覚えていますか?-2
いくら魔王の娘であるといえど、自分よりも遥かに力の劣る相手に仕えるなど、とてもじゃないが野心に満ちたメノウには耐えがたかった。力を追い求め、絶大な力を持つ絶対的な存在のもとで更なる高みへと上り詰めようと考えていたメノウには、子供のお守りをしている暇はなかった。その時間を使えば、少しでも多くの人間を血祭りにあげられる。
だが、圧倒するような鋭い視線を魔王に向けられたメノウは、それに従わざるを得なかった。
己が力に驕っていたといえど、身体の反応は正直だった。魔王の力の前には誰も逆らえない、だから魔王なのだと理解するほどに力の差があったからだ。
『…………何をしていらっしゃるので?』
最初は、声をかけるたびに身体をびくつかせ、怯えるようにアリスはメノウに接していた。そうなるのも仕方がないほどに、メノウは常にアリスに嫌悪の視線を向けていたからだ。
たとえ人間でなかったとしても、自分より弱い存在は自分よりも劣っており価値がない。それがメノウの考え方だった。
強さが全て。力をもって力を制す。優しさなど必要ない。だからメノウは、妙な慣れ親しんだ感情を抱かれないよう、常に殺気立って自分に弱い存在が寄ってこないようにしていた。
その中でも特にアリスは、魔王の娘とは思えないほどに無防備で、そして弱かった。魔王の命令でなければ見ていたくもない情弱な生き物で、何より――、
『あ、あの……鳥さんが怪我をしてたから手当を……』
優しかった。それが何よりもメノウには耐えがたかった。
たとえ齢5歳で成長の過程にあるといえど、他人に気を遣っていられるほどの力を持たない者が、自分よりも遥かに弱い生き物のために尽くそうとする姿が、気に喰わなかった。
『恐れながら、アリス様は魔族であり魔王様のご息女であらせられます。あなた様よりも遥かに劣る生き物に気遣いなど無用かと』
『どうして?』
『どうしてと言われましても……その鳥はアリス様とは無縁の存在。そこでお救いになったところで後々あなたの助けにはなってはくれない。救ったところで何もない。つまり助けたところで何も見返りはなく、無駄だからですよ』
『んー……ボクにはわかんないや。あの、上手く言葉にできないけど……見返りがあるから助けてるんじゃないと思うんだ』
そしてもう一つ、メノウには耐えがたいものがあった。それは、どれだけ殺気を放とうが、嫌悪の目を向けようが構わず向けてくる、アリスの笑顔だった。その時のメノウには、それがへらへらと笑って意味のない行動を正当化しようと誤魔化しているようにしか見えなかったから。
「さて……この大ピンチの状況をどうするかだが。何かアイデアある人ー」
「てめえをこの場に放置して逃げるってのはどうだ」
「メリーちゃん? その冗談で言ってるようには見えない目で言うのやめてもらえるかな?」
「いや……でも、それ有りですよ……それで、それで行きましょう」
「ティナたん? 状況的に俺が放置される場合、君も放置されるんだけど?」
小型のメシアとの戦いが終わって十数分が経過した頃、一同は戦った痕跡の残る市街地の中に滞在していた。というのも、鏡とティナの体力が回復しておらず、今尚地面を這い蹲っている状態だったからだ。
「話し合いをして……通じる相手じゃないのよね?」
周囲を警戒して戦闘態勢になりながら、タカコは直線状にいる存在に視線を向ける。
「でも、こっちを見てるだけで何もしてこないよ?」
そのタカコに背中を合わせ、反対方向に視線を向けながらアリスが続いてそうつぶやいた。
一同は現在、元々この市街地を拠点にしていた獣牙族の群れに囲まれていた。周囲を見渡しても逃げられないように取り囲んでおり、それぞれの獣牙族が確かな敵意をこちらに向けていた。
先程までは小型のメシアを倒すため、協力体制をとっていたが、戦いが終わるやいなやこうして一同の周囲を取り囲み始めた。
鏡とティナが地面に這い蹲っている今、いくらタカコたちが獣牙族よりも優れた能力を持っていたとしても、数の前にはむなしく、下手に動きをとれない状況だった。
自分たちには倒せず蹂躙されるしかなかった小型のメシアを倒した相手だからか、獣牙族もここちらを警戒してか、何も手を出さずに様子見をしている状態で、睨み合いが続いた状態で既に数分が経過していた。
「話し合いをしてみませんか? 話せばわかってくれるかもしれません。同じ獣牙族のピッタちゃんもこっちにいることですし」
「いやいやクーちゃん、相手を見てから言いなって、完全に殺意向けてきてるじゃない。今は警戒してるから迂闊に手を出してこないだけよあれ?」
周囲を取り囲む獣牙族を見て不安そうにするピッタの手を握りながら、クルルが状況打開のために一歩前に踏み出そうとするが、パルナが慌てて引き留める。
「かと言って、ここで黙ってずっといるわけにもいかないよね?」
「ならお前が何かアイデアを出せよ油機」
「あはー、何も思いつかないかなー。どう考えても無傷で突破は無理だよ。二人這い蹲ってるし」
苦しそうな表情を浮かべながら視線だけをこちらに向けてピクリとも動かないティナと鏡を見て額に汗を浮かばせながら、油機は苦笑する。
「俺のことはいい……お前らだけでも生きてくれ……って、さっき鏡さんが……言ってました」
「いやいや、ティナが自分の魂を神に返す時がやってきましたって言ってたのなら知ってる」
そして二人は倒れながら、どっちが犠牲になるかで醜い争いをしていた。