第七章
7-21:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
ギューフの月第四週であるティワズの週はエオーの曜日。
以前はアルビオン王国、今では神聖アルビオン共和国の首府であるロンディニウムの下町、イースト・ロンディニウムでの事。
数ある平民の居住区画の中でも、特に治安の悪いこの下町に "赤竜の鱗亭" はあった。
店は勇ましい名前とは裏腹に、チンピラや柄の悪い傭兵のたまり場となっており、宿となっている2階も大半の部屋は昼間から客の相手をする娼婦が陣取っている有様だ。
そんな "赤竜の鱗亭" の2階、もっとも奥まった部屋にて。
「――これは……む、なかなかクるね」
「む、無理です殿下。こんな、大きいな……口に入れるなど、自分にはとても……」
「うっぷ……ドロっとして気持ち悪ぃ」
「うわ! 俺の方を向いて吐き出すんじゃねぇ! メアリ、お前最初の勢いはどうしたんだよ?」
「サイト……私も、もう……!」
「な、なんだよルイズまで……あんなにメアリと張り合ってたのに」
妖しげな会話は、先んじてロンディニウムに潜入したウェールズ皇太子とケイト・ブロウ准尉、そして彼らと無事合流できた才人とルイズ、 "北風" メアリらによるものである。
室内は日中であるにも関わらず雨戸を閉め切っており、闇に近い。
唯一の光源は雨戸の隙間、あまりに乱暴な建付の為に大きくそこから漏れ入る太陽の光だけだ。
果たして一行はそんな部屋の中で何をしているのか?
「噂には聞いていたけれど、アルビオンの平民の食事って本当に "すごい" のね――あ! も、申し訳ございません、殿下」
「いや……謝る必要はないよ、 "ミス・ゼロ" 殿。これも我々アルビオン貴族の政が行き届いていないせいなのだから」
「しかし、ここまでとは……これでは航海終盤にフネの上で供される、腐りかけの肉の方がまだマシですね」
「うぇ、ぺっ! ぺっ! ……同感。こんなもん、空賊のフネで出してみろ。その日の内に反乱が起きるぜ?」
メアリはそう言いながらまだ残っていた口の中の物を、部屋の隅に向け文字通り吐き捨てた。
はしたないその行為を咎める物はいない。
テーブル一つない部屋の中、一同は床に直接車座に座りこんで中央に鎮座した大きな鍋の中に、まるで腫れ物を見るかのような視線を注ぎ込んでいる。
鍋からは大きな魚の尾が無造作にはみ出しており、それだけでもかなり雑な料理である事が伺えた。
いや。
ただ雑なだけであるならばどんなに良かったであろう。
この場に居る全ての者が抱いている感想だ。
問題は鍋の中、即ち具材であった。
才人達が食していたものは、アルビオンでは――下町、特に貧民街ではありふれた料理である。
材料はたった一つで済む簡単な料理で、下ごしらえの後、塩や香草で味を調えてひたすら煮込み冷やしたものだ。
料理の名は "ウォーターリーパーのにこごり" 。
ウォーターリーパーとは、アルビオン大陸全域で見られる生き物で、主に淡水の沼地に生息する両生類である。
その外見はお世辞にも良い物とは言えず――いや、かなりの部分をオブラートに包んだ言葉で言い表しても、グロテスクな外見をした生き物であった。
なにせ、手足の無い巨大な白いヒキガエルに魚の尾が生えており、本来備わっているはずである前足の位置には、2枚の発達した羽状のヒレが生えている外見なのだ。
いくら農地面積に限りあるアルビオン大陸とは言え、先人は何故にこれを食そうと思ったのか。
100歩程譲っても、何故白いヒキガエルを茹でた後冷やして、豊富なゼラチン質故にゼリー状になったソレを完成としたのか。
少なくとも、アルビオン人ではないルイズや才人には理解出来よう筈がない。
否、このような食物を絶対に口にする事が無い王族であるウェールズ皇太子も理解出来る事はないだろう。
「んだよ、ケイト、メアリ。お前らだってアルビオン人だろ?」
「私はその、一応は貴族でしたし……」
「あたいは物心ついた時からじじぃのフネに乗ってたからな。陸の食いもんにゃあんま縁がなかったんだ。それに陸に上がる時は大概どんちゃん騒ぎで御馳走ばっかだったし?」
「……サイト君はその……平気なのかね?」
「俺ですか? 見た目は……まあ、良くは無いですけど我慢できない程でも無いです。――食感を意識しなければ」
才人は先程から顔を引きつらせたままのウェールズにそう答えて、取り皿に乗せられているゼリー状の物体にコーティングされた白い肉片を、あむ、と口に運んだ。
そこに注がれる4つの視線の色は、全て嫌悪。
ともすれば悲鳴が上がりそうな空気ではあったが、「どうせなら名物を食べてみたいな」と言い出した手前怯むわけにはいかない。
味の方は意外にも淡泊で不味くは無かったが、如何せん肉よりもその周囲に付着したゼラチンがえもいわれぬ食感を醸し出して嫌悪感となり、背筋を凍らせる。
が、過去に様々な経験をした上、『時の魔女』ノルンによって過去に送られた折に似たような "ひどい食事" を経験していた才人にとっては食べられない程では無かった。
「すげぇ……サイト、お前よくそんな生ゴミみたいなもん食えるな。きっと今までロクなもん食ってこなかったんだな」
「ちょっと! 私はちゃんと才人に美味しい物食べさせてきてたわよ?!」
顔をしかめながらもモクモクと咀嚼する才人を見て、メアリは思わず呟いた。
ルイズは彼女の台詞に一瞬だけ、才人を召喚したての頃の食事を思い出し、罪悪感からか少し焦ったかのように食ってかかる。
才人はそんなルイズをフォローしようかと考えるも、召喚された後、最初にルイズから与えられたあの薄い塩味がするお湯の事に思い至り、余計な事は言うまいと苦笑した。
それから、何時ものように顔を付き合わせてにらみ合うルイズとメアリにため息を一つついて、口中の肉片を飲み込んだ。
二人はラックスフォードの空軍基地を脱出した後、ロンディニウムへの道程の中で相も変わらず衝突を繰り返してはいたものの、その関係は少々変化していた。
あれ程才人に対して積極的であったメアリが、アプローチは行うものの直接的な誘惑はしなくなったのである。
恐らくは牢での一件がメアリにある種のリミッターとなっていたのだろう。
その為ルイズの方も幾分か心に余裕を取り戻し、かつてのキュルケとの関係のような微妙なぬるい緊張感と妙な馴れ馴れしさが、二人の間に横たわるようになったのだ。
とはいっても、ラックスフォードからクルーナスを経由するロンディニウムへの道中は、才人にとって追っ手を躱す事よりも遥かに困難な旅路であった。
ウェールズとケイトはそんな才人の苦労を感じ取ってか、共に苦笑しながらも助け船を出すのである。
「そうよメアリ。 "ミス・ゼロ" は貴族なのよ? その直属の部下にマズイ物を食べさせるわけ無いじゃ無い。しかも恋人、だし? まさかそんな、変な物を食べさせようとするはずが無いわよ」
「そ、そうよ! バカにしないでよね!」
「へぇへぇ、流石お貴族様でやんすね。じゃあなんでサイトだけこんなもん、平気で食ってんだ?」
「流石だね、サイト君。一流の剣士ともなればこれくらいの食事にも動じない、と言う事か。私も見習う必要があるね」
「えっと……まあ、なんていうか。一時期、ロクに飯を食えない時期があって。それ……で……」
取って付けたかのようなウェールズとケイトのフォローに才人は頭を掻きながら応じかけた時。
"赤竜の鱗亭" の薄い壁の向こうから、悩ましい声が聞こえてきて才人の言葉を遮った。
声はやけに艶っぽく、しかしどこかわざとらしくも有り、非常に気まずい空気を場に作り出す。
一同はそれがなんの声であるかはわかる程には大人であったし、無視出来る程大雑把な性格でも無かった。
つまりは、 "赤竜の鱗亭" の2階を利用している娼婦達の一人が、 "仕事" を始めたのである。
「――また、始まりましたね」
「ま、ままままた? さっき終わったばっ、ばかりなのに?!」
「あー、こりゃ二つ隣の部屋だわ。さっきより声が高いし」
「ちょ、ちょっとメアリ! あんた何壁に耳を押し付けて聞いてるのよ!」
「いいだろ? お前はどうかは知らねえけど、あたいはこう見えて "おぼこ" なんだ。いつかサイトの相手する時の為に参考になる事があるかも知れねえだろ?」
「そんな時は来ないわよ! それに私だってマダだし!」
「 "ミス・ゼロ" 、メアリさん、お二人ともはしたな――?!」
「……おおう、すっげえ叫び声だな。『すごいすごい』って声の方がすげえよ」
「……なな、なにが『すごい』のかかかしら?」
「そりゃ、お前」
「だあ! やめろメアリ! ルイズ! ケイト! 殿下の御前だぞ?!」
女三人寄れば姦しいとはよく言った物ではあるが、その会話の内容にたまりかねた才人が三人を止めに入った。
普段は反目し合い、或いはそれ程仲の良いとは思えぬ三人であったが、そこはやはり年頃の娘である。
やはり、こういう事には興味が津々であるらしい。
茹で蛸のように腕まで赤くしたルイズはメアリに食ってかかりつつも意識を壁の向こうに向けている。
ケイトも頬を染め、二人を窘めてはいるもののやはり壁の向こうが気になるのかモジモジとして。
更にあばずれた態度をとるメアリも、言動とは裏腹に顔を真っ赤にして聞き耳を立て続けていた。
「……なんというか……サイト君。すまないね、落ち着かない部屋で」
「いっ、いえ……」
「我慢してくれよ。じじぃの息がかかった、信頼できる宿手配しろって言ってきたのは王子様だぜ? ……うぉ? なんだ? 尻でも叩いてんのかな、あの音」
「し、ししし、尻?! ――お尻を、叩く?! どういう事?!」
「――どんな事をしているんでしょう、か」
「知るか。俺だって手下共の猥談聞いた範囲でしか知らねぇし。ブロウ准尉様は知ってるんじゃねえか?」
「なっ?! なんで私が!」
「だって、どっかカマトトぶってそうだし?」
「しっ、失礼ですね! 私だって侍女がしていた話位でしか――その、まだ経験は……あの……」
「そうよ! あんた急に何を言いだすのよ!」
「そういうお前はどうなんだよ?」
「わ、私ぃ?! そりゃ私だってマダよ! 声や音じゃなくて実際見た事ならあるけれど――あ!」
「み、見ただぁ?! お前、両親のアレでもコッソリのぞいてたのか?」
「のぞきなんてするわけないでしょ!」
「では……では、 "ミス・ゼロ" はどのような状況で?」
「……たまたま、そういった行為を記録してる魔具を見ちゃったのよ。たっ、たまたまだからね?!」
「あー、はいはい。ガッツリみたからこれくらい、なんでもないってか」
「違うったら!」
「……なんというか……サイト君。すまないね、落ち着かない部屋で」
「いっ、いえ……」
居心地が非常に悪いのか。
何時の間にかウェールズは才人の隣に移動して、女性陣の会話をただ黙って聞いていた。
その表情は非常に困ったといった体であったが、ここで本格的に彼女達を窘め会話を控えさせると、ひたすら喘ぎ声を聞き続ける羽目に陥ってしまう。
だからであろう。
ウェールズは才人と "男同士" の会話を交わす為、隣にやってきたらしい。
「む、むこうは放っておいて殿下。これからの事なんですけど」
「ああ、そうだね。とりあえず……コホン。その話をしようか」
「 "アンドバリの指輪" を奪還するに当たって、具体的になにか作戦があるのですか?」
「うむ。実はハヴィランド宮殿で働く者の内、幾人かはこちらに内通している者がいるのだよ」
「へぇ。その辺は抜かりないんですね」
「まあね。で、数日以内に内通者と渡りをつけ、レコン・キスタの指導者クロムウェルから "アンドバリの指輪" を奪還すべくハヴィランド宮殿に潜入する予定なのだが……」
「……何か気になることが?」
才人の問いかけに、ウェールズは眉をしかめほんの僅かな時間ではあったが何かを考え込んだ。
「サイト君。君たちがここに来るまでの間、道中はどんな感じだったかい?」
「道中、ですか? 追手はかけられていましたが……そういえば検問所みたいな物は無かったですね」
「ううむ……やはり……」
「どういうことですか?」
「先行してロンディニウムに入った我々もそうだったのだが、他国と戦争状態にもかかわらず街の警備は穴だらけで、間諜に対して警戒をしているようには見えないのだよ」
「……罠、ってことですか」
「わからない。私が直接ロンディニウムに潜入しているという情報は漏れては居ないと思うが……」
ウェールズはそう言って、再び黙り込んだ。
確かにおかしな話である。
ロンディニウムは戦時中であるアルビオンの首府で、当然敵対国からの間諜に備えて警備は厳重であるのが自然だ。
更に、ラックスフォードで派手に暴れた才人達についても、敵国の工作員である可能性を疑われ広範囲に渡って非常線を張られていてもおかしくは無い。
しかし、その両方ともがどこか不自然に見えるほど警備が手薄く見えて、ウェールズにはどうにも腑に落ちなかった。
「殿下。その内通者ってのは……信頼できるんですか?」
「一応はね。あまり知られてなかったけれど、父上が生前目を掛けていた侍女がいてね。その娘の奉公先を内密に父上が世話をした事があったんだ」
「へぇ! それは凄いですね」
「うん。一国の国王が平民の為に便宜を図るなどと知れたらそれこそ大騒ぎだったのに……まったく、父上も困った物だね。いくら愛人だからって……私がまだ幼い時分の話さ」
「あ、愛人?!」
「む?」
「あ、いや。国王陛下でも、平民の女性を側室にする事があるんですね」
「はは、すこし違うよ、サイト君。側室にしてしまうと身分まで保障する必要が在るだろう? 父上の場合は単に肉体関係の見返りに "多少の" ボーナスを払ってただけさ」
「……で、愛人、ですか」
「そう。身分が高くなると正は勿論、側室の数も多くなるしね。それこそ、夜を共にする順番所か交わした会話の数、果てはどのような格好でまぐわるかまでキチンと管理されてしまうんだ」
ウェールズの説明に、才人は "以前" の記憶を掘り起こして顔を引きつらせた。
それは薄い記憶の彼方、王配として過ごした日々。
才人の場合は王 "達" の相手は自分只一人であったものの、彼女達は皆独占欲が強く、よく "前" の時はどのような事をしたのかと根掘り聞かれていた事を思い出したのだ。
形や身分は全く違うとはいえ、複数の女性を相手にする立場ともなれば悩みは大体似たような物となるらしい。
「その……高貴な方ってのは大変ですね」
「まぁ、ね」
「……そういえば、殿下はアンリエッタ女王陛下と結婚した場合、側室とかどうするんですか?」
「む? サイト君、何を突然?!」
「いや。ほら。殿下ってアンリエッタ女王陛下一筋って感じじゃ無いですか」
「サイト君だって、ミス・ヴァリエール一筋のように見受けられるが?」
「そうですよ。でも俺の場合殿下と違って世継ぎとかそういうの、気にしなくて良いし。側室っていうのは、血が途絶えないようにする意味もあるじゃないですか」
「ううむ、たしかにそうなのだが……うん。もしそうなれたとして、その時は国を取り戻した時だしね。やはり側室所じゃないと思う」
「ああ、そうでしょうね。確かにそれどころじゃ無い状況になるでしょう」
「そうだろう? だから私は精々、アンリエッタとの間に沢山の子供を……」
そこまで話した所で、ウェールズは三つの視線に気が付いた。
何時の間に興味をこちらに変えたのか、ルイズとケイト、そしてメアリが興味を露わにこちらをじっと見つめていたのだ。
あの娼婦の声も何時の間にか消え失せている。
ウェールズは気まずさを覚え、言葉を途切らせたまま、コホンと咳払いをして一言。
「失礼。レディの前でする話では無かったね」
「そんなこと! 殿下、やはり国家安泰の為、側室は多い方が……」
「だ、ダメよ! そんなことしたらきっと殿下は後悔する事になるわ! ね、サイト!?」
「俺にふるなよ、ルイズ」
「妾かあ。……うーん、それもアリっちゃあありなんだろうが……」
「ダメ! 妾もダメ!」
「あんだあ? お前、随分と食いつくな。あれか、本当、トリステイン人ってのは嫉妬深いな」
「そんなの関係ないでしょ!」
「おちついて、 "ミス・ゼロ" 殿。今は殿下の側室のお話です。私はその、愛人でも構わないというか……」
「ほ! お貴族様のブロウ准尉の言葉にしちゃ過激だな」
「な?! み、ミミ、ミス。ブロウ?! 貴女やっぱりサイトの――」
「え?! ち、違います! 殿下の話です、殿下の! ――あ、いやその、殿下、これは私の、その、なんだったらっていうか、例えばのはなしでして……サイトさんまでそんな目で!」
――女三人寄れば姦しいとはよく言った物である。
才人とウェールズは眼前で膨らみ行くかつて自分達が所有していた話題を眺めながら、顔を見合わせてはぁ、とため息を深くつく。
なんとなく彼女達がこれから未来に関わってくる女性の象徴に思え、目の前の困難な任務よりもそちらの方が遥かに気が滅入るような気がした二人であった。
それからしばらくの間女性3名による会話が続いたが、隣室の娼婦が新たな客を取るに至り会話は終わりを迎えて。
結局 "ウォーターリーパーのにこごり" はそれ以上食べられる事は無かったのである。
※現在暫定的に復帰中です。
このSSはArcadia様のサイトでも公開いたしております。
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/1(一章~四章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/2(五章~八章)
リンクはこちら→ガンダールヴは夢を見る。/3( ~最新話)
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