己が意志-7
「鏡君、僕は君を試したい。全てを知りたければフォルティニア王国……ロシアに来るといい。そこで決着をつけようじゃないか? 待っているよ」
「俺が……罠とわかってて行くとでも?」
「来るよ。君は僕の元に来るしかない。それ以外にこの世界を救う真の方法知る術はないからね。何より君はこの現状の不条理を認めない。僕が憎くて……仕方がないはずだ」
本当は別にどちらでもよいとでも言わんばかりに、余裕の笑みを浮かべる來栖を見て、鏡は歯を『ガリッ』と噛みしめる。
そうやって笑みを浮かべる顔すらも、自分たちをロシアへとおびき寄せるための動機付のための演技ではないかと思えてしまうほどに、今何も言い返すこともやり返すことも出来ない現状が悔しくて仕方がなかった。
「君が復讐に来るのを楽しみに待っているよ……さあ、行くよ油機。君のスキルは貴重だからね、君にはまだまだ働いてもらわないと。バルムンク君はそうだね……ここまで頑張った君たちへの褒美として置いていくことにするよ。情報を引き出せるなら……引き出せばいい」
來栖がそう言って指をパチンと弾くと、油機の足元に仄かに青い円形の光が灯り始める。
「おい油機!」
それを見て、メリーが必死な形相で油機の名を叫ぶが――、
「…………ごめんね、メリーちゃん」
どこか、どうしようもないとでも言いたげな暗い表情でそれだけ言い残し、來栖と共に青い光に包まれてその場から消え去った。
「油機……お前、何を知っちゃったんだよ」
メノウが戦っている最中も、苦しそうな表情で叫んでいた油機の姿を思い浮かべ、メリーはぎゅっと握り拳を作る。
油機は苦しんでいた。目の前で起きている不条理に納得していなかった。それでも、それを見過ごすしかないほどの何かを油機は知ってしまっている。その辛さを分かってあげられないことに、力になってあげられないことに不甲斐なさを感じ、拳を地面に打ち付ける。
「絶対に……会いに行くからな」
友として、油機の苦しみを解放する。そう誓い、メリーはこの戦いを最後まで見届ける覚悟を決めた。
「メノウ……ボク、傍にちゃんといるよ? まだ、諦めちゃダメだよ?」
「わかります……あなたの温もりが伝わってきていますから。相変わらず、暖かい手ですね」
來栖と油機がいなくなり、ノアの地下施設内に來栖に関係していた者がバルムンクを除いて全ていなくなってしまった静かな空間の中で、アリスとメノウの囁くような声が響き渡る。
最早目が見えていないのか、涙を目に溜めてひたすらメノウの手を握り続けるアリスの顔に焦点は合っておらず、違うどこか虚をメノウは見つめ続ける。
最早アリス以外は皆、メノウの死は免れないと覚悟し、メノウの周囲には集まりはするが、ほとんどが暗い表情で俯いたまま今にも消えそうなメノウの姿を視界に映そうとはしなかった。
見るのが、辛すぎたから。
ティナは泣きじゃくり、クルルは何もしてあげられない自分の無力さを呪ってペタリと地面に座り、パルナは瞳に溜めた涙を誤魔化すように帽子を深く被り、メリーは辛い表情でメノウに背中を向け、タカコはメノウに視線を合わせずにアリスを支えるように背中をさすり続けた。
唯一視線を逸らさずに見届けられたのは、アリス、レックス、鏡、ピッタ、朧丸だけだった。
「……ピッタ殿はいるか?」
その時、メノウから直々にピッタに声が掛かる。ピッタは一度鏡に視線を向けたあと、「聞いてやれ」と促され、メノウの傍に近寄って「呼んだです?」と優しく体に触れる。
「貴殿とは……まだ出会ってから日が浅いが……アリス様は妹のように思ってくれている。貴殿は……鏡殿の娘なのだろう? なら、良ければ……アリス様の傍に、ずっと居てやってくれないか?」
「おじさん……消えちゃうです? ピッタ……おじさんのこと、まだよく知らないです」
「……すまんな」
ただその一言だけでピッタにも理解できたのか、「わかった」と告げるように力強くメノウの手を握るだけでそれ以上は何も言わず、メノウの傍から離れて鏡の足元に「ボスッ」と顔を埋める。
「何言ってるの……? メノウは、消えないよ? まだ、消えちゃダメだよ!」
「アリス様……もう時間がありません。最後に言葉を交わす時間を……」
「……でも!」
認めないとあがこうとするアリスを、帽子を深く被ったままのパルナが腕を横に伸ばして制止する。その意味がわからないアリスじゃなかった。わかってしまったからこそ、もうどうしようもないのだと、瞳から嗚咽にもならない涙を流し始める。
「鏡殿……いるか?」
「……ああ」
「……アリス様も、私と同じ状態にある。貴殿が……救ってやってくれ」
「…………っ」
「………頼んだぞ」
「……あぁ」
耐えれなくなって、鏡も視線を逸らす。メノウは、鏡に対して多くは語らなかった。
語らずとも、語りたいことは全て理解し合えていたから。
「……レックス殿」
「なんだ?」
「貴殿とは……一度手合わせしてみたかった。手合わせしたうえで、より高みに辿り着くための談義を……平和な世界で、やってみたかった」
「……僕もだ」
感傷にあまり浸ることのないレックスが周囲に見せたことのない、まるで子供が泣くときに見せるような悲痛な表情を浮かべる。
「だが私は……魔族の身でありながら貴殿と戦わなかったことを…………誇りに思うぞ」
友になれたこと、それはレックスにとっても同じ誇りだった。その誇りが今、目の前で失われようとしている。その事実に遂にレックスは見続けるのが耐えきれなくなり、立ち上がってメノウに背中を見せる。
「僕は……僕はもっと強くなる。お前なんか……相手にならないくらいな」
「……ああ」
レックスのその答え返しに、メノウは軽く鼻で笑うと、満足そうに笑みを浮かべた。
そして、もう心残りはないと言わんばかりに、メノウはアリスの頭にポンッと手を置き、撫で始める。
「大丈夫です。私は消えたりなんかしない……あなたと共に居続ける」
「メノウ?」
直後、メノウの身体から放たれていた光がアリスへと注がれる。アリスへと注がれた光は、アリスの周囲を仄かに照らし、そのまま吸収するかのように光を失ってアリスの体内へと吸い込まれていく。
「私の身体を構成している魔力は……あなたの身体を構成している魔力と同じはずです。もしかしたらと思いましたが……上手くいったようですね」
「いいよ、いらないよ。逆だよ……ボクのをあげるから! まだ、諦めちゃ……」
「覚悟……していたことでしょう?」
焦点の合っていなかった視線が、アリスへと合わせられる。その瞬間、メノウの言いたいことをアリスは理解し、口を閉じて涙ぐむ。
こうなることも全て覚悟したうえで、ここに来たいと言い出したのは自分自身だった。それなのに、言い出した自分よりも早く、巻き込む形になったメノウの命が消えかけているからといって、いつまでも踏ん切りをつけられずにあがくのは、メノウをがっかりさせてしまう。口を閉じたのは、そう思ったからだ。
「これで、あなたも暫くは持つはずです。……だから」
そんなアリスを見て、メノウは満足そうに笑みを浮かべる。
そして最後に残った力でアリスを強く抱きしめると――、
「夢を……あなたの夢を叶えてください。それが私の……願った……ゆ………め…………だ…………から」
耳元で囁くようにそう告げ、身体の全てを無数の光の塊へと変化させる。
半分は天へと、半分はアリスの身体を支える魔力となってアリスに吸収され、後には、メノウの身体を包んでいた服だけが残された。
「……メノウ」
メノウが身に纏っていた服を拾い上げ、アリスはその存在が確かに先程までいたということを確かめるように、強く抱きしめる。
泣き叫ぶ者はいなかった。ただ黙って、静かに涙を流しながら、天へと昇っていく光の塊を見届けた。
だがその中で、唯一涙を流さず、その場に立ち尽くしてその光を見届けた者がいた。
「……ご主人。それが、某が抱く感情でござる」
「……なるほどな」
それに悲しみを感じさせる要素は一切なく、一匹は、何も感じていないのか静かにその光を見届け、もう一人は――、
「これは……耐えられないな」
ただただ憎しみに満ち溢れた。顔を見るだけでその溢れ出る殺気によって気絶してしまいそうな、悪魔のような、恐ろしい表情を浮かべていた。