第二十一章 敗者への現実
「どうして……こんなことに」
あまりにも予想外の展開に、フローネは深いため息を吐き、頬を膨らませる。
既に、鏡たちがモスクワの中心地にあるガーディアンへと到着し、フローネからその全容を知ってから一時間近くの時間が経過していた。
現在、フローネは雪の降り積もる大地に、顔だけが出た身動きが取れない状態で埋められている。
一時間前、圧倒的な実力差を感じたはずの鏡が発した言葉は、「撤退」ではなく「続行」だった。だが、そこまではまだフローネにも予想がついた。実際にガーディアンを目の当たりにすれば気が変わるかとも思っていたが、生半可の覚悟でここに来たわけではないことくらい理解していたからだ。
『っで、あのガーディアンの中ってどこから入るんだ? 来栖はどこにいるんだ?』
『来栖は最上階にいます。ガーディアンへは、ここから見て一階層目の場所に到達者だけが出入りできる扉と、その裏手側にラストスタンドが出入りする用のハッチがあります。どちらからも入れますが……我々はラストスタンドに乗っていますので裏手から入ることになりますね』
『なるほどな……いきなり最上階の壁をぶっ壊して中に入るとかって出来ないの?』
『怖いことを言いますね……ですが不可能です。ガーディアンを構成している壁はあらゆる衝撃に耐えることが出来ます。また、その壁も厚いため、タカコ様がお持ちのどんな物質であっても等しく力による衝撃を与えられるスキルであっても、貫くことは出来ないでしょう。表面の壁を崩して終わり……その間に、ガーディアンに所属する者が皆さんを捕らえることになるかと』
『じゃあ……その入り口から正面突破だな。ラストスタンドが大量に控えてる場所から入るとかアホすぎるし、中に入っちまえば相手もラストスタンドを使えないだろ。タカコちゃんもそれでいいな?』
モニターには映していなかったが、音声通信はしていたのか、鏡が問いかけると操縦席内にタカコらしき声で「問題ないわ」と返事があった。それを聞いて、フローネは頬に汗を垂らして少し焦ってしまう。
『何を言ってるんですか? 別に正面突破をしなくても私が案内致しますが?』
『レックス』
『ああ、わかってる。師匠』
しかし鏡は、フローネの進言を無視してレックスに指示を出し、ラストスタンドを一度ガーディアンの空域から離脱させて少し離れた場所で降り立った。
まるで、予めそうすることを理解していたかのような行動に、フローネは困惑する。事前に打ち合わせしていたような素振りは一度もなかったからだ。
『ほい。じゃあ降りるぞ』
『な、何をしているんですか?』
そして鏡は、ノアの地下施設から持ってきていた備品の中から、ロープのようなものを取り出してフローネを拘束し始めた。ご丁寧に、外ではタカコが穴を掘って埋める準備まで。
『あんたを置いてくんだよ。一応、色々な案内と情報提供はサンキューな』
『どうして……私を信じてくれるのではなかったのですか⁉』
『ああ、信用したぜ? でもそれは……あんたが俺たちを騙すその一瞬まではほとんど嘘偽りなく色々情報提供してくれるだろうってことを信用しただけだ』
その瞬間、フローネの全身に悪寒が襲った。先程まで、どこかやる気のなさそうな呆けた顔が印象だった男が、まるで熟練の暗殺者かのように鋭く、恐ろしい形相でこちらの全てを見抜いたかのように視線を送っていたからだ。
『もしかしたら本当に俺たちに協力してくれるつもりかもしんないけどさ、そうじゃない可能性があった場合、俺たちは最後の最後の大事な局面でどうしようもない事態に陥る可能性がある。前回それでガッツリと痛い目を見たからな……元々部外者を連れて行く気なんてさらさらない』
『私を利用したということですか……?』
『まあ、なんだかんだ言って来栖の指示なんだろ? 情報を提供して、味方の振りをしてここまで連れてくるようにってさ。おかげで、今回知れた情報は来栖にとって知られても問題ないような内容ばかりってのがわかったよ』
『違います! 私は……決して来栖を支持しているわけでは!』
『あんた、隠していることがあるだろ?』
お見通し。そう言わんばかりの表情で鏡に問われ、フローネは苦虫を潰したような顔を見せる。
『それがなかったらもうちょっとあんたの言葉に耳を傾けても良かったけどな』
『何のことです。私は何も隠していることなんてありません。現に皆さんの指示に従ってラストスタンドもあの場に置いて――』
『あの時、仮に俺たちが同行を許可してなかったら……あんたどうやって引き返すつもりだったんだ?』
まるで取り調べを行っているかのような鏡の物言いに、ここまで、なんとか表情を押し殺して動揺を見せないようにしていたフローネの顔が歪む。同時に、鏡という存在を甘く見ていた自分を戒めるかのように下唇を軽く嚙みつけた。
『あんた……俺を試したあとに、俺が想像通りの人物でなかったら引き返すって言ってたよな?』
『……それが何か?』
『あんたが最初に操縦席から姿を現した時さ……俺が話し合いに応じるんじゃなくて、無防備すぎるあんたに襲い掛かるって考えは抱かなかったのか?』
『…………その時は、すぐに操縦席の扉を塞いで引き返すつもりでした』
『嘘つくなって、タカコちゃんのスキルの詳細を知っているくらいだ。……俺の実力も知りつくしてるんだろ? 一瞬で間合いを詰められるくらい想像できたはずだ。それに、外から操縦席を開く手段があるってわざわざご説明してたしな。……なのに、あんたはあの状況から引き返すって言ったんだ……余裕たっぷりにな?』
緊迫した空気が鏡とフローネの間に漂う。
その時は普通のやり取りに見えたそれは、少し考えれば違和感だらけだった。
フローネは、鏡たちの事情を知っていると言っていた。それはつまり、仲間に裏切られ、メノウを殺され、怒りと憎しみに包まれた状態であることを予測できる立場にあったということ。
なのに、フローネは恐れを抱いてもいない様子で姿を現した。試していたと言葉で取り繕って会話を試みようとはしていたが、会話に応じない結果は容易に想像できたはずなのに。
『どうやって逃げるつもりだったんだ? いや、どうやって俺を対処するつもりだったんだ?』
『……なるほど、あの時点で私は信用を得る手段をなくしていたのですね』
そこで、諦めたかのようにフローネは苦笑いを浮かべる。
それと同時に鏡たちは、やはり鏡たちにはわからないなんらかの対策を練っていたことを確信した。
『スキルってのは便利だよな。姿や気配を隠せるんだからさ……いたんだろ? いつでも逃げれるように、俺が話し合いに応じなかった時に対処できる仲間が気配も姿も隠してあの銀色のラストスタンドの中にさ。さすがにそう何度も騙されないぜ?』
『合点がいきました。だから、あなたは私をこのラストスタンドに乗せたんですね。……合理的です。それなら姿を消した者たちにも、とりあえずは信用を得たと騙すことが出来ますからね』
『そういうこった。操縦席の中にまではさすがに透明化した状態でも入ってこれないだろうからな、狭いし。後は、情報を引き出せるだけ引き出したら当初の予定通りに動くってことを、朧丸を経由して皆に伝えてもらったわけだ。俺は全く信用してないって伝えたうえでな』
『朧丸……来栖が作り出した複数のスキルを所持した生命体のことですね。なるほど、念話も使うことが出来たとは……それについても調べておくべきでした』
フローネが観念して、鏡の言葉通り、銀色のラストスタンドの中に監視役として二人の同行者がいたことを明かしたあとの展開は早かった。
鏡は「やっぱりな」とほくそ笑み、フローネをロープできつく縛って、念入りにノアの地下施設から持ってきていたスキルの力を封印する手枷を取り付けると、そのまま背中を押すようにしてタカコが掘った穴の中へと落とし、顔以外の全てを埋めて身動きを取れなくさせた。