終わりの見えない道-24
「雨か……好都合だ。臭いが余計に隠れる」
囁くような声量でつぶやきながら、バルムンクは橋の外側の木にくくりつけたディグダーから送られてきた映像に注視する。
そこにはおよそ数十人ほど、雨風や直射日光を防ぐためにフードマントを被った集団が、獣牙族の子供や老人の歩幅に合わせてゆっくりと歩いて来ていた。その中に、人数分のフードマントを用意できなかったのか、フードマントを被っていない獣牙族がちらほらと見え、その見た目が明らかになる。
獣牙族は、獣と名が付くほど獣のような見た目をしているのかと思えばそんなことはなく、耳が獣のようになっているのと尻尾が生えている以外、むしろ見た目は人間に近かった。
個体によって耳の形や尻尾の種類が違うがそれだけで、耳と尻尾を隠されれば人間と呼んでもわからないほどだ。
微妙な違いがあるとするなら、体格が人間と比べると大きいことだろう。
獣牙族の男性の身体つきはまるで戦うために生まれてきたかのように大きく、全身が筋肉で引き締まっており、まるでタカコが群れを成して歩いているかのようだった。獣牙族の女性も男性に比べると細いが、身のこなしの良さが窺えるほど引き締まっている。
更に、獣牙族の若者たちは、動物の毛皮と布で作られた精巧な作りの服に身を包んでおり、肩に下げた布袋や、人間から奪ったであろうナイフ等を所持していることから、ある一定以上の文明力を持ち合わせているのが窺えた。
「ねぇ……パルナさん」
「……わからない。でも、ここはアースクリアとは違うわ……事情が全て違う」
喰人族の襲撃を受けて慌てて逃げ出してきたのか荷台らしきものはなく、子供と老人を守るように周囲を警戒しながら獣牙族の若者たちは石橋へと向かっている。
アリスにはその光景が、かつて魔族が人間に追いやられていた光景とダブって見えた。もしかしたら獣牙族の中にも、自分と同じように和平を望んでいる者がいるのではないかと、淡い期待をほんの少しだけだが抱いてしまう。
パルナも、かつての過ちから考慮し、その可能性を感じていた。だが、ここはアースクリアとは事情が異なる世界であり、獣牙族は魔族とは違う。安易な期待は身を滅しかねない。それ故に、例えそうであったとしても、情報の足りなさすぎる現状で獣牙族の身を案じるのは愚かであると判断した。例えここで戦わなかったとしても、過去に殺し合ったという遺恨は消えない。なら、今するべき行動の答えは決まっていた。
「……奴らが石橋を渡る。覚悟はいいな?」
獣牙族の一人が自分達の頭上の石橋に足を踏み入れた瞬間、バルムンクの言葉にその場にいた全員が声を出さずに小さく頷く。全員の恐れなき眼差しを確認して満足そうに笑みを浮かべると、バルムンクは罠の仕掛けた地点に獣牙族が移動するのを待ち、もう少しで全員がその罠の影響範囲に入るタイミングで声を出さずに五本の指を立て、数えるように一本一本折っていく。
「今だ!」
そして、指が全て折られた瞬間、遠く離れた地点にもかかわらず、思わず顔を塞ぎたくなるほどの熱風と、耳を塞ぎたくなるほどの爆音が襲い掛かる。仕掛けていた罠から発生した大爆発は見事に獣牙族を捉え、そのほとんどを石橋と共に川へと叩き落とした。
だが、獣牙族はあれだけの大爆発を近くで受けたにもかかわらずそのほとんどが軽傷で済んでいた。
「奴らに対処する余裕を与えるな! 全員……攻撃を開始しろ!」
「「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」
しかし、川に仕掛けられていた電磁ネットの罠に獣牙族は次々に捕まり、身体の自由を奪われてもがき苦しんだ様子をさらけ出していた。一網打尽のチャンスを目の当たりにして、レジスタンスの構成員たちは空気を揺るがすほどに雄叫び、それぞれの得物を駆使して攻撃を仕掛ける。
構えられた魔力銃器から放たれた魔力弾は一発にとどまらず、撃ち終えた瞬間に魔力で再び弾が装填され、間髪入れずに次が発射される。魔力銃器を持たないメノウ、アリス、パルナ、クルルを含めるアースクリア出身の後方支援部隊も魔法を駆使して、獣牙族を焼き尽くさんばかりの炎を前方へと撃ち放った。
身動きのとれない相手に無慈悲としか言いようのない量の攻撃が獣牙族へと降り注ぐ。
「……なんだ?」
その時、言いようのない違和感がバルムンクを襲った。
魔力弾や炎などの攻撃が獣牙族に雨となって降り注ごうとした時、まるで隕石でも衝突したかのようなぐらつく揺れと地響き、そして耳を塞ぎたくなるほどの爆音が突然発生したからだ。
自分達の攻撃で多少揺れたりするにしても、今の揺れと音が自分達の攻撃で発生したものではないのは明らかだった。現に今も間髪入れずに攻撃を続けているが、先程のような大きな音も揺れも発生していない。
その音が発生する直前、何かが猛スピードで石橋の上から川の中へと落ちてきたような気もしたが、魔力弾による衝撃と、炎による熱で川の水が水蒸気となって視界を遮っているせいで、実際どうなっているのかが掴めずにいた。
「全員攻撃を止めろ! 一度風で水蒸気を吹き飛ばせ! 視界を確保するんだ!」
バルムンクの指示により、後方支援部隊の魔法によって突風が石橋の下を吹き抜ける。突風と共に発生した水蒸気は吹き飛ばされ、徐々に罠にはまった獣牙族の状態がさらけだされるがーー、
「嘘……だろ?」
「おいおいおい……! おいおいおいおいおいまずいんじゃねえか⁉」
予想外の光景に、一同は思わず声に出して動揺してしまう。
あれだけの攻撃を放ったにもかかわらず、獣牙族はダメージを負った様子もなく、変わらず罠によって身動きがとれない状態でもがいていた。
それだけならまだ良かった。
もがきあがく獣牙族たちの前に、撃ち放った攻撃を全て防いだと思われる直径10mはあるであろう大きな円形状の石橋の破片を軽々と片手に、獣牙族には見えない細身のフードマントを被った男が立っていたのだ。
フードマントの男は川の底を拳で殴りつけ、水しぶきを撒き散らして攻撃のクッションにするだけではなく、一緒に落下してきた石橋の破片を瞬時に盾にして全ての攻撃を防いでいた。破片といえど、その重さは尋常じゃない。それを、持てるとは思えない細身の腕で、現在も軽々しく片手で持ち上げている光景を前に、一同は目を疑わずにはいられなかった。
「え……エースだ。エースが出やがった!」
レジスタンスの構成員の一人が恐怖に歪んだ顔で叫び散らす。
ここに来る前にもバルムンクより聞いていたエースと呼ばれる男の顔はフードマントによって隠れており、容姿はわからない。だが、その男性にひっつくようにして、橙色のセミロングストレートとぱっちりとした大きな目、キツネのような黄色くフワフワとした耳と尻尾が特徴的な獣牙族のまだ幼い少女が立っていたため、その男性も獣牙族であろうことが窺えた。
「…………鏡……さん?」
周囲のレジスタンスたちが獣牙族のエースが来たと慌てふためく中、アリスだけはキョトンとした表情で、目の前に落下してきた男に向かってそうつぶやいていた。