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空想科学祭参加作品

Mono語-モノガタリ-

作者:武倉悠樹
2011.8.16 一部誤字修正
2011.10.9 改題
 ピピピ、と耳障りな電子音が、胡乱な意識の片隅で響いた。
 暖かなシートと心地よい揺れによって誘われていた眠りが途切れる。
 僕は、ボンヤリと目を開けた。ウェアラブル端末のアイグラスが見せてくれる情報がまず視界に飛び込む。電子震網膜式モニターだ。続いて混雑した車内の風景が広がった。眼前の吊り革につかまるオジサンのちょうど左肩辺りに、文字が浮かんでいる。
【-次は町田- -降車予定駅です-】
 これは路線情報。僕があらかじめ電車に乗る時、端末に登録していた駅名だ。前の駅から駅情報を受信し、もうすぐ降車の駅であることを教えてくれる。セットしておけば、視界に文字が浮かび上がるのだから、乗り過ごしようがない。
 寝ている場合に備えて、耳骨震動のスピーカーが連動してアラームまで鳴るのだから、寝過ごす事だってしない。今の僕のように。
 電子震網膜式モニターは角膜や水晶体に位相を合わせず、網膜に直接光学情報を投射し、装着者にしか見えない情報を視界に表示できるというものだ。
 簡単に言えば普通に目の前に広がる景色に電子情報を上書きするようなもの。今のように、電車の乗り過ごし防止に使うなど一例に過ぎない。むしろ、その機能を余すことなく使えておらず勿体無い位だ。
 歩きながら、目的地までの地図を表示する事だって出来るし、公共機関や主要な商業施設は案内図から広告にいたる様々な情報タグをありとあらゆる物に埋め込んで居る。一昔前に流行った携帯のQRコードに商品情報を載せるような物だ。
 僕は、ポケットの携帯を操作する。携帯の画面が、眼前、先ほどと同様、視界の右斜め上に現れる。
中央に表示されないのは、危険防止のためだ。携帯の着信などを視界で表示させることもあるこのモニターは、突発的に情報が視界を塞がない様、様々な配慮がなされている。視界における情報の表示領域のパーセンテージや、意識に働きかける色や点滅の規制。情報の表示位置もその一つだ。
 ポカンと視界に不自然に浮かぶ、携帯の画面に意識を持って行き、手元で携帯を操作する。
 この意識を持っていくと言うのが、ミソだ。
 ここで視線を右斜めに移せば、それにつられて、表示情報も右斜めへ動いてしまう。
 このモニターが普及し始めた頃は、街中の至る所で、中空を見上げる人が続出したそうだ。
 技術の確立から、商業のベースに乗り発展し、社会インフラになるまで時間のかかったこういった情報技術も、今や、風景の一部だ。
 技術の萌芽が囁かれていた当初は、仮想情報空間や拡張現実、パーソナルネット等、様々な呼び名があったが、主要携帯電話メーカーが連携して、NetworkOnGlobal&AugmentedRealtyDiviceと言うインフラとハード、両面からの構想を打ち出し、ユビキタス社会の究極系とも取れる社会の構築を行い始めた辺りから、その名前が定着し始めた。産官学はもちろん、付随する文化までもが、NOGARD構想を後押しし社会への敷衍を働きかけると、この情報技術は瞬く間に普及した。社会の隅々にまでデジタルの情報が行き届き、当初の大層な構想の名前を誰もが忘れた辺りで、それらの技術は日常に溶け込んだ。
 視界から情報が消え、混雑した車中の光景が戻る。
 隣で、穏やかな寝息を立てながら船を漕いでいるサラリーマンのお兄さんを、肩で小突いて起こす。寝るのは結構だが、もたれてこないでくれ。
 電車は徐々にスピードを落とし始めた。駅周辺の、人で溢れ、喧騒に包まれた町並みが車窓から飛び込んでくる。ノイズキャンセリングを行いつつ、音楽を流している僕の耳にすら、その騒がしさが伝わってくるようで、僕は俯き視線を外す。すると今度は混雑する車内に立ち並ぶ脚、脚、脚。色とりどりの靴、鞄、傘。人の多さを感じさせるその光景にも嫌気が差し、まぶたを閉じる。そうすることで、眠りから得られていた安寧を、少しだけでも取り戻すことができた。直に駅につく。それまではこうしていようと僕は思った。
 やがて、緩やかに減速しながら電車は人であふれるホームへと滑り込んでいく。僕は、それを目を瞑ったまま、体に感じる慣性だけで捉えていた。
 町田という駅は、東京都の南西部と神奈川県の北東部を北西東南に走るJR横浜線と、東京は新宿を基点とし、東京の一部を抜け、神奈川県を北東側から海岸線まで南北に縦断する小田急線の交わる駅である。小田急線に於いては新宿の次に栄えた繁華街を要する駅だ。近年、南北に延伸した多摩モノレールの南端の始発駅としても活躍し、終点である西武池袋線小手指駅まで、神奈川県と東京都の多摩地区を超え、埼玉県南部までを南北に結ぶ稀有な鉄道路線として首都圏の鉄道網の要を担う駅の一つだ。多くの商業施設が軒を連ねるのはもちろん、歓楽街としての夜の煌びやかな一面や、周囲に学校文化施設も多く有し、多様な人が行き交う街で、曜日時間を問わず乗降客は多い。
 せわしないアナウンスが響く中、ホームに停車した二分足らずの時間で電車が大量の人を吐き出し、また飲み込んでいく。
 降車する人々の流れに乗り、僕もホームへと吐き出されていた。降りる人を待たないマナーの悪い奴が、人の波を隙間を縫って、車内に体を滑り込ませるように乗り込んでくる。
 そんな人間と肩をぶつけあう。一瞬だけ視線が交錯した。その表情と唇の動きで舌打ちをしただろう事が容易にわかる。もっとも、音楽を聴いている僕にはその舌打ちの音が聞こえることはないけども。
 そんな奴を無視し、目を伏せ、足早にホームへと降りる。階下の改札に降りるべく、エスカレーターに殺到する人の群れを離れ、ホーム中ほどに構えられた売店の脇に、人の流れ中州を発見すると、そこで一息ついた。
 あのまま、人の流れに押し出されていく気にはなれなかった。
 メガネ、ピアス、マスク、帽子。さまざまな形をとったウェアラブルの端末を身に付けた人々は、一様に、一点を見つめ、迷い無く歩いていた。
 電子震網膜式以外の方式を使っている人もいるだろうが、今や拡張現実情報を視界に出力していない人などいないだろう
 おそらく多くは乗り換え情報、現在位置から目的地までのルート、所要時間などを見ているのだろう。はたまたニュース記事や、昨日のドラマの録画を見ている人間も居るかもしれない。同じなのは、誰も周りを見ていないということだ。
 肩が触れ、袖が触れ、鞄が触れ。皆誰しも、隣の人に触れ、後ろの人に押され、前の人の背中を見つめている。それだけ人があふれている。にも関わらず、誰も誰かを見ていない。ただ単に視界に浮かぶ人型のもの。他人などそれ以上でも以下でもなく、意識の主眼は、そんなバックグラウンドビューの上に浮かぶ小さな地図や数字や文字列にある。
 当然、僕だって、そんな一人だ。少し、ゆっくりとしたかったから流れを外れただけである。
 足元に置いていたバッグを拾い上げ、中から、ブックカバーに包まれた文庫本を一冊取り出した。
 表紙を開けば、扉の部分に「ゲノミクスレッド」というタイトルが踊る。内容は近未来が舞台のSFファンタジーヒロイックアクションだ。
 機械生物工学バイオメカニテクス。それはゲノミクスと呼ばれる遺伝子技術が、高度に発達した機械工学との融合を果たし、生物の多様な生態を巧みに利用した科学技術だ。そんな高度な技術で華やかに飾られていた日常が、ある事件によって崩れ去ってしまう。産業を潤していた科学の力が文明に仇なした世界で、異能の力を携え果敢に戦う主人公の活躍を描いた小説である。
 表紙にはDNAの二重螺旋が歯車と絡み合った意匠のデザインが大きく踊る。そして、その片隅には、重なり合うようにデザインされたNとrのロゴマークが見えた。見る人が見れば、この作品がNrサービスに対応している作品だと言うことがわかる。
 リュックを背負いなおすと、ポケットの端末を操作する。
 視界の隅で表示が動く。メニュー画面を操作し、データの階層を降りていく。アプリケーションから書籍リーダを選択して起動。
 Locationnovelのフォルダを開き、先ほど、鞄から取り出して確認した文庫のタイトルをクリックした。
 まず表示されるのは、書影とタイトル。そして、パスコードの入力画面。
 今は紙媒体の書籍を買えば、全てに、版コードと言うものが与えられる。それをネット上で入力することで、その書籍を電子データでも閲覧できるようになるのだ。
 僕は以前に何度も、この本の電子データにはアクセスしているので、入力はオートフォームですばやく認証をパス。
 次の画面に現れるのが、LocationDateLinkの確認項目。
 YESを選択し、次の画面に。
 ページアクセス画面は、あらかじめしおりを挟んでいた217Pを選択。主人公が異形の化け物と市街地で激しい戦闘を繰り広げ、クライマックスへと流れていく、この小説の山場だ。
 一瞬画面が切り替わり、GPS情報の取得と発信を行う。
 現在地がどこであるかを確認すると、次に、周囲の空間のありとあらゆる構造物のデータの取得が開始される。
 書籍データから要求されるタグの種類を判別し、駅の構造に始まり、ホームの長さ、階段の位置や段数。階下に下りれば、東西南北中央、改札がどんな風に設置されているのか。
 様々な物や構造に付けられたタグの中から、公開されているものを取得、読み取り、処理していく。
 Nrサービスとは何か。正式名称は「Novel that reflected infomation on space in surrounding」と言う。直訳すれば、周辺空間の情報を反映させた小説となる。
 Nrサービスの小説はすべて電子的に書かれている。出版されている紙媒体の小説にはもちろん、それらは反映されず、普通に活字を追う分にはなんら変哲のない小説である。
 しかし、それを端末上で電子データとして読む場合は異なった可能性を見せる。そして、それこそがNrサービスの本質である。
 小説中に登場する、ありとあらゆる空間情報、すなわち土地や建物名、方向、距離等にタグが付けられているのだ。そして、そのタグに対応できる、現実空間、すなわち今読者が立っている周辺の情報を端末で取得し、それを文中に反映させるのである。
 主人公が戦い、怪物たちをねじ伏せていく市街地は東京でも大阪でも福岡でもかまわない。レールが破砕され、けたたましい音と共に、傾いだ電車がホームに激突してパニックになる駅は新宿でも、新大阪でも、博多であっても良いのだ。そして、それはもちろん、今僕がいる町田であっても構わない。
 それらの駅の構造、駅出口から繁華街へ続くメインストリートの名称、付近に存在する一番高い建造物の存在、その高さ。それらの情報を余すことなく取得し、本文のタグに沿って、それぞれの情報が置き換えられていく。
 小説のオリジナルの文中では、飛び込む電車は「快速東京行き」だったものが、町田のデータをリンクさせれば、文中の表記は「快速急行小田原行き」へと置き換えられる。窮地に立たされた主人公が逃げ込み、起死回生の策を練るのは、「東京都庁」だったのが、「町田109ビル」へと変貌する。
 リアリティとは、その描写が実際に「ありそう」、と読者に認識させるところにある。
 小説の舞台が、現実に依拠していればいるほど読者の脳裏に浮かぶ光景は克明に、色鮮やかに躍動するであろう。まして、それが、読者の見知った場所であったら。さらに言えば、今眼前に広がっている光景であったら。
 Nrサービスとはそういった可能性を提示する、新しい形の表現手法なのである。
 僕は、ホームから人ごみが引くのを待ってNrサービスを開始する。白熱の市街地戦を繰り広げるアクションノベルを存分に楽しむ為、最寄りの繁華街である町田に出てきたのだ。
 震網膜のディスプレイの右上端に小説の本文を表示させる。もちろん、町田にロケーショナライズされたものだ。
<inprt src="machida_jp.trmnl" plc="715354">
<seane id="P234_a">
<body>
【轟音を上げた「快速急行小田原行きの列車」は自らが生み出す火花に包まれ、ホームに飛び込んでくる。脱輪し、傾いだ鋼鉄の躰躯がいよいよホームとぶつかると、けたたましい金属の悲鳴が鳴り響く。ホームにはびこるクリーチャーは本能のままに人々を喰らい、こちらも血しぶきと絶命していく人々の断末魔が重なり阿鼻叫喚の様相を呈している。】
</body>
 折しも、反対側のホームに列車が滑り込んで来た。もちろん、火花を纏っているわけでも、異形の怪物を運んできたわけでもないが、僕の目にはそんな光景が浮かんだ。列車を降り、視点の定まらないような多くの乗降客が、ホームを行き交う。僕は小説の文章を最大限イメージし、彼らが怪物に襲われる様子を思い浮かべる。
 手元で端末を操作すると、骨伝導のスピーカーが、リズムと旋律を脳裏に刻み始めた。
 この小説がアニメーションとして映像化された時に作られた主題歌だ。低音を震えるように絞り出す女性ボーカルの歌声が、旋律に混ざり始める。今この場で怪物を退ける力を持つのは、主人公、すなわち僕だけだ。
 音量を上げる。
 脳が揺さぶられ、鼓動がリズムと同化していく。
 僕は戦場で、一歩を踏み出した。
 さあ、ここから、展開はジェットコースターのようにめまぐるしく、クライマックスへと突き進んでいく。
 階下の改札口へと、降りた。
<seane id="P236_f">
<body>
【階下はさらなる地獄絵図と化していた。列車の激突とクリーチャーの猛攻から逃げようと、多くの人々が改札に殺到している。すでに改札機としての機能を失い、ノイローゼのように赤く点滅し、警告音を発し続ける無用の長物は、逃げまどう人々の前に立ちはだかっていた。団子状になって押し寄せる人々は、そのゲートの前で通路を絞られ、狭窄した人の流れからこぼれ落ち、押し出された人間から血と肉の塊となってクリーチャーの顎へと消えていく。】
</body>
 反対側のホームからの降客だろうか、中央改札の前に人だかりができている。彼らも、僕のイメージに飲まれ、血しぶきと阿鼻叫喚に包まれる。
 ズンズンと脳内を揺らすように鳴る音楽の低音に合わせて、歩を進める。改札正面の切符売り場を右に見たまま、人ごみを抜けて駅を出た。
 その先のひらけた空間は、町田駅の側を走るメインストリートを挟み、見下ろす形で並ぶ、二股に別れて伸びたペデストリアンデッキだ。ともに、小田急線の町田駅と、JR横浜線の町田駅、そして多摩モノレールの新町田駅をつなぐ連絡通路になっている。
 それぞれの通りには、多くの商業施設が軒を連ね、入り口を構えている。
 乗り換え案内や、時刻表案内。道案内など、公共の情報タグが所々に点在していた駅を出ると、端末に飛び込んでくる情報の量は桁違いに増える。案内ではなく、大半を広告が占めるようになるからだ
 新宿や東京を始めとする、巨大なハブのターミナル駅に行けば、数多の路線案内のタグが浮かぶ光景は目にできるが、言っても、それは公共の情報タグだ。緑と黒が基調の整然とした書式の情報は、目への負担も少ない。それに比べ、商業広告の情報量といったら比較にならない。
 ありとあらゆる色彩を使って彩られるフォントやイラストの数々。ホログラムで立体的に浮かび上がるマネキン。湯気と肉の焼ける音が弾ける飲食店の広告。聴覚には延々とヒットソングやコマーシャルミュージックが押し寄せる。それはもう怒涛だ。情報表示領域の設定上限目一杯まで、きらびやかな光、甲高い音がひっきりなしに表示されては消えていく。
 恐らく、フィルターを切れば、目の前に押し寄せるであろう、色と文字と音の情報の波を想像するだけで頭が痛くなる。
 一定以上のインフォメーションプライオリティの情報タグの表示をフィルタリングできない無料端末は、広告情報などをカットできない。だから、僕は、キャリアが本体価格無料で提供している端末なんて絶対に使わない。震網膜を始めとするテクノロジーの結晶でもある端末は、僕のバイト代では分割してすら厳しい金額だが、それもやむを得ない。
 情報の過度な敷衍は権利の逆転を生み出した。今や知る権利でなく、知らずに済む権利を皆、こぞって買い求めるのだ。
 誰とも会わずに、誰からも何も言われずに、一人静かに自分の居心地の良い世界に居る事。自分のために彩られた世界を纏う事。その為に皆お金を出す。右隣を歩くサラリーマンも。前を歩く初老の男も。左隣の赤ん坊を抱えた母親も。当然僕も。
 駅を出て、二本に別れたペデストリアンデッキの左側を歩く。ショーウィンドウの中のマネキンが赤いワンピースをまとっているが、僕はそれをクリーチャーの卵に見立てることにした。一枚の大きなガラスを打ち破り、粘液を溢れさせた大きな顎が通りを横薙ぎにさらう光景を思い浮かべながら、音楽に体を押してもらうように洋々と歩く。
 すぐ先、別れた通路が合流し、JRと多摩モノレールの駅へと繋がる空中広場がみえてくる。少し離れた位置からでも、待ち合わせの人間やストリートパフォーマンスをする人間など、週末の混雑具合が見て取れた。
<seane id="P247_d">
<body>
【たどり着いたというべきか。追い詰められたというべきか。希望に手がかかったというのにはしかし、鏡介は満身創痍だった。
 状況は絶体絶命の一言に尽きる。広場を取り巻く、コンコースやビルから溢れ出る異形の数々。広場の下を流れる道路には翼や翅を持たない個体が蠢いている。それら全てが、鏡介にとっては自らの命の終わりを覚悟する光景だった。そして、最も危険で強大な絶望は、希望と共にあった。】
</body>
 広場には、その中央にオブジェがあった。曲がりくねった金属のモニュメントはこの広場の象徴であり、「動く彫刻モニュメント」と名付けられた、造形家伊藤隆道の作品は、その湾曲したラインを保ったまま回転し、常に不可思議な様相を周囲に振りまいている。
 そして、その上には、
<seane id="P247_g">
<body>
【そこに鎮座し、満身創痍の鏡介を睥睨する怪物。DRAGON―ドラゴン。遺伝子の海から、切り貼りされて編まれた設計図によって生み出された、自然界には存在しない怪物。】
</body>
 僕は、物語の強大な怪物が構えているはずのモニュメントを見据え、想像をふくらませる。
<seane id="P248_c">
<body>
【もはや、待ち合わせ場所としても重宝された、町田駅のシンボルの面影はそこになく、ドラゴンの足蹴によって、より歪になり果てた鉄塊は、絶望に踏みつけられた日常を思わせた。】
</body>
 駅と駅とをつなぐデッキには、そこから出入りできる、丸井やルミネ、東急といった大型デパートの客や、街の商店街へと向かう人の往来が常に流れている。
 人の流れから切り離されて、陶然とモニュメントを見上げる。週末の繁華街など、僕の目には映らない。目の前に広がるのは、胸踊る空想の世界。余計なしがらみやつまらない日常など差し挟む余地もなく、信念と力のみで、道を切り開くヒーローの武勇譚。
 それが僕の眼前に広がる世界。僕だけの世界。僕だけしか居ない世界。Nrサービスがもたらしてくれる、世界のパーソナライズ。
 携帯端末を操作し、音楽の再生を止める。合わせて、周囲の周波数と位相を合わせ相殺することで機能していたノイズキャンセリングも解除した。途端、飛び込んでくるのは、本来そこにあった雑音。
 足音。遠く響く駅のアナウンスや、車輪がレールを踏みつけて加速していく音。大きな声で空中に話しかけてるのは、電話中の人間だ。こういった人の多い場所では、ノイズキャンセリングをかけている事があたりまえなので、自分の漏らす騒音に頓着する必要はなくなる。ストリートのパフォーマーが必死でアテンションタグを周辺に飛ばし、それをフィルタリングできない無料端末の人間だけが、煩わしそうな視線をパフォーマーに向けていた。人だけでなく、車や機械なども音を漏らすことを厭わないのは必然だ。技術的に可能でも、必要とされない静音性を、コストを上げてまで製品に組み込むことなど誰も求めない。音は流れるままに、渦巻き、吹き出していた。
 光も同様である。皆一様に目線を動かさず、前を見て歩く。それはそこに行き先の方向案内が浮かぶからであり、今現在の日経平均株価の推移するグラフが浮かんでいるからであり、巷間に噂されるアイドルのグラビアが浮かぶからだ。皆自分の見たいものだけを見る。
 誰も、けばけばしい色彩や、胡散臭い文言踊る看板やのぼりになど目もくれない。物理的に見えてなどいないのだから、それが街の美観や景観を損ねたりすることもない。それどころか、そもそも街の美観などあって無いようなものだ。誰もが、街に居ながら、街など見てはいないのだから。
 だから音も光も無秩序に増え、暴れ回る。結果、情報が街を呑み込む。
 街は誰のものでもなくなり、ただの道と化した。そこに集う人も、目的に辿り着く過程の通りすがりでしか無い。今この瞬間同じ街に存在しているという空気感を共有することなど勿論皆無で、街は空気すら失った。
 誰も無関心に成っていった。
 だから、街は人々の関心を繋ぎとめようとしただけである。
 看板に、音を仕込み、光を仕込み。誰もが迷わない様に、矢印をたくさん浮かべ。トイレはこちらですよ。駅への道はこちらです。こんな新商品が出ました、お手に取ってみてはいかがですか。その音楽を好んで聞かれるあなたにお勧めですよ。
 街はそうやって、自分を着飾った。人々に振り向いて欲しくて。
 そうやって、身に色々な情報を纏った結果、五月蝿い、見苦しい、そういって人は一層、目をつむり、耳を塞いで、背を向けた。
 僕もそうした。それが、なにより心地良かったからだ。
 結局、人と街の溝は埋まることがなかった。利便性を追い求めた技術の進化が街を、そこに行き交う人の交わりを、壊したのだ。
 情報タグや広告タグのフィルタリングも切った。
 途端、目の前を飾る極彩色。脳を揺さぶる色や音色が渦巻く混沌とした空間。それが、普段誰も目にすることのない、この街の本来の姿だ。広場の中心で、そんな世界に僕は身を投げた。人と音と光の波に。
 ジャグリングをしながらアカペラでヒットソングを歌うパフォーマーの声が耳に届き、やがて、意味を失った。僕の脇に立つ女子高生の電話の会話も同様に、CMも駅の広報も同様だ。音と音が重なり、互いの意味を消し合っていく。言葉が、音に変わり、音がノイズに変わる。音楽は、メロディーを失い、和音は周囲の音と混ざり不協和音を奏で始める。視界は目の前の回転を続ける鋼鉄のオブジェから、徐々にピントを広げ、何を見るともなく、全体を見渡す。
 パレットに出した色とりどりの絵の具が、それぞれ、混ざり合い、最後には真っ黒に染まっていくように、空気の振動と光の波長が意味を失い、認識の網をすり抜け、ただ、存在として僕に届く。そこには文字も色も形もない。ただただ、光の反射が波となって僕の虹彩を叩く。ノイズと明滅に埋もれた認識。
 そんな刺激をうけるがままにしていると、やがて、周囲の人間が放つ、息遣い、声、温度、それらの存在感も、次第に色を失っていく。身を包むすべてが混ざり合って、輪郭を失う。
 全部聞こえて、全部見えているはずなのに、何も聞こえない。何も見えない。だから、誰もいない。僕だけの孤独な世界。
 右手を少し動かした。視界で何かが揺らぐ。少しだけ注意して、その揺れに焦点を合わせていく。色の無い明滅の中で、揺れは次第に収まり、黒い輪郭を見せ始める。それは文字。Nrサービス。誰も居ないこの世界に広がる、僕の望んだ世界。
<seane id="P248_d">
<body>
【明晰な頭脳を持ち、振るう体躯は鋼よりも固い。身から滾々と溢れる法力は周囲の大気を歪ませる。神話の時代より、人類の恐怖の象徴であり続けた異形へと、それでも鏡介は一歩を踏み出す。その一歩は希望か絶望か。
――グァルルッルルルルルッアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
 ドラゴンが吼えた。今にも、倒れそうな矮小な存在が見せた自分への敵意は、怪物の逆鱗に触れた。
 ドラゴンは、ぎらついた牙の居並ぶ口を大きく開く。リィーン、と、鈴の音のような高い音が響き、ドラゴンの眼前の大気が揺らぐ。まるで蜃気楼のように。やがて、ゆらぎは中空に浮かぶ、光へと収束していく。吼竜砲。射線上の一切を塵と蒸気に帰す、無慈悲な光。怪物の王が振りかざす完膚無きまでの暴力。その破壊の一撃が、今まさに煌く。
 「さぁ、行こうか、鏡介」
 鏡介の口元には、力ない笑みが宿っていた】
</body>
「さぁ、行こうか、鏡介」
 僕は小さく、主人公のセリフを呟いて、再び目を開いた。僕だけの世界で。
 音楽を再生。旋律が、再び僕の世界を彩る。
 主題歌のインストゥルメンタルに金管楽器や激しいパーカッションを織り交ぜ荘厳な調べに編曲したものだ。それはアニメの作中、主人公が単身、ドラゴンと切り結ぶクライマックスシーンに流れている曲。
 物語は佳境だ。
 街と同様に、人々の関心を失い、無用の長物と化した広場のオブジェを後にし、僕は歩き出す。
 眼前を横切り、周囲にうずまく大衆は、すべて、有象無象の化物ということにしてしまう。広場を出て、多摩モノレールの高架に沿って拓かれた通りに向かって北に階段を降りた。ビルからビルに跳び、強大な怪物と切り結ぶ冒険譚の主人公に自分を重ね、周囲を見渡す。全面タグ張りのテナントビルを自在に飛び回るのはさぞや痛快だろう。
<seane id="P253_a">
<body>
【鏡介は、街を、翔んだ。廃墟となったビルの窓を床とし、蒼穹を横目に見て、重力を置き去りにする。全身を感覚器として研ぎ澄ませ、右に左に、大地に天に。
 鏡介が翔けた空間を、刹那遅れてドラゴンの暴力が薙いで行く。
 轟音と共に崩れていく文明の伽藍が巻き上げる砂塵を切り裂いて、小さな人間一人に、巨竜が一体。
 鏡介は、生と死の境目をつぶさに峻別し、命を繋ぎ留める。
 足を止めれば、死。判断を誤れば、死。
 極限の連続から紡ぎ出した時を雌伏し、狙うのは一瞬。天佑とでも呼ぶべき、ほんの僅かな希望。強大な力を打ち崩す、針の先ほどの綻び。】
</body>
 広場から階段を降りた先は、モノレールの高架を利用し張られたアーケードだ。テナントの店舗こそ無いが、十数メートルにも及ぶ広い道幅を有した通りは、週末で歩行者天国となっている。通りの左右には、簡易のテントが立ち並び、露天商が軒を広げていた。
 その通りを北に歩く。
 頭上に戴くモノレールの駅も、作中では無残に崩れ去り、街と街とを結ぶ交通の要は瓦礫の山と化していた。
 音楽のリズムと旋律に、歩みを乗せ人波をしばらく行くと、通りと垂直に交わる様にして、もう一本別の通りが覗く。旧町田街道から続くこの通りは、古くから町田のメインストリートであり続けた通りで、新旧多くの店々が賑わいをかき立てている。その通りへと右に折れる。
 そこにある通りが新しかろうが、古かろうが、眼前に浮かぶ光景に違いはない。あるのはただ、人と情報タグだけ。それは、ただ通りすぎるだけの、作られた関心と無関心の交差する光景だ。
 そんな中でただただ、僕は、僕の世界を読み進める。目的地は、すぐに見えてきた。そこは、情報うずまく街にあって、切り取られた静謐な空間。
 ビルと商店との谷間に、その荘厳な佇まいを構えるのは寺院だ。
 平時は参拝を禁じているのか、境内への入り口にはそれとなく、柵が設けられていた。
 神社仏閣などでも、昨今は観光客向けにガイド用のタグを多く埋め込んでいるところも少なくない。しかし、周囲の繁華街からは場違いなほどの、切り取られた様な異空間の佇まいに、僕は淡い期待を抱いた。柵の前に手をかけて立ち、アイグラスのフィルタリング機能を切ってみる。
 ここで、本来なら、溢れ出るほどに飛び交う情報が押し寄せるはずだった。そして、かすかな嘆息と共に、僕の期待も失せるはずだ。
 しかし、僕の予想に反して、期待にまさか応えてくれるかのように、依然として視界に映るのは、真っ直ぐに続く石畳と、厳とした本殿のみだった。
 僕は驚いて頭を振る。後ろを振り向けば、途端にタグが視界を埋め尽くした。ありとあらゆる商業広告の嵐だ。
 慌てて目をつむり、寺へと向き直る。恐る恐る、目を開き、僕は、ほぉと息を付くと、もう一度、改めて驚いた。
 勝手気ままに語られ、人の意識へと潜り込もうとする情報は、一切そのなりを潜めていた。目に映る物だけが、そのままに目に映る光景。今の街にあって、それがどれだけ異質な空間を生み出すのかを僕は知った。
 唯一、浮かんだタグといえば、柵の脇。通りに向けて構えられた門の門柱に、申し訳程度に浮かぶ「日蓮宗浄運寺」の文字だけだ。タグのリンクには、情報のファイルが添付されている。タイトルを読むと、寺の来歴について解説されたファイルのようだ。情報がほしい参拝客はこれを各自開けということなのだろう。あくまで境内にタグは無い。
 タグに導かれたどり着いた物語の終幕は、日常から切り取られた非日常の空間で繰り広げられていた。
<seane id="P262_d">
<body>
【「ぐがっっはっ!!」
 体の一部を抉り取られた衝撃と、神経の中を爆ぜながら脳天へと突き上がる激痛で、鏡介の体勢が崩れる。跳躍力の慣性にならって曳かれた血の放物線を残し、アスファルトに転がり落ちる鏡介。反転する視界の中で、ドラゴンの怒り猛る瞳と目があった。
「もう、駄目、か」鏡介は、自らの命を絶望した。
 その爪か。その牙か。その法力か。その脚か。
 元々、反撃の余裕などなかった。そこからさらに回避に移る暇すら剥ぎ取られた自分を、いよいよ捉えたドラゴンが、放つ止めの一撃は何か。
 伏せた姿勢から見上げるドラゴンの巨体が発する威容に押され、鏡介は、必死で抑えこんできた弱く昏い感情が、心を満たしていくのを感じていた。】
</body>
 僕は、周囲を見渡し、門扉や柵の付近に「立ち入り禁止」の文言がないことを確認すると、隙間から境内へと身を乗り入れた。完全に門扉で閉ざされている訳でもないし、見咎められたとして、すいませんと一言謝りすぐに出ていければ問題ないだろう。
 石畳を歩き、大きく息を吸い込んだ。
 音楽は切って、ノイズキャンセリングだけを働かせている聴覚には無音がしっかりと響いた。
 本殿と、その周りの大樹を望む角度を変えるように、境内をさまよう。少し歩いたところで、境内や木々の影に隠れ、寺院裏手に林立していた街のビル群が視界から消えた。名実共に、街から切り離された空間。
 僕は側に小さな、木陰を見つける。石畳から外れ、木の根もとに腰を降ろして、天を仰ぐ。何も書かれていないまっさらな空を見上げて、文字を浮かべ、世界を上書きしていく。
 小説の残りも、あと、もう少しだ。
<seane id="P268_d">
<body>
【慌てて、身を起こし体を捻ると、後方を振り仰ぐ。そこには、瓦礫の街にあって、尚、気高く居住まいを置く寺院があった。
 結界。ここは、鏡介が、町田駅から逃避行を続け、逆転へ一縷の望みを託した場所だった。
 この辺りで、法力を溜めこみ、聖域を保持出来る様な宗教施設は、ここしかなかったのだ。そこに、鏡介は、辛うじてなりとも命と希望を繋いだのだ。】
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 結界。物語では、この街中に佇む寺院を、ドラゴンの猛威を凌げる様に仕立て上げ、主人公の起死回生の一手としている。周囲から隔絶され、切り取られることで成り立つ聖域。そこに今、自らも居るのだという安堵が僕を包む。
 光の爪も、音の牙も、僕を追い立てる情報のドラゴンの力はここには届かない。安心して、僕が僕だけの世界に居られる。まさにここは僕の逃げこむべき結界だった。
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【鏡介は、剣を杖に、立ち上がる。
 即席の結界など、ドラゴンがその気で法力を搾り出し、放てば、吹いて飛ぶような代物にすぎない。
 残された道は、文字通り、全身全霊、生死を掛けたクロスカウンターのみだった。
 聞いた音が響く。大量に血を流し、もはや残り僅かになった血の気がさらに引く甲高い鈴の音のような音。そして、視界を満たしていく光。時は、直に、来る。
 目の前の倒すべき敵を臨む。光と音は、まさに極まっている。溜め時間は、一発目の時より遥かに長かった。全力である。
 ふぅぅ、と深く息を吐く。剣を引き抜き、構えた。
 鏡介も、残された全力。搾り出せるだけ搾り出した集中力と体力を以て、挑む。
 今、最後の一閃が双方から放たれ、交差する。
 爆炎と法力と弩風が、空間を満たした。】
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 空に浮かんでいた文字が突如消えた。しかし、これはバグなどではない。紙面で一度読んで居たためにすぐに分かった。これは本文の忠実な再現だ。
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 戦いの終幕が告げられた後、挟まれる四頁の空白。二頁の見開き二回分を白紙で彩るという表現で、戦いの壮絶さが描かれるという演出である。過去に、活字で物語を追ったとき、手に汗握るクライマックスの展開を読み進め、頁をめくる速度と共に物語へとのめり込んで行っている最中のこの演出に、虚を突かれた。物語が終わっていくのを感じ心を打たれた。
 この作品のもっとも好きな部分の一つだし、Nrサービスで楽しむためとは言えわざわざ週末の町田に出てくるのを厭わないくらい、この作品に思い入れを残してくれた演出でもある。
 しかし、なぜだろう。
 活字で読んだ時の様な感動は、浮かんでこなかった。
 もちろん、何度も読み返した本だ。初めて読んだ時の様な胸を打つ感情が湧いてこないのは当然だろう。だけど、幾度と無く読み返した時だって、この演出の部分には、それなりの感慨を抱いていたはずなのに。
 消えた文字から、ピントが外れ、目の前に広がる静かな境内が目に留まる。物語で夢見た世界が、現実の目の前に広がりながら抱くはずだった感動。感慨。それらは一向に湧いてこず、むしろ、得られると思っていたものを手に出来なかった虚無感だけが大きく広がっていた。
 その差異はどこから来たのか。
 他者を排除し、欲望読み取り、望む世界だけを映しだしてくれる筈のアイグラスに映らない、僕の望む何か。それが、目の前の静謐な空間には欠けていた。
 でも、それが、何かはわからない。この冒険譚に僕はどんな夢を見ていたのか。
 やがて、Nrサービスのオート機能が、白紙の見開きから、エピローグ部へと頁をめくる。
 僕は、得られなかった感慨の理由を探す間も無く、再び、文字を追った。
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【最後の一合で、ドラゴンを貫いた鏡介は、しかし、ドラゴンの吼竜砲の余波を浴びた。境内を派手に吹き飛び、賽銭箱を砕いて浄財を撒き散らして本堂に突っ込んだ。それでも勢いは衰えず、閉ざされた戸を砕き割りながら、板間を破片と共に転がり進み、結局、本尊を奉る鍵のかけられた厨子の格子戸に激突した所で止まった。意識は、賽銭箱の時点で途切れていた。
 戦いから、どれだけの時が経っただろうか。開けていく視界と共に、自分の命がまだ終わってないことを知った鏡介は、一言、「マジかよ」と、自らの勝利に驚いた。
 明かりがなく、薄暗い本堂に、自分が吹き飛ばしたのであろう割れた戸から、光が差し込む。
 遠くに目をやれば、倒れこんだ巨大なドラゴンの亡骸。そして、更に巨大な、コンクリートの瓦礫の山。街の亡骸が覗く。失われたものの大きさは、この結果が諸手を挙げて喜べるような勝利でないことを意味していた。
 その無残な光景から、しかし、鏡介は目をそらさない。
 栄光の勝利ではないかもしれないが、その鏡介の力強い瞳が、異形の怪物達との戦いが、敗北でないこともまた物語っていた。
 瓦礫の向こう、今まで雲に隠れていた夕陽がその顔をのぞかせる。茜色の光が、本堂にまで差し込む。
 眩しさに、手で光を遮ろうとした鏡介は、激痛とともに、自分の体がまともに使い物にならない事を知った。
「っっっが!! ってぇー、おい。洒落になんなくね、これ。俺、このまま、ここで力尽きそうな気がしてきた」
 そんな、軽口を叩いた鏡介に届く光を遮る影。人の形をしたそれは、段々と大きくなっている。近づいてきているのだ。夕陽を背にし、逆光で顔は伺えなかったが、その影を見て、鏡介は笑った。そして、腹筋の上げる悲鳴に声を殺して悶絶した。
 その痛みの中で、街が瓦礫になったって、また、建て直せば良いと鏡介は前向きに思えた。
 自分には約束を果たす相手がいる。帰りを待ってくれていた人がいる。
 鏡介は、痛みで再び薄れていく意識を辛うじて繋ぎとめると、影に向かって一言呟いた。
「勝っ、たぞ、り……ん…………」
 搾り出した声が、影に届いたどうか、確かめる間もなく、鏡介は、再び、眠りについた】
【StoryOver】
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 最後に、Nrアプリケーションのシステムメッセージが浮かんで、文字は、僕の世界は消えた。
 ラストシーンを読んで、尚、さっきまでの虚無感は消えなかった。再び閑静な境内の景色が視界に広がる。物語のラストと同様、辺りは暮れなずんでいて石畳はほんのり茜色に染まり始めて居た。西日に目をやり、一瞬眩しさに視界が霞んだ。
 その時だ。僕は、光のなかに人影を見た。
 さっきまで目にしていた文字からイメージしていたラストシーンがフラッシュバックする。作中で、断定はされていないが、明らかに、満身創痍で倒れる鏡介のもとに駆けつけたのは、ヒロインの凛だ。
 では、今、僕の前で、夕陽を背負っている影は一体誰だ。
 慌てて、腰を下ろした木の根から立ち上がろうとする。少し、前のめりに成りかけながら立ち上げりかけ、不意にアイグラスが顔からずり落ちた。
 カラン、と乾いた音を立て、アイグラスが地面を軽く跳ねる。僕は勢いのままに立ち上がり、アイグラスを拾うのも忘れて、立ち尽くしていた。
 影は、消えていた。
 僕は誰も居ない茜色の境内に呆然と立ち尽くしていた。
 アイグラスが外れ骨伝導のノイズキャンセリングが働かなくなったことで、寺院の外の喧騒が耳に飛び込んできて、僕は我に返る。
 今の影はアイグラスが見せた幻影だったのだろうか。だとすれば、僕は影を望んでいることになる。アイグラスは欲望を写す鏡なのだから。僕は誰かを望んでいたのだろうか。
 通りを見やれば、相変わらずの人の波だった。
 少し、視線を上げる。そこには僕の帰る場所が、帰らなきゃいけない場所があった。瓦礫と化していない、夕日に染まった街の姿が。
 だが、それは確かに瓦礫だった。そこにドラゴンは居ない。しかし、関心と無関心の交差が食いつぶした、街の成れの果てが、僕には瓦礫に見えた。
 刃を持てない右手で、アイグラスを拾い上げると、僕は、NOGARDが呑み込んだ瓦礫の街へと歩き出した。重たい足取りで虚無感を引きずりながら。
 どうも、武倉です。はじめまして。こんにちは。おひさしぶりです。ごめんなさい。
 新作です。
 SFです。
 難産でしたが、なんとか祭の企画期間内に仕上げることができました。当初掌編だったつもりが、短編にふくれあがって、オンギャアと計り乗せたら6000グラムです、みたいな。
 どうぞ、可愛がってやってください。

 片時でも、楽しんでいただけたでしょうか。この作品はネットの競作企画「空想科学祭2011」に出展しております。もしよろしければ、そちらの方も覗いてみてください。色んなSF、てんこ盛りですので。
http://sffesta2011.tuzikaze.com/
空想科学祭2011 cont_access.php?citi_cont_id=745016580&s

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