目が覚めると、そこは白一色でした。これは比喩でも何でもなく、見渡す限り白が彼方の先まで続いています。いえ、明暗の違いが無いので一枚の壁なのかも知れません。
まぁ、私は馬鹿だと分かっているので考えることを放棄します。とりあえずは、横になっているらしいので上体を起こすことにしました。
「おぉ。よーやく起きたか、井上ゆかり」
と、高い声ながら非常にテンションの低い声が、私の耳に飛び込んで来ました。私は素早くそちらに向き直ってメンチを切ります。隣の土地を牛耳っていた族の頭が裸足で逃げ出したメンチです。大抵の人は石化するのですが、そこにいた奴は違いました。
その女性は金髪碧眼でグラマーボディを持ち、頭上には金の輪が浮き、背中には純白の翼が生えていました。いわゆる天使だと一瞬で気がつきました。しかしその表情は至極気だるそうで、更にくわえ煙草なんてやっているから、どうしても天の遣いには見えません。
兎にも角にも、右も左も良くわからない私は天使らしき女性に、ここが何処なのかを訊ねてみることにしました。
「あの、ここは何処なのでしょう?」
天使の女性は面倒そうに煙を深く吐き出しました。
「見て分からんか? ここはいわゆる死後の世界、審判の間だよ」
私は死んだらしいです。死んでもしようがない生活を送っていたからでしょうか、あまり衝撃を感じません。ただ、死んだら天国か地獄か浮遊霊だと思っていたので、この場所は意外でした。
「審判の間とは何でしょうか?」
「現実世界での行いから、そいつの魂が天国行きか地獄行きか、はたまたどちらもお断りかが決定されるとこさ」
天使の女性はそう言って胸元から一枚の紙切れを取り出す。
「井上ゆかりは………うわ、ひでぇなオイ。窃盗に始まり、傷害、恐喝、スピード違反、無免許運転、果ては強盗までかよ……」
天使の女性は呆れたような目で私を見ました。
そんなに見ないで欲しいです。照れるじゃないですか。それに、
「それだけじゃありません。私は過剰防衛と言う名の殺人事件を起こしてますよ」
「………」
天使の女性の視線は私を哀れむような物にシフトしました。殴ってやろうかとも思いましたがここは審判の間、迂闊な行動は避けるべきでしょう。
天使の女性は煙草をどこからともなく取り出した灰皿でもみ消し、新しい煙草に火をつけました。
「誠に遺憾なんだがお前の行き先は……」
「少し待ってください」
天使の女性があまりにも重々しく切り出すので、私は思わず制止してしまいました。
いくら悪逆非道の限りを尽くした私でも、一応、とりあえずは人間です。芳しくない結果が分かっていても心の準備というやつが必要なのです。
深呼吸です、深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて………。
「お前の未来の選択肢は3つだ」
「あれ? 意外に多いんですね………って何私の心の準備が済む前に暴露しちゃってるんですかッ!? 普通、気が済むまで待つっていうのが筋でしょう!!」
「悪い悪い。後が押してるから仕方ねぇのよ」
天使の女性はくくく、と笑いながら言い訳じみたことをのたまいやがりました。この女を一発ぶん殴ったならどれだけすっきりすることでしょう? ですが、私は我慢します。私、大人ですから。
私は込み上げる怒りを無理矢理抑えつけながら、3つの選択肢の内容について訪ねました。
「もういいです。面倒になったので早く行き先を決めることにします。3つの選択肢とは具体的にどのようなものなのでしょう?」
「あ〜っと」
天使の女性は頭をがしがし掻きながら胸元から他の紙切れを取り出しました。
「お前の行き先は、転生と地縛霊と守護霊だな」
「あれ、意外に良心的な選択肢ですね?」
「あぁ、そうだな。天国やら地獄っつーのは人間の勝手な想像だからな。魂っつーのはみんな平等。どーせ転生するとき全部を初期化すんだからよ」
そこで言葉を切って、天使の女性は煙草を一口吸い、吐き出しました。
「で? ちゃっちゃと決めてくれや」
「ええ……」
私は生返事を返しながら、頭を抱えて考え込みました。
まずは転生。これは論外です。自分が消え去るなんて私は耐えられません。私はまだ人生を謳歌したい! ……死んでるから人生も何もありませんが。
次に地縛霊。実は私は生前、止まれない女でした。いつも単車で街中走り回ってたんです。地縛霊がイメージそのままなのだとしたら、私は二度目の死を迎えるでしょう。
最後に守護霊ですが、まぁこれが一番まともではないでしょうか。誰かを守るなんて死んでもお断りですが、その他はなかなかいい感じです。なにか非常に安易な気もしますが、私の頭の弱さは生まれた十八年前から理解しているので、気にしないことにしました。
「私、守護霊になります」
私がそう宣言すると、天使の女性はさも面白くなさそうにため息をつきました。
「まぁ、そう言うと思ってお前が守護する奴、もうきめといたわ。んじゃ、頑張ってな。もしも守れなかった場合は、来世でそいつと夫婦になる運命になるから」
「なっ!? そういうことなら守護霊は取り消し……」
「んじゃ、幸運くらいは祈ってやらぁ」
天使の女性はやる気無さそうに言って、右手で目の前の空間をさっと払いました。それはどういう仕組みなのか、不平と不満だらけの私の意識をさっくり刈り取っていきました。
次に意識が戻った時、そこは現世で、私はカツアゲに遭っている気の弱そうな少年ーー恐らく私と同じ年齢でしょうーーの後ろに浮かんでいました。どうやら彼が私が守るべき人間のようです。それにしても弱そうな少年ですね。
少年を脅しているのは、身長180cmはあろうかというガタイの良い男が二人。片方はスキンヘッドでもう片方はリーゼント。なにか、生きた化石でも見ている気分です。
二人の恐いお兄さんに囲まれて、せわしなく視線をさまよわせていた少年はあろうことか私とばっちり目を合わせました。……あれ? 霊は人に見えないんじゃないでしょうか?
気のせいかと思ってまばたきしてみますが、彼の熱い視線に変化はありません。それどころか私に助けを求めているような表情をしています。
「オイッ! さっきから何よそ見してんだよッ」
スキンヘッドの男が叫び、少年を蹴り上げました。少年はゴム鞠のようにぽーんと飛んで、壁に激突しました。
少し腹が立ちました。私、生前はレディースの頭を張ってましたが、弱い者いじめだけは大嫌いです。
辺りを見渡し、ちょうどそこにあった釘バットに手を伸ばして、当然のようにすり抜けました。仮にも霊である私は現世の物に干渉出来ないようです。
私は、恐らく情けない顔をして少年を見ていたのでしょう。私を見た少年は、いじめられているという事実を忘れたように微笑み、何事かを呟き始めました。
「…………彼の者に現世に干渉出来る肉体を与えたまえ」
その言葉が聞こえたと同時に先程までふわふわしていた体が心地よい重みを持ちました。試しに釘バットに手を伸ばすと、懐かしい感触。
それをそのまま肩に担ぐようにして持ち、男達に鬼さえ泣いて許しを請うメンチを切りました。
「そこの二人。私の前で何をやっているのです?」
男達は私の声に気が付いたようで私の方を振り返り、硬直しました。流石は私のメンチですね。
「お、オウオウ姉ちゃんよぉ。お前、俺達のやることにちょっかい出そうって言うのかぃ?」
リーゼントの方が我に返ったように声を張り上げました。声が震えているのでちっとも恐ろしくありません。
「ちょっかいというか……、私は弱い者いじめが嫌いなんですよ。だからあなた達をぶっ殺してあげようかと」
私はそう言って釘バットをぶん、と素振りしました。人の頭を簡単にかち割るような唐竹割りで。
「は、ハッ! 姉ちゃんみたいな細腕で俺達が倒せるかよっ!」
震える声で虚勢を張るスキンヘッド。
この二人、ガタイの割に、呆れるほど弱腰です。もしかしたらデビューしたてなのかもしれません。もしもそうなら私の名前を知らないのも無理はありません。
私は彼らに猶予を与えることにしました。
「お二人とも、三秒以内に私の前から消えなさい。そうしたら見逃してあげましょう」
「ふざけんなっ!」
「女の癖にいきがってんじゃねぇぞッ!」
スキンヘッドとリーゼントは同時に私に飛びかかってきました。
まぁ、当然と言えば当然ですか。私はため息をついて仕方無しに釘バットを構えました。仕方無く、仕方無くですよ? これっぽっちも楽しんではいませんからね?
リーゼントとスキンヘッドは寸分違わず、同時に拳を突き出してきました。どちらも大きなモーションで隙だらけです。まずはリーゼントの拳をかわし、同時にスキンヘッドの拳を釘バットで打ち払います。釘バットは勢いをそのままリーゼントの顔面に叩き込みました。肉を裂き、骨が砕ける感触。
「ぐぎゃあぁぁぁぁっ!」
リーゼントはこの世の物とは思えない悲鳴を上げ、顔面を抑えて転げ回っています。地面に落ちた白い物は、恐らく折れた前歯でしょう。
その一撃はスキンヘッドの戦意を削ぐには充分だったようです。スキンヘッドは真っ青な顔をしてリーゼントの手を掴み、
「おっ、覚えてろよッ!」
そう負け犬の名文句を叫ぶように吐き捨て、リーゼントを引っ張って一目散に逃げて行きました。まったく、根性の欠片も無い奴らですね。ああいうのが私達、不良の評判を落としているのです。不良というのは世間と敵対する義侠に溢れた人間達です。決して弱い者にタカる蛆虫共とは違う、ということを覚えていて欲しいものです。
「あ、あの……」
背後から弱々しく情けない声がかけられました。恐らく私が守護しなくてはならない少年でしょう。
私はゆっくり、出来るだけ優雅に振り向きました。そこにはさっきまで不良に怯えていたなんて思えないほど眩しい笑顔の少年が立っていました。私の方が若干背が高いので微妙に上目遣いです。
……不覚にも可愛い、と思ってしまいました。いくらレディースの頭を張っていても、私だって女の子です。可愛いものは素直に可愛いとときめいてしまうものなのです。
少年はそんな私の心の動きなんて知るはずもなく、ちょこんと可愛らしく頭を下げました。
「お姉さん、助けてくれてありがとう」
「え、ええ……」
何となく気恥ずかしくて、私は少年から目を逸らしました。感謝されたのは、私が私になってから初めてのことでした。
少年は顔を上げてもう一度微笑み、くるりときびすを返し、
「早く成仏出来るといいね。それじゃ」
そう言って、大通りに向けて歩き出しました。私は守護霊なので彼の傍を離れるわけにはいきません。いつの間にか軽くなり浮いている体を、恐らくは守護霊の定位置である少年の右肩の上に持っていきました。それでは何か面白くないので、少年の肩に腰掛けてみました。触れないのでフリですが。
少年はため息をついて立ち止まりました。
「あの、どうしてついて来るの?」
「それは、私があなたの守護霊だからです」
「あぁ、やっぱり。気が済んだらじょうぶ…………って、ええ!? 守護霊!? 僕の!?」
少年は往来であることも忘れて叫びました。通行人達が白い目で少年を見ますが、彼は気付いていないようです。
私は慣れない笑顔を浮かべて頷きます。
「ええ。そうですよ」
「………」
少年は固まったまま動かなくなってしまいました。物に触れることのできない私では彼をどうすることもできず、私もまたぼうっと少年の肩に腰掛けるポーズを続けるのでした。
こうして私の第二の人生、守護霊生活が始まったのです。まぁ、未だに少年の名前を知らなかったり、やっぱり守るのが面倒だったりで前途多難ですが………、とりあえず頑張ってみようと思います。
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