「たどり着けなかった……?」
「ええ、一心サンの傷は深く、瞬歩を使ったためにその力の消耗が一層激しかったのでしょう。
志波家まであと少しのところで襲撃者に追いつかれてしまったのです。
一心サンは自分が食い止めている間に志波家に駆け込めと真咲サンに言ったそうですが、真咲サンは、聞き入れなかったそうです。
けれど、それが二人に幸いしたのかもしれません。
後でわかったことですが、志波家には既にこの時、王属特務の手が伸びていたようですからね。
真咲サンが一人で志波家に逃げていたら、そこでアウトだったでしょう」
「しかし、それでどうして二人は現世に逃れられたと?」
「真咲じゃよ。
あの日、現世のこの店の裏におったワシの目の前に、突然一心を抱えた真咲が現れたのじゃ」
「穿界門を通らず、どうやって?」
「真咲にもわからんと言っておった。
ただ、一心を死なせたくない、助けたいと、一心の言うとおりワシらの元に行かねばと思ったとき、目の前に霊絡の様な物が見え、ワシのところに来れたのじゃと」
「そんなことが……」
ルキアがうめくと浦原がもてあそんでいた扇を額に当てて
「今回、夜一サンが手に入れた情報によると、真魚というのは隔てられた異空間を行き来する能力があるらしいんです」と説明するが、王廷に至ることができるというところは、敢えて口にしなかった。
「その時の真咲サンの一件でアタシは、空間転移に興味を持ちまして、この二十年余りちょっと研究してはいたんです。
おかげで先の破面戦争のときに色々役立ったわけなんですが、真魚という存在は、まだ色々とわからない部分があるようです。実に興味深い」
妙に熱のこもった口調に、夜一が非難がましい視線を送ったのに気づいて、あわてて浦原は話を元に戻した。
「アタシは夜一サンを通じて、岩鷲サンのお父様に一心サンたちの無事をお知らせしました。
お父様は一心サンに「男が一度守ると決めたことは何があっても守り抜け」とだけ伝言を託された。
すべて承知のうえで、志波家は汚名を被ったままでいることを選んでくださったのです。」
岩鷲は、それが、父らしい決断だと思った。
瀞霊廷の大きな屋敷を出ることになったあの日も、嘆く使用人達をよそに、父も姉も、笑っていたのはそういう理由があってのことだったのか。
「まあ、そんなわけで
現世にやってきた一心サンと真咲サンですが、一心サンはその時の傷が元で死神としての力を失ってしまいました。
自らの霊力を封じ込めた真咲サンは、一心サンと現世で共に人として生きることを望み、アタシは彼らを霊子変換で器子に変え、現世での生活の手助けをさせてもらったんス。
その結果だけ見たら、たしかに駆け落ちしてきたのと同じになったわけッスね」
そこまで言うと、浦原は特にルキアの方にまっすぐ視線を合わせ告げた。
「真咲サンは、王家にとって宝であるはずの真魚だった。
それが、何故暗殺の命を下されたのかアタシ達にはわかりません。
その王命が、真咲サン亡き今、子供達にまで及ぶのかどうかも。
ただ、アタシ達に言えるのは、彼らにはこの先どんな危険が降りかかるかわからないということです。
だから、彼らに力をつけさせてやりたかったんです。
自分の生きる道を、自ら選び取っていける力をね。
しかし、朽木サン。あなたは護廷の死神だ。尸魂界に帰る場所もある。
アタシ達と違って、今ならまだ引き返せます。
この先彼らに関わり続ければ、貴方にも危険が及ぶかもしれませんよ」
だからなんだとルキアは言おうとしたが、その口元を浦原は扇で止め、
「たしかに貴方は一護サンに助けられた。
でもね、もう一度よくお考えなさい。
事は一時の感情で決めてしまえるほど軽くはないんですから」と優しく諭した。
同様に岩鷲にも声をかける。
「そして岩鷲サン。志波家の次の当主は貴方だ。
この先何かあった場合、志波家の立ち位置をどこにおくか、貴方もそこをよく考えなくてはいけません」
「姉ちゃんは」
「空鶴サンは、貴方に志波家のすべてを任せるとここに書いてあります。
確かにお父様が亡くなったとき、お兄様も既になく、貴方は幼かった。
空鶴サンがその貴方に代わって今まで志波家を守ってきました。
しかし、もう貴方も子供じゃない。後は自分の目で見て、ご自分が判断しなくてはいけません」
浦原の言葉に、ルキアも、岩鷲も、決断のときが来ていることを悟ったのだった。
「親父とお袋が現世に来た経緯はだいたいわかった」
黒崎家の和室で父の話を聞いていた一護は、そう言うとがりがりと頭をかく。
正直、一護も妹達も尸魂界にいたのは短い期間。
真魚だの、王属特務だのと言われても、いまひとつピンとこないのだ。
わかったのは、自分達が人間ではないと言うことと、空鶴姉弟の従兄弟だということ。
そして母が尸魂界で命を狙われる存在で、父と共に現世に逃げてきたということくらいだった。
以前、
霞大路瑠璃千代という貴族の令嬢が命を狙われ、現世に逃げてきたことがある。それと同様の何かがあったのだろうと一護たちは思っていた。
その一護がおもむろに顔を上げて、父に白い目を向ける。
「で? 親父は連れてきたお袋に手ぇ出したってことか?」
「野獣だな」
夏梨も言い放つ。
「ばっ、馬鹿野郎! そんなんじゃねえ! 現世で暮らすうちに愛が芽生えたんだよ! 愛が!!」
一心の言葉をまるで信じられないというように、一護が肩をすくめる。
「親父はそうでも、お袋がその気になるはずねえだろ?」
「同感だね」
兄の言葉に夏梨がウンウンと肯く。
「なにおぅ! これでも尸魂界にいた頃なんか、モッテモテだったんだぞ!
町を歩けば「キャー!一心さんよ!ステキー!!」とか女の子が寄ってきて、煩いくらいだったんだからな!」
「そりゃないだろう」
「ないね」
「お父さん。無理しなくてもいいのよ」
遊子にまで見放されて、一心は真咲の位牌を抱きしめて泣き崩れる。
(まあ、モッテモテっていうのは無しにしても)
打ちひしがれる一心を見ながら、夏梨は、母が一心に惹かれたのがわかる気がした。
かつて、巨大な虚に叩き潰されそうになったとき、目の前に翻った白い羽織。
自分とたいして違わない背丈の少年の背中が嫌に大きく見えた。
きっと、母にとって父はヒーローだったのだ。
たとえ力を失ったヒーローでも、ずっと共に生きたいと願うほどの……。
父が死神だったこと。
父と母が尸魂界を逃れてきたこと。
どちらも驚くに値する。
けれど、それまで漠然としていた自分達の中にあるものの正体に一歩近づき、向かうべき相手が見えてきたことで夏梨はかえって肝が据わった。
母を狙った連中が、自分達をも狙うのだとしたら、丁度いい、母の分までぶん殴って謝らせてやると思う。
それに、
今胸を占めるのは、微かに灯った希望のような感情だった。
(あいつと同じ時の長さを歩けるかもしれない。
今はまだ遠いことに変わりはないけれど、可能性はゼロじゃない)
夏梨はちらりと兄を見る。
きっと一護も同じことを感じているだろうと思った。
(よかったね、一兄)
空座町に雨が降る。
少し前から降り出した雨が、アパートの窓に叩きつける音をBGMに、恋次は床に寝転び漫画雑誌をめくっていた。
雨は次第に勢いを増し、それ以外の音を掻き消して、足音も、ドアを叩いたかも知れぬ音も聞こえなかったけれど、恋次は幼馴染の気配を感じ取り、読んでいた雑誌を放り出して立ち上がる。
ドアを開けると、そこにずぶぬれのルキアが立っていた。
「何してんだよ、おまえ。いくら義骸でも風邪引くぞ。中入れよ」
ドアを片手で押さえ、ルキアに入るように促したが、ルキアは俯いて立ち尽くしたまま動こうとはしない。
髪から滴る雫が、コンクリートの床に点々と染みを作っていく。
「恋次」
「なんだ?」
「私は、双極の丘の磔架の上で、一度死んだ」
ルキアの言葉に恋次は眉を寄せる。
俯いたままのルキアの髪から雫が輪郭をなぞり、顎からまた床に落ちる。
「あの時、私の人生は幸せだったと……そう思えた。
おまえと出会い、義兄様に拾われ、仲間に導かれ、本当に幸せだったと……」
恋次は黙って、俯くルキアを見下ろしている。
「だが、おまえや一護に、もう一度この命を貰った。
……この命を、あやつのために使ってもいいだろうか……」
そういって顔を上げたルキアの紫の瞳は、迷いがなく、とても綺麗だった。
かつて、朽木家への養子話を相談されたときの目とは違う。
引きとめて欲しいのでない。
今、彼女は背中を押してもらいたいのだ。
自分はそれを見誤ったりしない。
恋次は、小さく笑うと、そのずぶ濡れの黒髪に、大きな掌を乗せた。
「馬鹿野郎。おめえの命だ。どう使おうがおめえの自由だろ?」
「恋次」
「どうする? 上がって服乾かしていくか?」
「いや、いい。もう帰る」
(帰る……か)
それを聞いた瞬間、恋次の胸が痛んだが、もうずいぶん前からこうなることがわかっていた気がする。
二年前、白哉の刃に倒れた少年に、自分の制止を振り切ってまで走り寄ろうとしたルキアを見たときから、今日の日の予感はきっとあったのだ。
「もう遅いかもしれねえけど。傘ぐらい持ってけ」
恋次は、立てかけてあったビニール傘をルキアに握らせた。
「すまぬな」
そう言ってルキアの顔が泣きそうに歪むのを、恋次は微笑んだまま見つめる。
「風邪引くなよ」
恋次の言葉に肯くと、ルキアはくるりと踵を返し、そのまま振り返ることなく走り去っていった。
「ルキアちゃん、おかえり」
ルキアが黒崎家に戻ると、いつもと変わらぬ遊子の声に迎えられた。
「なんだよ、おまえ。ずぶ濡れじゃねえか。風呂ちょうど空いてるから入れよ」
普段と変わらぬ様子で一護が声をかける。
遊子が出してきたタオルをルキアに渡し、夏梨は「着替え適当に出してくるよ」と、二階にかけ上がっていった。
ソファに座った一心を振り返ると、優しい微笑が返ってくる。
ここはもう自分の家。ここにいるのは自分の家族。
義兄に庇護されて、朽木家で暮らした数十年は、今にして思えば幸せだった。
けれどここは自分で見つけ、自分で選んだ居場所。
この先なにが起ころうと、自分が在るべきところは彼らの傍だと、ルキアは心に決めた。
「遊子、何してんの?」
ルキアが風呂に入っている間、遊子が自分達の部屋からルキアの布団を運び出しているのを見て、夏梨が不思議そうに声をかける。
「あ、ちょうどよかった。ルキアちゃんの布団、おにいちゃんの部屋に運ぶの手伝って」
「ちょっと、遊子。アンタなにを……」
呆れる夏梨の鼻先に、びしっと遊子が指を突きつける。
「夏梨ちゃんだって、ルキアちゃんにお姉さんになって欲しいって思うでしょ?」
「そりゃあ、思うけど……」
「お兄ちゃん、ああ見えて押しが弱いじゃない? この位した方がいいと思うの」
「……」
遊子は何処までわかって言ってるんだろうと、思ったが、確かに決定的な障害がなくなった今、ぜひともここは兄に頑張って欲しい。
もし、ルキアが嫌だと思うなら、織姫のところでも、恋次のところでも行くだろうし……。
自分達のしていることが急におかしくなって、
「私たちってさあ、妹の
鑑だよね」と夏梨が笑うと、「ねーっ」と遊子も笑った。
ふたりはルキアの私物を一護の部屋に運び、自分達の部屋の扉に【ルキアちゃんの部屋はあちら】と書いた紙をテープで貼る。
そして、兄の健闘を祈りつつ、ルキアが自分達の部屋に入ってこないように、ドアの内側にバリケードを築いていった。
夏梨はなんだか、小さい頃の悪戯みたいにわくわくしていた。
となりを見ると、遊子も楽しそうに衣装ケースの上にぬいぐるみを重ねている。
その足元で、新しい家族になった子猫のラクが、興味津々と言った様子で成り行きを見守っていた。
「夏休みもあと五日かあ。今年は全然泳ぎに行かなかったなあ」
夏梨が思い出したように呟く。
「せっかく新しい水着買ったのにね。明日からは宿題頑張らなきゃ……ああっ!」
とつぜんの、遊子の大きな声に、夏梨はびくっと、身体をこわばらせた。
「な、なに?」
「大変! 夏梨ちゃんどうしよう!」
「どうしたんだよ」
「夏休みの日記どうする?」
遊子に言われて、夏梨もハッとした。
そうだ、小学生でもあるまいに、ウチの中学校は夏休みの日記が宿題としてあるんだった。
「あの世に、行ってましたなんて……書けないよねえ?」
遊子が弱々しい笑顔を浮かべ、夏梨を見ている。
「死神と斬り合いしてましたなんて、書けるわけないよなあ……」
夏梨の口元もヒクヒクと引きつっていた。
「作り話考えるにしても一か月分だよ。考え付かないよ」
「だ、大丈夫だよ。実際にあったことをちょっといじって書けばいいんだ。
翠子には、夏休みの間中、親戚の家に行くって言ってあるんだし。
実際、空鶴さんちは親戚だったんだしさ、嘘じゃないでしょ?」
「変えるって、どうやって?」
「そう、たとえば……親戚の空鶴さんは花火師さんで、鬼道……じゃなくて、手品が得意とか」
「そっか、私は空鶴さんに手品を教わって」
「私は剣八おじさんや、舎弟さんたちに剣道を教わった」
「ボニーちゃんはペットの豚ちゃん」
「乱菊さんは、お隣の家のセクシーなお姉さん、それで……」
夏梨の頭の中に、ふいに浮かんだ少年。でも、それを他の誰かに置き換える気にはなれなかった。
(あいつは、やっぱり死神の隊長だよ)
急に黙ってしまった夏梨を遊子が覗き込む。
「夏梨ちゃん?」
「あ、あと温泉。温泉も入ったんだぜ」
夏梨は、あわてて明るい声を出した。
「ええーっ、いいなー。でも、いいもん。私はラクと会えたし。ねー、ラク?」
「ミャァーオゥ」
遊子の言葉に答えるように子猫が鳴いた。
二人はバリケードを築きながら、尸魂界で出会った人々、過ごした日々を懐かしく思い返していったのだった。
夏休みが明け、以前と変わらない日常が、二人に訪れた。
いや、正確には以前と変わったことがある。
夏休み前までは、あれほどやかましかった、遊子への恋の突撃訪問や、夏梨への挑戦者が、このところ急に途絶えたのだ。
「おかげで、平和だからいいけどね」
なんか腕がなまっちゃうなーと、肩をまわす夏梨を、ドニーやリョーヘイ達は複雑な思いで見ていた。
彼らはその理由を知っている。
夏休み明けに皆で見せっこしたあの日記が原因なのだと。
アレ以来、黒崎姉妹にはその筋の親戚がいるらしいという噂が、学校中、いや近隣の学校にまで広がった。
遊子や夏梨に手を出すと、片目の親分さんや、スキンヘッドのオニイサンたち、片腕のお姐さんがとんでくるかもしれないと聞けば、誰でも尻込みするだろう。
(二人がいいやつだっていうのはわかってるんだけど……)
今後の付き合い方について、彼らも改めて考えさせられるのだった。
<とりあえず、完>