そんな現実、認めたくないから-5
もう何十回目の戦いになるのかは鏡ですら覚えていなかった。毎度、数人を無力化するだけで体力を使い果たし、逃げなければならない状況が生まれることの繰り返し。
暫く敗北を経験していなかった鏡にとってそれは、とても懐かしいものに感じられた。
「もう、駄目かもな……さすがに限界だ」
「諦めるな……で、ござる。そんなのご主人らしくないでござるよ」
「俺らしくないか……それを言うならお前だって、来栖を前にしてよく我慢できたな」
「某の力ではどうしようも出来なかったでござろう……いや、違うか」
ボロボロとなった鏡の前に姿を現したのは、十六人の戦士、武闘家、僧侶、盗賊の役割を持った到達者たちだった。
三時間の休憩を挟んだといえど疲労は抜けきっておらず、また、空腹のせいか体力の戻りも遅くなっている。そんな鏡に、それらを打ちのめす力はもう残されていない。
更にあと数分もすればガーディアンから数百人規模の援軍が駆け付ける。更に時間が経てば千人規模に膨れ上がるだろう。
鏡に出来たのは、今この場にいる数人を打ちのめし、即座に逃げ出すことのみだった。
すぐさま退路として使えそうな経路を探り出し、鏡はその場へと近付く。
しかし、魔法使いの放った地を操作する魔法によって岩盤が盛り上がり、わかっていたかのように退路は岩の壁となって防がれた。
「アリス殿に……感化されたのかもしれぬ。ご主人こそ……今も逃げようとして誰も殺そうとしてないでござるが? 本当にまだ来栖から真相を聞き出すつもりはあるのでござるか?」
「あるよ……でもさ、出来ないんだよ。お前と同じさ……アリスがチラつくんだよ。怒りに任せて暴れようとすると、あいつが最後に残した言葉を思い出すんだ」
アリスは否定しないでほしいと叫んでいた。今までの自分を、今までの生き様を。ここまでの道のりと、目指そうとしていた自分を否定しないでほしいと願っていた。それが、鏡の頭の中にこびりついていた。
「少なくとも……あいつらは違う。俺が憎むべき相手じゃないはずだ……それに、ここで終わっちまうかもしれないやつのせいで死んじゃうなんてかわいそすぎるだろ?」
「やはり、ご主人は甘すぎでござるよ……向こうはご主人を殺そうとしてるのに」
「それでもさ…………なんか、守らないといけない気がしてんだよ」
「来須の前でも、同じことが言えるでござるか?」
その言葉に、鏡は苦笑する。そしてどこか悲しそうに、「言えないんだろうな」と、アリスを失ったことで我を忘れ、仲間を逃がすことを優先せずに暴れ狂い、結果的に仲間を犠牲にしておめおめと生きている自分に腹をたてて肩を落とした。
泣きそうなぐらい辛かった。だが、そうも言ってられなかった。
何故ならまだ自分は生きているから。
繋いでくれた命を、無駄にするわけにはいかなかったから。その命がある限りは、挑戦し続けることをやめてはいけないと言われているような気がして、鏡は再び立ち向かった。
逃げ場はなく、乗ってきたラストスタンドも既に破壊され、このまま逃げ続けたところでいずれ力尽きることは鏡も理解していた。それ故に、もう立ち向かうしかなかった。
タカコたちが繋げてくれた想いを無駄にできなかったから。何より、そこで諦めてしまう自分が許せなかったから。
「うがぁぁぁぁぁああああああああ!」
ただステータスが高いだけで、まともな技も魔法も使えない鏡は、素手で奮闘し続けた。
肉が裂け、血が全身から噴き出ても戦い続けた。まともに休めず、制限解除の反動が残るボロボロな身体に鞭を打って立ち上がり。もう駄目だと諦めてしまいそうになれば制限解除を重ねて発動して無様に逃げ続けた。限界を迎えているはずの身体に鞭を打って。
無論、度重なる制限解除の発動に対する身体への負担は想像を絶していた。
麻痺したかのように身体は動きを鈍らせ、なのに、絶えず痛みだけは残り続ける。全身に、大きな針を何度も刺し抜いたかのような痛みが続き、呼吸もまともに出来ず、内臓がおかしくなっているのか血反吐を地面にぶちまけ、鏡の精神は崩壊寸前にまで追いやられていた。
なのに、鏡は死ななかった。いや、死ねなかったの間違いかもしれない。
鏡の持つスキルは傷を徐々に癒す。どれだけ傷ついても生きてさえいれば、そのまま体力を失って死ぬことはなかった。死のうと思えば、死ぬだけのダメージをその身に一気に負って絶命する以外になく、まさしく生き地獄というものを鏡は体感していた。
鏡自身にもわけがわからなかった。
オートリバイブは、こんなにも傷を癒してくれるようなスキルではなかったからだ。まるで、スキルが死んではならないと訴えるかけるかのように、命を繋ぎ止めようとしていた。
それが、鏡にはたまらなく辛かった。
「…………死にてぇ」
いっそのこと、死んでしまえればどれだけ楽なのかと何度も考えた。
でも、自分からそうしなかったのは、それで死んでしまうのもまた、鏡の命を繋ぎ止めたタカコたちを否定してしまうことになったからだ。
生きているから戦う。
諦めて全てを投げ出して死んでしまうのは、想いを無駄にしてしまう。だから必死に生きようと抵抗する。
地獄だった。アースクリアで体験してきたレベル999に至るまでの戦いの何億倍も辛かった。アースクリアでの戦いは自分が望んで、自分の成長のために、強くなった自分を追い求め、いつかその対象に勝つためにとボロボロになった結果だったからだ。
だが、今は違う。これは自分が望んだ戦いじゃない。世界を救わなければならなかったから、でもそれを邪魔しようとする来栖という存在がいたから、どうしてなのかを聞こうとしているだけの戦い。その先には、誰もが絶望するといわれている真実が待っている。そして世界を救うのは、別に自分のためじゃない。皆がそれを望んだから、協力しているだけ。
「本当に……そうか?」
そう考えては、何度も自分に質問を繰り返す。
少なくとも、この戦いに何の希望もなかった。相手はモンスターじゃない同じ人間。殺してはならない。殺せば、今までの自分たちを否定することになる。母親の命を奪った連中や、父親を殺したモンスターたちと同じ存在へと成り下がる。
「殺さずに、来栖の元へと辿り着いて……真実を知る」
だが、来栖が話すとは限らない。
「もしかしたらみんなが……まだ生きて捕まってるかもしれない」
でも、その保証はない。
何より、一万の人間を前に、ただステータスが高いだけの鏡に成す術はなかった。所詮村人でしかない鏡に、役割を持った者たちだけが扱いこなせる魔法や技、特殊なスキルの数々を前に不殺で勝てるはずがなかった。
そして、再び思い知る。いくらレベル999になろうと、村人は村人でしかないのだと。これが村人の限界なのだと。何かを変えるだけの力もなく、人の心に訴えかけるような凄さも何もない。ただ、殴るだけしか能のないステータスだけの凡人なのだと。
「ああ……そっか、……俺って」
特別な存在だと驕っていた。レベル999に辿り着いて、誰も気にしないような世界の仕組みに気付いて、人間と魔族を和平へと導いて、何かを変えられる存在になったと勘違いしていた。
自分は、ただの村人だった。レベルが高いだけの、数多く存在する人間の中の所詮一人でしかないのだと理解した。
だから今、ハッキリと言葉にして、鏡はそれを口に出来た。
「俺って…………こんなにも弱かったんだな」
たった一人など、万の人間を前にはゴミでしかない。
再び制限解除を使って必死に逃げ去り、ピクリとも動かない身体を雪の降り積もった地へと倒れこませ、豪雪が降りやんで静まる空間の中で、星の煌めく晴れ渡った夜空を視界に、鏡は徐々にその瞳から生気を失わせていった。
そして最後に、最早、目に映る光景以外に考えることも出来なかった思考を停止させて、重い瞼を鏡はゆっくりと閉じた。