逃げていても始まらない -2
食糧はとっくの昔に底をついていた。だが、空腹感は無かった。それだけじゃなく、眠気に襲われることも、どれだけ時間を経てもなかった。
故に二人は、初日とモンスターの出現を待った二日間を除き、四日の間ずっとダンジョンの奥へ奥へと進み続けている。
必ず突き当りに存在する螺旋階段も、二人は既に98回は降り進み、ダンジョンの99階層に辿り着いていた。
「お、突き当りっぽいな。今ここって何階層目だっけ?」
「99階層目だ。次で100階層目になるな」
「ひゅー、よくちゃんと数えてるな」
「当然だ。恐らくこのダンジョンに来るのは我々が初めてだ。なら、後続の者のために何階層まで存在しているかはしっかりと調べなければ……戻る時のことも考えなくてはならないしな」
そう言うと、メノウは頭に被っているハット帽子の中からメモ帳を取り出してキリっとした表情を見せる。だが、鏡はどうでもよさそうにあしらうと、下の階層に続く、直下型の螺旋階段のある巨大な穴へと顔を覗かせた。
「ん? おいメノウ。ここ螺旋階段になってないぞ」
今まであれば、円形の穴の側面に沿うように螺旋状の階段が続いていたが、今回はその階段は存在しなかった。それだけではなく、穴の中の壁は青緑色の光で発光しておらず、真っ暗な空洞となり下へ下へと続いていた。
「これは……行き止まりなのか? それとも落ちろということなのか? どう思う鏡殿?」
「行き止まりって言われても穴はあるしな、落ちろって言われても先が全く見えないし……さすがに俺もかなり高いところからだと助からないし、どうするかな」
とりあえず試しにと、鏡はこのダンジョンで得たお金を入れて巨大になっている袋の中から1シルバーを取り出して穴の中へと落とす。
聞き耳をたてて音が跳ね返ってくるのを待ったが、音は反響せず、いつまで経っても静まり返ったままだった。
「よし、帰ろう鏡殿。手に入れた金もそろそろ運ぶのも大変になってきたし、何よりこの金を持って跳び下りるのは自殺行為すぎる」
「ええ!? ここまで来てダークドラゴンに会わずに帰るの!? 絶対この下にいるって!」
「危険すぎる。それに、私は元々鏡殿がダークドラゴンと戦うのは反対しているのだ。潮時だろう? 成果はあったのだ……ここはおとなしく帰……って鏡殿? 何をしている?」
鏡はメノウの提案を無視し、お金の入った袋を穴の中へと投げ入れると、背中のリュックサックの中から二本のナイフを取り出し、穴の壁面に力で強引にナイフを交互に突き刺して、ゆっくりと降下を始めた。
「メノウはここで待ってろ。俺が下に行って確認してくるから」
「んなっ!? 一人で行かせられるわけがなかろう!? んぬぐぐ……! たまには私の言うことを聞いてくれてもいいだろうに!」
呆れ果てた様子でそう言うと、メノウも鏡に続くようにして穴の壁面にナイフを突き刺して降下を始める。
「ん?」
降下を始めて間もなくして、鏡はある違和感に気付いた。
「ん? んん? 何これ?」
真っ暗な空間が続いているとはいえ、自分の足先はまだ見えるくらいには明るかった。なのにも関わらず、足先がまるで黒い物質に包まれたかのように、何も見えなくなっていたのだ。
試しに身体をゆっくりと降ろしてみると、ある地点から、まるで光を遮断する物質があるかのように、身体が闇に飲み込まれていく。
だが、見えなくてもちゃんと足先の感覚はあり、足に何かが起きたような感覚はなかった。
「あー……なるほど、そういうことか」
そして、そのまま身体を闇の中へと入れ込み、目元がその一線を越えた瞬間、視界に眩い程の青緑色の光が映りこむ。
鏡が上を見上げると、上にいるはずのメノウの姿は真っ暗で全く見えず、暗闇で覆われていた。
ふと下を見てみると、鏡がいる位置からそんなに深くない先に真っ白な床が存在し、そこに落としておいたお金の入った袋と、1シルバーが転がっている。
「メノウ! 普通に飛び下りても大丈夫っぽいぞ!」
鏡はメノウにそう声をかけると、握っていたナイフを手離して飛び下りる。数秒程の滞空時間はあったが、何故かポスッと軽い音だけが鳴り、一切の反動なく着地した。
それに続いてメノウも追って上から落下し、これまた全ての衝撃を地面が吸収したかのような軽い音を鳴り響かせて着地する。
「上から見下ろして先の見えない真っ暗な空間に見えたのは、光を遮断する謎の物質があったからなのだな……まんまと騙された。……鏡殿? どうしたそんな目を見開い……てっ!?」
メノウにとって、鏡がそこまで驚愕の表情を浮かべているのを見るのは初めてだった。一体何に対してそんなに驚いているのか? その視線の先を追って、メノウも言葉を失う。
今までとは比較にならない程の広大なドーム状の空間。真っ白に輝く床、仄かに青緑色の光を放つダンジョンの壁面。
『よくぞ……全ての試練を乗り越え、我がもとに辿り着いた』
頭に直接語りかけているかのような声が二人に響く。
広大な空間の中、二人の眼前に存在したのは、この広大な空間の四分の一はあるであろう大きさの一体のドラゴン。まるで鋼鉄のように鈍く輝く黒い鱗。血の塊かのようにどす黒く、見るだけで寒気がする程に鋭利で巨大な爪。思わず魅入ってしまう程に美しく、クリスタルかのように紫色の輝きを放つ背びれ。そして、全てを噛み砕いてしまえるのではと思える程の巨大で強靭な顎と、一睨みされれば竦んでしまいそうな程に禍々しい紫色に怪しく光る瞳。
名乗られずとも、それがダークドラゴンであると二人は瞬時に理解した。
『進む先が一つしかないのであれば、例え先の見えぬ道であっても勇気を出して進む以外にない。よくぞ勇気を振り絞って穴の中へと飛び込んだ……お前こそ、真に強き者だ』
「え? いや、あの……その、俺達……あの、普通にナイフ突き刺しながら降りてきたん……ですけど?」
『なん……だと?』
驚愕の表情を浮かべつつも、鏡は馬鹿正直に手を上げてそう言い切る。
すると、ダークドラゴンはその恐ろしい風貌を変化させることなく、気の抜けるような間抜けた声を脳内に直接響き渡らせた。