナは涙を流し、そのまま笑顔を浮かべて頷いた。
「わかった。おとーさん。”クイナ”行ってくる。おとーさんが力をくれたの。こんなに気持ちが温かい。ううん、燃えてる。もうなんだってできるの!」
再度の突進。
しかし、それは痛みをこらえたものじゃなく、希望に満ちた勇敢な行進だった。
◇
【誓約の魔物】。
それは魔王たちの切り札。
魔王は名前を付けることで、魔物に力を与える。
特に最初の三体は【誓約の魔物】と呼ばれ、つながりがひと際深くなる。
クイナの情報が流れてくる。圧倒的なステータスの高さで気づかなかったが、本来天狐は、超大器晩成型の魔物だ。ステータスも特殊能力もまだまだ片鱗しか見せてない。
固定レベルで生み出していれば、こんな苦労をさせなかっただろう。
だが、同時に変動で引き上げた上限まで育てたとき、どこまで強くなるか楽しみになった。
情報だけじゃない。心も伝わり合う。
クイナの考えていることがわかる。
俺の考えがクイナに伝わる。
新たに芽生えた力。それを形にすると俺たちは決めた。
「【変化】!!」
クイナが、叫ぶ。
それは本来なら、見た目を変えるだけの力。
ただのごまかしに過ぎない。
だけど、俺の【創造】の力と混じり合いより高みへとかけあがる。
「おとーさん。幼いクイナじゃ、あの嵐は越えられないの。だから、嵐を超えられる強いクイナになる」
クイナの体が光に包まれる。
怪我が全て消える。それだけじゃない。クイナが成長した。
十二歳程度の幼い少女から、十代後半の少女へ。
身長が伸び、体つきが女性らしく。顔つきはより美しく、尻尾はよりもふもふに。
「この、クイナなら。やれるの!」
見た目だけじゃない。
一歩踏み出すたびに地面が爆発する圧倒的な脚力だ。
全てを置きざりにする速さ。
炎の結界は飛来する鱗をも焼き尽くす。
「GYUAAAAAAAAA!」
エメラルド・ドラゴンが急激に強くなったクイナに恐怖を抱いた。
風が密度を増した。
その嵐をクイナはかき分ける。朱金の炎が燃え上がる。彼女は、見惚れるほどに美しかった。
そしてついに射程に。
「エルちゃん。ありがと。それとごめん」
ショットガンをまっすぐに構える。
「喰らうの!」
発砲。トリガーをひきっぱなしにした超大口径ショットガンのフルオート射撃。弾倉に装填された四発の四ゲージ弾が一瞬にして吐き出される。
能力が増したクイナですら、そのあまりの反動で後退る。
音が四つ重なって聞こえるほどの連射速度。
一発目が風をかき分け、二発目が鱗を破壊し、三発目が肉をえぐり、四発目が貫く。
役目を終えたショットガンEDS-01があまりの負荷に耐えきれずに折れる。
「GUGYAAAAA、GAA」
エメラルド・ドラゴンは致命傷。風の力が止んだ。
いや、最後の力を一点に集めて、起死回生のブレスを放とうとしている。
天狐はきっと、にらみつけ、真っすぐに走る。
ショットガンの弾丸が貫いたところに手を突っ込み、全力で炎を吐き出した。
「これで、終わりなの!! 【朱金乱舞】!」
「GA、GA,GA」
さすがのエメラルド・ドラゴンも内側から焼かれたらどうしようもない。
断末魔をあげて倒れ伏し、青い粒子になって消えた。
クイナの姿が、もとの十二歳前後のものに戻る。
そしてよろよろとこちらに歩いて来て、前のめりに倒れる。
慌てて、俺は彼女を支える。
「大丈夫か、クイナ」
「だいじょーぶなの。でも、すっごく疲れた。この【変化】すごく、消耗する。もう、目を開けてられない」
「よく頑張ってくれた。クイナ。あとは俺たちがやるから、もう眠れ」
「うん、わかった。あのね、おとーさん、お願いがあるの。眠る前に撫でて」
「もちろんだよ」
クイナの頭を優しく撫でる。
クイナは幸せそうににまーっと笑う。
「天狐……ううん。クイナはおとーさんのこと大好き」
そうして首の後ろに手を回してくると、腕の中で眠りについた。
クイナは十分に役目をはたしてくれた。あとは俺たちの仕事だ。
ここは三部屋目の最奥。
あとは水晶を砕くだけ。
そんなことを考えていると……
『【戦争】終了。【風】の魔王ストラスの降参により、【創造】の魔王、プロケルの勝利だ! 【風】も【創造】もよく己の力を示してくれた。本当にいい戦いだった!』
空にスクリーンが表示される。
スクリーンから拍手の音が鳴り響いた。
他の魔王たちが俺の勝利を祝ってくれている。
俺はそれに手を振る。
周囲に青い粒子が立ち上り始めた。【刻】の魔王の力で失われた魔物たちが蘇っているのだ。
砕かれたスケルトンたちが戻ってくる。
良かった。
俺は仲間の帰還を喜びつつ、頑張ってくれたみんなをどうねぎらおうか考えていた。