第六章
6-3:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
「なんでこんな事に……」
パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。
ここ数日よく口にするようになった台詞。
そのせいか、既視感を覚えた才人は何となく辺りを見渡した。
夏の盛りが過ぎ秋も深まっているとは言え、周囲の木々は生命力に溢れうっそうとした葉を茂らせている。
視界と行く手を塞ぐ枝を才人は乱暴にかき分け、細く下へと伸びた僅かに轍のように筋が伸びる獣道に歩を再び進めた。
何かの鳥がギャアギャア! と警戒信号の鳴き声を上げ羽音も近くに飛んでく。
才人は飛び立つ鳥につられて上を見上げた。
空はやけに高く青く見え、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見えてなんとものどかだ。
それから改めて視線を進行方向に戻すと、どこまでも続く急な坂道……というよりも崖に近い傾斜がついた名ばかりの道が
蛇のようにうねって藪の中を伸びる。
才人はため息を一つついて、背中のデルフリンガーの鞘をあちこちに引っかけながら再び崖を降り始めるのであった。
◆
フェルタン村に才人が到着したのは、ヴァリエール城を昼前に出立してから翌日の昼過ぎ程であろうか。
幾度か馬を休ませながらも夜を徹しての旅程である。
隣国ツェルプストー領から最も遠い位置にあるラ・フォンティーヌ領の中でも、更に外れに位置するフェルタン村は
風光明媚な丘陵地で畑と農家が点在する非常にのどかな場所だ。
カトレアが言っていたように気難しい者が多いらしく、道行く年老いた農婦に村長の家への道を尋ねると
ムスっとした表情のままある方角を指さして、わかったか? とばかりにジロリと睨まれ、才人は思わず先行きに不安を覚えた。
しかし一応道を教えてくれるあたり根は善良な者ばかりなのだろう、才人はその後何人もの村人に睨まれながらも
無事村長の家にたどり着くことができた。
村長の家は他の村人の家よりもほんの少しだけ大きく、それ以外は特に変わった所がない比較的質素な造りで
畑が直ぐ近くにあるらしく、丁度昼食を終えて畑仕事に戻ろうと家から村長が出て来た所であった。
村長と鉢合わせた才人は馬から降り、挨拶もそこそこに早速カトレアから預かった書類を渡し、薬について尋ねる。
村長はかくしゃくとした痩せた老人で、始めはほかの村人と同じく無愛想に才人の話を聞いていたのだが
書類を受け取りカトレアの名を聞くや否や、人が変わったかのようににこやかになり、半ば強引に才人を今出て来た家に招き入れたのだった。
村長の家の屋内は特に変わった所も無く、さして大きくも無いテーブルの席へと座るよう促された才人は、急にフレンドリーになりすぎた
村長に戸惑いながらも言われるがまま腰を降ろす。
それから気難しい村人がこれほど豹変するほどカトレアは領主として慕われているんだな、などと才人がボンヤリ考えていると
村長が対面に座りながらにこやかに、しかし少しぎこちなく薬の件でいらしたのですね? と切り出してきた。
「ええ、カトレア……様が使う、妖精が作る魔法の薬をいただきにきたのですが……」
「左様でしたか。いんや、遠い所わざわざ……お疲れになったでしょう?」
「はは、このくらい。しかし、安心しましたよ。
音信不通になったと聞いていたものだから、オークにでも襲われたのではと心配していたんですよ?」
「いや、その……連絡入れなかったのは申し訳ないんですが、その……」
バツの悪そうに口ごもる村長に才人は首をかしげた。
丁度その時、村長の妻であろう老婆がお疲れになったでしょう、村特産のハーブ茶です、と言いながら木のトレイに
白い湯気の立つ木のカップを二つ載せて、家の奥から運んできて才人と村長の目の前に置いた。
村長は一口そのハーブ茶を口に含み、ほう、とため息をつく。
才人もつられてハーブ茶を一口すすると、なんとも言えない甘く華やかな香りが口中に広がり、本当にこれハーブ茶なのか?!
と内心驚いて二口、三口と続けてすすった。
そんな才人を見て村長はニヤリと笑い、ずい、とテーブルごしに顔を近づけて来る。
「ふふ、旨いでしょう? 」
「ええ、すごく。ハーブ茶というよりも、何か甘い飲み物のような香りと味ですね」
「この村特産の乾燥ハーブで入れたお茶でしてな。丁度昨日乾燥が終わったもんで、味も格別ですよ。
……もっとも、それが原因でカトレア様にご迷惑かけてしまっておるわけですが」
「? 薬と何か関係があるのですか?」
「ええ、実は……このハーブ茶に使う乾燥ハーブと、 "ラ・カンパネラ" という花を原料にカトレア様に献上する薬を作っておるのです。
両方ともこの辺りでしか取れない材料なんですが、特にこの "ラ・カンパネラ" という花が厄介でしてな」
「厄介?」
「ええ、この花は昔から "妖精花" とも呼ばれておりましてな、この村から西に少し行くと深い谷があってそこでしか取れんのです。
更にこの谷は村では "囚われ谷" と呼ばれておりまして。
ドライアドっちゅう、これまた厄介な木の精霊の住処になっとるんですわ。
人間には近づくことが出来ない場所なもんで、ほとほと困っておったんです」
「え? じゃ、今まではどうやってその、 "妖精花" を?」
「この乾燥ハーブと引き換えに、持って来ていたんです」
「誰が?」
「その、ドライアド本人が。毎年この時期にやって来て花と乾燥ハーブと交換して行くんですよ。
ところが今年はどうしたもんか、いつもより早く先月にふらりとやって来て交換してくれと言われましてな。
残念だがハーブは採りいれたばかりでまだ乾燥も終わってないからもう一月待ってくれと頼むと、それっきり音沙汰なくなってしもうて……」
村長はそう言うと、肩を落として申し訳なさそうに身を縮めた。
どうやら妖精花は木の精霊から入手する以外、他に術が無いらしい。
才人はラグドリアン湖の水の精霊を思い出し、腕を組んだ。
人と精霊とでは時間の概念自体が違う。
精霊が「今はダメなのか。じゃ、ちょっと待つか」と思っていても、そのちょっとが百年、二百年である事は十分考えられるのだ。
更にプライドも高く、モンモランシーの実家の例はともかく、ちょっとした事で怒って姿を消すことも珍しい事ではない。
「うぁ……先住は色々と難しいですからね。」
「いんや、ドライアドに限っては恐らくになりますが大丈夫ですよ。
愛想がいいと言うか、精霊というよりも妖精に近いとか本人がゆーとりました。
ただ縄張り意識が強くてですな、アレの住処である "囚われ谷" に人間が入り込むと生きては出てこれんっちゅう話です。
そこが唯一の欠点といいますか、ドライアドの厄介な所でして」
「じゃ、なんで……ヘソを曲げたって話じゃないようだけど」
「恐らくはなんかあったんでしょうて。
こんな年もたまにありましてな、そんな時は谷を少し降りた所まで乾燥ハーブを持っていくとドライアドが出てくるんです
だけんど、ちと今は時期が悪くて……なにせ今年はヒュイルが大発生しとりましてな。
作物を荒らされん内にと言うことで、ここの所ずっと村人総出で刈り入れを行っておるんですわ」
「ヒュイル?」
「これくらいの、砂粒ほどの大きさの害虫です。
ほら、季節の花々の茎なんかによく何匹も張り付いている、あの緑色の」
「ああ、見たことあります。あれ、農作物にもつくんですね」
「ええ、アレはああ見えて中々の悪食でして、何でも食い荒らすんですわ。
今年みたいに大発生した時にほっとくと、一晩で作物がダメにされる事もあるんですよ。
いんや、村のもんが北の森でそれを早めに見つけることができてほんに良かった。
お陰で虫の大群が村に来る前に、村総出で刈り入れをやっておる真っ最中でして。
連中、羽は無いもんで移動はゆっくりですから、なんとか間に合いそうなんですよ」
「それで連絡も寄越さずに……」
「そういう事になります。いや、ほんに申し訳ない。
"囚われ谷" までは中々道が険しくて、老人ばかりの村のもんに行かせると時間もかかりますし。
カトレア様には本当に申し訳ないんですが、わしらも作物が食い荒らされれば税も納められないし、冬も越せなくなりますでな」
村長はそう言うと、一口ハーブ茶を啜ってもう一度今度は大きくため息をついた。
才人も同じようにもう一度ハーブ茶に口をつける。
芳醇な甘い香りが口いっぱいに広がり、どこか焦る気持ちが安らぐ。
「村長さん、薬は作るのに時間がかかるのですか?」
「え? いんや、材料さえあれば薬自体はすぐに出来ます。
といいますかな、効用自体は "ラ・カンパネラ" の花の成分だけなんです。
ただ、味というか臭いというか、とにかく不味くて。
その為に乾燥ハーブを追加しとるようなもんで、その由来から "妖精が作る魔法の薬" という触れ込みになっとるんですわ」
「じゃ、その "ラ・カンパネラ" とかいう花があればいいんですね?」
「ええ、ええ。だけんど、先程申した通り人が近づけぬ谷にしか花は……」
「じゃあ、話は簡単ですよ。俺が行ってきます」
「そんな、カトレア様の使いの方を行かせるなど……後数日で刈り入れが終わるで、それまで村の宿でお待ち頂ければ……」
「悪いんですが、俺、急いでるんですよ」
「まさか! カトレア様のお体の具合が」
「ああ、いや。俺の都合です。どうしても早く薬を持って帰りたいんですよ。
村長さん、俺に行かせてくれませんか? この通りです」
才人はそう言って、深々と頭を下げる。
村長は慌てて才人に頭を上げるよう言いながら、そこまで言うのならばと "囚われ谷" までの詳しい道筋と
木の精霊・ドライアドの呼び出し方を説明し始めるのであった。
◆
"ラ・カンパネラ" は釣り鐘のような花を咲かせる釣鐘草の一種で、鮮やかな紫色をした小さな花であると村長は言った。
地球ではバラ科のピンクの花であるのだが、花の名に疎い才人が地球での花の名など覚えている筈もなく、すんなりと花の特徴を覚えて
フェルタン村の西、 "囚われ谷" へと足を踏み入れたのはそれから一時間程経った頃であった。
ヴァリエール城から乗ってきた馬は村長の家に預けて、徒歩での移動である。
背に大剣、手には乾燥ハーブが入った袋を持ち至って軽装で森を抜け谷の入り口までやって来た才人だったが
既にその道程の厳しさにげんなりとしていた。
何せ、森の道は荒れ放題で木々の枝が道をふさぎ、それらをやっとの思いで "避けながら" 進むと今度は細い獣道のような道が
谷底に向かって藪の中を伸びていたからだ。
ドライアドは木の精霊である。
それ故、道中は決して木の枝や植物を無闇に切り落としてはならないと才人は村長に何度も注意を受けていた。
道に生える草や落ちているちょっとした枝を踏む程度なら問題はないようだが、夏の間目一杯伸ばした木々の枝を避けながらの移動は
非常に骨が折れる作業である。
「なんでこんな事に……」
パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。
その辺から飛び立つ鳥につられて上を見上げると、空はやけに高く青く、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見える。
そこに厄介な障害物など何一つ無い。
折ってはいけない小枝も、切り倒してはいけない木も空には無い。
視線を進行方向に戻す。
折ってはいけない小枝や、切り倒してはいけない木が視界一杯に広がる。
なんの嫌がらせなのか、細く足場の悪い崖のような谷を降る道はそんな障害物の足下を縫うように伸びていた。
才人は幾度目かのため息をついて、慎重に歩を進め始めた。
"目的地" まであとすこし。
村長の話によれば、谷を少し降ると大きな木が生えた台地のような場所に出るらしい。
そこが精霊と人の世界の境界であるらしく、ドライアドの住処への入り口を示すのだそうだ。
そこから先は再び下へと降りる谷となるのだったが、人が立ち入ってはいけない領域なので決して足を踏み入れぬよう
重々才人に注意を促していた村長であった。
果たして、時には木によじ登り道を迂回し、時には這いつくばって枝を避けていた才人はその台地へなんとかたどり着く。
崖から張り出すように現れた小さな広場には、今まで行く手を塞いでいた木々の枝や藪が全くなく、ぽつんと一本だけ木が生えていた。
「ふぅ、どうやらここが終着駅らしいな。あとはこの木の根元で座ってまってればいいんだよな?」
誰に向かってでもなく、才人は手順を口にして広場の木の根元に腰を下ろし、乾燥ハーブは入った袋の口を開けた。
甘く爽やかな香りが広がり、これまでの道程の厳しさを忘れさせリラックスした気分になる。
背にした木の枝の合間から漏れる太陽の光がなんとも心地よい。
ほんと、良い匂いだなこれ。
ルイズにお土産として持って帰ってやろう。
これだけ良い匂いだもん、精霊もわざわざ村まで交換しにやって来るのもうなずけるな。
……匂い袋というか、芳香用の小瓶に入れて部屋に置いとくといいかも。
――だけど……
眠く、なるから、
柔らかな香りと木漏れ日は、徹夜で馬を駆って村まで来た才人をうとうととさせる。
辺りに人や動物の気配はない。
野鳥のさえずりと、冬が近い季節にも関わらず春風のような心地よい谷風。
思考はいつの間にか夢にかわり、才人はとうとう眠ってしまった。
"グリムニルの槍" で再現されている体には、本来睡眠や食事など必要ない。
しかし "人" としての才人を維持するためには、なるべく人間の生理現象を再現する必要があった。
つまり戦闘状態でないかぎり、才人は人と同じようにものを食べ、女性の裸に欲情し、年を取り、目を閉じて夢をみるのである。
その寝顔はルイズと同年代の青年になりかけた少年の面影を残し、とても安らかだ。
メイジを片手で一蹴し、巨大な韻竜を屠り、亜人の軍勢を蹴散らす伝説の使い魔だと、その主と一部の人間を除けば誰も信じはしないだろう。
才人が寝台とした木の上では小鳥がチチチと鳴き、枝がざわめく。
心地よいそれらの子守唄を、才人はどれほど長い間夢心地に聞いただろうか。
不意に、音が消える。
僅かな変化であったが、頬にヒリヒリとした空気を感じ取った才人は目を醒まし辺りをうかがった。
広場は相変わらずのどかな情景であったが、何かが違う。
なんだ?
寝ぼけてるのかな、俺。
太陽は……まだ高いな。
長いこと寝てたわけじゃなさそうだな。
……妙な夢でも見たかな?
才人がそう考えて、伸びをした時である。
広場から更に谷下に伸びる道の先、あるいは才人が背にした木の向こう、崖の下から女の悲鳴が木霊してきた。
「いやああああ!! だ、だれか!」
悲鳴は切実に、しかし誰も居ないとわかりきっている諦めも混じって何度も上げられる。
才人は慌てて崖からせり出した形で広がる広場の端から身を乗り出すと、眼下に谷底が見えてそこを女性が走って行く姿が確認できた。
多分、若い。
髪は長く、キュルケよりも青みが差した赤毛だ。
足に怪我でも負っているのか、すこしぎこちない動きで走っている。
その後をくさび形にオークの群れがゆっくりと追いかけていた。
恐らくは女性に悲鳴を上げさせている原因であろう。
オーク達は手に様々な武器を持ち、獲物を嬲るつもりなのかゆっくりと逃げる女の後を追っているようだ。
なぜここに人が?
なぜ、オークの群れが先住の住処に?!
先住の住処を荒らす亜人なんて、聞いた事もないぞ?!
俺、道を間違え――いや、それよりも!
まずい、あの子、このままじゃ……
寝ぼけた才人の頭に様々な疑問が瞬時に湧き、思考が混沌とする。
いくつもの問い掛けが目まぐるしく耳の奥に聞こえたが、次の瞬間には体が勝手に動く才人であった。
大地に右手を当てシンプルな投げ槍を作り出し、力を加減しながら谷底へと投擲する。
全力で投げて崖崩れでも起こしてはたまらないからだ。
槍は唸りを上げて逃げる女とそれを追うオークの群れの間に落ち、ズドンと大砲の様な音を立てる。
"グリムニルの槍" としてその威力は見る影もない物であったが、オーク達の足を止めるには十分であった。
才人はオーク達の足が止まったのを確認し、まだ谷底まで十メイル以上もある崖へその身を投げ出す。
耳に風切り音が響かせ落下しながらも、背のデルフリンガーを保持する鞘のボタンを外して一気に大剣を抜き放ちルーンを輝かせる。
大地が迫り来る中、才人はオークの数と女の位置を確認した。
女は槍が巻き起こした音と衝撃によって前のめりにこけてしまっているようだ。
あちゃ、もうちょっとオーク寄りに投げれば良かったかなどと暢気に考えながらも、着地した才人は落下のスピードを維持したまま
向きを水平に変えてオークの群れの中に飛び込んだ。
数は十五。
一匹、デカいのがいる。
多分、オーグル。
断片的な思考とは裏腹に、才人は稲妻のような動きで瞬く間にオーク達を斬り伏せていった。
堅い竜の鱗を、ゴーレムを、大地を槍の投擲で爆砕させるその膂力で振るう剣撃はすさまじく、才人がデルフリンガーを振るうたびに
オーク達はまるで紙細工のように両断され、宙に舞う。
身の丈もある大剣を軽やかに横に薙ぎ、縦に振り、袈裟に切りつけ、しかしその剣筋は見えず瞬く間に亜人を屠っていく。
切り上げられたいくつかのオークの半身や武器を持ったままの腕は、クルクルと空中を飛び文字通り血の雨を降らせた。
その雨の合間を才人は疾風の様に駆け抜ける。
オーク達はいまだ、何が起きたのか理解していない。
ナニカが降ってきて地に落ち弾けて、気が付けば前に居た仲間がバラバラになって飛び散っていた。
一体、なにが――
疑問と状況が脳裏に浮かんだ次の瞬間には、己が雑に両断される。
視界が激しく回転し、ふわりと体が浮く。
遠のく意識の中、最後の記憶に在るのは白い光と黒髪。
た、ぶ、ん、にん――げ……
才人に斬られたオークの認識はそのような物であった。
白痴なのではない。
意識が追いつかないのだ。
あまりの疾さに。
あまりに鮮やかな剣閃に。
人の領域を遙かに超えた、その力に。
痛みを、怒りを、恐怖を、闘志を、絶望を抱く前にただ疑問だけを抱いて絶命する。
オーク達にとって不幸だったのは、才人が "躊躇" するのは人間だけだということであろう。
それは身勝手な博愛であるし、才人もよく理解している。
しかし。
ここ、ハルケギニアでは人とオークは決して相容れぬ存在であった。
一方が略奪者。
一方が被害者。
互いにそのどちらかにしかなれぬ存在。
その認識を違えば、大事な人を骨も残さず略奪し尽くされることを才人は知っていた。
領地を得て経営した経験のある才人にとって、オークとは大事な領民を襲う災害以外の何者でもない。
昨日向けられていた笑顔が消える。
老若男女関係無く。
それも村ごと。
かつての悲しみが、怒りが、決意が才人の胸に蘇り激しく心を震わせていく。
更に疾く。
更に剣閃は鋭く。
左手は強く強く輝く。
血の雨は肉を伴って更に激しく大地に降りそそぎ、しかしただの一滴も剣士を濡らすことはなかった。
才人がデルフをどれほど振るった頃か。
時間にしてほんの数秒であったのかもしれない。
群れの後方にいたオーグルを縦に両断した所で、その後に居たオークの一匹が声を上げた。
恐怖ではなく、警戒の合図だ。
ナニカがいる、注意しろと。
しかしその合図に答える者はいない。
既に "彼" を除き、ある者は首を跳ねられ、ある者は血の雨と一緒に空から降ってきていたからだ。
割れるオーグルの向こう、凄惨な光景を目の当たりにしてそのオークは唯一、敵の姿を目にする。
それは小さな人間。
ハルケギニアでは珍しい黒髪で、左手に握られている大きな片刃の大剣。
その手の甲は白く輝いて、対照的にその背後では赤い血と肉がバタタと音を立てて降り注いでいる。
一体、お前――
思考は続かない。
視界にあるはずの少年の姿が消え、すぐに視界が激しく回転して、浮遊感の後大地に叩きつけられた。
そのオークは他の仲間と同じように、そのまま疑問だけを胸に絶命したのだった。
「こんなもんかな?」
ベっとデルフを振って付着したオークの血を払いながら、才人は辺りを見渡した。
敵意や気配は感じない。
他の群れの斥候がどこかに居た場合、なるべく派手に殲滅した方が牽制効果を生むので "雑" に戦った才人であったのだが
どうやらその気配りも無駄であったようだ。
才人はオークの死体からなるべく綺麗な布きれを千切り、デルフを拭いて鞘に納めて改めて未だ転けたままの女性の元へと歩み寄った。
「大丈夫? 足に怪我してるようだけど?」
先の戦いぶりから怖がられているかも知れないと考えながらも、恐る恐る手を伸ばす才人。
女性はまだ幼さの残る少女といった年の頃であった。
青みが混じった赤毛は紫に近く、長く伸びて上体を起こしていても地に着いている。
肌は白く、手足も細い。
顔立ちもどこか気品があり、平民の娘ではないようだ。
女の子はさしのべられた手には目もくれず、ただ呆然と才人とその向こうの光景を交互に眺めていた。
やべぇ。
もしかして、俺、化け物かなんかと思われてるか?
この後きゃああ! とか叫ばれちゃう?
十分すぎるほど発揮した自らの怪物性の事などすっかり忘れ、才人はさしのべた手もそのままに不安に駆られる。
沈黙は続く。
その間、不安はますます大きく膨らみ、いたたまれなくなってつい返事を急かしてしまうお人好しであった。
「ねぇ?」
「あ、え? ああ! ご、ごめんなさい! あなた、すごく強いのね!」
「ま、ね。立てる?」
女の子は慌てて才人の手を掴み、立ち上がろうとするが少し体を浮かした所で眉根を寄せ、つ! と呻いて手を引っ込めた。
引っ込められた手は足へと伸び、よく見ると薄く刃物がかすったかのような傷が、白いくるぶしに赤い筋を作り出している。
「いたた、ごめんなさい。くじいたわけじゃないから、すこし時間をおけば立てると思うわ」
「オークの剣か矢かなんかが掠った傷?」
「うん」
「まずい!」
才人は血相を変えて女の子の足をつかみ、くるぶしに顔を埋める。
きゃあ、と再び谷に女の悲鳴が上がった。
しかしそんな彼女の様子などお構いなしに才人は暴れる女の子を無理矢理押さえつけながら傷口に口を付け始めた。
「ちょ、何すんの! この、変態! ロリコン! ブサイク!」
容赦ない罵倒と反対側の足による蹴りが才人の頭に猛襲する。
血を吸い出す為に足に顔を近づける度に細い指でバリバリと引っ掻かれる。
端から見れば変態その物だ。
だが才人は、そんな事もお構いなしに変態行為を続ける。
傷口に口を付け、血を啜り吐き出す。
オークの武器には毒が仕込まれていることが多い。
僅かなかすり傷でも命取りとなる。
説明している時間は多分無い。
走っていたから体中に毒が回ってもおかしくないけど、こうやって元気があるって事は傷を受けて間も無いはずだ。
今ならまだ間に合うかもしれない。
才人は焦りつつも、女の子の罵声と抵抗に必死に耐えた。
「やめて! そりゃわたし、すっごく可愛いけれど、まだおっぱいも小さいし、経験もないし、こんな所でなんて絶対いや!
まして人間とだなんて絶対に、いや!! 離して! この淫獣! ケダモノ! むしろゲテモノ! 臭いのよアンタ!」
「いでぇ! これ位でいいだあ! やめ、ほら辞めたから!」
「この! これだから人間は!」
「ちがう! 毒! オーいだだ! 引っ掻くなって! オークの武器には毒が塗ってるうううだああ! 蹴るな!」
「え?」
ピタリと止む、罵倒と暴力。
顔中に赤い筋を作り出しながらも、はぁと肩を落とす才人。
そうなの? とその瞬間全てを察していながら "あんたが悪い!" と目で訴える少女。
焦ったとは言え、説明しない自分も悪いのだけど、もうちょっと俺の行動を観察して欲しかったと目で訴える才人。
仕方ないじゃない! と目で更に訴える少女。
じっとりと目を細める才人。
沈黙。
暫くして、少女は才人の視線の圧力に負け遂にプイっとそっぽをむいて、小さくごめんなさいと口にした。
「ま、俺も悪かったしな。おあいこって事で」
「そ、そうね。でもありがとう。お陰で助かったわ。えっと……」
「才人。ヒラガ・サイトって言うんだ、俺」
そう自己紹介し、いつものように才人は笑った。
笑顔に女の子は安心したのか、ふにゃりと柔らかく花のように笑顔を浮かべた。
そして、才人と同じように自己紹介を始める。
しかし。
彼女の言葉は才人の笑顔を凍り付かせるのであった。
「あたしはドリアーヌ。ここらを支配しているドライアドの僕であるニンフ(妖精)よ。
しかしあんた、度胸ある人間よね。もう二度と人間界には戻れないってのに、谷底に降りてくるなんて」
※現在暫定的に復帰中です。
このSSはArcadia様のサイトでも公開いたしております。
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/1(一章~四章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/2(五章~八章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/3( ~最新話)
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