どれ程そこに居たのか、ベアトリスがすっかり時間の感覚が狂ってしまった頃。
才人に一旦は戒めを解いて貰っていたベアトリスであるが、来るべき時に備え再び、しかし緩く後手に縛り直して貰った後である。
待ちくたびれウトウトとしかけた頃に、あの人攫いの男達が殺風景な部屋にやってきたのだった。
男達はベアトリスと既に目が覚め、才人に励まされていた男の子を立たせ、外へと連れ出そうとしたのである。
ベアトリスと男の子は事前に才人の言う“作戦”を聞いていたのだったが、この時、内心ではかなりの焦りを抱えていた。
と、いうのも、男達はベアトリスと男の子の腕を掴み立たせ歩かせたのだったが、部屋の中央の柱に縛られた(ように見せている)才人には指一本触れなかったのである。
「ほら! キビキビ歩け!」
「痛い! は、はなしてよ!」
「騒ぐな。なに、取引はすぐに終わる。お前位の器量なら、もうここへは戻って来る事もないだろう。そっちの坊主は……微妙だが」
「嫌よそんなの! なんでわたしだけなのよ! あそこで繋がれている奴を買い取って男娼にしたがるかもしれないじゃない!」
――お前、もうちょっと上手い指摘の仕方は無かったのか?
暗に才人を何故連れて行かないのか、と人攫い達から聞き出す為、上手く誘導したつもりのベアトリスであったが。
その言いように才人は思わず噴き出してしまい、もう少しでツッコミを口にしてしまう所であった。
が、そんな才人の心情はともかく、人攫い達の男達はベアトリスの思惑通りに才人を連れ出さない理由を口にしたのである。
「は! 冗談だろ? 今から取引するのは性奴を買いたいって客だ。嬢ちゃんのような上玉か、そこのガキのような年頃の少年でもなきゃ“店先”に並べもしねえよ」
「な……!」
「わはは、そう怯えた顔をするな。寂しくないようあっちの坊主もキッチリ一緒に売り飛ばしてやるからよ」
「だがそっちの“残り物”は精々、隠し鉱山か変態メイジが作る薬の材料か、それともどこぞの物好きが飼っている、ペットのドラゴンあたりの生き餌にされるのがオチだろうがな」
男の一人がそう言うや、ドっと笑いが起きた。
人の命など、何とも思っていないその態度にベアトリスは怒りを募らせ思わず眉根を寄せる。
もっとも、少し前までの彼女ならば平民がそのような扱いを受けようとも、同じように何とも思わなかったかもしれないが。
しかし今のベアトリスの瞳はその醜さを曇り無く映し出して、彼女の本質に訴えかけるのである。
――許せない、と。
とはいったものの、怒りを増幅した所で状況が変わるわけでは無く、結局ベアトリスと男の子はそのまま部屋の外へと連れ出されてしまった。
これでは才人が隙を見て杖を奪い返すどころか、男達を足止めする事すら無理であろう、と気を焦らせるベアトリス。
男の子も同様に考えているようで、表情は暗く落胆の色が濃い。
無理も無い。
才人が事前に説明していた“作戦”とは、取引成立した時、相手にベアトリスを引き渡す際に杖も一緒に渡すはずで、その時を狙って才人が取り返す手はずとなっていたからだ。
――何故男達はベアトリスの杖を一緒に渡すと言い切れるのか?
当然とも言えるベアトリスの疑問に、才人は苦く口の端を引きながら“以前”の記憶の欠片を集めて説明をした。
奴隷、それも性奴ともなれば当然見栄えの良い者が高く売れる。
更にそこへ何かと倒錯した欲望をぶつけるに辺り、身分が加われば殊更“価格”が跳ね上がるのは想像に難くない。
ハルケギニアでは一般にメイジと言えば貴族の代名詞でもある故、その証明として貴族出身の奴隷には本人の杖が付属される事がままあるのだ。
果たして、ベアトリスは建物の外に連れ出されながらも、才人が言っていた通り取引成立の際に渡すのであろう、人攫いの一人が見慣れた自分の杖を持っている事をめざとく見つけていたのである。
しかし、だからといって取り返すあてなど無い。
隙を見て取り返すと言っていた才人はあの部屋に取り残されてしまったし、自分も男の子も、杖を持っている男との間には何人も人攫い達がいたからだ。
――ダメよ、ベアトリス。
今焦って動いても、取り押さえられて折角緩くしばった戒めをきつくされるだけよ。
ギリギリまで、本当にギリギリまで隙を探さなくちゃ。
そう自分に言い聞かせ、ベアトリスは薄い唇を噛んだ。
そんな彼女を余所に、男達は二人を建物の外へ連れ出して何やら奇妙な音調の口笛を吹いた。
外はすっかり夜となっており、周囲は闇に包まれている。
辛うじて二つの月の光が差し込む様子から、そこが木々が四方を取り囲む深い森であることが伺えた。
どうやら眠らされてしまった後、クルデンホルフの街からどこか遠く森の中へ運ばれてしまったらしい、とベアトリスが考えて居た時。
森の奥、闇のむこうから同じような口笛が聞こえ、そのやり取りを数度繰り返した後、数人の人影が夜の森の奥から現れたのである。
木々の隙間から僅かに差し込む月光で見た所、その数は四名。
内、一人はどこぞの貴族であるらしくやけに豪奢なマントを羽織り、しかし顔は見えぬようフードを深く被っている。
他の三人は同様にマントを羽織り深くフードをかぶっていたものの、質素で動きやすそうな設えから、従者であるらしい。
「これはこれは、自らご足労いただけるとは痛み入ります、“旦那様”」
「なに、丁度ここの領主の城からの帰り道だしな。それにお前達には珍しく極上の“品”を入手したと聞いては見過ごす手はなかろう。故にこうして直接買い付けに来たのだ」
「昨今はどこもかしこも資金繰りが厳しいですからね」
「うむ。先の戦争は終わったとはいえ、未だ国庫には何かと入り用だからな。商人に“買い付け”を委託するだけの余裕もそうそうにはとれん」
「我々も同様です。あの戦争で戦場になった街なんてサウスゴータ位なもんですから、とにかく“仕入れ”が上手く行かないんですよ。まったく、“アルビオンの英雄”だかなんだか知りませんが、ああも綺麗な戦をされちゃこっちもいい迷惑です」
「“アルビオンの英雄”、か。そういえば今、このクルデンホルフ領地に居るのだったな。どうだ? 意趣返しに行くかね?」
「はは、ご冗談を。――さて、前置きはこれ位にして、商品をご覧になりますか?」
「無論だ」
ベアトリスの側に居た、人攫いのリーダーらしき男は、手にしていたランプをベアトリスの顔に近付けた。
それから、ゆっくりと下へと降ろして行く。
どうやら全身を客に見せているらしい。
顔の近くから始まり、ゆっくりと下へ移動するランプの光はまるで、自分の体を舐めるように見る視線その物の様に思えてベアトリスは思わず体を強ばらせた。
「ふむ……。これは中々……」
「でしょう? これだけの娘はそうはおりません。しかも貴族です」
「なんと! ……一応聞くが、操を汚してはおるまいな?」
「勿論。ただ、自傷だれても困りますので“確認”はしておりません。この場で確かめますか? 本来でしたら裸にしてから競りに出しますので、料金は頂きませんよ。ただ……」
「わかっておる。手をつけるのは商談成立の後なのだろう?」
「はい」
「では成立だ」
「あ、いや……。まだこちらから条件は……」
「言い値で払ってやる。条件も好きなだけ付けよ。これだけの上物、服を脱がさなくともわかるわ。むしろお前達が乱暴に服を脱がせ、折角の着物が台無しになる方が痛い」
「左様で。しかし、今回の品はもう一つセットで買って頂きたい“商品”もございまして……」
「聞こえなかったのか? 言い値で良い。条件も何でも聞いてやる。ただ、手持ちは新金貨で一万までしかない。手付けはそれで間に合うか?」
「へへ、それはもう。では――」
驚くほど商談がアッサリと決まったからか、人攫い達のリーダーは弛緩した笑い声をあげた。
どうやら、目の前の“顧客”はベアトリスの事をいたく気に入ったらしい。
対して、それまでの商談を黙って聞いていたベアトリスの嫌悪感はいかほどのものか。
やがて商品の引き渡しとなりベアトリスと男の子は森の奥から現れた男達の方へ歩かされた時。
ベアトリスはふと横を歩く男か自分の杖を持っている事に気がついて、そこに機を見つけ出した。
――今よ! 今しか無い!
決意もそこそこに、ベアトリスは後手に緩く縛し直していた手に力を籠めると同時に、杖を持つ男に飛びかかる。
杖を奪い取れなくても良い。
杖に触れたままなんとか“レビテーション”を唱え、宙に浮き男を振り落とした後、あの男の子を助け出してこの場を逃げ出す事ができれば、後は父親の力を借りてあの少年を助け出せばいいのだ。
ベアトリスの目論見は半ばまで達成し、上手く男の不意を突くことに成功していた。
しかし、“レビテーション”の詠唱を終えようとした所。
突如空気の塊が横殴りに彼女の体を男ごと吹き飛ばしてしまっったのである。
「きゃあ!」
「ぐあ!」
乙女と野太い男の悲鳴は森の闇に消え、浮遊感の後、背に強い衝撃が走る。
したたかに体を打ち付けたベアトリスは、しかし意識をしっかりと持ち混乱すらする余裕なく目を開いて己の杖の行方を捜した。
杖は幸運にもベアトリスの目と鼻の先に落ちて、手を伸ばせば届く位置に転がっている。
慌てて手を伸ばすベアトリスであったが、先に杖を拾いあげる者が居た。
見上げるとそこに、つい先程まで“顧客”の側に居た、従者らしき男が立っていた。
男はどうやらメイジであるらしく、マントの裾から自分に向かって杖らしきものの先端が伸びている。
「動くな」
「う……」
「よくやった。……が、傷つけてはおるまいな?」
「は。加減はしておりますので、服が多少汚れた程度です。……眠らせますか?」
「いい。眠らせてしまったら帰りの馬車の中での“楽しみ”がなくなるでは無いか。それに、謀らずともその娘が本当に貴族であることがわかったしな。杖はお前が持っておけ」
「かしこまりました。……立て」
言って、呆然とするベアトリスの前に立つ男は、彼女の腕を取り強引に立ち上がらせた。
力は強く、抗う事など不可能であると訴えかけてくる。
ふと、目に入るのは自分の腕を掴んでいる手とは反対側の手に握られた杖。
近いが決して届かぬ場所にあるそれは、つい昨日まで肌身離さず持っていた自分の杖だ。
ベアトリスは杖に目を奪われながら、それが二度とクルデンホルフの姫殿下に戻れぬ象徴のように思えて、気が付くと嗚咽を漏らし始めてしまうのだった。
――もう、だめだ。
今更ながらに、絶望的な自身の状況を正面に捉えて息を荒げるベアトリス。
引きずられるようにして歩かされ、向かう先は先程自分を“買い取った”男の元だ。
「嫌……」
彼女に唯一残された自由である言葉が漏れ出る。
だがそれに応える者など居ようはずは無い。
「嫌よ、こんなの……」
涙がこぼれる。
虚勢や誇り、幼い頃より施された貴族の娘としての教育がすべて顔から剥がれ落ちて、幼子のようなくしゃくしゃの泣き顔になって行くのを感じ取る。
生まれて初めて味わう巨大な恐怖と絶望に、彼女の心は音を立てて折れた。
――嫌、嫌よ! 誰か助けて――
恥も外聞も無く、そう叫ぼうとした時。
突如としてすぐ側で落雷のような音が爆ぜ、再び横薙ぎの突風を受けてベアトリスは再び宙を舞った。
「きゃああ!」
「うわ?!」
「な、なんだ?!」
二度目の浮遊感の後、今度はいずれ来る衝撃に覚悟を固めていたベアトリスであったが。
しかし意外にもだれかに体を受け止められ、まだ回る視界もそのままに立たされ何かを握らされた。
握らされた物は、二度と手にする事も無いと思えた自分の杖である。
「走れ!」
「――え?」
「その子を連れて早く! 行け!」
声と目の前にある背中は、建物の中に残された筈の少年の物。
更に、隣りに居たのはあの男の子である。
何をどうやったのかわからなかったが、少年は先程の爆発のような物を利用して、自分とあの男の子を助け出したらしい。
――何がどうなっているの?!
一体どうやってわたしやこの子を?
疑問は無数に湧き出てくる。
しかし、体はそれよりも早く、男の子の手を引いて森の奥へと走り出していた。
思考はひとまず疑問を隅に追いやり、如何なる魔法を使えば二人無事に逃げ出せるかを探り始める。
答えはすぐに出て、ベアトリスは“フライ”を詠唱し始めた。
「つかまって!」
男の子の手を掴みながら叫ぶように言って、空を塞ぐ木々の枝を押しのけてながら浮かび上がる二人。
やがて夜空高く飛び立ったベアトリスは、周囲を見渡した後、多く灯りが見える方角を見つける。
どうやら彼女達がいた森は、クルデンホルフの街よりそう離れた場所ではなかったらしい。
ベアトリスは男の子をぶら下げたまま、精一杯の力を振り絞り自身を街の方へ飛行させたのである。
後に残したあの少年の挺身に、後ろ髪をひかれながら。
◆
「何をしている! 逃げてしまうぞ! 追わぬか!」
一人際だって豪華なマントを羽織っていた男が、従者と思わしき男達を叱りつけていた。
が、男達は動けない。
目の前に突如現れた奇妙な少年を前に、警戒を募らせたからである。
あの、雷鳴のような衝撃の後。
突如現れた少年は、目にも止まらぬ速さで取引相手である人攫いの一団を殴り倒し、“商品”である娘と男の子を奪取してみせたのだ。
その動きは人間の領域を遥かに凌駕している。
見たところ杖も持っておらず、魔法を使っている様子も無い。
「……ドゥ。“商品”を追え。お前の“フライ”なら追いつける筈だ。トロゥ。あの奇妙な小僧を始末するぞ」
先程ベアトリスを買おうとした“旦那様”に、最も近い位置に立つ男がリーダー格らしい。
男の指示に残る二人の内、先程ベアトリスの杖を拾いあげた方の人物が素早く“フライ”を詠唱し始める。
また、リーダーともう一人は油断無く杖を取り出し、詠唱の邪魔をされないよう“フライ”を詠唱しているドゥと呼ばれた男と少年――才人の間に立って、立ちふさがるのであった。
どうやらこの三名は相当の手練れであるらしい。
その動きには一分の無駄も無く、また仕草からは慢心の欠片すら見出せなかった。
――空気が張り詰める。
才人は動かない。
また、人攫い達がねぐらとして使っていた建物の中に退避していた“旦那様”を除き、対峙する男達も杖を構えたまま動かなかった。
程なく、ドゥの“フライ”が完成する。
「もういいぞ。俺は“商品”を追う」
「くれぐれも傷をつけるなよ」
ドゥはリーダーと短く言葉を交わし、そのまま矢のように夜空へ飛び去った。
だがリーダーともう一人、トロゥと呼ばれた男はドゥの支援を終え、いよいよ目の前の得体の知れない少年に魔法を使うべく杖を掲げた時。
信じられぬ光景を目の当たりにしたのである。
「悪いな」
空を飛ぶドゥがすぐ背後でその声を聞いた時、他の二人は唖然として地上からその光景を見ていた。
ぎょっとして振り向くドゥ。
そこに居たのは、あの得体の知れぬ少年が拳を振りかぶっている姿だ。
ドゥは驚くより先に、両腕を体の前で交差させて防御の姿勢を取った。
メイジとしての腕前だけで無く、王宮の魔法衛士にひけを取らぬほどに武術を会得し、それが無意識にでたのであろう。
――しかし。
少年の拳は防御など容易く粉砕して、ハエでも叩き落とすかの如くドゥを地上に殴り飛ばしていたのだった。
ドゥは両の腕をヘシ折られながらも、狙ってか、それとも偶然か、一際高い木の枝をクッションとして次々と折りながら地上に落下し、そのまま気を失ったのである。
「なっ?!」
「くそ!」
驚くリーダーの隣で、トロゥが“エア・カッター”を唱える。
見えざる空気の刃はドゥに続いて地上に降りてきた少年へと襲いかかった。
着地と同時に空気の刃が飛ぶそのタイミングは絶妙で、如何に手練れであろうとも不可避であろう。
トロゥはほんの数秒後、刃が少年を切り刻む姿を予測しほくそ笑む。
が、またも信じられぬ事に、少年はあろうことか着地と同時にトロゥの方へ向かって腕を振り、空気の刃を逆に切り裂いてしまったのだった。
その腕を振る速度がいかほどの物なのか、聞いた事も無いような炸裂音は鼓膜をビリビリと鳴らし、森の木々を揺さぶる。
「ば、ばかな!」
「トロゥ! 気を抜くな!」
「え?」
非現実的な光景に、疑いの言葉を漏らした瞬間。
注意を喚起する叫びと同時に、視界が闇へと変わった。
同時に、意識がプツリととぎれてしまう。
トロゥは最後まで認識する事が出来なかったが、一気に距離を詰めた才人の掌手が顔面にめり込んで居た為だ。
一方残る一人、リーダーの男はまるで木偶人形のように崩れ落ちるトロゥを見ながら、混乱と屈辱と、恐怖によって身を震わせていた。
他の二人と比べ、彼は相当の使い手なのだろう。
信じがたくもあったが、才人が“何”をしたのかを正確に把握して、それ故に戦慄していたのである。
――ありえない!
一体アイツは何なんだ?!
ドゥの所まで飛んだのは、魔法じゃなく“ただの跳躍”だった!
トロゥの“エア・カッター”を薙いだのも、十メイルはあった距離を瞬き一つの間に詰めたのも、何一つ魔法なんて使っちゃいなかった!
くそ、くそ、くそ、どうなってんだ?!
体中に先住の秘宝を埋め込んだって、ああはいかねえ!
化け物め、こうなったら――
「逃がすと思うか?」
素早く思考を切り替え、如何に生き残るか、如何に逃げ出すかを考え始めた時。
すぐ近くで声が聞こえ、リーダーの男は肩を跳ね上げさせて驚いた。
やはり何時の間に距離を詰めたのか、才人はすぐ側にあって男がかざそうとした杖を握っていたのだ。
――バカめ。それだと――
男は刹那に勝機を見出し、半ば反射的に杖を引く。
杖は魔法衛士が持つような刺突剣のような形で細いながらも刃があり、それを握った状態で引かれたならば当然大怪我をするだろう。
だが、思いっきり引っ張った杖は、まるで岩にでも刺さっているかのようにビクともせず、それどころか次の瞬間には才人が握った部位から砂となって地に落ちたのである。
何から何まで信じられない出来事に、男は最後の瞬間まで混乱しながら、あっさりと昏倒させられてしまう。
森に静寂が戻る。
その後建物の中に逃げ込んでいた“旦那様”も漏れなく、才人によって殴り倒され、事態は一段落したのであった。
そして、夜が明けた頃。
クルデンホルフが誇る空中装甲騎士団を伴って、ベアトリスが戻って来た。
しかし彼女達が見たものとは、ある者は顔を腫らし、またある者は大怪我をして気を失い倒れている賊徒が居るのみである。
空中装甲騎士団が主君の娘を拐かした不逞の輩に怒りを露わにしながらも次々と賊徒を捕縛してゆく中、ベアトリスは必死にある人物を探し続けていた。
勿論、自分を逃がすため一人残ったあの少年を、である。
「殿下、ここにおられましたか! 賊の捕縛、完了いたしました!」
方々を探し回った後、最後に建物の中のあの部屋にやって来ていたベアトリスに、空中装甲騎士団の隊長が踵を鳴らして報告を行う。
だが、ベアトリスの表情は暗く曇ったままである。
散々探したにも関わらず、見つからなかったからだ。
「……ここにもう一人、捕らえられて居たはずなんだけど……見なかった?」
「は。賊以外は……」
「……わたしを逃がすため、たった一人で残った平民の男の子なんだけど。ほら、“アルビオンの英雄”と一緒に居た小姓の……」
「いえ、他には誰もおりませんでした。……殿下、森を捜索致しますか?」
「お願い。クルデンホルフの名にかけて、彼にお礼を言いたいの。それに、“アルビオンの英雄”の連れに何かあったら、それこそ面目がたたないもの」
「わかりました。すぐに捜索隊を編成致します。街の警邏隊にも応援を頼みましょう」
「それには及びませんよ、ベアトリス姫殿下」
突如ベアトリスと隊長の会話に割り込んできたのは、驚いた事に黒い甲冑を着た“アルビオンの英雄”である。
その背後にはクルデンホルフ大公の姿が見える。
彼らは日も昇らぬ早朝に帰って来たベアトリスが、すごい剣幕で空中装甲騎士団を招集し、再び城を出て行った後を竜籠で追って来ていたのだった。
「お父様!」
「ベアトリス! お前、城を抜け出したあげく空中装甲騎士団を率いてこんな所に来て、何をしておるか!」
「これは、その……」
「黙りなさい! 昨夜のパーティがどれ程重要か、知っていたはずだ」
大公の怒りは最もであろう。
ベアトリスはシュンとしてしまい、肩を落として唇を噛んだ。
言い訳できる余地など無い事を、他ならぬ彼女が一番わかっていたからだ。
だがそんな彼女に、意外な人物が助け船を出した。
「まあまあ、大公。ベアトリス姫殿下は、昨夜驚くべき難事件を解決したのですよ」
「……“黒騎士”殿? 経緯を知っておるのですか?」
「ええ。実は、外出していた私の小姓がスラムで人攫いに遭いましてね。ちょうどその現場を息苦しい城を抜け出した姫殿下が見ておいででしてね。見事救出をして下さったと言うわけです」
「なんと?! 本当かベアトリス?」
「え? え、ええ……」
「ううむ……にわかには信じられぬな。“黒騎士”殿はいつそのような話を? 失礼ですが、昨夜はずっと城に居たように見受けられますが」
「ははは、私も姫殿下に助けて頂いた小姓から聞いた伝聞ですよ。空中装甲騎士団を駆り出したのも、誇りあるクルデンホルフ大公国で奴隷売買が行う輩を懲らしめるためでしょう」
「……そういえば、“黒騎士”殿の小姓の姿が見えませんな」
「しょ、少々怪我をしておりまして。彼はこの辺りの出身ですので、実家で療養せよと暇を出したのです」
そう言って、“アルビオンの英雄”はどこかわざとらしい笑い声をあげた。
そんな彼にクルデンホルフ大公は、いぶかしげるような視線を投げかけ、しかしそれ以上は問い詰めることはなかった。
この、“アルビオンの英雄”の擁護に誰よりも驚いたのはベアトリスである。
どうやらあの少年は無事であり、しかも主に口裏を合わせるよう頼んで居てくれたらしい。
それどころか、もしそうであるならば、誰が賊をやっつけたのか、なぜあの少年がこの場に居ないのかという疑問は得心が行く。
大方自分達が逃げ去った後、“アルビオンの英雄”があの男の子の元へかけつけ賊徒どもをやっつけたのだろう。
「……はは、いや、本当にベアトリス姫殿下には感謝してもしきれませぬ。あの小姓は中々有能でしてな」
「あの……」
「ん? なんですかな、姫殿下」
「“黒騎士”様、あの小姓は本当に無事なのですか?」
「え? ええ、少々怪我をしておりましたが、実家に帰る位ならば問題無いでしょう」
「そう……よかった。あ、そうだ! お父様、領内から出るには通行証がいるのでは?」
「おお、そうだな。 “黒騎士”殿、その小姓の名を教えて頂けぬか? 追いかけて通行証を渡しましょう。いや、なんでしたら空中装甲騎士団に贈らせても良い」
「あ?! え、い、いや! その、私が乗ってきた“麗しのアンリエッタ号”で送り届ける手配をしておりますし、馬車賃も持たせておりますので。ほ、ほら、ベケリク港もここからは近いでしょう?」
何を焦っているのか。
“アルビオンの英雄”はしどろもどろにそう言って、誤魔化すように黒い鉄仮面の頭を掻きながらその場からそそくさと逃げ出すのであった。
クルデンホルフ大公もベアトリスも、この態度にはそれぞれが何かしら疑惑を抱き、しかしついに問い詰められず有耶無耶にされてしまうのである。
結局、“アルビオンの英雄”は万事がその調子で滞在日程も短かった事もあり、大公は娘との婚約を取りまとめるどころか話を持ちかけることも出来ぬまま、帰還の日を迎えることとなった。
勿論その短い日程の中で、才人の姿を再び見ることは無かったベアトリスであったが。
なぜかその姿が瞼の裏に焼き付き、終始幻影のように彼女の意識につきまとっていたのである。
◆
「ルイズ、いい加減機嫌を直してくれよ」
“アルビオンの英雄”がクルデンホルフ大公国を発った日、“麗しのアンリエッタ号”の士官用船室内。
才人は地べたに正座をして、ベッドに腰掛けむくれ続けるルイズの顔色をうかがっていた。
「うっさい! この、浮気者!」
ゲシ、とルイズの小さな足が顔面にめり込み、くぐもった悲鳴が上がる。
無理も無い。
乗組員に混じり、港を離れる景色を見ようと甲板に出た時である。
丁度大公とベアトリスの見送りを受けていた、“アルビオンの英雄”に扮したギーシュが別れの間際、ベアトリスから言われた一言を聞いてしまったのだ。
その言葉はルイズを烈火の如く怒らせ、必然、才人の顔面に突き立てた足に力が篭もり、グリグリとしてしまう。
「なによ。あんた、私が“行く”まで、一体あの子に何をしたのよ?!」
「ま、まひもひへふぁい!」
「嘘おっしゃい! だったら、なんで別れ間際にあんな事言うのよ!」
「ひ、ひははい! ぶっ! ほんは――ブハ! 知らないって! 俺、直接言われたわけじゃ無いし!」
「知らない、わけ、ない、で、しょうが! くの! くの! くの!」
「いだ、やめて! 痛いってルイズ!」
「私、の! 心は、もっと! 痛いわよ!」
げしげしげし、と更に蹴りが才人の顔に入る。
“以前”はともかく、最近は余程のことが無い限りルイズが暴力に訴える事はなかったのだが。
女の勘というやつか、それとも見たままの感想なのか、“アルビオンの英雄”を見送っていた時に見た、ベアトリスの表情と言葉に相当怒りを覚えて居るらしい。
――そもそも、何故ルイズがここに居るのか。
あの夜、ベアトリスを逃がした後大暴れした才人は、かねてより使い魔の念話で頼み込み、ルイズを呼び寄せていたのだった。
程なく、“瞬間移動”でやって来たルイズの助けを借りて、伸びていた全員に“忘却”を施し、派手に暴れた才人の記憶を消したのである。
その後、クルデンホルフの城に居たギーシュと口裏を合わせた後、“麗しのアンリエッタ号”が待つベケリク港へ向かって身を隠していたのだ。
本来ならば、使い魔に良いように使われるともとれる才人の要請に応えることは憚れるルイズではあるが、そこは惚れた弱みというか、恋人に来て欲しい、と言われればやはり面倒でも駆けつけてしまうものである。
その分、よもや(才人がそのつもりで無いにしろ)クルデンホルフの姫殿下をたらし込んでいたと知った時の怒りはどれ程のものか。
結局、ルイズの機嫌が直るにはそれからさらに二日程の時間が必要で、ベアトリスが見送りの時になんと言ったのか、才人がルイズに教えて貰えたのは、そこから更に一月を要したのである。
『あの小姓の男の子にお伝え下さい。色々とお詫びしたいことや話したいことがあるので、今度是非、客人として招待したいと』
※現在暫定的に復帰中です。
このSSはArcadia様のサイトでも公開いたしております。
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/1(一章~四章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/2(五章~八章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/3( ~最新話)
web拍手始めました。
気に入って頂けたら↑をポチっとお願いします
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。