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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-a『間違いなく彼らはそこにいる』

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5/59

5・空は晴れて、草原の風は気持ち良く、昼寝日和。

 地平に傾いた丸い月はまだ明るく輝いてはいたが、すでに太陽は顔を覗かせており、その月光は薄れつつある。

 ほんのり暁の色が残る澄んだ空には、雲ひとつない。今日も一日晴れるだろう。朝の日差しが世界を満たす、そんな清清しい早朝の野原にて、ずいぶんと泥だらけになりながら草花をじっと見ている者がいた。

「あれは……」

 町の周りは見通しのよい草原で地平線までよく見える。キセノンは視界に入ったそれを見て、走る速度を緩めた。

 彼は軽く朝食をとった後に走り込みをするのが日課であった。この町にいる間は外壁の周りを1周している。半周ほど走っただろうか、それが目に付いたのだ。彼は走る経路を変更し、そちらのほうへ向かった。


 キセノンが背後に立っても、その人物は気がつく様子は無かった。

 今は水溜りではなく草の方に興味がいっているようで、地面から丁寧に掘り出した草を熱心に描いている。よく見れば周りには同じように根がむき出しの草花が数種類、放置されていた。おそらく、それらの植物も描いていたのだろう。

 今もなお、夢中になって細い筆を動かしている。今度はどんなおぞましい絵が描いてあるのかと思いながら、キセノンは後ろから覗き込んだ。

 色はついていないが、本物と見間違えそうなほど、繊細で写実的なごく普通の絵が、そこにはあった。昨日見た絵は奇妙奇天烈で評価のしようがなかったが、この絵を見れば一目瞭然である。間違いなく、絵を描く才はすばらしいものがあるとキセノンは思った。

 しかし、今回気になったのはその絵ではなく、描かれた草の絵のまわりに文字らしき記号をびっしりと書き込んでいることであった。見たことが無い文字だったが、おそらくそれが故郷の文字なのだろうと、容易に想像がついた。

 丸みを帯びた文字と、角ばった複雑な文字が入り混じり、横一列に並んでいる。書きなぐったせいなのか、書いた本人にしか解読できないような、こんがらがった紐のような線にしか見えない部分も所々あったが、それらの文字は活き活きと見えた。


(……ああ、またあの絵だ)

 異国の文字を書き終えたかと思うと、次はその描かれた植物の根元から線を延ばしその先に四角の枠を書いた。そして、その中に例の不思議な図形を書き始めたのだ。この図形は何か意味のあるものなのだろうかと、キセノンは頭を悩ませる。

 そして、さらに彼を悩ませたのは、意味の分からない呪文のような歌である。


根粒(こんりゅう)菌根(きんこん)菌根菌(きんこんきん)! 根っこにいました微生物。根粒、菌根、菌根菌!」

 繰り返される呪文のような言葉を聞いていると、その奇妙な図形は、何かの術式の一種なのかもしれないと、キセノンは思ってしまう。

「キンコンキン? ビセーヴェツ?」

 キセノンは聞きなれないその単語を口にした。すると彼の発したその言葉(キーワード)に反応し、今まで止まることの無かった作業が止まった。耳が動く種族ならば、その耳はおそらくキセノンの方に向けられていたことだろう。


「大丈夫か?」

 急に動きが止まったので、キセノンは思わず声をかける。

「あぁ、君はさっきの。ええと、レプティリアンな人? まだそこにいたの?」

 今度は顔を上げて、黒い瞳はキセノンの方をしっかりと見ている。昨日とはうって変わって非常に機嫌が良いように見える。


「お前はいつもここにいるのか?」

 こんな早朝から草原に出てくるとは、よっぽどお気に召す何かがこの場所にあるのだろう。キセノンは少し呆れたように、この早起きで風変わりな子供にそう問いかけたのだ。


「いつも? ここに来たのは今日が初めてだよ」

「今日が、初めて?」

 予想外の回答が返ってきたので、キセノンは思わず聞きかえしてしまう。

「うん、ちょっと前にここに来たばかり」

 その発言にキセノンはめまいがした。夜になったことにも、夜が明けたことにも気がつかず、この草原にずっといたのだろうか。

 そういえば昨日見かけた時よりも、さらに泥だらけになっているようにも見えた。一度、家に帰り朝早くここに来た、というような様子も見られなかった。


「お前は昨日から何をしているんだ」

 お互いの認識している時間軸がかみ合っていない会話に、キセノンは頭が痛くなった。

「昨日……え、昨日?」

 黒い瞳が、ますます見開かれる。キセノンは予想通りの反応を返してきたのでため息をついた。

「やっぱり気がついていなかったのか。なぁ、オキシジェンは一体ここで何を……」

「自分は断じて酸素(オキシジェン)ではない! 僕のことは、ええと、沖石(おきいし)と呼べ」

 いまさらフルネームを名乗りなおす気もない。何よりも「ジュ」を「ジェ」と言う間違いは嫌がらせか何かかと、実は根に持っていた。

「オキシ?」

 キセノンは何をそんなに苛立っているのか分からずに戸惑いながらもそう言った。

「そうそう、よろしい、よろしい。それでいい」

 多少発音がおかしいが許容できる範囲であった。もともと大学では名字で呼ばれていたこともあり、やはりそちらで呼ばれた方が落ち着く。


「ところで、お前は何か食ったのか?」

 少なくとも一日近くこの場所にいるのだ。オキシの荷物は本以外に大きなものは見当たらない。何か食糧を用意しているようには見えなかった。

「昼に少し、何か食べたかなぁ。確か学食で……いや、今日は忙しくて食べてなかったかもしれない。あ、でも、いつものことだから大丈夫。今は腹が膨れることよりも、好奇心で満たされていっぱいになっている方がいい」

「昼……」

 今は時間的には朝である。今日の昼はまだ訪れていない。それは、いつの昼のことを言っているのだろう。しかも、その昼飯でさえ取ったかどうかあやふやだと言うのだ。


「……ところで日付が変わったというのは本当?」

 食べた食べないはとにかく、オキシは気になった疑問を投げかけた。

「そうだ」

 キセノンはうなずいて肯定する。

「あぁ、また徹夜しちゃったな」

 オキシは晴れた空を見上げて背伸びをする。帰ってきた反応は、のどかなものである。もう少し驚くのかと思いきや、予想外の反応が返ってきたのでキセノンは返す言葉が無かった。


「区切りもいいし、いい天気だし、せっかくだから僕は今から少し寝ようと思う」

 そういうとオキシは、さわめく草原に仰向けになった。空気は青く澄んで、草が風に揺れてささやくさまは心地よくいい香りもする。

「これは心地よく眠れそうだ。おやすみ、親切なレプティリアンの人」

 オキシは目を閉じた。


「……こいつ、本当に寝やがった」

 目が閉じられてすぐ、定期的な寝息が聞こえ始めたのを、キセノンは確認した。それはあっという間の事だった。周囲の状況を考えない自分勝手で気ままな性格を、キセノンは垣間見たような気がした。

「本当に、本当に。本当に眠っているのか?」

 キセノンは何度も確認するように寝顔を覗き込む。オキシは変わらず満ち足りた表情を浮かべ眠りの世界に浸っている。

「……熟睡してる」

 いくら明るくなってきたと言ってもここは野外。この辺は平和とはいえ、まったく安全であるとは限らない。何が出るか分からないのだ。だのに、まるでここが自身の部屋であるかのような、なんとも危機感の無い寝顔で眠っている。


「泥遊びに疲れて眠っている子供みたいだな」

 キセノンは年の離れた兄弟たちを思い出す。思い返して自分の兄弟たちの方が遥かにマシだったと気がついた。

「ちっ……このまま、放っておくわけにはいかないだろうなぁ」

 兄弟が多い家庭に長兄として生まれたキセノンは、知らず知らずのうちに面倒見のよさを発揮してしまうのだった。


「まだ子供だからなのか、種族としての特徴なのか、華奢で小柄で……いや、ただ単に食べていないせいなのかもしれないな」

 まだ会って間もないのだが、先ほどの会話からも食に対しての意欲はあまりなく、普段から食事を抜くことも多かったのではないだろうかと推測できた。しかし、だからと言って飢えているようにも見えず、血色もよく不健康な気配はしないので、決して全く食べられない環境にいたのではないことは感じられた。

 眠っているオキシをキセノンは見つめている。改めて見てみると、見かけない色を持つ人物である。キセノンはあちらこちら旅をしてきたが、黒と言う色は珍しかった。人懐っこそうに輝く黒目を持ち、ほんのり微笑んでいる唇で対峙している人の警戒心を解くような安心感を与えている、本来なら話しかけやすそうな雰囲気の外見である。だが、羽織っている変わったデザインの白い外套は泥だらけである。それだけではなく、頬にも髪にも泥が付着している。おそらく泥のついた手で触ったのだろうが、汚れても全く気にしている様子はない。

 容姿は愛でたくなるような小動物的なかわいらしさなのに、今は捨てられた動物のように薄汚れた感じなのが、なんだかとても残念に思えた。


「よく眠っているな」

 草原を風が吹き、細く伸びた名も知らぬ草が頬を撫でるようにやさしく揺れていた。キセノンは少しはねた黒髪を直すように、眠っているオキシの頭をなでてみた。オキシは眉にしわを寄せて嫌がる様に「むうぅ」と低い声で唸り、頭に載せたキセノンの手をはねのけた。はねのけると表現は語弊があるかもしれない。思いっきりこぶしで殴ったのだ。

 一発ぶち込まれても全く痛くは無かったが、反撃を食らうとは思っていなかったのでキセノンは驚いた。まさか起きたのではないかと思ったが、そうではなく未だすっかり熟睡していた。

 キセノンはもう一度触れてみる。オキシは再び同じような反応を返してくる。どうやら眠りを邪魔されて、ただ単にお気に召さないだけらしい。

「眠りをも、邪魔されるのを嫌うか……まるで動物みたいだな」

 キセノンはすこし頬が緩むのを感じた。

「しかし、こんなところで何をしているんだ? 本当に絵を描いていただけなのか」

 少なくとも一日近くここにいたことは確かだ。気になることはたくさんある、聞きたいことは山ほどある、問いただそうにも答える者(オキシ)は夢の中、キセノンがいくら考えても答えは出てくるはずが無い。

 仕方が無いので、彼はオキシの隣に寝転がり空を見た。何も考えずただ眠っているオキシを見ていると、なんだか少し落ちつくような気がした。

 キセノンは最近魔物討伐や護衛の依頼をこなす日々を送っていた。殺伐とした油断のならない生活で凝り固まり淀んだ塊を解すような感覚に、こうしているだけでいいような気分になってきた。

「たまに、こういう日があってもいいな」

 小動物と触れ合ったかのように、なんだかんだで癒されてるキセノンなのであった。

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