復讐の始まり-13
「帰ってきていたのだな、師匠。獲物はそれに決めたのか?」
その時、鏡の姿が視界に映ったからか、レックスが講義を中断して鏡の前へと顔を出す。背後には「オイ、ドコ行ク? 文化教エろ」と、文句を垂れながらペスがレックスの肩にへばりつくようにぶら下がっていた。
「なんだ……見ていたのか。見ていたなら声を掛けてくれれば良かったのに」
「邪魔をしたら悪いと思ってな。それに……」
「それに?」
レックスの含みのある言葉に鏡は思わず首を傾げる。だがレックスは「いや、なんでもない」と言って誤魔化した。あまりの殺気の放ちようにとても声を掛けられる雰囲気ではなかったなど、本人を前にして言えなかったからだ。
「どうしてそれにしたんだ? 他にも色々武器を持っていたみたいだったが?」
「これが一番、威力があるから」
「変なことを聞く」、そう言っているかのように無表情のまま言葉を吐いた鏡を見て、レックスはそれ以上何も言わずに「……そうか」とだけ返した。それだけで、あの時感じた鏡の殺気から、それが何を意味するのかを理解できたから。
「ところで、さっきからお前にへばりついてるその子……どしたの?」
「気にするな。こいつは僕の周りをうろつく置物か何かだと思ってくれたらいい」
「いや、それは無理があるだろ」
獣牙族であっても、レックスに女性がさも当たり前かのようにへばりついている事態にツッコまずにはいられなかった。むっつりの化身に女の子が懐くという危険性をきっとこの子は知らないのだろう。鏡はそんなことを考えていた。
「なんだろう。すごく失礼なこと思われてる気がするんだが」
「いやいや、俺が勇者様に対してそんな失礼な態度とるわけナイダロ」
「どうして最後急に獣牙族みたいな喋り方になった? おい、こっちを見ろ」
「ソウだ。コッチ見ろ」
鏡がわざとらしく視線を逸らすと、いつの間にか移動していたのかペスが鏡の眼前へと迫る。
「な、なんでしょう?」
何故か興味津々に羨望の眼差しを送ってくるペスを前に、鏡は少し困惑した表情で後ずさった。
ペスは暫くジーっと鏡を見た後、何かを探るように鏡の身体のあちらこちらをペタペタと触り始める。
「コラコラコラコラコラコラ! ちょっと! 何してるの君! ボクもさすがに初対面でそんなことまでしなかったのに……鏡さんも! ちょっとは抵抗して!」
「いや……抵抗って言われても」
特に触る以外に何もしてこなかったため、友好関係を築こうとしている獣牙族を相手にずさんな態度をとるわけにもいかず、鏡はされるがままに立ち尽くす。
レックスがされていたように引っ付き始めたのを見て、アリスは慌て、レックスはどこか寂しそうに、パルナは少しホッとした表情を浮かべた。
「コノ細い体デ、ドウヤッテアレだけの力を出シテル? 人間……本当ニ不思議」
そう言いながら、ペスはマジマジと鏡の腕を見つめる。
「レックス、そろそろこの犬みたいな子が何なのか教えてくれ。服装とかもろもろ」
「そいつはペスだ。人間の文化に元々興味があったらしくてな。今回の和解をきっかけに色々知ることができるって張り切ってるんだ。特に師匠はそのきっかけにもなった変わり者だから興味があるんだろう……多分」
「だからってそんなにひっつく必要はないよね? は~な~れ~て~!」
必要以上に鏡に絡みつくペスを引き剥がそうと、アリスがペスの腕をガシッと掴む。すると、ペスは対象を変えて今度はアリスの身体に興味を示してまとわりつき始めた。
「人間……スゴイ。……デカい」
「ちょ! どこ触ってるのかな⁉」
「あ、俺たち今後について話しするから、アリスはその子の相手しといて」
「え、ちょっと⁉ 鏡さん⁉」
話が一向に進まないため鏡とレックスはアリスを犠牲にその場を離れると、再びタカコとパルナたちの前へと戻る。若干、レックスが惜し気な表情をしていたが、鏡は何も見なかったことにした。
「随分と賑やかになったわね。イイ子見つけてきたじゃないレックスちゃん」
少し離れた場所でペスに弄ばれているアリスを遠目にタカコが微笑を浮かべる。追ってレックスも視線を向けるが、興味がないかのように「ふんっ」と鼻で笑った。
「僕が見つけたわけじゃない。あいつが勝手に現れて僕に付きまとっているだけだ」
「ふーん? その割にはまんざらでもなさそうだったけど?」
そんなレックスにパルナが軽蔑するかのような見下した視線を向け、すかさずレックスは気まずそうに視線を逸らした。
「そういえばピッタとクルルはどうしたんだ? いないみたいだけど」
その傍らで、ピッタも将来大きくなればペスくらいになるのだろうかと、どこか父親のような感覚に陥りながら、キョロキョロと鏡がピッタとクルルの姿を探し始める。
「クーちゃんとピッちゃんならティナを迎えに行ったわよ? あの子、テント内に籠りっきりだからこっちから呼びに行かないと出てこないからね」
「出てきたくないなら無理に出さずに飯を持って行ってやったらいいのに」
「駄目に決まってるでしょ? そんなことしても心を弱めるだけよ。あたしたちだってたまに顔を見ないと心配になるし、少しでも皆と顔を合わせさせて心のケアをしていかないと……あの子、本当にダメになっちゃうわよ?」
心底心配しているのか、パルナは不安そうな顔を浮かべてため息を吐いた。
「……何よ? なんか言いたいことでもあるわけ?」
そんなパルナを鏡が「誰だこいつ」とでも言いたげな表情で見つめる。
「いや、俺がいないうちにお前本当に変わったなーって思ってさ。なんていうか、妙に世話焼きになったというか」
「あんたの時間の感覚と違って、こっちは三年間も時間が経過してるのよ? ……あたしは別に変わったつもりはないけど、変わるには十分な時間よ。あんたの代わりに、ずっとあの子のこと見てたんだから」
パルナの言葉を聞いて、鏡は少し真剣な表情になって目を瞑った。メノウがいなくなったにも関わらず、パルナがこうして気丈な態度を取り続けられているのも、アリスを守らなければならないという使命を自分に課しているからなのだろうと感じたからだ。
逆を返せば、それで心を保っているようにも見えた。同時に鏡は確信する。アリスに何もしないように言いつけたのは間違いではなかったと。
「……いつの間にか立場が逆になったな」
「おかげさまでね。言っとくけどあたしは感謝してるわよ? だから……壊さないで、あんたが守りなさい。これ以上は……あたしも厳しいから」
少し思い出して気が滅入ったのか、パルナは顔を俯かせると鏡の横を通って再び炊事へと戻る。
そうは言われても、鏡にもどうすればいいのか、明確な答えはわからなかった。
既にもう、自分たちの日常を彩る大事なパーツの一つが、壊れてしまったから。
「どうすりゃ……いいんだろうな」
守れると思っていた。自分の力を過信していたと言ってもいい。仲間の力と自分の力が合わされば、きっと何でも乗り越えられる。そう考えていた。
でも、現実は違った。
メノウがいなくなってから、鏡の中で「次も守れるのか?」という自問自答が繰り返され続けている。その答えはわからなかった。だが、今の状態のアリスを守るには来栖に会う以外に方法はない。そして会いに向かって、仲間を守り切れる保証は今回の一件でなくなった。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
だから、仲間を守れるように少しでも出来ることに手をつけた。武器を手にしたのも、それが理由だ。それが理由。鏡はそう、思い込んでいる。
「ほら、鏡ちゃん。ティナちゃん来たみたいよ」
再び自問自答の迷宮へと潜ろうとした刹那、タカコが鏡の肩をポンッと叩いて前を見るように促す。そこには、いつものようにキレのあるツッコミで周囲に元気を振りまいていたティナの姿はなく、どこか虚ろで、暗い表情を浮かべながらトボトボと歩くティナの姿があった。