疑心暗鬼の夜-5
『だから……メノウも生きて。そして仲間のために戦ってあげて……約束だよ?』
『……わかり……ました』
その時メノウは、自分が統率者としては相応しくないのだと自覚した。
己が野心を思いのままに振るえば、きっと大勢の命を失うことになる。それをまるで考慮出来てなかった。そして、それを考慮しながら戦うことは、きっと自分には出来ないと悟った。
仲間を傷つけずに戦う術を、メノウは知らなかったから。
メノウは『野心よりも……大切なものがある』と口にしていた魔王を理解し、魔王はいつか魔族の民が傷つかず、人間に脅かされずに済む機を窺っているのだと解釈した。
いつかその時が来た時、己が力を存分に振るえるように、民が傷つかない戦いを采配できるように、魔王の元で学び、多くの知識と応対力を身に着けると決意した。
「結局、身に着けた力は何の役にもたたなかったがな……初陣で鏡殿にコテンパンにされてお終いだ。あれに目の前に立たれた時は絶望しかけたぞ? ……なんせ、私の全力の魔法を三連続で喰らわせてもピンピンしてるんだからな」
鏡との出会いを思い出してか、メノウは苦笑する。
「役にはたってるさ。少なくともお前がいなければ危うい場面は何度だってあった。師匠が圧倒的すぎて埋もれているが、タカコも、メノウも、パルナも、クルルも、ティナも、アリスも、誰か一人でも欠けていたら……きっと僕たちはここにいない」
「……そうだな、その通りだ。変なことを聞いた」
レックスが本心でそう言っているのがわかったからか、メノウは少しくすぐったい気持ちになり、誤魔化すように肩まで湯に浸かり、「ふふ……そうか、役にたっているか」と笑みを見せる。
「しかし、魔族にもいろいろあるのだな。師匠と出会わなければ……知る由もなかったが」
不気味に笑い声をあげるメノウを横目で「……ふぅ」と溜息を吐き、レックスはそう語る。
「確かに……魔族にも色々ある。それこそ人間と同じようにな」
すると、レックスが放った言葉の中に、少し不可思議に思った部分があったのか、メノウは表情を戻し、深刻そうに眉間に皺を寄せた。
「アリス様も言っていたが……我々魔族は、本来はこの現実世界で肉体を持たない。ただのデータとしての存在でしかないはずだ。魔王様が殺されればリセットされて消えてなくなる存在でしかない」
「……どういうことだ?」
「いや……どうして我々魔族もレックス殿や鏡殿たちと同じように、考え、悩み、行動し、そして感情が揺り動くように作ったのだろうと疑問に思ってな」
「まあ……そうだな。仮に人間の成長を促す敵だけでいいのなら、モンスターのようにとまでは言わんが、ある程度知識を持って連携行動を行う存在で良かったようにも思えるな。リセットされて無くなるというのなら……お前が話してくれたような小さな物語が生み、アリスみたいな魔族が現れる可能性を残した意図は、僕もわかりかねていた」
「そこだけ不可解なのだ。私は……いっそ感情をもたない存在として作ってくれた方が、幸せだったんじゃないかと思う時が何度か……」
まるで苦しんできたと訴えかけるような表情で言いかけて、レックスが怒りを感じられる表情で睨んでいたのが視界に入り、メノウは口を紡ぐ。
「苦しいことはいくらでもある。僕だってたくさんある……でもなかった方が良かったなんて思ったことは一度だってない。歩んできた道があったおかげで僕たちは……お前は今こうしてここにいるんだろう? それを不幸なんて言わない方がいい。アリスと師匠が悲しむぞ? いや……僕たち全員か」
「そう……だな。不幸と思った分、良かったと思えることはたくさんあるか。すまない、変なことを口走ってしまったようだな。レックス殿も、言うようになったものだ」
メノウは変に気負ってしまっていたと反省し、リラックスした様子で一息吐きながら、再び湯に深く浸かる。だが反して、レックスの表情は穏やかではなかった。
明らかに、話せない重い何かを抱えている。それを、感じ取ってしまったからだ。
『少なくとも、自分の在り方について悩み、苦しそうな表情を浮かべることなんてメノウには一度もなかった。何より、この世界に来てからメノウはずっと何かに悩んでいる』レックスはそう考えていた。
「聞かないでおこうと思っていたが……メノウ、お前は僕たちに何を隠している?」
レックスが言葉を発した瞬間、メノウの表情が明らかに固くなり、静けさが周囲を包み込む。
先程と変わらず「チャプ」と、湯に触れる音しか響いていないにも関わらず、別の空間に移動したかのような張り詰めた空気が二人の間に漂い始めた。
暫くして意を決したのか、黙っていても仕方がないと諦めたのか、メノウは「ふっ」と軽く鼻で笑い、ゆっくりと口を開こうとする。だがその瞬間――、
「メノウ! レックス! 無事か⁉」
浴場の扉が「ガラガラバンッ!」と勢いよくスライドして開かれる。
するとそこから、ここまで全力で音を起てないように走ってきたのか、珍しく取り乱した状態の鏡が、血相を変えて姿を現した。
「無事のようでござるな。ご主人は心配しすぎでござるよ。自分のことだけならあんなに肝が太いのに、仲間のこととなるとご主人はこんなにも取り乱すのでござるなぁ」
鏡の頭上にちょこんと座っていた朧丸はメノウとレックスの姿を見るなり、そう言ってヤレヤレといった表情を浮かべる。
「いやいや、まだ大丈夫と決まったわけじゃないだろ? メノウとレックスは無事みたいだが」
とりあえず二人が無事なのを見て鏡は安堵した表情を浮かべるが、まだここにいない仲間がいると、まだ安心している場合じゃないと気を引き締めなおす。
その傍らで、メノウとレックスの二人は何があったのか全く理解できず、鏡のコロコロと変わる表情を呆け面で眺めていた。