ラーメン
「いらっしゃませ」
「ああ、奥さん、こんにちは。
昨日はどうしたの臨時休業なんかして」
「あ、ごめんなさい。ちょっと野暮用でね」
「急にだから心配しちゃったよ。じゃあいつもの。タンメンセットで」
「ちょうど新作できたんですよね。試してみます? 」
「ああ、じゃあそうしようかな。いくら? 」
「500円です」
「ほう、安いね。
ところでどう、旦那は?」
「それが全然。向こうの女のところにでも行ったんでしょ」
「そう、相変わらずだねえ」
「まあ、いい加減あたしも疲れましてね。
もう気にしないことにしました」
「もう悟りの境地ってとこかい」
「まだまだそこまではね。
正直腸煮えくり返ってますけど、でももうあきらめました」
「恐いねえ。おとといの夜、また派手にやったんだって?
『殺してやる!』とか聞こえたよ」
「ああ、ごめんなさい。お恥ずかしいわ」
「奥さんもすごいよねえ。あのごつい旦那相手に一歩も引かないんだから」
「そんなことないですよ。身体を鍛えてたのは昔の話。
今じゃただのデブなんだから。100キロもあるんですよ。
そんな体重で動けるわけないんだから」
「旦那もいい加減落ち着きゃいいのになあ。こんないい奥さんいるんだしねえ。
ラーメンの腕だって大したもんなんだから」
「まあ、それだけがとりえでしたからね。
でもあの人いつも言ってましたよ。
『店が繁盛するのは、俺の腕じゃなくてお客さんのおかげだ。お客さんには感謝しろ』って」
「それなのに最近はずっと奥さんに店まかせっきりなのかい?」
「そのおかげであたしひとりでも店を回していけるようになったんだから。
苦労はしてみるもんですよ。
これからだって、一人でがんばらなきゃいけないしね」
「またすぐ帰ってくるさ」
「さあ、どうだか。今回はもう帰ってこないと思いますよ」
「どうしてそう思うんだい?」
「さあ、それはねえ……。
はい、おまちどうさま」
「はい。いただきます。
……あれ、奥さん、スープ変えた? 」
「わかります? 」
「いつもと違うのはわかるよ。
うーん。この味は……。
なんだろう?
あれ?そういえば、奥にある大きな寸胴は?
大きすぎるからっていつも使ってなかったやつじゃなかった?
ずっと火にかけっぱなしじゃない? 」
「え…………? 」
「奥さん、あんたまさか? 」
「…………」
「…………」
「…………フフフ」
「……ハハハ、ごめん、ごめん、冗談だよ、冗談」
「フフフ……。当たり前ですよ。うちの人をスープにだなんて。
あんなデブ、スープにしたら油だらけになっちゃいますよ。
うちはトンコツやってないんですから」
「ごめん、ごめん。ずいぶんあっさりしてるねえ、このスープ」
「魚介と野菜で仕上げたんですけど、どうです?」
「そうだよね、肉のしつこさがまったくないよね。
いやあ、おいしいと思うよ。このスープ。
だけどどうかな?
このラーメンだけだとあっさりすぎてちょっと物足りないかな? 」
「ああそうそう。忘れてた。
そのラーメンには、これが付くんですよ」
「え、いいのかい。500円なんだろ?」
「ええ、お客様感謝セールをしようと思ってましてね」
「うーん。おいしい。
ボリュームもあるし。あっさり味のラーメンに合うねえ」
「そうですか?
じつはこっちにあわせてスープをあっさりに作ったんですよ」
「いいねえ、甘辛くて、とろとろで、超大盛り。
おいしいよこの『チャーシュー丼』。
たっぷりの脂がご飯に染み込んで。
ラーメンがあっさりしてるからしつこくならないし」
「よかった、しばらくこれ一本で行こうと思ってるんですよね」
「へえ、いつまでやるの」
「ええと、一人前200グラムで、……100キロだったから……。
まてよ、骨とか捨てる部分もあるし……」
「どうかした?」
「いいえ。こっちの話。
ええと、300人分、400人分くらいかな。それが切れるまではやりますよ」
「へえ、大丈夫かい? そんなにサービスして」
「ええ、今回は採算度外視。
……それに原価も掛かってないんでね。ああ、こっちの話です。
ほんと、お客様、様様ですからね。
あの人もきっと喜んでくれますよ。
最後にお客さんに恩返しできたるんだから」