己が意志-3
「覚えていますか? 愚かだった頃の私が犯してしまった一度全てを失ったあの日を」
それから、メノウが再びアリスたちに顔を見せることはなかった。メノウは顔を見せることなく、再び現れたモンスターへと相対し、両手に魔力をこめ始める。
「あの日……私は自分が愚かだったことを知りました。同時に、私は誰からの信用も失いました」
両手に込められた魔力は、爆破魔法となって眼前のモンスターへと降り注ぐ。それと共に、メノウの身体から放出される光の塊は徐々に数を増していく。
「誰が、いつ自分を責めているのか? 誰が、いつ自分を愚かだと見下しているのか? 全ての存在が自分の敵だと錯覚するほどに……毎晩毎晩、疑心暗鬼の夜を過ごしました」
もう立っているのも限界なのか、メノウは足を何度もふらつかせ、前へと歩き進む。
「無論、あの事件以来……私に話しかける者なんて誰もいなかった。強さを褒め称え、親身になってくれていた者も、私を愚か者と罵り離れていった。故に私は一人だった。たった一人で誰も傍に近寄ることのない虚しい日々を過ごしていました。アリス様……あなたを除いて」
「聞きたくない……そんなの聞きたくないよ!」
とっくの昔にメノウの体力は限界を迎えていた。それでもメノウは、目の前に迫りくるモンスターに背を向けようとしなかった。限界を超えて、それでも尚、前へと進み続ける鏡を思い浮かべ、己が命を削るかのように力を奮い続ける。
「私が……再び前に進めたのも全てあなたのおかげなのですよ? ……今こうしてこの場で、仲間のために戦うことができているのも……全て、あなたのおかげです」
自分のみが失われるのを恐れ、また、アリスの身が失われるのを恐れて、ダークドラゴンの前で臆してしまった自分を思い返し、メノウは「情けない」と失笑する。そして、必死に敵の裏を突こうとあがいて結局何もできずにいる自分がとてつもなく滑稽に思えた。
だがそれでもメノウは、今の自分が恥ずかしいとは思わなかった。
「うつろいゆく日々の中、私は魔族としてではなく、人としてではなく、メノウというただの一人の個人として生きてきました」
「メノウ……ちゃん」
鏡と出会い、人と共に歩む道を選んでから、メノウがアリスに言われたからではなく、魔王に命令されたからではなく、自分の意志で今の道を歩んできたのを知っているタカコは、その日々を思い返して顔を俯かせる。
「その日々は今まで見てきた私の全てを覆す素晴らしき日々だった。何より……楽しかった。ずっと、こんな日々が続いて欲しいと切に願いました」
「嫌です……嫌です! まだ、まだメノウさんとやりたいことがたくさんあるんです!」
カジノで共に働き、疲れた日や落ち込むようなことがあった日には、なんでも相談を聞いてもらっていたティナは、その日々が無くなってしまうのを恐れ、首をぶんぶんと左右に動かす。
「それはきっと、昔のままの血で血を洗うような道を行こうとしていた私では決して辿り着けなかった世界です」
「ふざけるな……新しく辿り着いた道なのだろう? なら、まだ終わらせるには早いはずだ!」
かつて、生き方は違えど、同じ生き様を辿ることになっていたかもしれなかったレックスには、メノウの世界が変わって見えたかのような感覚が、痛いほどわかった。痛いほどわかっているからこそ、それをこの先も見ることの出来ない辛さが、嫌というわかってしまった。
「これは……全部あなたが運んできてくれたのです。私が変わるきっかけをくれたのもあなたです。そして、私に人間を知る機会をくれたのも……あなたです。アリス様」
「聞きたくない聞きたくない聞きたくない!」
初めて聞くアリスの駄々に、一同は顔を俯かせる。だが一人、パルナだけが顔を涙でぐしゃぐしゃにさせながらも視線を逸らさず、「アリス!」と、強く叫ぶ。
「アリス……視線を逸らさないで。しっかりと見届けなさい……いいわね?」
辛いはずなのに、涙を流しているのに、それでも気丈にアリスに向かって笑顔を浮かべるパルナを見て、アリスも嗚咽のない涙を瞳から大量に流しながら、メノウへと視線を向ける。
その時、メノウは背中越しにパルナに「ありがとう」と、そして、「保護者勝負は……貴殿の勝ちのようだな」と、肩を震わせながらつぶやいた。
それでも容赦なく迫りくるモンスターを前に、メノウは最早ほとんど残されていない魔力を振り絞って両手へと注ぎ、言葉を続ける。
「確かに私はあなたと約束しました。ずっと傍に居ると、共にアースクリアへと戻ると。ですが……それよりも私は優先したいことがあるのです」
「……メノウ」
「約束なんかよりもずっと大切な、約束なんかじゃ縛れない想いが私の中にあります。魔族として、仕える主に交わした約束よりも、メノウという私個人が守り通したいものがそこにある」
いつ消えてもおかしくはない、そう思えるほどの攻撃魔法の連撃をメノウは放ち続ける。だがメノウは倒れることなく戦い、そしてアリスへと想いの全てを伝え続けた。
「だから……私がここで自分の命惜しさに逃げ出さないのは、約束のためだからじゃない」
決して振り返ることなく、自身からも流れ出る涙を誤魔化すように。
「この身が犠牲になろうとも……その命を守り通すため! そしてそれは、その大切な人と交わした約束よりも……ずっと、ずっと重い! 私自身が立場など関係なくその恩人に抱く――」
それが最後の一撃であると瞬時に理解できる大きな魔力の塊を、メノウは片手に込めて眼前に迫るモンスターへと視線を向ける。残ったモンスターの中で、最も体躯が大きく、アリスたちに大きな被害を与えるであろうそのモンスターにメノウはその魔力の籠った手をかざし――、
「たった一つの……大切な己が意志なのだ!」
その叫びと共に、これが自分の全力であり、真の力なんだと訴えかけるかのような、眼前が光で埋め尽くされる程の威力のある爆破魔法を撃ちつけた。