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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-d『生物に心惹かれるのは、自身も生き物である証拠』
21/59

21・魔物が現れた! 微生物観察ができないので、魔物退治を観戦することにした。

 この世界の一日は二十四時間ではない。詳しく計ったわけではないが、少なくとも三十時間は越えている。夜の時間も地球よりも長く、それにともなってこの世界の住人はその長い夜に見合った睡眠をとる。つまりは地球人よりも多くの睡眠時間を必要とするのだ。


「これはまた……中途半端な時間に目がさめたな」

 窓の外を見てみれば月明かりが強く、まだ夜はあけそうにない気配が漂っている。

 一日が二十四時間の地球にいたせいか、未だにこの世界の周期に馴染めていない。夜の早い段階で寝てしまうと、真夜中に目が覚めることもしばしばある。逆に深夜過ぎに眠り始めたとしても、充分な睡眠がとれてしまうのだ。


「この世界の人にしたら、僕はすごい不摂生だろうな。まぁ、日本にいた頃も、規則正しい生活をしていたとは言えないけれど」

 眠らなくとも平気な体ではあるが、人間というのはずっと同じ行動(かんさつ)をし続けることはできず、気分転換が必要になる。

 昼間であれば軽く散策でもして息抜きができるが、夜はそうはいかない。治安の良い日本とは異なり、ここはひとりで出歩くに少しばかり物騒なのだ。

 部屋でできることといったら読書か睡眠かだが、この国の文字で書かれた本を暇つぶしに読めるほどの読解能力はまだ習得しておらず、自然と睡眠の方を選んでしまう。



 今日も充分に眠り、すっかり眠気もとれた。

 特に何をするでもなく、漠然と大気中を舞い漂う微生物たちをただ眺めていると、突然鐘の音が鳴り響いた。まだ眠りの底にいる人も多い夜明け前だと言うのに、鐘はけたたましく鳴っている。


「こんな時間に、なんだろう?」

 耳触りに響く音に、意識が現実に戻される。

 オキシはこの世界に来たばかりで常識を知らないので、鐘が鳴ることの意味を知らずとも仕方のないことだろう。

 鐘が鳴る、それは魔物が近くに現れたことを示している。魔物を目撃したとの連絡を受け、調査隊が捜索した結果、町の近くの草原に陣取っている小さな魔物の群れを見つけたのだ。そのため、付近地域は警戒体制に入ったのである。

 そろそろ夜が明けるので魔物の動きは鈍くなるのだが、活発に活動する夜に再びなれば、群れは町や畑へ到達し、荒らしていく可能性があるのだ。被害が出る前に早急に駆除しなくてはいけなかった。

 普段は開かれている門も、魔物が出たということで固く閉ざされた。魔物が完全に駆除されるまで、よほどの理由がない限り一般市民は外に出ることができない。もちろん、その一般市民の中にはオキシも含まれている。


「せっかくの休みなのに、観察もできないなんて」

 牧場までの道も閉鎖され仕事は急遽休みになった。魔物がいるので草原に出ることはできないが、町の片隅で一日中思いっきり観察ができるとオキシは思っていた。しかし、広場の植えこみの辺りや用水路に生えた苔や藻を観察しようとすれば、「こんなところで遊んでいないで、子供は部屋でおとなしくしているように」と注意され、その場を去らねばならなかった。


「魔物は町中にいるわけではないのに、別にうろつくくらいいいじゃないか」

 何度目かの強制的排除に出くわし、すっかり不機嫌なオキシは言う。

「どさくさにまぎれて、あらぬことを企む輩もいるし、そういうのに巻き込まれたら困るでしょ?」

 いつものように助手として召喚されていたロゲンハイドは「仕方ないよ」という風に慰める。ただでさえオキシは人っ気のないところへ行こうとするのだ、そういう場所では良からぬ現場に居合わせてしまう危険性も高くなる。


「そうだけど、これじゃあ何もできやしないじゃないか」

 今日は部屋に閉じこもって観察するよりも、野外で観察したい気分なのだ。だから素直に言うことを聞いて部屋の中でおとなしくするつもりはなかった。

 しかし、町の人もいつも以上に見回りを強化しているので、ことごとくオキシは発見される。彼らはオキシが駄々をこねてもぐずっても相手にせず、力ずくでその場から引き離す。ずいぶんと手際がいいので、こういう面倒ごとの扱いには慣れているのだろう。彼らはまったく聞く耳を持たないので、キセノンよりも厄介な邪魔者だった。


「ち、魔物め」

 オキシはそう毒づいた。これも、すべて魔物のせいである。さすが害獣の中の害獣。非常に腹立たしい。

「だいたい魔物って何? 動物と魔物は何が違う?」

 魔物もよくわからない生き物である。仕事中の雑談でもちらほらと話題には出てくる生物で、話を聞いていると動物とは区別されているようなのだ。魔物を知らないオキシでも、そのくらいは感じ取っていた。

 魔物は動物とは異なる生物である、それはこの世界の常識っぽいことなので、「魔物とは何か」と質問するのは勇気がいた。そういう常識的なことは、事情を知っているロゲンハイドかキセノンに尋ねたい。彼らはすでにオキシを常識知らずと言うのを知っているので、そういう疑問をいくらか聞きやすいのである。

 オキシは常々魔物がどういうものなのか知りたいと思っていたが、いつも帰宅する頃にはすっかり忘れてしまっていた。今日こそはとばかりに、オキシは魔物と動物の違いについてロゲンハイドに尋ねた。


「魔物は魔物で、動物は動物。全然違うよ」

 オキシの問いにロゲンハイドは身も蓋もないことを言う。

「違うといわれても、僕は動物と魔物の違いが、よくわからないんだ」

 地球には魔物と呼ばれる生物は、想像の世界の産物でしかなく、存在していないのだ。今まで実物は見たことがないので、どんなものなのか想像さえつかなかった。

 オキシが魔物について知っていることといったら、夜行性のものが多く、大抵の場合は薄暗い森や林に生息していることと、田畑を荒らし、人を襲うこともある害獣であることくらいであった。

 これだけの情報では、動物と魔物の違いは見いだせないのだ。


「違いが分からないって……」

 特別な道具を使わないと見ることができない生物を知っているオキシが、動物と魔物の違いが分からないことにロゲンハイドは大変驚いた。


「動いている生き物は、ほとんど動物に分類されるような感じだったんだ。魔物という言葉はあるんだけれど、どちらかといえば漠然とした恐ろしいものという感覚しかない」

 魔物が住んでいるのは創作物か、人の心か、舞台くらいだろう。日常的に使う言葉ではないのである。

「地方によって、考え方が違うのかなぁ」

「多分、きっと、そうだよ」

 そのロゲンハイドの勘違いは使える、そう思ったオキシは話を合わせた。

「……魔物というのはねぇ」

 魔物という生き物をどう説明しようか、ロゲンハイドは腕を組んで考えこんでいる。

「魔物は『魔』に憑かれたモノの総称で、動物や植物の(からだ)を乗っ取ってしまうんだ。『魔』にどれくらい冒されたかにもよるけれど、死んだ時に『魔』は塵となって消え去ることも多いんだよ。その『魔』というのは現れる時には湧いて出たように、もやもやって忽然と姿を表して、生物に憑くと言われているよ」

 ロゲンハイドは、魔物について語った。魔物に憑かれた生き物は、行動におかしな点が見られることや、時には外見も部分的に変化するので、分かる人にはすぐに魔物だと分かるらしい。


「おいらたち精霊にしてみたら、魔物の気配は独特だから、すぐに分かるよ。少し離れた場所に隠れていても分かる程度にね」

 そう言うロゲンハイドは、魔物を気持ちの悪いものと感じているようだ。液体の細い腕を使い、二の腕をさすっていた。


「ちょっと興味深い生物だな」

 寄生したり、寄生されたり、生物界においてありふれた摂理であるが、そういう生命の攻防はオキシにとって非常に興味深いところだった。

 しかし腑に落ちないのは、何もないところに忽然と現れたり消えるという点である。何らかの生命であるのだとしたら、自然に現れたり消失することなどあり得ない。生命は自然発生したり消滅するものではない、そこには原因となる何かが存在しているはずのだ。

 かつて地球でも、いつの間にか現れるカビや死体に沸いてくるウジといった生物たちは、自然発生するように思われたいた。今では、それらの生物が自然発生すると言えば笑われてしまうことであるが、昔はそれが常識で誰も疑問に思ってこなかった時代もあるのだ。


「もしかして魔物は魔法と何か関係する生き物なのだろうか? 魔法で動いているとか、魔法の産物とか」

 魔法のない場所から来たオキシには、魔法については正直よくわからない。しかし地球にはない原理で生まれ出る生物なのだとしたら、考えられない現象が起きて生命が自然発生しているように見えても不思議はないように思うのだ。


「魔物は魔法生物とも似ているけれど、まったく違うよ。魔物は人工で作り出されるものじゃない、れっきとした自然に発生する生き物。

 それに魔力が薄くて魔法が発現しにくいウェンウェンウェム地方にも魔物は多くいるんだから、魔物の誕生に魔力が関係しているとは考えにくいんだよ」

「そうなのか」

 突然現れて、死ぬと消滅する謎をもつ不思議な生物「魔物」。魔物には自然発生するように見える何かがあるのかもしれない。実際にその光景を見てみたいものだ。


「興味本位で近づいちゃだめだよ、魔物は本当に危ないから」

 オキシの思考を知ってか知らずか、ロゲンハイドはたしなめる。

「それは大丈夫。魔物は興味深くはあるけれど、微生物以外の生物を見るために、危険を犯す気はさらさらないよ」

 オキシはきっぱりと言い放つ。

「そうそう、わざわざ魔物なんかのために危険を犯すなんて……いやいやいや、どんな場合でも危険はだめだって!」

 一瞬納得しそうになったロゲンハイドは慌てて否定する。

「いや、危険というのは、ある意味すばらしいことなんだよ。そういう危険地帯には、だれも邪魔する人も来ないだろうし。邪魔ものさえいなければ、どんな場所でも楽園だよ」

 人にとって危険な環境にも微生物は生きている。そして、そう言う場所は人はもちろん、大型の動物も寄り付かない。オキシはどんな環境でも平気な体を持っているので、ますます理想的なのだ。


「……そういう問題なの?」

 邪魔者がいないと言う理由だけで、危険地帯へ行くことをいとわないなんて考えられなかった。一体どういう思考しているんだと、ロゲンハイドは困惑する。

「うん、そう言う問題」

 ロゲンハイドの困惑もよそに、オキシは即答する。

「うう、オキィシって感覚がおかしいよ。本当に無茶しなきゃいいなぁ」

 ロゲンハイドはそう願う。

 しかし、その願いは叶うことはない。危険な環境に生きる微生物に会いに行くために無謀な行動に出るオキシに、悩まされることになろうとは夢にも思ってもいないだろう。



「ううむ。ゆっくり微生物の観察できないんだったら、魔物退治の様子でも見てしまおうか」

 この近くに魔物がいるということは高いところに登れば見えるかもしれない。観察の邪魔をした魔物が倒される様を拝んでやるのだ。

 オキシは周囲を見回した。まず目につく高い建物は時計塔だが、あれは簡単に登れるようなものではない。仮に登ったとしても、あっという間に見つかってしまう。町を囲う街壁の方がいいだろう。

 見上げてみれば街壁の上に、ちらほらと人が集っているのがわかる。娯楽の少ない町において、このように町の近くで行われる魔物退治は格好の娯楽であり、安全圏にいる人々はついつい高みの見物をしてしまうのだ。

 彼ら見物人の中にまぎれてしまえば目立たなくていい。しかし、オキシは街壁に登るための階段がある場所を知らなかった。


「ロゲンは、街壁に登れるところがどこか知ってる?」

 昔からこの町にいた精霊なので、それくらい知っているだろうとオキシは思ったのだ。

「基本的に壁には登っちゃいけないものなんだけれど」

 何をしに行くのか、その目的の検討がついているロゲンハイドはため息をつく。

 壁の上は立ち入り禁止で、登るための階段は普段は閉鎖されている。しかし、階段などなくとも登れる場所はいくつもあり、こういう時に使われていることを、ロゲンハイドは知っていた。


「オキィシは木登り大丈夫だよね?」

「多分。10年近く登ってないけれど……大丈夫だと思う」

 魔物がよくわからないと言うオキシにあの魔物の恐ろしい姿を見せるいい機会だと思い、町の人たちが壁に登る時に利用している場所に案内した。


「この木を登れば壁の上にいけるよ」

 ロゲンハイドの言う、その木は樹木というよりも、どちらかといえば蔦植物に近い形状をしていた。壁の表面をまるで網のように這い、登るのに丁度いい感じに茂っていた。。

 オキシはその木に手をかける。

 幾人も登るためか、その木は樹皮が剥がれすべすべになっていたが、絡み合う樹幹は縄梯子のように登りやすく、オキシはすぐに街壁の石畳の通路へ到達することができた。


 町を魔物から守るための壁というだけあり、作りは頑丈そのものだ。壁の厚さは人が4列で歩いても余裕があるほどの幅がある。街を囲う壁の上から後方を振り向けば、眼下に町を一望できた。

 中央には時計塔のある広場、それを中心に各門へと広がる太い道が四本ある。干された洗濯物や旗が木造の家々の間を縫うように風に揺れる。太陽の光は路地を照らし様々な影を映し出している。上から眺めるフェルミの町は新鮮だった。


 オキシは他の見物人にまぎれ、いつもとは異なる高さから草原を見下ろした。地平線より少し手前で煙が上がっているのが見えた。

「あそこかな。なんか妙なのがいるね」

 大小様々の個体がいる集団が目に映った。オキシはもっとよく見るために目の能力を使って拡大して景色を見る。

 赤褐色の半透明の膜で覆われた皮膚は湿っているような光沢を持っている。頭も首も胴体も同じ太さで長く伸び、腹の部分だけぷっくりと大きく膨らんでいた。

 胴体からは無数の節足が生え、骨のように細長い腕が前方に二本、後方に二本伸びている。その腕の先には鋭い鉤爪があり、それを高く掲げ敵対者を威嚇をしていた。

 その姿を無理やり地球上の動物で例えるならば、羽をむしった鳥にムカデとカマキリを掛け合わせて、両生類にしたような印象を受けた。


「おお、あれが魔物か。ちょっと変わっているけれど、やっぱり動物の一種のように見えるなぁ」

 地球に現存するどの生物にも似ていない奇妙な姿形であるが、見た感じの印象は動物の域は脱していないように思えた。


「オキシって、目がいいね」

「さすがにあの距離だと、ぼやけて細かいところはわからないけれどね」

 本来は遠くを見るための能力ではないので、像がゆがんでしまうのは仕方のないことだ。

「おいらには、ちょっと遠くて見えないなぁ」

 ロゲンハイドが目を凝らしても、魔物の集団は遠くにいるのでよくわからなかった。気配で世界を認識している精霊は、視力がそれほど良いわけではないのである。そこでロゲンハイドは望遠鏡を取り出した。望遠鏡の筒は、手作り感あふれる紙コップ製ではなく、厚紙のしっかりとした筒になっていた。市場の雑貨屋で購入し、改良したのだ。

 丈夫になった望遠鏡を覗き、草原にいる目標を探した。


「あぁ、やっぱり。あのでろでろぐちゃぐちゃと殿んだ体、あれはどうみても魔物だよ。動物に『魔』がとりいているから、まだ外見は動物に近い形をしていて、ましな方だけれど気色悪いでしょ?」

 ロゲンハイドは魔物の姿をとらえ、顔をしかめている。

「そうかなぁ、僕はあの横腹をつついてみたいんだけれど。柔らかいのかなぁ」

 かなりぬめぬめはしているだろうが、弾力のありそうなあの腹はカエルのように柔らかそうに見えるのだ。

「うわぁ、触ってみたいの? あれを?」

 信じられないといった様子でロゲンハイドは言う。

「そういえば、みんなが気色悪いって言うものたちは、僕は割と平気だものなぁ」

 発酵・腐敗してぶよりとした個体や、病気にかかって奇妙に変形した動植物、寄生虫や変形菌など、そういう一般的には嫌悪感をいだくような性質のものに普段から親しんでいたので、感覚が麻痺しているのかもしれない。

 不気味で気色悪いという程度では、何も動じることはないのだ。むしろ魔物に対して気持ち悪くて可愛いという愛々しさ(あいあいしさ)さえ感じてしまっていた。


「オキィシってやっぱり変」

「人の嗜好は色々あるんだよ。僕は多少、少数派(マイノリティ)だという自覚はあるけれど」

「多少、ねぇ……」

 相当変わっているよと、呆れながらロゲンハイドはそう思うのだった。



 魔物の形姿を観察するのもそこそこに、オキシはその魔物と戦っている人たちへと目を向けた。数人の男女がそれぞれに武装し、いくつかの組に分かれ、魔物と対峙している。その中に見覚えのある顔をオキシは見つけた。

 いろいろお世話になったキセノンや、一緒に夕食を食べたこともあるレニンとフランシーである。彼らは虎狛亭で見た時とは異なり、しっかりと武装し、険しい雰囲気をまとっていた。剣はもちろん弓矢や槍を用いて、他の人たちと力を合わせ魔物と戦闘を行っている。

 太陽の光に、金属製の刃がまぶしく反射する。まるで火花を散らすかのような激しさをもって、魔物の爪と武器とがぶつかり合い、その力は拮抗している。遠くで行われている戦闘のはずなのに、その衝撃音が耳に届く錯覚をしてしまう。


「あ、今、何か魔物に刺さった」

 それは魔法だろうか、彗星のように尾を引く光芒(こうぼう)状の槍が魔物の体を鋭く貫いた。それがトドメだったのだろう、1匹の魔物が力つき地に伏した。そのとたんに魔物の腹が急激にどろりと溶け地に染み込み、背が割れた風船のようにはじけ大量の塵となって大気に消えていった。そしてそこには頭骨や肋骨といった骨と、魔に冒された肢といった残骸しか残っていなかった。本当にあっという間に散ってしまったのだ。


「魔物、死ぬと本当に消えるんだ」

 その現象は見ていて非常に不思議であった。

 死後、あんなにも早く自己溶解する動物は、少なくとも地球にはいない。この世界に住む魔物という生物独自の特性なのだろう。

「今まで個を保っていたものが、死と同時に喪失する。個を保つ(いきる)とは、本当に何なんだろう」

 生命の生と死の不思議を改めて認識するオキシだった。


 魔物との死闘は続いていた。オキシはいつの間にかキセノンの動きを追っていた。彼は魔物の背中に飛び乗り、前足と胴体の付け根から斜めに剣を刺した。そして深く刺した剣をそのままに、すぐに離脱した。

 魔物が死する際に発する塵には、毒の呪いがかかっている。死に至るようなものではないが、体が麻痺し反応が鈍る。そうなっては、今後の戦闘に支障が出てしまう。薬や解毒魔法は無限に使えるわけではないので、武器の予備がない場合など特別な理由がない限りは、近くでその呪いを大量にかぶる危険を犯してまで、その武器に執着する理由はない。武器は魔物の溶解が落ち着いてから回収すればいいのだ。

 毒の塵をまったく吸わないでの戦闘は不可能に近いが、ほんの少し離れるだけで触れる塵の量は格段に減る。魔物が溶けだしたら、すぐにその場から離れるのが常識であった。いかに呪いによって体力を消耗せずに、魔物を早く倒すかが鍵なのだ。


「あ、今、キセノンが魔物を倒したよ。1発でしとめたみたいだ。すごいや」

 無駄のないすばやい動きで、魔物を狩っていくキセノンは非常に格好良く見えた。

「あぁ、今のは魔物の急所にあてたんだね」

 魔物には核と呼ばれるものがあり、それを壊すことができれば、どんなに元気だったとしても、動かなくなってしまう。地道に体力を削っていってもいいが、なるべく無駄な体力を使わず狩るために、魔物を狩る者たちは核を見つけ出し仕留めるようにしている。

 魔物によって核の場所や数は異なっており、手練れの者になるとその場所をよく心得ており効率よく狩りをしている。

「急所をわかっていても、狂いなく攻撃を当てることができるのはすごいよ」

 魔物を屠っていく熟練の技を目の当たりにして、もはや「すごい」という純粋な感情しか湧いてこなかった。テレビで描かれる狩りのドキュメンタリー映像でも見たことがないような、緊迫した様子にオキシは息を飲む。

 これは娯楽のために作られた番組ではないのだ。編集や決められた台本は一切ない。人対魔物の、生きるか死ぬかの殺しあいだ。気を抜けば死、容赦のない残酷な現実がすぐそこにあるのだ。



 魔物の数は大分減ったが、群れの中の1匹、ひときわ大きな個体がなかなかしぶとく対抗を続けている。動きの鈍くなる明るい時間とはいえ、魔物たちが反撃しない理由にはならない。魔物も生命の危機に必死に抵抗しているのだ。

 のっぺりと丸みを帯びた頭には、深く空虚に満ちた眼がじめっと輝き、敵対している者を睨みつけている。

 傷から流れる体液に濡れた体をふるわせて、魔物は長い首を持ち上げた。同時に大きく口を開き、何か液体を吐き出したのだ。


「あの魔物、口から何か吐いた」

 その液の到達点にいた者たちは素早く避けたり、盾を構えて防ぎ体に直接触れないようにしている。

「あれに触れるとね、どろどろに溶けて骨だけになっちゃうんだよ」

 ロゲンハイドは身震いする。

 肌に触れた場合、早急に洗い流さないと、最終的に骨とプルプルとした単なる塊になってしまう。しかも魔物の吐いたその毒は、土に染み込み汚染し植物をも枯らすのだ。


「肉を溶かして骨が残る……あの液体はアルカリの性質があるのか?」

 酸が皮膚に触れた場合は、肉をどろどろに溶かすというよりは、表面が火傷するようにただれ落ちる。それに、強い酸であるならば骨も溶けてしまうだろう。

「肉を溶かす液か。魔物は死んだら、ただ単に自分の体液で溶けてなくなっているだけだったりしてね」

 動物は死ぬと自身の酵素により身体の分解が始まる。たとえば、足が早いと言われる鯖は適切に保存しないとすぐに痛んでしまうのは、そのせいだ。

 魔物も早さこそ尋常ではないが、それと同じような現象が起こっていてもおかしくはない。特にあの魔物は肉を溶かす性質を持つあの液体を持っているのだ、そのことが何か関係しているのかもしれないと、オキシは仮説を立てる。

「それはないと思うよ。魔物の毒はどろどろにはするけれど、触れても塵にはならないから。それに、ああいう溶かす毒を持たないものもいるしね」

 魔物は死ぬと溶けもするが、塵となって消滅してしまう現象も起きているのだ。

「そうか、やっぱりそう簡単な話じゃないよね」

 思いつきの仮説は、あっという間に否定された。確かにいくら死後、各器官の統制が取れなくなったからといっても、そういう危険な物質を持つ生き物はそれに対してある程度の耐性も持っているはずで、あんなにいとも簡単に溶けてしまうとは思えない。魔物の自己溶解の原因には、他に理由がありそうだ。


「魔物の消失……悪くはないね」

 この世界特有の不思議な自然現象に触れることができ、今回の魔物退治見物は、なかなか満足できるものであった。



 そうこうしているうちに、最後の魔物が倒される。街壁の上で見物していた人々が歓声をあげる。

「魔物、全部退治されたみたいだね」

 ロゲンハイドも、歓声に混ざって小踊りしていた。

 魔物はすべて倒したが、消えずに残っている屍骸の片付け作業が残っている。それと平行して、見逃しの魔物がいないか周囲の調査もしなくてはならない。

 しかし、多くの人にとってそれは興味の対象ではなく、観客たちはひとり、またひとりと帰路につく。町人たちにとってのイベントは終わったのだ。

「おいらたちも、降りようか」

「そうだね。今日は魔物を見ることができて良かった」

 魔物退治の血肉わき踊る興奮よりも、魔物が消えた時の感動の方が大きいオキシであったが。


 そして、魔物に関するすべての作業が終わると、やっと町に平和(にちじょう)が戻るのである。

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