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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-e『非情で非常な日常』
29/59

29・それはゾル。コロイド溶液である。

 空に輝く青い太陽が巨大な月にすっかり隠れた頃、今日という一日を無事に過ごした人々は夕食を求め虎狛亭に集まってくる。

 食堂は賑わいを見せ始め、ざわめきの音と様々な料理の匂いで満たされる。それは虎狛亭の上階にある宿泊客たちの部屋まで到達し、彼らの五感を刺激する。空腹を感じればそれを満たす飯がほしい、その欲求は生物であるならば誰でも持ち合わせているものだ。腹を空かせた彼らは立ち込めるその匂いにつられ食堂まで降りてくる。

 普通であるならばこのように食糧を得るための行動を起こすところであるが、この生物の基本的な欲求を面倒くさい等という理由で行わない者もいることも事実。オキシもまたそういった思考を持っている一人であった。しかも、たちの悪いことにオキシは食物を摂取せずとも生きていける体質。食欲を刺激するおいしそうな匂いに惑わされることなく、今夜も部屋に閉じこもり観察を続けていた。


「ねぇ、聞いてる?」

 この問いかけは意味がないと理解しつつ、ロゲンハイドは先ほどから「うん」しか言わないオキシに言葉を投げかける。


 連続殺人犯と遭遇するという事件があって以来、仕事さえも休んで部屋に引きこもっていた。部屋から一歩も出ようとせず、自分の血液を使った実験に夢中だった。その実験は数刻前に一応の成果を得てたので、今は行っていないが、だからといって、引きこもりが終わるわけではなかった。オキシの興味は今、別のものに移っている。

 ロゲンハイドには理解できないのだが、オキシがいつも観察している箱の中には、尋常ではないものが入っているのだ。

 色鮮やかなカビが入っていることもあれば、どこで見つけてきたのか今にも毒の胞子を吐き出しそうなキノコが入っていることもある。いずれにしろ見ただけでもおぞましい、そして危険なものが入っていることが多いのだ。

 オキシが今、夢中になっている箱は、水たまりの水が満たされている物である。一見すると単なる泥の水なのだが、オキシにはそれがおもしろくてしかたがないらしい。

 何もいないように見える水の中に、微小な生物がいるのはロゲンハイドも見たことがあったが、それのどこに夢中になれるのかまではわからなかった。


 水中にいるその生物は魔物のような不気味な造形でうごめいていたので、水の精霊でありながら、水たまりが苦手になりそうなほどに衝撃を受けたのだ。しかし、このような魔物に似た小さな生物をも受け入れ育んでいる姿は、まさしく母なるもの。ロゲンハイドはすべての生命に等しくおおらかな我が根源である水をますます尊敬したのだった。


「観察はそれくらいにしてさ、たまには顔出してあげたら?」

 ロゲンハイドは何度目になるか分からぬその用件を言う。

 オキシが殺人鬼に遭遇したという事情を知るタンタルを始めとした虎狛亭の面々は心配していた。虎狛亭の者たちは、基本的に他の住人には干渉しないとはいえ、オキシがあまり部屋から出ずにいたので、さすがに心配になってきたのだ。食事時になると誘いをかけたりもしていたのだが、オキシは生返事でやり過ごしていた。

 ただ声をかけるだけではダメだと彼らは痺れを切らし、そして今日、タンタルはキセノンに相談したのだ。相談されたキセノンはため息まじりに、すぐさま打開策を提案した。


「オキシと一緒にいる水の精霊(ロゲンハイド)の声ならばオキシに届くと思うぞ」

 彼はそう告げたのだ。

 タンタルはオキシが水の精霊をつれているのを何度か見かけたことがあった。確かに、精霊ならば部屋が閉ざされていようと関係なくオキシの元へ行くことができる。


「頼んでくるよ」

 ほとんどの場合、精霊は自らが生まれた拠り所にいる。精霊に頼みごとをしたい場合は、その精霊の住むところへ出向くことが大半である。精霊が拠り所から離れた場所へいても、拠り所は精霊そのものであるので、誰かが訪れれば精霊にはそれがわかる。

 しかし精霊にその気がなければ、その場所へ行けたとしても姿を表すとは限らない。姿を見せても、願いを聞き入れられるか、それらすべて精霊の気分にかかっている。

 しかし今回、精霊に頼み込むことは、その精霊の契約主にかかわることなので、会うことができればほぼ間違いなく聞き入れられるだろう。しかも運が良いことに、ロゲンハイドはフェルミの町にある、とある水場をその場所としている。この町に住むものならば、子供でもそれがどこにあるのか知っていた。

 この町で生まれ育ったタンタルは、精霊の住む場所をもちろん知っている。タンタルはキセノンにお礼を言うと善は急げとばかりに、その足で精霊の拠り所へ向かった。


 そんなわけで、ロゲンハイドにオキシを部屋から出す計画の立役者として白羽の矢が立ったのだ。

「ねぇ、聞いてる?」

「うん」

 返ってくる反応は、やはり変わらない。否、反応を返してくるだけまだましなのかもしれない。聞こえていても返事さえしないことや、熱中しすぎてまったく届いていないことさえあるのだから。


「話、聞いてないでしょ?」

「うん」

 反応を返すということは声は聞こえているのだろう。しかし、音として認識しているだけで、その内容を理解し適切な返答を返すことはしていない。


「ダメだ、こりゃ」

「うん」

 熱中するオキシに何を言っても無駄なのである。

「あぁ、もう、オキィシは仕方ないなぁ」

「うん」


 オキシが「見ること」を始めると、完全に周囲を全く「見なく」なるのだ。並外れた集中力が、周りで起こっていることを遮断する。いや、認識はしているのだが、その情報は取るに足らないこととして処理され、すぐに記憶の奥底に消えてしまうのだ。

 話を聞いてもらうには、やはりいつものようにあの手段を使うしかないのかと、ロゲンハイドはそう思った。


『みんな、ご飯食べようって呼んでいるよ』

 オキシは最近怖い目に遭っているので、あんまり外出したがらないのは仕方がないにしても、だからといって食べなくてもいい理由にはなりえない。

『タンタルも女将さんもキセノンも、み~んな心配していたよ』

「ロゲンは、さっきからうるさい」

 やっと別の言葉を発したと思っても、やはり望む返答は得られない。ロゲンハイドはため息をつくしかなかった。


(キセノンにあんなに言われていたから、食べていると思ったのに)

 ロゲンハイドは、虎狛亭の従業員であるタンタルに言われるまで知らなかった。虎狛亭ではまったくといって食事を取らないことを。だからといって他の食事処へ行っているというわけでもなく、オキシがまともなものを食べている姿を誰も見たことがない事実があることを。


(おいらと一緒にいる時は、どうだっけ?)

 思い返してみれば、一番多くの時間をオキシと過ごしているロゲンハイドも、オキシがしっかり食べているのを見たことがなかった。

 小麦粉を買っているのは知っているが、その小麦粉がオキシのお腹に収まっている保証はない。下手をすると、すべてあの酵母菌(カビ)のエサになっている可能性さえある。

 市場へ出かけた時に、屋台で売っている妙な食べ物を食べているのは見たことがあったが、それだけでは栄養が充分に取れているとも思えない。ロゲンハイドが把握している範囲でも、オキシはほとんど何も口にしていないことになる。

 体に異常は見当たらず健康そのものだったので、少なくとも一日一食程度は食べているものと楽観していたことを少しだけ後悔した。


『栄養のあるものも、ちゃんと食べなきゃだめだよ?』

 ロゲンハイドは懸命にオキシに話し掛けていた。

「今、興味深い行動を調べているところなんだから邪魔しないで」

 オキシはロゲンハイドの心配をそっちのけで、今もなお微生物の観察に勤しんでいる。


 オキシが夢中になっている微生物の「ミジンコもどき」は、胴体はダルマのように丸みを帯び、触角(うで)を懸命に動かして泳ぐ生物である。内臓が透けて見え、心臓や腸が動くさまがよく観察できた。

 それだけを聞くとまるでミジンコのようであるが、ここは異なる世界である。ミジンコと同じような生態的地位(ニッチ)にいる生物で個々の器官が似ることはあっても、まったく同じ形に進化をすることなど、まず無いのである。

 たとえば泳ぐための触角は中ほどで三又に分かれその間に薄い膜が張ってある。魚のヒレのように見えるそれを使って、水をかき押し出すようにして泳ぐのだ。これはミジンコにはない特徴である。

(ちなみに、ミジンコの触角(うで)は二又に分かれその先に数本の長い毛が並んでいて、バタフライをするように泳ぐ)

 他にもミジンコとは異なり胸肢がなかったり、尾が鋭く長かったり、ツノのような突起が頭にあったり、と相違をあげればきりが無い。


「……とは言っても、ミジンコも頭が尖ることがあるけれどね」

 オキシは地球に住まう生物のミジンコについて雑学を披露する。実はよく知られているミジンコも危険が迫ると頭を尖らせることがあるのだ。これは捕食しようとする者に対して身を守るためだと考えられている。

 変化には1日ほどかかるのだが、その速さで果たして間に合うのだろうか、とオキシは思ったことがあった。しかしそれでも、尖ることに意味があるからミジンコは今でも危険が迫ると頭が尖り続けるのだろう。


 生物は食べて食べられてが基本である。捕食者はいかに効率よく食べるか、被食者はいかに捕食されないようにするか、生物は常に生存をかけて生物は進化し続ける。

 ときにより早く走るための足を、ときに攻撃や防御に役立つ武器を、ときに背景に紛れ標的の目を欺き、ときに危険生物の姿を模倣し、多様な方法で生き抜いてきた。

 さて、この星に生きる微生物はいかなる方法で天敵から身を守っているのか。オキシの血液の時は一方的な殺戮が行われてしまったが、自然界では素晴らしい攻防戦を見ることも多いのだ。

 オキシは、先の実験での経過を見て、彼ら微生物たちに危機が迫った時、普段ならどのような対策を講じるのだろうか、と気になってしまった。オキシは彼らがそのような術を持っているのならば、それを見てみたかったのだ。

 実際に、ミジンコもどきたちの楽園に天敵を放り込んでしばらく見守っていた。その結果、劇的な変化が現れ始めた。逃げ場のない狭い空間で捕食者に襲われる個体が多くなると、群れの中に殻を作る個体が現れたのだ!


 オキシはそのことについて恍惚となって語る。

「……それでね、微生物も魔法使うんじゃないかってくらい、殻が現れるのが早いんだよ。いったい、どこに隠し持っていたのだろうか? どうやって作っているのだろうか、殻を! どうして、作る子と作らない子がいるんだろう?

 というか殻を作ってもみんな丸飲みされているんだから、殻を作る意味があんまり意味がないようにみえるんだ。飲み込みにくくする工夫とは思えないし、飲み込まれて生きて外に出てきた個体もいないし、いったいなんなんだこの殻の役目は!」

 確かに彼らは身を守るためなのか透明な殻を作りあげた。その殻に収まるよう触角や尾は胴体に沿うように密着し、まるで身を守る二枚貝のように殻は固く閉ざされるのだ。殻にこもるという単純な行動だが、この生物の生きるための知恵が確かにあった。

 しかし、身を守るために殻をまとっているにしても、敵に簡単に飲み込まれてしまっては、この殻を作るという行動が防御として意味があるのかは疑問であった。何か他の目的があるのか、否か。それはまだわからない。

 オキシは微生物の入った水の容器から目を離さず、この微生物がいかにすばらしい能力を持っているか、そして新たに出てきた疑問点を、いつものように早口で語る。



『そのミジンコもどきって生き物が危険を感じると殻にこもるのはわかったから、いい加減おいらの話も聞いてよ~』

 ロゲンハイドはオキシの白衣の裾をひっぱり気を引く。しかし、オキシは邪魔だとばかりにロゲンハイドの手を払うと、再び熱く語りだしてまったく聞く耳を持たない。

「だから、邪魔しないで」


『もう、そろそろ休もうよ。みんな、心配しているんだよ』

「……ああ、うるさい、うるさいよ」

 会話は成立していないが、言葉は聞こえてはいる。オキシがこの状態にある時、それはいつものことなので、ロゲンハイドは気にしなくなった。もうじき集中力も切れることを知っている。


『だから、食べに行こうって』

「やだ」

『だから、ね。ほら、行こう?』

「ロゲンが行けば?」

 だんだん会話が成り立ってきた。もう一押しである。

 ロゲンハイドはあきらめずに語り続けた。


『おいらが行っても意味ないし。一回顔出せば、しばらくは邪魔されなくなると思うよ?』

 顔を出さないから心配されるのだ。一度、顔を出して元気でいることを見せさえすれば、みな安心してくれるだろう。ひとまずは。


「ああああ、もう! わかった、行けばいいんでしょ。行けば!」

 いつもの通りオキシの方が折れた。

 オキシは背伸びをすると、不機嫌そうに息をはき立ち上がる。そいて、数日間触れていなかったドアの取っ手を回し、部屋の外へ出た。




 虎狛亭の一階にある食堂は、料理の様々な香りが満ちて活気に賑わい、ほんのりとした熱気が騒がしい。込み合う店内は夕食を楽しむ者たちの絶え間ない雑談にあふれていた。


「やっと降りてきたか」

 キセノンは階段の見える席に座って、オキシが降りてくるのを待っていた。オキシの対応について助言をした以上、最後まで見届けるためである。


「僕のことは放っておいていいんだよ?」

 毎度毎度ながら、白い鱗の竜種(サウロシー)は、どうしてこんなにも世話好きなのだろう。観察の邪魔さえしてこなければ、文句のつけ所のない良い人物ではあるのだが。オキシはそう思う。


「そういうわけには、いかんだろう。それに今回の場合に限って言えば、誰でも心配になると思うが」

 恐ろしい目にあってから、部屋に閉じこもりきりになっていると聞けば、知り合いならば誰でも気になってしまうだろう。


「僕は、僕の好きなように過ごしていただけなのに。みんな心配しすぎだ」


「まあまあ、そう言わずに。オキシちゃん、そんなにふくれないで。今日はしっかり食べてね。ささ、何食べる?」

 今回の発起人のタンタルが注文を取りに来る。

 オキシは無難に焼魚定食を頼んだ。品書きに書かれた文字はそこそこ読めるようにはなってきたが、料理名だけでは何が出てくるのかがわからない。ひとつひとつどのような料理であるか尋ねるよりは、一度食べたことがあるものを頼んで、さっさと食事を済ませてしまおうとオキシは思ったのだ。



 すぐに料理が運ばれてくる。オキシは手早く食べ始めた。今回、定食に使われていた魚は前回とは異なり、細長い魚だった。油ののった白身はご飯にもよく合うが、大根おろしか、すだちがあれば、なお良かっただろう。


「ごちそうさまでした」

「食べ終わったか? 引きこもってばかりな、そんなオキシにはこれをあげよう」

 オキシが食べ終えるのを見計らって、キセノンは小さな瓶を取り出した。その瓶には白い液体が入っている。オキシは、キセノンからそれを受けとった。


「何だ、この白乳色のコロイド溶液(ゾル)は?」

 ゾルとは液体のコロイドのことで、水の中に「何かが溶け込んでいる」のではなく「粒子が分散している状態の液体」、分かりやすく言えば牛乳や卵白といったものをさす言葉である。

 ちなみに個体のコロイドはゲルと言い、例をあげるならばゼリーやプリンがあげられる。


「ぞる?」

 聞いたことのない単語にキセノンは問い返す。

「いや、なんというか……こういう液体のことを、故郷ではそう呼んでいたんだ」

 これは理系の(さが)、わざと科学っぽい言い回しをしてしまう、それは癖のようなものであった。


「で、この液体は何?」

 オキシは容器を傾け中身の液体の粘性と流動性を確かめつつ、その正体を問う。やや粘り気がある液体で、擬音で表現するならば「どろどろ」よりは「とろとろ」寄りの流動性を持っている。


「これはトルゥヨだ」

 瓶に入った飲み物を液体呼ばわりするオキシに、その名を告げた。

「とるーよ?」

 名前を聞いてもピンとこないオキシは小首をかしげる。なにせ異世界の飲み物だ、名前からもその正体の検討はつかなかった。


「トルゥヨだって」

「あぁ、確かにあれはトルゥヨだな。あれは飲めない」

「俺も苦手だ」

「俺は好きだよ」

「マジで?」

 そのようなひそひそとした声が聞こえてくる。


「これ、おいしいの?」

 得体の知れない、味の想像もつかない白い液体。周りから聞こえた言葉もあって、あまり言い印象は持てなかった。


「……確かに好みは分かれる物だが」

 この飲み物は甘い味つけではあるが独特の酸味がある。しかも、喉に膜のようなものが引っ付く感じがする飲み心地だ。味、喉越し共に苦手な者も多い。

 しかし、その独創的な味はとにかく栄養は高い。小食気味な、否、もはや絶食と言っていいほど食べないオキシにはぴったりと思ったのだ。


「なんか回りの反応が気になるけれど」

 瓶の蓋を開けトルゥヨの匂いをかぐ。少し酸いた感じに香る乳で、取り立てて鼻につくような酷い匂いはしなかった。ひとまず匂いのほうは大丈夫そうだ。

 というよりも、乳がこのような状態になるというのは、乳酸菌による醗酵しか思い浮かばない。それに気がついてしまえば、味のことは二の次である。オキシは少しだけ口に含んで、この飲み物が「醗酵乳」であるかどうか、その味をじっくり確かめた。

 トルゥヨの甘い酸味を舌が受け取った。その味に対してオキシの表情に変化は見られなかったが、次の瞬間、半分ほどあっという間に飲み干した。


「やっぱりそうだ。間違いない! これは間違いなくアレだあの味だ。自分の知っているものよりも甘味が少なくて酸味が強くて、それに乳臭さというのか妙な癖もあるけれども、この少しのどに残る感じ、あの乳酸菌飲料がまさかここにもあったというのか。さほど変わらぬ味で、こんなところで出会えるなんて。すばらしい。最高な気分だ」


「……飲んだことがあったのか?」

 トルゥヨは苦手な人も多いので、こんなものは飲めないと文句の一つも出ると思っていたが、オキシは予想外の反応を見せたので、キセノンは目を丸くする。

 オキシがこのように口調が早口になるほどの興奮は何度か見たことがあった。キセノンは嫌な汗をかきながらも、オキシにそう尋ねた。


「似たようなものは飲んだことがある。原液で飲んだのは久しぶりだな。もしかして、ここでは薄めないで飲むのが一般的なのか。まぁ、僕の友人にも原液で飲んでいたのがいたから、ありえないことではないか。このままでも飲めないことはないけれど、僕は水か牛乳で薄めて飲むのが好きだったな。そうだ、タンタル、アキァヴの乳ってある?」

 珍しくオキシは積極的に注文する。ちなみにアキァヴと言うのは、この世界において乳牛の役割を持った動物の一種である。日本人の多くは牛の乳に慣れているので、その動物の乳を牛乳と思って飲むと味に多少の戸惑いを覚えるだろう。それでも数多の種類がある乳の中では、アキァヴが一番牛の乳に近い味がするとオキシは感じたのだ。

 ちなみに、乳の味を知ったのはオキシの仕事先の牧場だ。そこで飼われている数種類の動物の乳が、休憩時間に配られるのだ。オキシはそこで、一通り飲み比べしたことがあるのだ。


「どうぞ」

 すぐにタンタルは持ってくる。

「ありがとう」

 そう言って、オキシはトルゥヨの入った瓶に注ぎ入れ軽く混ぜてから一気に飲み干してしまった。


「やっぱり、これくらいの濃度が一番だね。そういえばトルゥヨはどこで売っているの? 近くで売っているのか、それとも珍しいものなのか、高いのか安いのか」

 オキシはキセノンを質問攻めにする。

「虎狛亭で普通に置いてあるぞ」

 キセノンは壁の品書きを指さしながら答える。

「そうか、ここにあるものだったのか、それは盲点だったな。固有名詞は何を表しているのか、まだまだ分からないものも多いからな。

 あぁ、ステキなものをありがとう、キセノン大好きだよ。

 この中にはすばらしい微生物が乳酸菌が醗酵している、見たい、今すぐ見なくちゃ、どうしても見なくちゃ。どんな形だろう。球状? 桿状? まさか、らせん状? あぁ、プロバイオティクス食品、万歳だね!」

 一通りの情報を聞き終え、トルゥヨがよっぽど嬉しかったのか、嬉々とした表情でじっと空の容器を見つめ始めてしまった。こうなってしまっては話しかけても無駄だろう。


「……にしても、相変わらずだな」

 早口で何を言っているのか分からないオキシに、キセノンは困ったものだとばかりに息を漏らす。久しぶりに見る、しかし、いつもと変わらず周囲に左右されない奔放な様子のオキシに、一同は安堵した。


「もしかしてこれが好物だったのか?」

 目の色を変えて意味不明な単語を連発していたが、出会えたことに感動していることは、かろうじて分かった。


「かもしれない。オキィシは結構ゲテモノ好きだからねぇ。……持って帰って、食べるの忘れて腐らせることも多いけれど」

 そう言ってロゲンハイドは、やれやれとばかりに首を横に振る。

 オキシが露店でたまに買う食べ物の内容を、ロゲンハイドは知っていた。大抵、奇妙なものしか買わないのだ。「おいしい」と言うのならばとにかく、時に「これは食べ物の味じゃない。無理……」と言いながらも嬉々として、その食べ物を大切に箱にしまうのだ。そして気がついた時には、それはもう立派なカビが生えている。

 オキシは「わざとそうしている」と言うが、ロゲンハイドにはなぜそうするのか理解に苦しんでいた。


 オキシが店で買っている物、それはご存じの通り発酵しているような食品である。微生物を愛してやまないオキシは「それ」を見つけると、ついつい買ってしまい、どんな微生物がいるのか確かめたくなってしまうのだ。

 もちろん興味本位で食べてどんな味なのか確かめたりもしている。


「オキィシは本当にわけがわからない行動をするよ。まぁ、今もなんだけれどね。空の瓶を見て何が楽しいのか、おいらにはまだわからないよ」

 オキシの「微生物講釈」をいつも聞いているロゲンハイドではあるが、「何かすごいこと」であるというのは感じることはできても、実際には何がすごいのかあんまり理解はしていない。

 オキシもしゃべりたいだけしゃべって満足する人種なので、相手がどの程度理解しているかは興味がない。話についていけていようがいなかろうが、それはまったく気にしていなかった。


「そうだな。相変わらず、オキシはよくわからんな。しかし、いつも通りでよかった。通り魔に出くわして怖がって部屋に閉じこもり気味だと聞いたからな。てっきり部屋で塞ぎこんでいるのかと思っていたぞ」

 キセノンはいつもと変わらぬ様子のオキシの奇行を見て、目を細める。


「でもね、実際のところ本人は殺人鬼のことなんて、もうどうでもいいと思っているよ。もしかすると、この状況を利用して外出しない理由にしている可能性もあるしさ。数日ひきこもるのは今に始まったことじゃないし」

 そう、前例があるのだ。オキシはとにかく極端で、部屋から出ない時があると思えば、部屋に戻りたがらない時がある。

 前々からオキシが引きこもる時はなかなか出てこないというのは周知だったが、殺人鬼に会ったという衝撃的な事件に引きずられ、そういう事実があったことはすっかり忘れ去られていた。

 周囲の心配をよそに、実際には本人は実にのほほんと日常を満喫していたのである。


「……そうきたか。そういえばそうだったな。これは心配し損だったかな」

 おせっかいなキセノンでも、さすがに杞憂だったとそう思わざるを得ない。彼は決まりが悪そうに頬をかいた。


 オキシは変わらず空瓶を観察している。椅子が高くて地面につかない足をぶらぶらさせて、かなりご機嫌な様子だ。

「本当にトゥルヨが好きなんだな」

 空の瓶を見ているだけで満足そうにしているオキシを見てキセノンはそう思う。

「そうだ!」

 キセノンはふと思いついてタンタルを呼んだ。そして、オキシが好きだというトルゥヨを乳で薄めたものを依頼したのだ。それらを混ぜるだけなので、それはすぐに運ばれてきた。


「……オキシ、ほらトルゥヨのアキァヴの乳(ミルク)割りだ」

 これが好物であるのならば幸いとばかりに、オキシには少しでも栄養があるものを食べさせた方がいいと思うからだ。


「……おお? 割ったやつもあったんだ。やっぱり炭酸水とか果汁で割ったトルゥヨとか、色々あるのかな?」

 珍しく興味を示したオキシは、トルゥヨミルクを受け取った。つい先ほどこの世界に生まれ出たものとは、もちろん知らずに。

 オキシは、それを飲みほすと満足げに笑んだ。


「あぁ、久々に満足の行く夕食だった。店も混んでいるし、いつまでも席を占領するのは申し訳がない。僕はそろそろ部屋へ戻るとするよ。じゃあ、またね、キセノン」

 このままここに居座っても邪魔が入るだけであろう。静かにのんびり観察がしたいオキシは食事代を払い、さらにトルゥヨの瓶を購入すると、さっさと部屋へ戻っていってしまった。


「そんなにトルゥヨが好きなのか?」

 もう充分ともいえるほど飲んだだろうに、追加でそれを買っていくオキシを見てキセノンは呆れてしまう。


「飲むとは限らないけれどね……」

 あの顔はおそらく、いや、間違いなく、摂取するために買ったわけではないことを示していた。ロゲンハイドにはそれが分かっていた。




 ちなみにオキシが何気なく言った「炭酸水とか果汁で割ったトルゥヨ」というその一言は、日々刺激を欲していた虎狛亭の客たちの耳に届いていた。しかも、オキシがミルクで割ったものを実際に飲んでいる様子を見て、彼らは興味を持ってしまった。


「なぁ、ここはひとつ、ゲームに負けた奴が飲んでみるといのは、どうだ?」

「のった!」

 男たちはいつものようにゲームをし始めた。いつもは賭けの勝者が戦利品を手にしていたのだが、今日は負けた者がそれを手に入れる。


「……おまえの負け。まずはミルク割りからだ」

 ゲームに負けた者の前にそれは出された。

「飲むぞ……」

 拒否権のない敗者は、それを恐る恐ると口に含んだ。独特なとろみは完全には消えていなかったが、ミルクで薄められ幾分か和らいでいる。

 甘味も酸味もミルクにほどよく溶けて調和した味を出し、煮詰めて濃くしたミルクを飲んだようなそんな感覚になる。


「ん、以外に飲めるぞ。おまえも、飲んでみろ。いいかの飲め、トルゥヨ、好きなんだろ」

「え、ええええ!」

 予想以上の飲みやすさに、思わず他の者にも薦め始めた。というよりは、無理やり飲ませ始めた。

 少し強引だったので、他の仲間は飲めたものではないのでそう言って押し付けているものと思っていたが、予想に反して飲みやすかった。


「む、俺は飲めるな」

「だいぶましかな……でも、やっぱりちょっとな」

「他のも試してみるか」

 いつしかゲームはそっちのけで、混ぜることに興じはじめてしまった。


「おお、俺は炭酸水割りの方がいいな」

 飲んだ時の反応はそれぞれであったが、少なくともトルゥヨ単体で飲むよりは飲みやすく、概ね好評だった。

 オキシの知らぬところで、このようなやりとりは行われ、いつしかトルゥヨに炭酸水やミルクを混ぜる事が流行りだしたとはオキシは知る由もない。


 そして彼らは知らない。オキシはもちろんトルゥヨも好きではあったが好物というほどではなく――最も好きなのは「トルゥヨ」自体ではなく、「トルゥヨ」の中にいる微生物であることを彼らは知る由もなかった。

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