たった一人-9
「随分と余裕なんだな」
「お前とは一度……いや、お前が獣牙族のエースであるならば何度もか? 戦っているからな」
「……勝てるって言いたいのか?」
「少なくとも……俺が負けることは絶対にない」
本気で言っているのか、バルムンクは声色一つ変えずに言い切った。
どんな策があるのはわからなかったが、少なくとも逃げることはもう出来ないのだと、鏡は判断した。相手に逃げられて情報を共有されるリスクがありながら、素顔をさらしたということは、鏡を逃がさない何かしらの対策があるからとしか思えなかったからだ。
少なくとも、バルムンクは鏡の殴打を受けてダメージを受けた様子はなかった。そのことからも、鏡は嘘で言っているのではないと油断せずに身構える。
「……ご主人、気を付けるでござるよ。こいつは間違いなく、某の身体を弄りまわした者に通ずる。某のような特殊な力を持っているやもしれぬ」
鏡の頭の上で、その小さな身体から発しているとは思えないほどの威圧的な殺気を、朧丸はバルムンクへと向ける。だが、それも予想通りとでも言いたげに、バルムンクは朧丸の殺気を受けて皮肉った笑みを浮かべる。
「随分と余裕みたいだな。隊長ともなれば、どんな状況でも焦らないもんってか?」
「お前こそ……負けるとは微塵も思っていないような顔をしているが?」
追い詰められたかのような焦った表情は一切浮かべず、いつも通りの平然とした表情で鏡とバルムンクはお互いを睨み合う。
「ピッタ。少し離れてろ」
ピッタを連れたままでは倒せないと判断したからか、鏡は力強く背中にしがみつくピッタを地面へと降ろし、一歩だけ後ろへと下がらせる。その瞬間――、
「……っな⁉」
意表を突かれたのか、バルムンクは思わず声をあげた。
ピッタが離れたと同時に、鏡はすぐさま地を蹴って間合いを詰め、渾身の殴打をバルムンクの腹部に打ち込んだからだ。あまりの速さに反応しきれず、バルムンクは表情を歪ませる。
「一発で……終わりだと思うなよ!」
一撃喰らわせただけじゃ倒れない。先の攻撃でそれを理解していた鏡は、間髪入れずに連続の殴打をバルムンクへと打ち込んだ。
たった数秒の出来事にも関わらず、何十発もの拳がバルムンクの身体の正面へと打ち込まれ、まるで爆発が起きたのかと聞き違えるような肉を叩く音が周囲に響き渡る。
「無駄だ」
「……っ⁉ なるほど」
たとえレベル150を超える巨大なモンスターであっても耐えきれない殴打の嵐を受けたにも関わらず、まるで痛みを負っていないかのようにバルムンクが声を発したのを聞いて、鏡は思わずバルムンクの傍から飛び退いて距離をとる。
「なるほどな……こりゃ硬いとかタフだとかそういう話じゃなさそうだな。朧丸が言っていた特殊な力というやつか? 全然効いてないな」
数十発も殴られたとは思えないほどにケロッとした顔で、バルムンクは笑みを浮かべる。
「はっはっは! 特殊な力なんて持っていないさ。これは元々俺自身が持っていた力さ。戦士として魔王を倒す度に出ていた俺が身に着けた……な」
「なるほどスキルか。……ん、待って、もしかして、もしかしてだけど。ダメージ無視とかそういうせこいスキルじゃないよな? そんな凄いスキルだったら俺、思わず羨ま死するんだけど」
「そんなスキルがあるなら、こんなに苦労しないさ」
まるでバルムンクは、「そんなのがあればいいのにな」とでも言いたげに、深い溜息を吐いた。その時に少しだけ見せたバルムンクの表情がどこか寂しげで、鏡は少し困惑する。
「俺のスキルはダメージを防ぐんじゃない。流すんだよ……全部後ろにな」
親指をクイックイッと背後へと向け、バルムンクは笑みを見せる。
スキル……受け流し
効果……受けた衝撃を全て、衝撃受けた部位から反対側に位置する部位へと流し、そのまま放出してダメージを回避する。
「充分せこいじゃねえか、そりゃタカコちゃんがあっさり捕まるわけだぜ。馬鹿みたいにタフだと思ったら、そういうタネがあったわけか」
「すまないな。お前が頑張って俺に与えたダメージは、全部背後へと受け流させてもらった」
「謝れるくらい余裕ってか? いいのかよネタばらしなんかしてさ?」
「ああ。情報通り……殴る蹴る以外に攻撃手段を持たないお前に俺は倒せないからな。それにもう充分だ……元々こうやって戦っていたのは、実は俺のわがままなんだよ」
「情報通り……? わがまま?」
その瞬間、鏡の身体に異変が起きた。
ぐらりと視界が歪み、急に身体に力が入らなくなったのだ。あまりの気だるさに鏡は思わず片膝を崩してその場に座り込む。
「ご主人? ご主人⁉ しっかりするでござる!」
「……なんだ? なんだよ…………これ?」
意識が朦朧とする中、鏡はそれがバルムンクの行動によってもたらされた攻撃でないのは理解していた。何者かに、自分の首筋に何かを刺された感覚が直前にあったからだ。
「そういう……ことか」
背後に視線を向けると、まるで不意打ちにでもあったかのようにピッタが地面に倒れていた。
そのことから、鏡は一体どんな攻撃を受けたのかを理解する。敵が近付いていることに気付けず接近を許したとなれば、それはもう――、
「いるんだな……近く……に」
タカコとクルルを連れ去った、姿も気配も隠すことが出来る何者かの攻撃しかありえなかった。
「ご明察。まさかまだ意識があるとはな、常人であれば抗うことも出来ずに倒れるほどのきつい睡眠薬なのだが……いや、やはりお前は身体能力だけならば類を見ない力をもっているのかもしれない。最も……それだけしか出来ない者は不要だがな」
「な……に言って?」
「チェックメイトだ。すまないがお前のあがきもここまでだ」
「ぅ……ぁが」
気配を消して再び近付いていたのか、まだ動ける鏡に留めと言わんばかりに、薬品の臭いが漂う布が何もない目の前の空間から出現し、鏡の顔に押しつけられる。傍にいた朧丸も同じくその薬を嗅がせられたのか、荒げた声を発していた口を閉ざし、倒れるように眠ってしまう。
「……まだ、意識があるのか」
朦朧とし、眠気で身体も起こせない状態にも関わらず、鏡は目を反開きにした状態でバルムンクを睨みつけていた。
だがそれも長くは続かず、遂に限界に達したのか鏡は地面へと倒れる。
「っふ。最後までわからん男だったな」
バルムンクがそんな言葉を漏らしたのには理由があった。絶望的な表情は一切見せず、どこかまだ何かを狙っているとでも言いたげな不敵な笑みを鏡が終始浮かべ続けていたからだ。
しかし、バルムンクにはそれは、ただの負け惜しみにしか見えなかった。