そんな現実、認めたくないから-6
夢を見た。それが夢だったのか、死後の光景なのかは鏡にはわからなかった。
きっと、自分の中に残っていた最後の気掛かりが見せている幻影なのだと鏡は思った。
まだ出会ったばかりの頃のアリスが、真っ暗で何もない空間に立って、ニコニコと邪気のない笑顔を向けてくるのだ。そして、何度も語り掛けてくる。『諦めるの?』と。
『どうしようもないだろう』
しかし鏡には、それしか答えようがなかった。
『もしかしたら……勝てる方法はあるのかもしれない。でもそれは、きっと……誰かを殺さずには無理なんだよ。不殺なんて……不可能なんだ』
『鏡さんは、殺したいの?』
『殺したくなんかないさ。誰も、最初から人を殺したいなんて思ったりしない。そうしないといけないから、そうしなきゃ前に進めないから……皆、人を殺す選択をするんだ』
『人を殺して勝ち取ったものに価値なんてあるの?』
『その価値を決めるのは俺じゃない。それによる結果の影響を受けた人たちだ』
『そんなの……逃げてるだけじゃないか』
アリスは悲しそうな表情で鏡を見つめていた。その顔を見続けて、鏡は最後に残った疑問の内容を思い出した。それは、どうしてアリスが来栖を庇ったのか。
『お前は……殺したいと思わなかったのか? メノウを殺されて、あんな酷い仕打ちをされて。来栖が憎くなかったのか?』
『どう思う?』
『思わなかったんだろうな』
『どうしてそう思うの?』
『だって……アリスだしな。お前は優しいから』
そう言葉を掛けると、アリスは再び嬉しそうに笑みを浮かべた。そして、アリスは首を左右に振ってそれを否定する。その考えは間違っていると言うように。だが答えは返ってこなかった。笑みを浮かべるだけで、何も言わずに、そのまま暗闇の中へとアリスは消えてしまった。
わからないことだらけだった。
ここがどこなのか、アリスが最後に訴えかけようとしてくれていたのは何なのか、その全てがわからなかった。
でも凄く、懐かしく感じた。ずっと昔、何度もここに訪れたことがある。そんな気がして鏡は自分の中の記憶を漁り起こした。そしてすぐに気付いた。ずっと昔、人間に母親を殺されて復讐に囚われていた自分が、無茶を繰り返していた頃によく訪れた場所だと。
死んではいない。だが、死に最も近い状況に陥った時にだけ訪れることの出来る深層心理なのだと、今自分がいる場所を理解して、溜息を吐いた。
『ああ……俺もうすぐ死ぬんだな』
昔と違い、今は状況が違う。昔は、なんだかんだで自分を観てくれる人がいた。だが、今はいない。今頃自分の身体は、雪に埋もれてドンドン冷たくなっているのだと考えると、不思議とホッとしたような笑みを浮かべてしまった。ようやく、終われるのだと。
『オートリバイブのスキルを手に入れてから、ここに来ることもなくなったもんなぁ』
走馬灯。そこはそれを感じられる場所に近かった。死に直面することで自分の意識と記憶が直結した場所。身体を捨てて、意識だけを記憶の海へと飛び込ませることで訪れられる場所。
『何を……伝えたかったんだろうな』
死が近いことを悟って、どうして最後にアリスの姿が自分の深層心理に現れたのか疑問に思い、鏡は首を傾げた。
だがすぐに、意識の塊でしかない自分の頬に、一粒の水滴が流れ落ちたのに気付き、その理由を悟る。
『心残り……だったんだろうなぁ』
助けられなかった。
本当なら死ぬこともないはずだったのに、怒りと憎しみに飲まれた結果、アリスを失った。
顔を青くして、どんどん瞳から生気を失わせていくアリスを見て、鏡は狂ったように来栖へと殺意をぶつけた。だが、一歩も届かなかった。それが罠だとも気付かず、踊らされて、アリスを失ってしまった。
『でも……色々気付いちまったな』
失って、最初に浮かんだ言葉は「嫌だ」だった。
アリスが死んでしまうと思った瞬間、アリスと出会ってから今までのことを全部、一度に掘り起こされたかのように思い出した。
まだ、笑顔が見たかった。
まだ、「これは何?」と無邪気に質問して欲しかった。
まだ、食べさせてない美味しいものがあった。
まだ、まだ、カジノの営業はこれからだろと、まだ、ちゃんと平和な世界で一緒に暮らせてないだろと、色んな想いや言葉がごっちゃになって掘り起こされて、もっと、抱きしめておけば良かったと後悔した。もっとたくさん話すべきだったと過去の自分を殴りたい気持ちになった。
『ボクと……結婚してほしいんだ!』
メノウがノアの地下施設で殺されて、次はアリスが死んでしまうんじゃないかと考えた時、ずっと昔に、アリスに面と向かって放たれた言葉を鏡は思い出した。
そしてそれが、そうまんざらでもなくなっている自分に気付いて、アリスがどれだけ大事で、大切な人だったのかに気付いた。失いたくなかった。だから、無理してほしくなかった。
ついてくると駄々をこねて結局ついてくることになった時も、何があっても絶対に守ると心に誓った。
『でも結果がこれだ……俺は本当に、馬鹿だよ』
アリスは、来栖を助けようとした。なのに、来栖はアリスを殺した。それが許せなくて、ふざけるなと激情して、鏡は来栖を殺そうとした。
『死ぬってさ、そういうことなんだよ?』
姿の見えないアリスの声にそう言われて、鏡は小さく「……そうだな」と言葉をこぼした。
知っていた。いや忘れていたが正しいのかもしれない。ずっと昔にも同じことがあった。丁度、この空間に何度も訪れていた時期のことだ。
母親が人に殺されて、人も魔族も同じなのだとすぐに吹っ切れたわけじゃなかった。父親がモンスターに殺されたのと同様に、恨み、怒り、殺意を抱いて復讐しようと考えた。
父親を殺したモンスターに復讐を果たすためにずっと支えてくれた母親を殺し、自分が住んでいた村を焼き尽くした賊たちに復讐を果たすため、鏡は更なる強さを求めた。
そして、賊の居所を掴み、いざ復讐だと戦いを挑んで、あともう少しでその首を落とすことが出来るという局面に入った時のことだった。その賊に、家族がいたことに気付いたのは。
賊は、鏡が復讐を果たそうと特訓を続けている間に足を洗い、王国から免罪の証を受け取って普通の暮らしを営んでいたのだ。
鏡に殺されそうになった賊は、殺されることを受け入れていた。それが仕方のないことだと、当然の報いであると自覚して。だが、その家族の見る目は違い、終始、鏡を恨めしそうに睨んでいた。大切な人を奪おうとしている鏡に怒りを現にしていた。
そこにいたのは、自分自身だった。憎み、怒り、それが大切な存在であればあるほどに、復讐心をその身に宿す。
殺し合いがくだらないと感じたのは、その時からだった。
怒りや憎しみは伝染し、恨みとなる。
だからどこかでそれを断ち切る勇気を持つことが大事なのだと、その賊の家族に鏡は教わった。
鏡が全てを抑え込んでその賊を許すと言葉にした時、その賊は涙を流しながら鏡に謝罪し続けた。同時に、肩から一つの負の鎖が解き離れたような感じがした。
復讐以外にも、負の連鎖を断ち切れる方法がある。どちらかがいなくなるまで殺し合わなくても、前へと進む手段があることに鏡は気付いたのだ。
その罪を認めて前へと進もうとしているのであれば、負の連鎖は必ず断ち切れる。大事なのは、問答無用に殺すのではなく、負の連鎖を断ち切るためへの道へと導くこと。
『そして、それをボクに教えてくれたのは鏡さんだよ?』
『……そうだったな』
今更になって思い出し、鏡は深いため息を吐いてその場に座り込んだ。