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 次に目が覚めた時、ポーラは王立法務院の牢屋の中にいました。この法務院は石造りの古い建物で、何万人もの罪人や謀叛人を拷問・処刑してきた歴史を持つ、血塗られた城として有名でした。

 ポーラが今いるのは、石畳の冷たい床の上で、そこはひどい匂いを放つ簡易式のトイレと、ノミだらけの小汚い寝床があるだけのとても狭い部屋でした。実をいうとこの地下牢は今は使われておらず、裁判のために拘留される人間は、一階にあるここよりずっとましな留置場で必要最低限の環境下に置かれるのでした。

 ポーラの前にはひとりの番兵が、警護兵用のフロックコートを着て、槍を片手に持ち、厳しい顔つきをして微動だにせずに前方の青灰色の石の壁を眺めています。ポーラは彼の意識に接触すると、あれからダニエル坊やはどうしただろうと、探ることにしました。

 そしてポーラにわかったのは、次のようなことでした。

 ハインリヒ・クロイツネイル海軍大尉は、網から引き上げられたのが他でもないサイオニア王国の唯一の世継ぎであられるダニエル王子であることに気づくと、すぐに船室キャビンのほうへ気を失っている王子のことをお運びしました。幸い、水はほとんど飲まれていない様子でしたし、たまたまその時同乗していた友人の医師が「暫くすれば、自然と目をお覚ましになるだろう」と請けあってくれたので、彼は心底ほっとしたのでありました。それにしてもしかし、何故ダニエル王子ともあろう方が、こんな夜更けにあのような化物に捕らえられていたのか――クロイツネイル大尉は手足を縛られた状態の、見れば見るほどぞっと怖気立つ半魚人のことを甲板で眺め、一応奇妙な嫌疑をかけられた場合に備えて、とりあえずはこの化物を王の役人たちに引き渡すことにしようと決めました。

 クロイツネイル大尉がダニエル王子を保護して、港町の開業医の家の二階におられるという知らせがクリフトフ王の元に伝えられると、寝ないで王宮中を探し回っていた警護兵たちも、エズラも、カミーラ王大后もみな、心からほっと致しました。この時はみな、とにかく王子が無事で良かったということが第一で、何故サイゴン島付近で彼が大尉の船に見つけられたのかという疑問については、それほど深く考えませんでした。すべては王子が目をお覚ましになれば明らかになることでしたし、おそらくは十代の若者特有の冒険心から、賭博場がどんなところかを知りたかったのではないかと、警護兵たちはそのように噂しあいました。

 しかし、クリフトフ王もエズラもカミーラ王大后も、ダニエル王子がそのようなことに興味を持つ傾向がまるでないのを知っておりましたので、その夜はほっと安心しながらも、なんとなく釈然としないものを感じながら寝室で眠りについたのでした。

 ダニエル王子は港町の開業医、レオナール・ロイド医師の元で手厚い介護を受けていたのですが、船にぶつかった時、どこか打ちどころが悪かったのでしょうか、翌日の朝になっても王子は一向に目を覚まされる気配を見せませんでした。こうなってくると、大法官でもある王の裁きの匙かげんによって、もしかしたらクロイツネイル大尉は有罪になるかもしれず、お父上のように勇敢ではないこの小心な息子は、もしもの時にはすべてをあの化物のせいにすべく、あの時船に乗っていた貴族の遊び仲間の全員と口裏を合わせることにしたのでした。すなわち――大尉とその友人らが夜にクルーズを楽しんでいると、偶然にも魚の頭をした化け物が、人間を海中に引きずりこもうとしているのを目撃してしまった。そこで網を放ってふたりを捕らえてみると、なんとそれはダニエル王子さまだった……クリフトフ王は朝の奏上が終わったあとで、そのように大尉から内密に報告され、その半魚人とやらに強い興味を持ちました。

「まさかとは思うが、その者……もしや虹色の鱗をしてはおらぬか?」

 クリフトフ王は十四年前にあった王妃の失踪事件のことをついきのうのことのように今も思いだすことができました。

「いいえ、王さま。わたしが捕らえました不気味な化物は、緑色をした蛇のような鱗を持つ、醜悪な生き物でございまする。わたしもよやもあのような生き物がこの世に存在しようとは、思いもしませんでした。半魚人というのは酔った漁師どもの見た空想の産物というくらいにしか考えたことはありませんでしたゆえ……」

 王はそれでも、もしかしたらその不気味な化物が、王妃を攫った虹色の化物の仲間かもしれないと考えました。そこで、クロイツネイル大尉の一存で、夜まだ暗いうちに法務院の地下牢に放りこんだという、その化物を見にいくことにしたというわけなのです。

 その時、ポーラはまだ気を失ってぐったりと横たわっている状態でしたから、王が地下牢へやってきたことなど、少しも知りませんでした。彼は牢屋の錆びた鉄柵ごしに半魚人を眺めると、肩に走っている刀傷に目をとめて、おそろしいほどの殺意が体内に漲るのを感じました。

「……この下手人めをどうするかは、もちろんわたしの一存にまかせてくれるな、大尉よ」

 いつもは物静かで冷静なクリフトフ王が、いつになくおそろしい顔をしているのを見て、クロイツネイル大尉はぞっと背筋が寒くなったくらいでした。

「も、もちろんでございます、王さま。何ごとも王の御心のままに」

 そのあと王は大尉にダニエル王子を救ってくれた褒美として百万レーテルの報奨金と、海軍の将軍の地位を正式に授与しました。ハインリヒ・クロイツネイル卿は小心で姑息な人物だったのですが、父親譲りの美貌によって宮廷では人気のある人物だったので、誰もがみなこのことを喜び、また彼の功績を讃えたのでした……もちろんこのことはもう少しあとの出来事ではあるのですが、とにかくこの時ポーラは、クリフトフ王がこの見すぼらしい牢屋へついさっきやってきたこと、また可愛いダニエル坊やが今も目を覚まさないことを知って、深い悲しみに沈みこみました。

(この醜い姿を、クリフさまに見られてしまった……なんということでしょう。その上下手人呼ばわりされるとは。ここから脱出するのはそう難しいことではないけれど、せめてダニエル坊やが目を覚まして元気になったのを確認するまでは……わたしはここでじっと我慢していなくてはならないのだわ)

 それからポーラは毎日、メアリの夫であるマキシム・ヨーデルハイトの意識を探っては、ダニエル王子がどうなったかを知ろうとしました。ダニエル王子はあれから三日後に隠密裏に王宮の自分の寝室へ移されましたが、その後一週間が経過したのちも、やはり意識をとり戻されないままでした。

 マキシムの妻であるメアリは、毎日のように東翼の宮で王子の看病にあたりましたが、一向に彼が目を覚ます気配がないのを見て、王子がこのまま死んでしまうのではないかと、大層心配しておりました。そこで、彼女が以前にポーラ王妃からもらった虹色の人魚の鱗――それを王子の唇に入れてみることにしたのです。ポーラ王妃の話によりますと、これを食べればどんな病気も治るとのことでしたから、祈るような気持ちでメアリは、口移しでそれを王子の唇にお入れしたのでした。

 その翌日のことです。いまだ目を覚まされないダニエル王子の御体に、変化が表れはじめたのは。皮膚という皮膚にはうっすらと鱗状の形をしたものが表れはじめ、手や足や指の間には鰭のような膜ができはじめていたのです。夜、王子の看病をしながら、揺り椅子の上でこっくりこっくり眠くなりはじめた看護婦は、明け方近くに目を覚ますと、大きな叫び声を上げました。

「キャ――――ッ!」

 彼女が驚いたのも無理はありません。王子の豊かな色艶のいい髪の毛はすべて抜け落ちておりましたし、石膏のように真っ白な顔の肌には不気味な鱗ができはじめていたのですから。

 その太った看護婦が大きな体を揺らすようにして王子の部屋を出ていくと、その叫び声の騒々しさによってダニエルさまは目を覚まされました。

 枕元には自分の黒い髪の毛が散らばっており、頭に手をやると髪の毛が何もありません。しかも、自分の手の指と指の間には魚の鰭のような膜が――あるいはカエルの雨かきのようなものができているではありませんか!

「……夢じゃないんだ」

 実をいうとダニエル王子はこの時、眠っている間ずっとひとつの夢を見ておいででした。そこでは自分は虹色の人魚で、海の国の王さまだったのです。そして自分の隣にはシーレイラという名前の、とても美しい王妃が珊瑚の玉座に腰かけていたのでした。

「僕、帰らなきゃ……」

 ダニエル王子はそう思ったのですが、ベッドから足を下ろそうとしたちょうどその時、王宮の侍医のひとりとなったロイド先生が寝室に入ってきました。

「こ、これは……っ!」

 ロイド医師もまた、驚きのあまり王子に近づくことさえ嫌なようでした。彼はもしかしたらこれは質の悪い伝染病かもしれないと考えたのです。

「君っ!すぐに薬師を呼んできなさい。それと王宮中の医者に声をかけて召集するんだっ!」

 カリール先生はもう十年も前に亡くなっておりましたので、今王宮にいるのはあまり腕のよくないヤブ医者ばかりでした。彼らは王子をとり囲んで熱をはかったり口を開けさせて喉を見たりしたあと、すぐに隣の控えの間でああでもないこうでもないと話しあいをはじめました。

「こんなに不気味な皮膚病は、これまで見たことがない。何より気がかりなのは王子の紫色をした唇と舌だ。体温だって、普通の人間よりも遥かに低いのに、ダニエルさまは特に寒気を感じられているわけでもなさそうだし……」

「今まで意識が戻られない以外はどこもなんともなかったのに、一晩で髪の毛がすべて抜け落ちてしまうとは。王子は御記憶のほうもしっかりされているようだし、ここはもう少し様子を見たほうがよいのではないか」

「いやいや、何を悠長な。わたしが思うにこれは――半魚人の呪い以外の何ものでもないぞ。おまえたちは法務院の地下牢にいる化物を見たことがないから、そんなことが言えるのだ。おそらくはあの魚人間を牢屋から出し、海に帰しさえすれば王子の御病気もよくなるに違いない」

 カリール先生の弟子であったランブイユ医師がそう言うと、控えの間を落ち着かな気にいったりきたりしていた五人の医者たちは、一斉に頷きました。そして王子にくれぐれも安静になさるようにと噛んで含めるように納得させたのでした。王子は何度も「シーポーラちゃんはどこなの?」と繰り返し医師らに聞いたのですが、彼らは王子がまだ意識が戻ったばかりで、夢の登場人物の話でもしているに違いないと勝手に決めつけたのです。

 ダニエルさまは大変賢い方でございましたから、こんなヤブ医者どもを相手にしても仕方がないと思い、エズラかクリフトフ王、あるいはメアリがきたら、本当のことを聞こうと心に決め、一旦は大人しく引き下がったのでした。

 そしてランブイユ医師が王の寝室へダニエルさまがお目覚めになられたこと、御体に変調をきたしておられること、またそれは半魚人の呪いに違いないということを話しますと、クリフ王は血相を変えて、お召物を着替えもせずに息子のいる東翼の宮へと向かったのでした。

 王はあまりにも変わり果てた我が子の姿を見て、ベッドの脇に腰かけたまま泣き崩れました。ダニエル王子のことをしっかりと抱きよせると、何度も「おまえの病気はわたしが必ず治してみせる」と言い、姿が変わっても自分の愛情は変わらないということを示すために、肩を抱きよせたり頬や手に触れられては大切なものに触るように撫でさすったりしました。

 王子はこんな様子の父上の姿を見るのは初めてでしたし、勝手に王宮を抜けだして海でボートに乗っていたというのに咎め立てもしないお父さまに対して、心からの尊敬と愛を覚えました。そしてこれからこんなにもお優しいお父さまとお別れしなければならないことを思うと、苦しみと悲しみのあまり涙があふれました。

「あのね、お父さま、僕……シーポーラちゃんと一緒に海の国に帰らなくてはならないの。僕は本当は地上の王国の王さまでなくて、七つの海の国の王さまなの。もう何年かしたらシーボルグのおじいさまがお亡くなりになられるから、そしたら僕が次の王さまになって千年の間海の国を治めるの」

 クリフ王はランブイユ医師から、王子が何かおかしなことを口走っても気になさいませんようにと言われてはいたのですが、この時ばかりはどんなおかしなことを自分の息子が話そうと、きちんと聞いてあげなくてはいけないような気がしていました。これまで、まともな親子らしい会話などあまりしたことがなく、おそらくは王子が以前から寂しい思いをしていたであろうことは、それとなく肌で感じていたのですから。

「シーポーラちゃん?そのシーポーラちゃんというのはダニエルの友達なのかい?」

 王は、多分それは息子の空想上の友達なのだろうと思いました。そして想像上の話を自分にしているに違いないと思ったのです。

「ううん、違うの。シーポーラちゃんは本当は僕のお母さんなの。でも僕が本当のことを知ってショックを受けちゃいけないと思って、友達のふりをしてくれたんだ。僕、自分の乗っていたボートが船とぶつかってから、ずっと夢を見ていたの。そこではお母さんは虹色に輝く人魚で、シーポーラという名前だったの。そして僕の名前は本当はシーダニエルというの」

 クリフ王は訳がわかりませんでしたが、おそらく息子は頭をぶつけたショックで、少し記憶が混乱しているに違いないと判断しました。そして「あんまりたくさんおしゃべりすると疲れるから」と言って、奇病にかかってしまった可哀想な息子のことを、ベッドの中へ寝かしつけました。

「お父さん。シーポーラちゃんはあれからどうしたの?」

 ダニエル王子は立ち去ろうとするお父上のガウンの裾を引っ張って、なおもしつこく訊ねました。彼女が自分を見捨てていなくなることなどは到底考えられないことでしたので、それならばどうして自分は助かったのだろうと不思議でならなかったのです。

「あれからっていうのは……一体いつのことなんだい?」

 クリフさまは王子が納得するまで息子の空想話につきあってあげるつもりで、そう訊ね返しました。

「だから、僕のボートが船とぶつかってから。ロイド先生が言うには、僕がサイゴン島の近くの岩場で倒れていたのを、クロイツネイル大尉の船が見つけたっていうことなんだけど……シーポーラちゃんがそんなところに僕を見捨てていくなんて、ありえないことだから」

「そのシーポーラちゃんっていうのは……」王は我知らず、ごくりと喉が鳴るのを感じました。「どんな感じのする人なんだい?」

「顔と体が魚の鱗でびっしり覆われていて、テレパシーでお話をする人なの。見た目はちょっとギョッとする感じだけれど、とってもとっても優しい人なの。僕、前から王宮を抜けだしてはずっとシーポーラちゃんに会ってたんだ。だって、僕の話を本当に聞いてくれるのは、シーポーラちゃんだけだったんだもの」

 クリフ王は深い溜息を着くと、「もう寝なさい」と、幾分厳しい口調で言いました。そして「シーポーラちゃんのことはお父さんにまかせなさい」と最後に言い残して、静かに息子の寝室から出ていったのでした。


 シーポーラとポーラ……果たしてこれはただの偶然の一致だろうかとクリフトフ王は思いあぐねました。王は最初、シーポーラちゃんというのは、母のいない息子の作りだした空想上の友人だろうというふうに考えたのですが、現実問題として王立法務院の地下牢には今、彼の話した魚の鱗にびっしり覆われた魚人がいるわけですから――すべてのことを考え合わせると、彼女が息子の命を救ったと想像するのが一番自然であるように思われました。

 実をいうと王はあの不気味な半魚人を捕まえて以来、王宮中の文献という文献を引っくり返して、昔から伝わる半魚人伝説とはいかなるものか、どんな些細な民話も逃さず調べていたのです。その全体を集めて見ますと、どうやら人間の世界と同じく、人魚たちの間にも良いのと悪いのが存在するようでした。

 たとえば――良い人魚の昔話にはこんなのがあります。ある時、ヨセフォスという男が漁をしていると、魚の顔をした赤ん坊が網にかかりました。ヨセフォスはびっくりしましたが、彼と妻との間には何年たっても子供がありませんでしたので、この魚の顔をした赤ん坊を連れ帰り、自分たちの家の子供としました。それ以来彼の家では豊漁続きで、子供が大きくなる頃には立派な御殿に住むほどの金持ちになりました。ところがある時、彼の本当のお父さんとお母さんである魚の顔をした両親が現れて、この子は実は海の王国の跡とり息子なのだと申します。心から愛しあう両親と息子は別れを悲しみましたが、月に一度だけ満月の夜に ――彼はおかに上がることを特別に許されて、これまで立派に育ててくれた恩返しにと、たくさんの海の宝物を持ってきたのでした。

 また、悪い人魚というのはそのほとんどが上半身女性の姿で、下半身が魚の尾をしていました。彼女たちは満月の夜になると決まって饗宴を開き、海の難所へ船を引きずりこむのだという伝説が、サイオニア王国には昔から数えきれないほどたくさんあるのでした。そして、彼女たちにはあるサイクル――頭から体まで全身魚の鱗で覆われる時期と、上半身だけが人間になる時期というのがあるらしいと古い文献で見つけた王は、もしやあの地下牢の化け物が月の満ち欠けによってその姿を変えるのではないかと、これまで番兵によく注意して見張るよう厳しく言い渡しておいたのでした。

 クリフ王は一度あの化物と会って以来、法務院の地下牢へはいきませんでした。何故といって見ていてあまり気持ちのいい生き物ではありませんでしたし、何よりあの化物が王妃の命を奪ったかもしれないことを思うと――手足をもいで首をはねてやりたいような、残虐な殺意を覚えるからでもありました。

 その日、王はエズラに閣議の間での会議へ王の代理として出席させると、自分は王宮の図書室にこもって、人魚に関する文献を調べ続けました。そして人魚の肉を食べると不老不死になるという伝説と、人魚の鱗を食べるとどんな不治の病いでも必ず治るという伝説があるのを知って、「これだ!」と思ったのでした。

 一体どこから話が洩れたのかはわかりませんが、貴族たちの間では法務院の地下牢に半魚人がいるという噂が立っており、王の元にももし本当にそうなら解剖して徹底的に調べるべきだという声が届いていました。ロイド医師などはあの半魚人の肝を抜いて食べさせれば王子の病気は治るなどと申しますし、王としてもあの人魚の処遇をどうすべきか、頭が痛いところだったのです。

 クリフトフ王は今朝方、息子のダニエル王子の口からシーポーラという名前を聞くまでは、あの人魚を吊るし首にして解剖するのも悪くないという考えだったのですが、もし息子の言うとおり、彼女が他でもない彼の息子の命を救ったのであれば――それは人の道に外れた行為ということになりますし、何より彼女のことを友達として慕っている息子のことを裏切る行為でもあります。またこのことでは、ランブイユ医師とロイド医師が真っ向から反発しあっていて、ランブイユ派の医師ふたりは彼の言うとおり半魚人を海に帰せば王子の病気は治るという意見でしたし、逆にロイド派の医師ふたりは、彼と同じく人魚の肝を食べさせれば王子の病気は治ると言って譲りませんでした。

 そしてクリフトフ王がどうしたものかと金銀の髪をかきむしって悩んでいると、ある文献の挿し絵が目に留まりました。それは他でもない王が初めてポーラと出会った海のほこらによく似た洞窟の絵でした。その隣にはこんな文章が添えられています。<この洞窟は、人間が海の神の怒りに触れてできたものである>と。

 王はその巻き物を手にすると、そこに記されている物語を急いで、でも丁寧に読みました。サイオニア王国という国ができるよりももっとずっと遥かな昔のこと ――この地に住む漁師たちは浜辺に何人もの人魚たちが打ち上げられているのを見ると、弱っている彼らの鱗をとり皮を剥いで、その臓物を鍋の中に入れて食べました。それは一度食べると忘れられないほど美味しい肉だったので、翌日もまた彼らは人魚が浜辺に打ち上げられてはいないかと、見にゆきました。するとまた何人もの人魚が弱った姿で浜に打ち上げられているではありませんか。彼らはその年、弱った人魚が浜辺にいるのを見ては人魚たちの頭をはね、両手両足をもいで臓物を抉りとってはその肉を食べました。しかし、それ以来彼らは不老不死の身となり、村の人間の誰もが死なないために――深刻な食料不足が起きたのです。弱った人魚が浜辺に打ち上げられるようなことは最初の年以来二度とありませんでしたし、人魚の美味しい肉の味が忘れられなかった村人たちは、互いに争ってはお互いの肉を食らいあうようになりました。そしてそのような人間の愚かで貪欲な性質を嘆いた海の神は――大きな津波を起こすと、浜辺の住人を全員わだつみの底へと飲みこんだのでした……。


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