25・魔物と動物の区別がつきません。
夕闇に染まる虎狛亭は、食事を楽しむ客で混雑している。電灯は橙の色を帯びた暖かな光を放ち、その下で人々のざわめきが店の雰囲気を賑やかに彩っていた。
その活気ある虎狛亭にオキシとキセノンは入った。部屋に戻る前に一階の食事処で、何か食べるためである。むしろ、オキシに何か食べさせなくてはいけないのだ。
「二人ともおかえり。早かったね」
テーブルにつくオキシとキセノンを見て、タンタルは注文をとるために声をかけた。キセノンは適当にいくつか料理を頼み、そして、オキシの方を向く。彼は軽く息をはき、本題を語るべく口を開いた。
「夜は危険だと言ったろう?」
彼は怒るのを通り越して呆れていた。
「一応、夜には帰っていると思う」
オキシは少しも悪びれる様子もなく答えた。
「ずいぶんと深夜に帰っているようだがな」
「うう、ばれているのか。いやぁ、それは……つい、ずるずると……ね?」
オキシの物言いは少し勢いをなくし、語尾が不明瞭になっていく。
「夜は魔物が活発になる時間で、危険だと言ったろう?」
夜行性の生物にろくなものはいない。キセノンは、いかに夜が危険かを説明した。そういえば、最近も同じことを言わなかっただろうか。キセノンは過去にどこかで経験したような感覚に襲われる。
「それはわかっているけれど……それにほら、今は魔物除けも持っているしさ」
カバンに取り付けている小さな鈴を、ちりちりと揺らした。人の耳には音は頼りなく聞こえるが魔物の嫌う音を発する魔法の道具である。これは外で観察する時のおともにと、ひとつ買ったのだ。
「動き回ることが前提なんだが……」
鈴は鳴ることで意味をなす。オキシは基本的には同じ場所に留まるので、鈴が揺れることはそうそうないだろう。
「それに、その鈴は弱い魔物用だ」
鈴の効果は絶対ではなく、どちらかといえば人を恐れる臆病な生物用といえる。人を好んで襲うような生物には効果は薄い。
「この辺はこれで充分だって」
商品説明をしてくれた商人はそう言っていた。
「確かにこの地域は危険な魔物は少ないのは事実だが……」
危険のある魔物が町の近くに現れることがあれば、すぐに情報が出回る。とはいえ、何事にも万が一ということがある。魔物の発見が遅れることも、取り逃がすことも、見失うこともあるのである。
この危機管理の無さは、まるで魔物の恐ろしさを知らない幼子のようだ、とキセノンは感じた。
「オキィシに言っても無駄と思うよ。おいらも魔物は危険だって言っているんだけれどね」
「一応、危険なのはわかってはいるつもりなんだけれどなぁ」
魔物という危険生物は地球には存在しないが、知識として野生の恐ろしさは知っていた。しかし、人を襲うような野生動物と出会うことが滅多にない日本に生きていたこともあり、知ってはいてもその危機感をいまいち実感できていないのである。
「オキィシは野生動物と魔物との区別がいまいちつかないみたいだし」
ロゲンハイドはキセノンにそう報告する。
「今は教えてもらったものなら、なんとなく分かるよ」
ギルドの地下にある図書館で子供向けの生き物図鑑を見て、一般的なものは勉強したのだ。
「最初は、ほとんど当てられなかったものね。わからないの全部魔物って言っていたでしょ?」
その図鑑を使ってロゲンハイドが問題を出し、オキシが答えていくという遊びをしたことがあった。最初に行ったときの正解率は二割にも満たなかったことを記憶している。
「そういうわけじゃないんだけれど……。動物に見ようと思えばそうも見えるし、魔物と思えば魔物に見えるし。絵をじっと見ていると、だんだん全部が魔物に見えてきて、わけが分からなくなるんだ」
この場所に来てまだ日が浅く、魔物と動物の違いを感じるといった、この世界に生きるものなら当たり前に働く本能的な感覚が備わっていないのだ。その感覚は、たとえば日本に住むものならば、「イルカとサメ」、「イカとタコ」、「イモリとヤモリ」、「エビとカニとザリガニ」、「イヌとネコ」といったこれらの動物が、姿は似てはいるが生態や種といった系統がまったく異なっていることを、知識と経験で何となく分かるといったような感じだろうか。
それに加え、地球基準で生物を見てしまうオキシは、地球では一般的ではない不思議な造形の生物を見た時、動物か魔物かのどちらなのか判断に迷ってしまうのである。正直なところ、この世界の動物たちは地球のものとかけ離れたものも多く、そのためどこか怪物めいたものを感じ、すべてが魔物に見えてしまうのだ。
「あんなにかわいいオァガードを魔物扱いする人は初めてだったよ」
自身満々にオアガードを魔物と言い放ったオキシをロゲンハイドは思い出し苦笑う。
「オァガード? ああ、あの目が大きくて、足が4本あって翅が生えていて……しかも、火を吹く獣だったかな」
一見すると、トンボかトカゲの変種のような不思議な姿をしてはいるが、獣毛を持つ胎生の生物である。その姿や火をはくという能力は、ゲームの世界であれば間違いなく魔物に分類される生き物だろう。火を吐く姿で描かれたその生物を見たとき、オキシはそう思ってしまったのだ。
「あれは、無害でかわいい愛玩用の動物なのに……」
オァガードは基本的には人懐っこく愛くるしい獣である。繰り出される火は、ものを燃やすためというよりも、火花を散らし音と光で威嚇する意味合いが強く、何かを燃やすほどの威力はないのだ。
「あれって実は街中で普通に散歩している生き物だったなんて。すっかり見落としていた」
地球で言えば犬か猫に近いとても身近な生物である。オキシは何度かその生物を連れている人を町で見かけたはずなのだが、他の様々な珍しいものにまぎれ、印象が薄かったのだ。
「もう、本当にオキィシは今までどんな辺境に住んでいたんだよ」
ロゲンハイドは呆れたように首を振った。
「……」
キセノンは無言のまま、オキシとロゲンハイドのやりとりを聞いていた。まさかオキシが魔物と動物の区別がつかないという、そんな根本的な問題があったとは思いもよらなかった。魔物をよく知らぬ者に、それの危険を注意しても効果は薄い。おそらく、いくら言ってもまた繰り返されるだろう。
「それにしても、どうして草原になんか行くんだ?」
そもそもオキシが町の外へ出なければ、このような心配をしなくて済むはずなのである。魔物出没の危険がある場所へ出かけることが問題なのだ。キセノンはそれが非常に気掛かりでしかたなかった。
「別に町中にいてもいいんだけれどさ。町中はやかましい。知らない人とか話し掛けてくるし。とにかく草原はとても都合がいいんだ」
微生物は存在しない場所を探す方が難しい。
土がむき出しの地面、石の道、木の床、そういった地表だけではなく、地中や大気中、草原でも、町でも、部屋でも、どこにでも多種多様な微生物を見ることができるだろう。それに研究と実験のために用意された箱の中で飼育している微生物よりも、自然状態の方が何倍も生き生きとしているように見えるのだ。それに箱の中では再現できない環境も多い。
しかし、同じ屋外でも町中で観察をしないのは、草原の方が邪魔されにくいからである。関係者以外立ち入り禁止の研究室とは異なり、町で観察した日には、どんな人が通るかわからない。不思議そうに遠くで見ているだけや、軽いあいさつだけならばまだいい。話好きそうなおばちゃんや、好奇心旺盛な子供などが「何をしているのか」とわざわざ尋ねてくることがあるのだ。しかも、熱中しているときに限ってそういう邪魔者が現れる。だが、草原にいれば、町中のように話し掛けてくる人は格段に少なくなるのだ。
「お前が、あんまり話し掛けられるのが好きではないのは、よくわかった。でも、ちゃんと夜になる前には帰るんだぞ!」
あまり他人の行動に口出しするつもりはないのだが、これだけはきちんと言わねばならなかった。
「そんな、大丈夫だよ。ちゃんと家に帰る」
オキシはけろっとした表情で言う。
「どうせ精霊がいなかったら、時間も忘れて熱中するのだろう?」
キセノンにはその様子が容易に思い浮かんだ。
「う、うん。善処はする……」
ロゲンハイドがいなかったら、きっと夜になってもまったく気がつかず、町に戻ってさえいないだろう。それが間違っていないだけに、否定できなかった。
「どうしたら、オキシを帰宅させることができるんだろうな」
危険に対する自覚の少ないオキシに、キセノンは天を仰いで嘆息をもらす。
「それがわかれば、おいらもあんな苦労はしないよ」
ロゲンハイドもキセノンに同調する。
「ロゲンハイドも、夕方には帰るように言うんだぞ」
オキシの言葉だけではいまいち信用できないキセノンは、ロゲンハイドにも念を押して言う。
「まかせてよ。今度はちゃんとしっかりと厳しく言うよ!」
「……なんか、ごめんなさい」
迷惑をかけてばかりだということは充分に理解しているオキシは、肩をすくめてしょんぼりと身を縮めるしかなかった。
オキシとキセノンが食べ始めたころ、虎狛亭に1組の男女が入ってきた。彼らは部屋を見渡すと、オキシたちの座るテーブルへ歩き出した。
「おぉ、ちび。相変わらずちっこいな」
聞き覚えのある声とともに、オキシの頭上に大きな手が降ってきた。その手はそのままオキシの頭を少し乱暴になでる。
オキシが視線をそちらへ向けると、その手の持ち主はレニンであった。彼の妻であるフランシーも一緒にいる。彼らは二人でよくここへ食事に来ている常連客なのだ。
「おまえら、よく一緒に食うのか?」
そう言いながらレニンは隣の席を陣取った。一緒に食べることは決定のようだ。
「そうでもないよ。今日はたまたま一緒なだけ」
キセノンとは、まだ2、3回ほどしか一緒に食事はしていないはずだ。オキシは変に逆立ってしまった黒髪を直しながら言った。
「日も暮れるのに草原にいたからな。それに、あまり食べていないようだったから、強制的にここへ連れてきた」
キセノンはいきさつを手短に話す。
「そういや、ちびはいつも妙な場所にいて何か描いているよな。話し掛けてもまともな返答返ってきたことがないし。人なつっこそうに見えるけれど、意外に愛想はないんだよな」
レニンは何度かオキシが草原や町の隅で何か作業しているのを見かけたことがあった。そして、話し掛けた時の無愛想なオキシを思い出し苦笑う。
「熱中すると周りが見えなくなっちゃうのかしらね」
フランシーは目を細めて笑む。フランシーも経験済みのようだ。
「そうだったのか……あんまり覚えていないな。でも、あの時に限って言えば、そんな急に話し掛けられても、何をどう反応したらいいのか分からないだけだ」
オキシは記憶をさかのぼってみるが、まったく覚えていなかった。第一、邪魔をする人々を覚える行為は無駄そのもので、いちいち記憶するための容量を脳に確保する理由はない。それに印象に残らないどうでもいい情報は、たいてい一日も経てばすっかり忘れてしまうものである。
もともと愛想はない方だという自覚はあるが、そもそも観察に取り組んでいる時にまともな返事を求められても困ると、オキシは思う。
特に何かに熱中している時は、会話するという行動の優先順位は低く、その会話に対しての答えを導き出すのに時間がかかってしまう。時間は有限で、世界はせわしなく進んでいる。わざわざ反応が返ってくるまで待つと言う人は稀なのである。
「ちびが一生懸命に何かやっているのは、それはそれでかわいいものだけどな」
レニンは豪快に笑い、再びオキシの頭をもみくちゃになでまわす。体格でも力でも劣るオキシはされるがまま。せっかく直した髪が台無しになってしまった。
「見かけたで思い出したけれど……この前、町の近くに魔物が出た時、みんな戦っていたよね」
レニンのなでる攻撃も一段落つき、オキシは口を開いた。
「……まさか草原にいたわけじゃないよな?」
草原はオキシのお気に入りの場所で、しかも一日中飽きることなくいることをキセノンは知っていた。
魔物が現れた情報が入ったのは夜も明けていないような早朝であったが、オキシがその時に草原にいなかったといえる保証はどこにもない。門が閉ざされる前に草原に行き、魔物が出現しても町には戻らずに、そのままずっといた可能性もあるのだ。
キセノンに一抹の不安がよぎる。それはあり得ないことではなかった。
魔物に対しての危機感の薄いオキシのことである。魔物が近くにいても、安全なところに逃げるという発想があるのかどうかも、怪しいところであった。
キセノンは冴えない表情で、オキシにそう問いかけた。
「いや、魔物退治は街壁の上から見ていた。本当は草原には行きたかったけれど、あの日はダメだった。草原も出れない、町をうろうろできない、本当に散々な目にあった」
キセノンの心配をよそにオキシはさらりと答える。
草原へ続く門は魔物のせいで閉ざされて、その日は町の外へ出ることができなかった。仕方がないので町中で観察をしようとしたのだが、「家でおとなしくしていなさい」とことごとく邪魔されて満たされない思いをしたのは、まだ記憶に新しかった。
「街壁の上か。あそこからなら確かに見えるだろうな」
町にいたと聞いて安心はしたものの、魔物がいるにもかかわらず草原へは行こうとしていたらしいことを知り、キセノンはどうしようもない感情に囚われている。
「うん、よく見えた。あんな近くで、ああゆうの見たの初めてだった」
ただでさえ「死」という事象を見る機会の少ない日本に住んでいた。実際に生物を狩る光景を見ることなど無いに等しく、それは非常に稀有な体験であった。
「ちびに見られていたのか。あんな魔物は俺の敵じゃない。魔王が復活しても、俺たちに任せな! ひとひねりだ」
レニンは調子に乗って肘を曲げこぶをつくり、力強いポーズを取る。
「すっかり酔っぱらいね」
フランシーは豪快なことをいう彼を見て、にが笑う。
「魔王?」
何やら不穏な響きを持つ言葉に、オキシは首をかしげる。
「数百年に一度、復活する魔物の王だ」
キセノンは説明する。魔王が復活すると、膨大な魔物たちが波となり、各地を襲うのだ。フェルミの町の壁も、前回魔王が復活した時を教訓にし、魔物の侵入を防ぐために建てられたものである。
「魔王って、強そう」
魔物たちを統るというからには、かなりの実力がありそうだ。
「魔王も魔物も、俺に任せておけ!」
レニンは再びポーズをとる。
「……そうだね。安心して町で暮らせるのも、みんなのおかげだ。ありがとう」
彼らは命をかけて、危険で邪魔な魔物を排除してくれるのだ。その点は心から感謝していた。
「面と向かってそう言われると、少し照れるな……おぉ、ちょうど飯も来たことだし食うぞ」
レニンは照れを隠しながらも、運ばれてきた料理を見ていかにも健啖な態勢に入る。今回もまた、にぎやかな食事になりそうだ。
そうして、とりとめのない近況報告に花が咲き、夜は深けていった。