第四章 答えなんて自分次第だから
いつから、こんな不毛な戦いを挑むようになったのかは覚えていない。そして、いつからこんな戦いを不毛と思わなくなったのかも、鏡はもう覚えていなかった。
格上と戦うというのは経験値が入ることを知る鏡にとって、常に新たな可能性を見出すためのチャンスだと思っていた。だから、嫌でも挑み続けた。そこにぶつかっていかなければ、自分はいつまで経っても変わることは出来ないと考えたからだ。
死の恐怖がなくとも、不毛であることは認識できた。でも、それでも挑もうと思うのは、可能性の低いその戦いを勝利した先に、一つの壁を越えた自分が必ず存在したから。だから、鏡は戦う。死の恐怖がないなんてのは不毛な戦いに挑むための抵抗を無くすだけの存在でしかない。
その壁を越えた先、誰もが、神でさえも想定していなかった自分へと変わりえる。そう、鏡は危険である戦いであればある程、勝利した時の自分にワクワクしながら戦うのだった。
「今回は……ちょっとばか……し、やばいかも」
だが、迫りくる巨大なモンスターを殴打で後方数十メートル程吹き飛ばし、その隙を突かれて周囲のモンスター達に攻撃を受けて傷を負った鏡がそう呟く。
「まだ体力には余裕があるけど……これは間違いなく無理だな。手数が違い過ぎ、まだ数千体はいるだろうし……オワタかも」
そこで、鏡はまだ体力のある内に、早々にこの勝負の結末を判断した。
勝利した自分を常にイメージしながら鏡は戦う。だが、その勝利のイメージが出来ない時は別だった。
今までも、「勝てるかな?」という見積もりが甘く、確実に無理、100%不可能な状態に陥れば【無駄】と判断してさっさと逃げてきた。その代わり、勝利の可能性が少しでもあるならば、鏡は戦うのをやめない。その戦いは【無駄】じゃなくなるから。そして鏡は無駄と可能性の二択に分けて、今まで可能性の低い戦いもずっと勝ち抜いてきた。
「あーあ……俺は何やっているんだろうな」
しかし今回は、間違いなく100%負ける戦いだった。負けて逃げられなかったら死ぬ。今まで積み上げてきた全てが崩れてなくなる。でも、それがわかっているのに、鏡は逃げようとは思わなかった。
何故か?
この戦いが、無駄だとは思わなかったからだ。
「さって、何体まで削れるかな?」
ここで削れるだけ削って、半分でもモンスターを削れたら、きっとサルマリアにいる冒険者達は士気を取り戻すだろう。
そうなれば、きっとこの街は救われる。ここを占拠されることで始まる長い戦争を防ぐ事が出来る。例え魔族との共存の道が遠のいたとしても、いつかきっとアリスやタカコがなんとかしてくれる。憎しみが広がらない最善の方法だと、鏡は思ったからだった。そして、その可能性は充分にあった。
鏡は勝利するために戦ったのではなく、【共存の道】という可能性に賭けた。
「何で俺……笑っているんだろうな」
そして、やはりワクワクしていた。これを乗り越えた先に、自分が一度目指したその道の可能性が残されているのだと。自分は見られないかもしれないが、この世界の在り方に抗うその光景をイメージするだけで、鏡の奥底から戦う力が溢れ出していた。
覚悟はもう決まっていた。ギリギリ限界まで戦う。それで逃げられるなら逃げる。無理なら死ぬ、そこに後悔は絶対にない。
「よっしゃ! まとめてかかって来い! 俺を倒さない限り、サルマリアには行かせねえ。俺の命は奪わせても、俺が夢見た可能性だけは奪わせねえ!」
そう宣言した次の瞬間、鏡は瞬発的に前方へと突進し、特に巨体だったモンスターの胴体を全力で貫いて真っ直ぐに吹き飛ばした。吹き飛ばされたモンスターはそのまま弾丸となって後方に存在したモンスター達を蹴散らして吹き飛び、一直線にまるで広域殲滅魔法を使ったかのような荒地が出来上がる。
直後、周囲にいたモンスター達が一斉に飛びかかるが、背面蹴りでモンスターの一体を蹴り飛ばし、次に圧し掛かってきたモンスターを背で受け止めて投げ飛ばし、迫っていたモンスターにぶつけ、残りの飛び掛かって来ていたモンスター達を、目にも止まらぬ早さで殴り飛ばして粉砕した。
だが、息をつく暇も与えられずに次の攻撃が襲い掛かり、鏡はすぐさまそれに対応する。対応し続ける。そんな中、周囲のモンスター達が視界を遮って気付けず、空を飛んでいるモンスターが放った熱光線が、目の前に存在したモンスターの胴体を突き破って鏡へと接近した。
「可能性だけじゃありません。命だって……奪わせません!」
突然現れたその熱光線は確実に、胸元に当たると鏡は思った。だが、熱光線は鏡の身体に触れることなく、鏡を覆った謎の力によって掻き消される。
「聖雷・剛烈波斬!」
そして次の瞬間、叫ばなくても使えるはずのスキル名が轟き、鏡のすぐ背後に存在したモンスターの数体が、電撃を迸らせた光の刃によって一撃で綺麗に排除される。
「僕は勇者だ……村人である貴様が戦って、僕が戦わないなんてことは……ありえない!」
そして次にその言葉が聞こえ、鏡は声が方向へと振り返る。するとそこには、鏡に対して魔法を発動しているのか手の平を向けて魔力を放つクルルと、剣を構えたレックスがすぐ近くで立っていた。
「うほ、勇者と賢者が死にに来た」
困惑した表情を浮かべ、どうして二人がここに来たのかわからないまま、鏡はそう言った。
「助けに来たの間違いよ……鏡ちゃん!」
そして、その理由を考える間もなく、驚きの顔面と速度で接近してきたタカコが鏡のすぐ横を通り過ぎ、そう叫びながら鏡のすぐ後方に接近していた甲殻を持ったモンスターをその勢いを利用して蹴り飛ばす。すると、甲殻を持ったモンスターはそのまま吹き飛ぶことなく、まるで卵を割ったかのようにもろく粉砕するとその姿をゴールドへと変えた。
「タカコちゃんまで……何してんの?」
「助けに来たのよ。鏡ちゃんを死なせないためにね」
「いや、俺……戻らねえぞ? ギリギリになって逃げられるなら逃げるけど」
「わかっているわよ。だから、全部倒すわよ」
そう言って、熊も逃げ出しそうな迫力で構えるタカコを見て、鏡は頭にハテナマークを浮かべた。意味が分からなかった。三人加わったところで結末は変わらない。なら、その犠牲は自分だけで良いはずだった。
「無駄なことすんなよな。命を大事に! 俺はタカコちゃんに死なれると困るんだよ。そこの勇者とお姫様も、何も無駄に命を散らすことないって、俺が削れるだけ削るからさ」
「なら、鏡殿が削らなければいけない部分の少しを私が負担しよう。無駄に命を散らすリスクを背負わなくていいのは鏡殿も同じだぞ?」
次の瞬間、鏡の後方十数メートル内に存在したモンスター達が、突然空から雨のように降り注いだ稲妻によって消え去った。そしてそう言いながら、稲妻を放ったであろうメノウがゆっくりとレックスの背後から歩み寄る。
「いや、お前は立場的に来ちゃダメくない!? いや、今更だけど!」
「私も鏡殿と同じということだ。今は、貴殿の命の方がずっと価値がある」
そう言われて鏡は唖然とした。だが不思議と、頬が緩んだ。
「あー! やっぱりボロボロです! 使い古した雑巾みたいになっています!」
そして、気付けば自分の身体の傷が癒えていた。自分のスキルであっても、こんなに早く治ることはない、そう思って呆然としていると、ティナがそう言って慌ただしく駆け寄った。
その背後をパルナが近付き、「あんたにはまだ死なれたら困るのよ」と呟く。
「……マジでいいの? 死ぬよ?」
「死にませんし、死なせません!」
ふんっと意気込みながらそう言うクルルを見て、鏡は一瞬開いた口が塞がらなかった。
だがすぐに口を閉じる。
心が温かくなった。ずっと一人で戦ったがために鈍くなっていた感覚が徐々に戻り始めた。タカコ達は、サルマリアが無事という可能性に賭けた訳じゃなく、鏡の命が無事戻るという可能性に賭けてここに来てくれたのだと気付いた。
正直に鏡は嬉しかった。今まで自分の無茶に付き合ってくれる馬鹿なんていなかったから。自分の命を本気で心配してくれる相手が今までいなかったから。
さっきまで溢れ出ていた力が、更に溢れて疼きだす。
「よし……作戦変更! やれるだけやって逃げるチキンスタイルで行くぞ! 命を大事に!」