3 七海編 第二部『七海を縛るもの』
《なんで……?》
荒れ狂う風。
あの世に拒否されてしまった七海にとってそれは、あまりにも冷たく、そして、恐ろしげなものとなった。
《どうしよう……。
逝けない、あの世に、逝けない!》
その目には涙が溢れている。
《どうしよう。
わたしずっとこのままなんて……》
【広目天】は落ち着いた物腰で、だが、ヤンキー口調で語り掛けてくる。
《あんた、一回現世に戻ったほうが良くねえか?》
それも一つの方法だとは思う。
だが、原因がはっきりしていない以上、行動を起こすのは時期早焦な気がする。
《なんで……?》
それは、至極妥当な質問だろう。
このパンクスならば間違い無くあの世の仕組みを知っているのだ。
なにせ、【西の守護神】なのだから。
《あんたは縛られてんだよ。
なんかがあんたを現世から離れたくねえって強く思わせてんだ。
あんた自身があの世に逝くのを心のどっかで拒んでんだよ》
《自分のせい?》
そんな自覚は全く無い。
確かに隆行に自分の死を告げられなかったこと、別れの言葉を述べられなかったことは悔やまれるが、それは、さほど気にしてはいないのだ。
他に思い当たる要素は皆無であると断言することもできる。
相変わらず突風は轟音を発てて通り抜けていた。その音はとても大きく、この広大な空間に一人で放り出された現実をリアルに伝えてくる。
騒音公害にも匹敵する劣悪な環境が、著しく思考力を低下させていく。
《……、ダメ、ダメ、逝けない、逝けないよぉ 》
心からうろたえていた。
だが、それを嘲笑うようにどんよりと沈殿しているかのような重苦しい空気が、じわじわと自分を取り囲むのを感じとり、七海は反射的に【広目天】に目をやった。
そこには今まで見たことも無い【鬼神】がいた。
出会った時から感じていたまがまがしいオーラをさらに増幅させて、遺憾無く撒き散らしている。
《黙って言うこときいとけ……。
おまえをあの世に逝かさねえと俺はポイント貰えねえんだ……。
どうしても早く復活してえんだよ。
邪魔すんなよ……》
まだ七海が生きた人間であったなら、間違い無く足元に黄金色の海を広げていたであろうとてつもない恐怖が、心の底から沸き上がってきた。
《なに、わたし殺されるの……?》
霊体となっている七海には、本来なら有り得ない筈の、命を奪われる恐怖。
その、気が狂ってしまいそうな感情がますます冷静な思考力を削ぎ落としていく。
《……、……、……》
もはや、七海は思考力を失ってしまった。
《さぁて、準備完了だな……。
黙らしちまえばこっちのもんだ》
広目天は呆然として座り込む七海に目を向ける。
《よし、引きずり降ろしてやるか。
あんたみてえに俺を信用しねえ奴には、こうするしかねえんだ》
なぜ信用してもらえないのか。
それは自分なりに理解しているつもりだ。
守護神にはふさわしくないまがまがしい雰囲気。
それは、本来ならあの世どころか、この場所に居ることすら許されない者であることの証なのだ。
《俺みてえなのは、復活するのにかなりのポイントが必要なんだよ。しかも、かなり厳しい期限付きで……。
そう、俺みてえな殺人鬼は……》
それが広目天がまがまがしいオーラを放つ原因であり、この様な強行手段に打って出た理由だった。
復活とは転生の事を指し、あの世に逝ってからの働きによってポイントが割り振られ、生前の社会貢献度によって設定された上限まで達したとき、復活する資格を得る事ができる。
本来なら無条件で地獄行きな筈の殺人犯である広目天が、あの世に逝けずとも復活の権利を得ているのは、生前の社会貢献度が犯した罪より遥かに上回っていたからであり、このようなケースは死後の世界に於いては、かなり稀な特例といえた。
《冗談じゃねえぞ。
百年以内にポイント一千万だなんて……。
無理難題にも程があるんだよ!!》
八月の一ヶ月間のみ、現世で実体化することを許される【ポイント上位ニ十名】ですら、年間で一万五千ポイント貯まれば両手を挙げて大喜びの世界である。
この条件はかなりの無理難題と言えるのだ。
彼は対象を現世に連れていく前に、必ず現世の様子を窺う。
ことに今回のケースのように、相手を縛るものが恋愛感情だった場合は、状況次第で悪霊や怨霊に化けてしまう可能性が多分にあるからだ。
広目天は、七海が思考力を失っているのを確認した後、両手で己の背丈と同じ程度の長方形を描く。
すると、その空間にエネルギーが集まり始め、彼が七海の前に姿を現した時と同様の収束と凝縮を始め、鏡へと変化した。
鏡には、一人の男。
おそらくこれが隆行だろう。
泣いている。
涙を拭った影響なのか、目の周りが赤く腫れている。
そこに現れた女。
それを見た広目天は、自分の目を疑った。
《麻里愛!?
なんで麻里愛がこの男に!?》
麻里愛は、隆行に一声掛けると、その場を立ち去って行った。
《なんだ!?
ダチかなんかか?》
ひとまず安心だ。
もし麻里愛が隆行と付き合っていたら、まして、結婚などしていようものなら、七海は確実に化けてしまうだろう。
なにせ、まだ死んでから三日しか経っていないのだから……。
だが、もし麻里愛が七海、隆行共通の友人であるならば、この状況にも合点がいくのだ。
《対象を化かした挙句、その怨みの対象が俺の娘だ、なんてことになったら堪んねえからな……》
麻里愛は、広目天の忘れ形見だった。
彼等にとって、最初で最後の子供だったのだ。
母親もまた亡くなっていて、両親共通の友人だった門倉夫妻に遺言を遺して引き取ってもらったのである。
《神奈……。
絶対におまえと同じ時期に復活するからな……。
そしてまた、出会って、今度こそ結ばれて……、俺は平和に、おまえは健康に、お互い人生を満喫しようぜ……》
それは、彼の立てた目標であり、誓いでもあった。
暫く麻里愛は出てこない。
どうやらただの友人のようだ。
隆行はなおも泣き続けていた……。
七海が正気を取り戻したとき、そこには、鏡を覗き込む広目天が居た。
小刻に震えながら、食い入る様に見据えている。
気付かれないよいに覗いてみると、そこには、見覚えのある男が映っている。
隆行だ。
涙で顔を泣き腫らしている。
《あんなにわたしのこと、想ってくれてるんだ。
まるで時間が止まっちゃったみたいに泣き続けて……。
わたしが動かしてあげなきゃね、彼の時間を……》
七海は覚悟を決めると、広目天に向かって声をかける。
《あのぉ、降ろして下さい、現世に》
その声に対する彼の反応は、驚き、焦り、そして、怯えているようだった。
《なんで……?》 |