なりたいものになればいい-3
その次に周囲を確認する。大木に囲まれた周囲の中で、特に逃走路として率いやすい場所を各4人が遮っている。こちらの4人が同時に逃げ出そうにも難しい位置取りだった。
「どうして俺達を囲っているのかな?」
「愚問ですね。魔族に寝返ったあなた達を逃がさないためですよ」
クルルは前に出ることなく、その位置取りを保ったままそう言葉を返す。
その瞬間、常人には動く素振りすらも見られぬ速さで、クルルのすぐ目の前へと鏡は移動する。まるで瞬間移動でもしたかのように見えたその動きに、その場にいた全員が目を見開いた。
「なら今度のは0点だ。お姫様が考えた作戦だったらの話だけどな」
そう言いながら、鏡は先日やったようにクルルの頭部に軽くチョップする。打たれたクルルは何をされたのかすぐには理解できず、ぱちくりと瞼を動かした。
「強い相手に立ち向かうのは勇気があって勇者パーティーらしいからいいけどよ、勝つ見込みがある時だけにしといた方がいいぞ?」
「な! 目的は逃がさぬことです! それにあなた達は人間……私達を殺せば犯罪者の烙印を自動的に刻まれることになります」
「ひぇーなんというアホ。確かに殺したらそうなるけど」
「あ、アホとは無礼な!」
ひきつった表情をしながらそう言う鏡に、クルルは顔を真っ赤にしながらそう言い返す。
「こういうのは相手より力が強くないとやっちゃ駄目だろ。あのひ弱そうな僧侶の女の子を壁にしてどうするんだよ。あの子が危ないだろう」
やれやれと溜め息を吐きながら鏡がそう呟いた瞬間、クルルは何かに気付いたかのように後方へと飛び退き、その直後、背後から刃状の光輝く斬撃が鏡を襲った。
だが鏡は、斬撃が飛んで来る方向と位置を、空気を切り裂いて進む音で把握していたため、腰を軽く後ろにクネッとひねることでそれを簡単に回避する。
「余裕ぶるんじゃない。僕達はお前の説教聞きに来た訳じゃないんだ!」
回避したのも束の間で、斬撃を放ったレックスが追いつくかのように鏡の元へと接近し、そう叫びながら剣を鏡に振り下ろすが当たらず、鏡は飛び退いて困った表情を見せた。
「逃げられないように守りを固めなくてもいいのか?」
「この布陣の意味の無さはお前が今説明したばかりだろう」
鏡はそれを聞いて少し感心する。勇敢でそして素直。勇者という職業がどうして強いのか、強くなれるのかがわかったような気がした。
「なーんで俺を攻撃するかね。うっかり攻撃して死んだら犯罪者だぜ?」
「こちらには姫がいる。その時はいくらでも免罪してもらえるさ……それに、魔族を殺しても犯罪者の烙印を押されることはない!」
回避して飛び退いても次々に接近して攻撃を仕掛けるレックスに対し、鏡は心の中でせこっ! と思いながらも回避し続ける。だが途中、きりがないと判断するや否や、振り下ろされた剣を片手で掴み取り、レックスを睨みつけるように殺気を込めた視線をぶつけた。
その一睨みで背筋が凍るかのような悪寒に襲われたレックスは、すぐさま握っていた剣を手放して飛び退き、クルルの横へと並ぶ。
「っ……! 化け物め!」
普段なら肩で息をするまでもない動きしかしていないにも関わらず、レックスの額からは吹き出すように汗が垂れ落ち、呼吸が乱れていた。自分よりも圧倒的に強いのはわかっていたが、それでも武器を持ってもいない相手に『これ以上戦えば死ぬ』と思わされたのは、恐怖以外のなにものでもなかったからだ。
「化け物で結構。そんな化け物のことはほっといて、魔王を倒すための旅に戻ってくれるとこちらとしても楽なんだが?」
「そこに魔王の配下である者がいるというのが問題なんですよ!」
そう言うと見ていられなかったのか、、立っていろと言われた場所から離れてレックスの元へと近付き、外傷を負っていないにも関わらずティナは回復魔法を発動させた。
「昨日の襲撃での被害者は大勢いるのよ? その首謀者が目の前に居るのに見過ごす訳がないじゃない。何? またブルーデビルの角を刺したとでも言い訳するのかしら?」
そう言いながら、配置を抜けだした二人を補うかのように、大人一人サイズの巨大な魔法陣を生成し、呪文をすぐに撃てるようにと準備状態へと移行する。
そこで、暫く様子を見ていたメノウが慌てた様子で鏡の元へと移動し、服を引っ張って顔を寄せ、耳打ちを行う。
「魔王様を倒すための旅に出ろと鏡殿から進言するとはどういう事だ! 鏡殿は魔王様の味方ではなかったのか!」
「別にこれは味方うんぬんの話じゃないよ。人間のその主張を止める言葉がわからないだけ。魔族が人間に害を与えているのは事実だし」
「し、しかし……!」
「でも、そこにいる魔法使いのお姉さんが言うように、昨日盛大に暴れて街に被害を与えたのは事実だからね? あんたもその気にもなってたっぽいし、とりあえず謝っとけよ」
「な、何故私が人間如きに謝らなければならないのだ! 今回の襲撃の何十倍もの屈辱を我々魔族は人間に受けてきたのだぞ!?」
メノウの真っ当なその言い分に、アリスの表情が少しだけ曇った。それに気付いてか、タカコも同じように悲しげな表情を浮かべ、傷み分けするようにアリスの頭部に手を置く。
遠目からだが、アリスの表情に感付いたメノウも口籠り、どうしたものかと目を泳がせる。鏡から聞いた魔王とアリスが人間との和睦を願っているのなら、自分もそうであるべきはずだが、人間と魔族の因縁が素直に行動させてはくれなかった。
「謝るか謝らないかの問題じゃない。昨日ヴァルマンの街を襲った魔族に協力する人間がいる……それが一番の問題だ! 貴様の牢獄行きは避けられんぞ!」
レックスはそう叫ぶと、腰につけていたもう一本の剣を鞘から抜き取り、前方に構えた。
「何を協力しているかとか聞かずに問答無用で笑った」
「聞くまでもない! 魔族は悪! それに味方する貴様も悪だ!」
その言葉に、鏡は反射的に身体を動かしてレックスの目の前へと瞬時に近付き、構えていた剣を掴み取る。
突然目の前に現れた鏡に対し、レックスは反射的に飛び退こうとするが出来なかった。恐怖で身体が動けない訳じゃない。握っている剣がどれだけ力いっぱい動かしても微動だにしないのだ。直後、視線を剣から鏡へと向けた時、意外な表情にレックスは困惑する。
睨みつける訳でもなく、怒っている訳でもなく、悲しそうな表情をしていたからだ。
激情するならわかる。なのにこのタイミングでその表情になる意味が、レックスには理解できなかった。
「何でだ? 誰が決めたんだ? どうしてそうなっちまうんだ? よく考えたのか?」
そしてその表情で、鏡は理解し難い言葉を放った。
「どういうことだ?」
「そこにいる俺のなんちゃって妹……悪い奴に見えるのか?」
「な……何が言いたい!」
「もう魔族ってわかっているだろうから教えてやるけど。そいつ魔王の娘な」
その言葉に、勇者一行の全員が目を見開いてアリスの顔を凝視した。各々が「魔王の……娘?」と、疑問交じりの言葉を呟き額に汗を浮かべる。
「お姫様。あんた確か、昨日その魔王の娘を抱きしめてもう大丈夫とか言っていたよな?」
そう言われて、クルルは瞬時に昨日の出来事を鮮明に映像として脳内に浮かびあげる。そこには確かに、不安そうにする少女を抱きしめて安心させてあげようとした自分の姿があった。只その時は、魔王軍に怯える幼気な少女にしか見えなかったからだ。
「あんたにはその娘が悪い奴に見えたのか?」
そう言われて、クルルは視線を逸らして口籠る。認めたくはないが、悪とはとてもじゃなかった思えなかった。人間の少女となんら変わりない無垢な瞳、悪巧みなんて出来そうにもないひ弱な姿。
今見たとしても思えない。こちらを哀しげな瞳で見つめるその表情に邪気等一切感じられない。
そこにいたのは、紛れもなく只の少女だった。
「魔族は確かに人間にとって害はある。でも、害の部分を除いたら人間と何も変わらないんだ。魔族は害だ。だから俺はお前らが魔王を倒すのを止めない。でも魔族は悪じゃない。だから俺は悪にもなっていない魔族の友人を殺させたりはしない」
そう宣言すると、鏡はバキンっと握っていた剣をへし折った。