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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-d『生物に心惹かれるのは、自身も生き物である証拠』
24/59

24・食よりも好奇心を満たすことを選ぶ。

 風が揺らす草はさざめく波になり、空を漂う雲とともに地平線の向うへと流れていく。ざわざわと揺れる地平線からは月の端が顔をのぞかせ、昼下がりの気配もだいぶ深まっている。

 キセノンは依頼を終えて、フェルミの町へ向かっていた。帰りは特に急ぎではないので、節約と体力作りを兼ねて徒歩で行く。旅路は何事もなく順調だった。

 町へ続く道を歩いていると、見覚えのある人影が町壁の前にいるのが目についた。白い服が緑色の草原によく映えている。キセノンは嫌な予感がして、それに近づいた。


「おまえは、またか。いつからここにいるんだ?」

 ため息とともに疑問が口から漏れだす。

 オキシは壁で作られた日影の、湿っぽい場所をじっと見ていた。常に日が当たらない場所なのだろう、壁には苔が青々と生えている。その苔をオキシは興味深そうに眺めていた。

「さっき来たばかり」

 少し遅れていつか聞いたような言葉が返ってくる。

 そのオキシの発言はあてにならないことは百も承知、服の裾に泥がかなり付着しているので、おそらく朝からいるに違いない。

 ずっとこの壁の苔を見ていたのだろうか。オキシの手元にある本には、苔の詳細な絵やいつもの不気味な造形のものが描かれていた。

 単なる粒の集まりのように見える緑色の苔も、じっくり観察してみるとやはり植物の一種であることが分かる。キセノンは細やかな世界に関心した。しかし相変わらず、不気味なものは何を表しているのか、わからなかった。


「……あぁ、キセノンだったのか。そういえば虎狛亭に部屋借りたよ」

 オキシは声の主がキセノンということに気がつき、近況を伝えた。

「そうか。夜になる前には戻るんだぞ」

 順調に生活しているようで何よりだった。

「うん。ロゲンもいるし、大丈夫。だから、邪魔しないで」

 本当に分かっているのだろうか。少し心配になるが、これ以上の邪魔をしてしまうのもアレだ。今は精霊もいるだろうからあまり無茶はしないだろうと思い、町へ帰還することにした。



 キセノンは旅の疲れを癒すために、虎狛亭で休む。ひと眠りの後、頃よい時間になったので、夕の飯を食べるために1階の食堂に降りた。

「オキシが帰ってきたか分かるか?」

 まだ太陽が隠れ始めたばかりで、まだ明るい時間だ。まだ帰っていない可能性が高いが、キセノンはタンタルに問う。

「オキシなら、まだ帰ってないよ」

「そうか。やはりまだか」

 もう少し暮れたら、帰ってくるだろうか。キセノンはそう思ったが、しかし、彼の予想は次のタンタルの言葉で裏切られた。

「……というよりも、宵の口にはまず帰ってこないと言った方がいいかな」

「どういうことだ?」

 なんとなく予想はしながらも、キセノンは尋ねた。

「一応、夜中あたりにふらっと帰ってきているみたいなんだけれど、早朝すぐに出て行っちゃうんだよね。もう三日くらいそんな感じだよ。まったく、そんな遅くまでどこで遊んでいるのかなぁ?」

 オキシが数日の休暇を取っていることをタンタルは知っていたが、こうも夜遅く帰ってくるのでは、心配していた。

「何やっているんだ、あいつは」

「本当にそう思うよ。最近はぶっそうなんだから、暗くなる前には帰ってきて欲しいんだけれど……夜になっても遊んでいたい年ごろだとは思うけどさ、変な人たちとつるんでなきゃいいなぁ」

「……心当たりはある。もうすぐ夜だ、連れ戻してくる」

 変な奴らとはつるんでいないことは分かっているが、夜に町の外にいるのは、あまり褒められるようなことではない。

「どこにいるかわかるなんて、さすがキセノンだね」

「初めてここに連れてきた時も、同じような場所にいたからな」

 キセノンは遠くを見るように目を細める。朝から晩まで草原にいて、一体何が楽しいのだろうか。そう疑問に思う。



 キセノンは再び草原にやってきた。

 あの時から時間は大分過ぎているはずなのだが、オキシは変わらず先ほど見かけた時そのままで、何かを見ていた。

「オキシ、もうじき夜が来る。だから町へ戻るぞ」

 もうだいぶ太陽は隠れている。キセノンは近づいてやさしく声をかける。

「邪魔しないで」

 しかし、オキシは相手にしない。

「だめだ。ほら、帰るぞ」

「邪魔しないで」

「だめだ。直に暗くなる」

「まだ明るいし。ロゲンだってまだ来てないし。邪魔しないで」

 時間に関することはロゲンハイドに任せきりで、その精霊が来ていないと言うことは、まだ大丈夫という認識をオキシは持っていた。

「その精霊はどこにいる?」

 このままではおそらく話にならない。この状態のオキシに声を届けるのは、骨が折れる。手っ取り早く済ませるには、精霊に頼むほかないだろう。

「そこら辺にいると思うけど?」

 オキシはロゲンハイドを呼んだ。何もなかった空間に、気配をまとった渦がたちこめる。それは霧となって集結し人型を形づくった。


「あらら、まだ明るいのに珍しいと思ったら、キセノンに見つかっていたのか」

 顕現したロゲンハイドはにやにやとしながら、そう第一声を放った。

「あぁ、また泥だらけになって。仕方ないなぁ。……これでよし! なんとなく想像はつくけれど何?」

 ロゲンハイドは馴れたように泥を水に流し、オキシに用件を聞く。

「キセノンが用があるって」

 そう短く言うと、オキシは観察の作業に戻る。それを聞いてロゲンハイドは、キセノンの方に顔を向けた。

「そっちの用件も、なんとなく分かるけれど何?」

「精霊よ、ちゃんと家に帰しているのか?」

「一応、夜には帰してるつもりなんだけれどなぁ」

 あくまで、つもり、である。

「夜と言っても、深夜に近い時間だと聞いたが……」

 タンタルからの情報では、そのように聞いている。


「ありゃりゃ、ばれていたのか。だって近くに害意あるものが無いことはいつも確認しているし。オキィシ、とっても楽しそうにしているからねぇ」

 ロゲンハイドは、オキシが幸せそうにしているのに、あんまり邪魔したくはなかったのだ。

「だとしても、もう少しどうにかならなかったのか?」

「えへへへ。休暇の時くらい、そんなに強く言わなくてもいいかなって、つい」

 頬をかきながらロゲンハイドは言う。

 その様子を見て、キセノンはため息をつく。精霊が契約者に対して甘くなるのは仕方ないにしても、夜になっても町の外にいるのはどうかと思うのだ。



「そういえば、きちんと食べていたか?」

 オキシの問題はそれだけではないことをキセノンは知っている。オキシはおそらく今日は一日中、ここにいただろう。熱中しだすと、それこそ寝食を忘れてしまう。ちゃんとものを食べているかどうかふと気になったのだ。

「一応、食べてるよ」

 オキシはそっけなくそう答える。その横ではロゲンハイドは首を傾げていた。

「ん? あれ、あれれ?」

 数日の記憶をたどり、オキシの行動を思い出す。最近のオキシの行動といえば、部屋にずっと閉じこもって観察するか、草原で観察するかだった。

 部屋にずっと閉じこもっていた時には、貰い物の菓子を頬張っているのを見かけたり、手作りの失敗したパンをかじっていたこともあったかもしれないが、それだけでは到底足りているとは思えず、充分といえるものではないはずだ。

 外へ出かけるようになった時でも、市場で妙な珍味を買っていたように思うが、他に何かまともな食べ物を買うような事はしていない。精霊には飲食の習慣はなく、しかもオキシの体調のどこにも異変が感じられなかったので、全く気がつかなかったのだ。


(すっかり忘れていた、そういえばヒトは精霊とは異なり、かなりきっちり食べなくては生きていけない生物ではなかっただろうか)

 オキシの不摂生ぶりに、もはやあきれるしかなかった。ロゲンハイドはキセノンにそのことを伝える。

「最近、まともに食べていないかもしれない……。特に、ここ三日くらいは栄養のあるものを食べていたかどうかさえわからないよ」

「早急に、連れて行くぞ」

 ロゲンハイドのその言葉を聞いて、キセノンは有無を言わさず、オキシの腕をつかんだ。

「あぁ、離せ! 邪魔するな」

 オキシは帰りたくないと引き下がらないが、そんなことはもはや気にしていられない。3日もよくに食べていないのならば、もうふらふらではなかろうか。


「おまえは、最近あんまり食べてないだろう?」

「僕はその気になれば食べなくとも大丈夫! だから平気。好奇心が満たされれば、それだけでいい。それが、一番のごちそうだ」

「そんな子供みたいな言い訳が通じると思うのか」

「うう。まだここにいたい」

 その場にしがみつき、嫌だ嫌だと言う姿は、傍から見ると駄々をこねる子供にしか見えなかった。本人は成人しているとは言っていたが、心が好奇心旺盛な少年のようなのだ。見た目も子供で、行動もそのようなので、事情を知らない者は誰もがオキシを大人だとは認識しないだろう。


「だめだな、こりゃ」

 キセノンはため息まじりに首を振るしかなかった。

「いつものことながら、手におえないよね。ま、ここはおいらに任せてよ」

 ロゲンハイドはオキシに語りかけた。


『だめだよ、食べなきゃ!』

「うるさいよ」

『食べないと倒れちゃうよ』

「まだお腹すいてない」

『それにもう夜になるし』

「まだ明るい」

『帰ろう?』

「帰りたくない」

 オキシとロゲンハイドのやりとりは平行線だ。しかし、このやり取りは二人にとっては、いつものこと。じきにオキシは平静を取り戻すのだ。



「本当は帰りたくないんだけれどな」

 オキシは空を見上げた。天に浮かぶ太陽は月に隠されたばかり。空は薄明の色をたたえ夜の訪れを告げている。

「まだ夕方じゃん。あぁ、本当に帰りたくない。まだ夕方なのに……」

 同じことを繰り返し言いながら、オキシはしぶしぶと帰る支度を始めた。しかし、頭の中では何か時間稼ぎの良い手段はないかと思案していた。このまま素直に帰りたくはなかったのだ。

 そして、オキシは思いついたようにニヤリと笑んだ。

「ねぇ、キセノ~ン。もうちょっとだけ、ダメ?」

 首を少し傾げて上目づかい気味にキセノンを見つめ、少し高めの声色を使い、そう要求してみる。悪友に教えてもらった頼みごとをする時の必勝法(主に男を対象とした)というやつを実践してみることにしたのだ。

「……。そんな目で見ても、だめなものはだめだ」

 オキシの子供のような外見のせいで、どう見ても大人の真似事をしているようにしか見えない。それはそれで微笑ましいことには微笑ましいが、何よりもさっきまで泥だらけのでろでろだった者に言われても、苦笑うしかない。


「ちっ、おねだり作戦は失敗か。うまくいかないものだな」

 オキシはしれっと言いのける。

 やはり自分では再現は無理だったようだ。慣れないことはするものではないと再確認した。


「ほら、ぶつくさしてないで、さっさと行くぞ」

 キセノンはもたもたしているオキシの荷物を持ってやる。

「ああ、本くらい自分で持つよ」

 ここで本を奪われては、後を追うしかなくなってしまう。


「本、返して」

「町へついたらな」

「けち」

 オキシは少し強めにキセノンを小突き、隙を狙おうとしたが、彼の竜鱗に覆われた肌は硬く、その攻撃は全く効いてはいなかった。


「あぁ、もう。この鱗、硬すぎだよ!」

 実力行使も失敗しオキシは地団駄を踏んだ。

「はぁ……まだまだ子供だな」

 思い通りに行かず、だだをこねて聞き分けのない様子を見てキセノンはそう思う。

 人さらいのように首根っこをひっつかんで町まで無理やり運んでしまおうかと、キセノンはそこまで考えてしまう。


「僕は子供じゃない」

 この世界の人々にいつも子供扱いされるのは慣れつつあったが、慣れたからといって、子供であることを認めたわけではない。

「はいはい、そうだったな」

 子供のわがままに付き合うほど、暇ではない。キセノンはさっさと町の門へ向かう。

 その後ろをオキシは「まだ帰りたくないのに」とぶつぶつ文句を言いながらもおとなしくついていった。


「そうだな、いっそのこと思い切って、子供らしいねだり方でも研究してみるか?」

 泣く子と地頭には勝てぬ、ということわざがあるじゃないかと、そうオキシは思いついた。しかし、この年になって泣きわめくのは精神的になかなか難しそうである。

「そんな努力をしても、無駄だぞ」

 そのような研究をしなくとも、今の段階でも十分に子供らしいおねだり(だだ)は完成されているではないかと、キセノンは心のどこかで思う。

「うむぅ。そうか、そうだね。確かにキセノンには効果は薄そうだ。なら、いいや。この案は考えるだけ時間の無駄だ」

 倒すべき障害(てき)はキセノンなのだ。彼に効果がないのであれば、意味がないのである。オキシは早々にその思いつきを手放した。


「……おまえってやつは」

 なんとも言えない疲れがどっと出た。

 息吹くため息はあふれ出て、もう何度目になるかわからない。キセノンは肩をがっくりと落とし、呆れ果てたのだった。

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