第十六話:【風】の魔物たち
~ストラス視点~
状況は刻一刻と悪化している。
戦場は主に二つに分かれ、飛行能力をもつ魔物を迎え撃つ空の戦いと、細く入りくねった陸路の戦いが繰り広げられていた。
空のほうは、敵の飛行能力を持った魔物が少ないこと、さらにAランクの魔物ガルーダの奮闘と数十体がかりで巻き起こした竜巻を生かすことで奮闘している。
だが、細長くうねった渓谷のほうはかなり状況が悪くなっていた。
「敵が多すぎるわね」
ストラスは思わず弱音をもらす。
地上部の戦いが一方的な展開にならないのは、ウィンディの力が大きい。
風の精霊、強力な【風】と【転移】の力をもったウィンディは【風】の魔術で可視光を屈折させたうえで気配を消して忍び寄り、敵の強力なAランクの魔物を【転移】で遥か上空に吹き飛ばすという戦法で一撃で倒してきたが、魔力が限界だ。
相手の同意なしに無理やり転移させる場合、直接触れないといけないという条件、消費魔力が激しくなるというデメリットがあるうえ、一体ずつしか【転移】させられない。
すでに【転移】回数は十二回。これ以上は発動すらおぼつかない。
「ウィンディ、下がって少しでも魔力を回復させない」
風でウィンディが声を届ける。
魔力が尽きたウィンディは、徒手空拳で戦うと言ってくれたが、ウィンディの純粋な戦闘能力は低い。無理に戦わせても無駄死にさせるだけだ。
あと一回だけ【転移】は使えるが、これは切り札として温存しておく。
「あなたは、十分以上の働きをしたわ。あとは私たちに任せない」
しぶしぶと言った様子でウィンディが後退していく。十二体もの敵のAランクの魔物を屠ってくれた。ウィンディは役目を果たしてくれた。
これまでにガルーダがほかの魔物と連携しながら、五体のAランクの魔物を倒している。
さらに、初戦でエメラルドドラゴンが三体屠った。
合計二十体のAランクの魔物を倒した計算だ。
「みんな、本当にがんばってくれている」
これらを可能にしたのは、ウィンディとガルーダの優秀さもあるが、それを後押しする、ローゼリッテの全軍強化スキルと多数の魔物たちのサポートが大きい。
ウィンディがこれだけの【転移】による奇襲に成功したのは、無数の風の眼が、適切な相手とタイミングを選び指示し、ときには効果的な陽動を行い隙を作ったからだ。
ガルーダのほうも強力な竜巻で敵の飛行能力をもった魔物の動きを縛りつつ、ローゼリッテの全軍強化でステータスで敵を上回っていなければ、あっという間に押し切られただろう。
ストラスの魔物たちは、すべての力を一つに束ねることで圧倒的な劣勢の中、奮闘していた。
「ガルーダ!」
ストラスが悲鳴をあげる。
「心配無用。戦闘継続」
赤い鳥人、ガルーダの胸に敵の槍が突き刺さっていた。
ガルーダは血を吐きつつも、その眼から戦意は消えていない。
「この飛鬼丸が、敵将を打ち取ったりぃぃぃぃぃ」
鬼の角と鳥の翼を持った魔物……飛鬼丸が、竜巻をまっすぐ突き抜けてその勢いのまま、別の魔物を狙い隙ができたガルーダの腹を突き刺した。
飛鬼丸が手首をひねって槍をねじり、ガルーダの腹からおびただしい量の血が噴き出る。
「敗北、否」
ガルーダは槍を引き抜こうとせずに、むしろ翼をはためかせ前進し、翼ごと飛鬼丸を抱きしめる。深く突き刺さった分、血は多く流れるが重要な臓器は避けており致命傷にならない。そのまま飛翔し、天空から急降下、どんどん加速していく。
「放せ、放せ、武士なら潔く死ね」
「拒否。我、守護者」
翼ごと抱きしめられた飛鬼丸は、暴れるがろくな抵抗はできない。
地面に激しく激突した。ガルーダは器用に崖のぎりぎりを落下し、鬼の魔物だけが頭を強打していた。手が緩み、鬼の魔物は槍を手放す。
ガルーダは速度を落としながら谷底まで落ち、反転し急上昇。手には自らの槍があった。
頭を打ち、もうろうとしている飛鬼丸に必殺の槍を心臓めがけて投擲し、槍が深々と心臓に突き刺さる。追い打ちに突き刺さった槍に飛び蹴り。心臓が砕かれ飛鬼丸の魔物が絶命する。
ガルーダは自らの腹に刺さった槍を引き抜き、傷口を自らの炎で焼いて血を止め、次の敵を睨みつけ飛翔しようとする。……だが、バランスを崩して崩れ落ちる。
ウィンディと同じく、彼にも体力と魔力の限界が来ていたのだ。
「ガルーダ、あなたも後退しなさい」
「不可、戦線維持優先」
「その体では戦えないわ!」
「我強者、故、不死。……渇望、声援」
ガルーダの眼は死んでいない。傷ついた鳥人は再び舞い上がる。
ストラスは血が出るほど強くこぶしを握り締める。
今、空からガルーダが脱落すれば完全に戦線が崩壊する。
それがわかっているから、魔王の【命令】はできない。
彼の死力に甘えるしかない現状がどうしようもなく苦しかった。
せめて、彼が望んだとおり声を張り上げ、がんばれと叫ぶ。
◇
ウィンディの魔力が完全に尽きたことで、地上から迫りくる敵の魔物を止めることが難しくなってきた。
さらに、まずい事態は重なる。
「ローゼリッテ、血が」
「大丈夫です。少し限界が来ただけです」
天使型の魔物、ラーゼグリフのローゼリッテの顔は真っ青だ。
さらに口から血を吐いていた。
ストラスは、彼女の状況を察する。
全軍強化能力を限界を超えて使っている。
細く入りくねった断崖絶壁という戦場は一度に戦える魔物の数を制限し敵の数の利を殺し、さらに突き落せば勝ちというフィールドは【風】の魔物にとって非常に有利な戦場だ。とはいえ、ストラス側にはAランクの魔物がおらず魔物の質が著しく劣っていた。
それでも拮抗できたのはローゼリッテの全軍強化能力のおかげだ。
全軍強化能力でぎりぎりの綱渡りができていた。
だが、ローゼリッテにかかる負担は大きい。これほどの長時間、能力を発動し続けたことは今までなかった。
とっくにローゼリッテは限界を超えていたのだ。魔力も精神力も使い切り、命を燃やして力を行使している。
「もう、やめなさい」
「そんなのごめんです。私が止めたら前線の仲間が次々に殺されてしまいます。ここは命を賭ける場所です。……それにもうひと踏ん張りですよね」
……そろそろ仕掛けのある場所だ。
その仕掛けが発動できれば、だいぶ楽になる。
「ローゼリッテ、【命令】よ。仕掛けが終われば能力を解除しなさい。それまでは、絶対に死なないで」
ストラスは涙をこらえて非情な命令を告げる。
「よろこんで……我が魔王」
ローゼリッテが血をぬぐい。笑う。
彼女の翼の輝きが増す。全軍強化スキル。十字軍。その輝きはより眩くなる。それはローソクが燃え尽きる一瞬のようだった。
前線の魔物たちは能力で劣りながら必死に戦も、埋め切れない戦力の差に押されて後退する。
押されて後退しているのは演技ではない、だが、ただ押されているだけではないある場所に誘導していた。
いりくねった、渓谷の中ほどにある広い空間。
こんな開けた場所で戦えば、敵は数の利を生かすことが可能になり一瞬で戦線は崩壊する。
敵がここぞとばかりに多くの魔物を突撃させる。
……それを待っていた。
「マサムネ!」
「あいよ、姫さん」
ストラスは風でマサムネに声を届け、マサムネも風で応える。
かまいたち型の魔物シザーウィンドのマサムネが獰猛な笑みを浮かべ、断崖絶壁の崖から飛び降りる。
彼は、Bランクでありながら【誓約の魔物】の力とローゼリッテの全軍強化の力を受けて最前線で戦い続けていた。
マサムネも全身傷だらけだ。【誓約の魔物】として誰よりも激しく戦っていた。
彼の能力は風の刃を作り出すこと。
この開けた場所は、実はその広さとは不釣り合いなほど細い柱に支えられていた。
その柱を事前に限界まで削り取り、さらに切れ目を入れてあった。
マサムネはその切れ目に正確に自身の代名詞となる必殺技、風の刃、カマイタチを放つ。
風の刃が駆け抜け、切断面がずれていく。
足場が大きく傾く。【刃】の魔物の魔物たちは慌てて引き返そうとするが深追いしすぎた。もう間に合わない。
ストラスの魔物は落ち着いている。
このタイミングを知っていたからだ。ローゼリッテのもう一つのチート能力、自軍に対するテレパシー。それにより、マサムネが足場を崩すタイミングを伝えていた。
各自が、空を飛び、風に乗り、崩れた足場から離脱する。
取り残された、【刃】の魔王の軍勢が底が見えないほど深い谷底に落ちていった。
Aランクの魔物をはじめとした五十体の魔物が谷底に沈む。
「これで、ずいぶんと楽になるわね」
ストラスは安堵する。今崩した足場を通らずにこのフロアを踏破することはできない。
完全に、【刃】の魔王側と【風】の魔王側が断絶した。
これで少しはみんなを休ませてやる。
飛行能力をもつ魔物は、こちら側にこれるだろうが【鬼】も【刃】も飛行能力とは程遠いメダルだ。
実際、これまでの戦いで飛行能力を持つ魔物は地上部に比べてずっと少ないし、ガルーダの死闘のおかげでほとんど始末できている。
「助かりました。あのままだと、私はストラス様を置いて先に逝くところでしたね」
そばに控えていたローゼリッテが崩れ落ちてせき込む。
ストラスは彼女の口元の血をふき取る。
「ろくでもないことを言わないで、まだまだ油断できないわよ」
「あはは、ちょっと辛いですね」
こちらが思いもよらない手を打ってくるかもしれない。
ローゼリッテはもはや自分では立てないほどに消耗している。【収納】すると言ったら、テレパシー能力は寝ていても使えると言い張り、結局、配下にいる、ペガサスの下位互換の魔物の背に乗せる。
数分後、敵が動いた。
【刃】の魔王を先頭にし、十体のAランクの魔物、その背後に百体のBランクの魔物。
今までの戦いでかなりの被害を与えたはずなのに、まったく減っている気がしない。
「いやになるわね、いったい、どれだけの戦力がいるっていうの」
ストラスは引きつった笑いを浮かべた。
これまでにすでに、二十三体のAランクの魔物と、そのほかにも五十以上の魔物を屠っている。
その代償に、ローゼリッテ、ガルーダは瀕死の重傷を負った。
ウィンディは魔力を使い切った。
前線を守ってくれていた魔物を単体も失った。
あれとまともにぶつかりあえば、もう手がない。
「【風】の魔王ストラス。よくがんばったじゃねえか。ここまで被害を受けるとは思ってなかったぜ」
へらへら笑い、軽い口調でいう。
しかし、ここまでだ。突如、表情が一変する。
「俺様の大事な戦力をここまでけずりやがった礼はたっぷりしてやるからな! 死ねるなんて思うんじゃねえぞ」
【刃】の魔王が怒り狂って叫ぶ。
そして、彼自身の魔物であろうBランクの魔物たちが崖の前にたち、刃を生み出す。
それは長く、長く伸び、向こう岸まで伸び突き刺さる。
それが何十本もだ。
続いてAランクの魔物、土色の肌をした鬼が現れ大量の土を生み出し、その土が刃を覆っていき、固まった。
【刃】の魔王たちは、刃を芯にした橋を作り上げたのだ。
その橋を次々に魔物たちが渡ってくる。
ストラスは必死に頭を回転させる。
残された手札で迎え打つことが可能か?
どんな、奇策を用いても。どれだけ、魔物たちが底力を発揮してもどうにもならない。
待っているのは確実な死だけ。
なら撤退以外の選択肢はない。
だが、ここ以上に有利なフロアは他にない。ここから逃げればじり貧になるのは確実。
……考えるのはあとにしよう。今は時間を作る。
「前軍撤退! マサムネ、フォボス、第三部隊、私とともに殿を頼むわ」
一人でも多く逃がすことを優先する。
そして、そのためには自分が前線で戦う必要がある。
ローゼリッテの全軍強化がもう使えないうえ、Aランクの魔物は”特別な一体”を除いてまともに戦えるものはいない。なら、Aランク相当の力を持つ自らが戦って足止めしないと、あっという間に追いつかれて終わりだ。
それに、【刃】の魔王は自分を殺すつもりはない。捕らえようとしている。それこそが隙になる。生け捕りというのは案外難しい。
他の魔物たちが逃げ終わればペガサスであるフォボスに背に乗って全力で逃げる。
Bランクといえど、フォボスは神速。追いつかれはしない。
「まったく、この姫さんは正気か。あんたが俺たちの盾になってどうするんだよ」
「こういう人だから俺たちは心の底から従うんだろう」
「ちげえねえ」
フォボスとマサムネは笑いあう。
ストラスはペガサスのフォボスの背中にのる。
そして、絶望的な足止めの戦いに身をゆだねた。
◇
ストラスは風の鎧を体にまとい、ストラスの魔物たちを追う【刃】の魔王の魔物と対峙していた。
【風】の鎧は守りのためだけではない、圧縮した風が彼女の動きに呼応してほどけて、動きを後押し、圧倒的な速さを与えていた。
【誓約の魔物】が三体揃っているうえ、高レベルのストラスのステータスは下手なAランクの魔物を凌駕する。
さらに、汎用性の高い【風】の能力がそれを後押しする。
魔王本体の戦闘力では、間違いなくストラスは最強クラスの魔王の一体だ。
今も、牛鬼を防御のために構えたこん棒ごと、風の刃で真っ二つした。
質量のない風でそんな芸当ができる。ストラスの力の強さは常軌を逸していた。
「さあ、ここから先は通さないわ」
ストラスはすごむ。
【刃】の魔王の魔物たちは尻込みしていた。
ストラスの強さが想定以上だというのが、いかに強いと言っても、彼らにとってストラスを殺すだけなら簡単だ。
だが、生かして連れてこいという命令があるせいで対処に悩んでいた。これほどの手練れを生け捕りすることは彼らをもってしても難しい。
刻一刻と流れる時間。ストラスのもっともほしいものを、愚かな命令で【刃】の魔王は与えてしまっていた。
あと一分、それだけあれば撤退は終わる。そうすればフォボスに乗って自分も逃げられる。ストラスは流れる汗を隠しながら戦い続けた。このまま的が消極的でいてくれるならどうにかなる。
……しかし、それは甘すぎた。
側頭部に強い衝撃。
遠距離からの狙撃だ。それは太い針だった。ストラスの意識が朦朧とする。
普段のストラスなら、風の全方位感知で不意打ちにも反応できただろう。
だが、彼女自身もひどく消耗していた。
緊張の連続、倒れていく大事な魔物たち、絶えず回転させ続ける頭。
それらが、彼女から注意力を奪った。
ストラスが膝をつく。
針には麻痺毒が仕込まれている。風の天使であるローゼリッテを【誓約の魔物】としたストラスは【浄化】の力を得ており、自分で毒を癒せるが三十秒ほどの時間が必要だ。
その三十秒があれば、【刃】の魔王の魔物たちにとっては十分すぎる。
マサムネとフォボスは他の魔物と戦っているところで、こちらにまで手が回らない。
ようやく、厄介な獲物がおとなしくなったと、先頭にいた巨大な筋骨隆々の青い鬼がにやけた表情でストラスに手を伸ばす。
「ここで、終わりなの?」
ストラスの目に涙が浮ぶ。
もし、ここでつかまれば自分は死ぬより辛い目にあうだろう、それはいい。悔しいのは大事な魔物たちを守れなかったこと。
青い鬼の武骨な指がストラスに触れる。
その瞬間だった。
『泣かないで、僕が守るから』
ストラスの脳裏に少年の声が聞こえた。
同時に、ストラスに手を伸ばした【刃】の魔王の魔物が無数の風の刃に切り裂かれて細切れになる。
巨大な西洋のドラゴンが突如、ストラスの前に現れる。
無数の傷を負い、自らの血で全身を濡らし、それでも美しく輝く翡翠色の鱗を纏った強靭な竜。
幼い騎士は姫を守るため、自らの意思で【収納】という名の檻から飛び出し……高らかに咆哮した。