19・切り株の上の雛【※挿絵あり】
オキシが借りている部屋に戻った時、ロゲンハイドはどこにもいなかった。きっと今朝、渡した望遠鏡を覗きこんで、何かを見ているのだろう。
どこで何を見ているのやらと思った時、精霊と契約したからなのだろうか、それほど遠くない場所にいるような感覚がした。「思う」ことでなんとなく気配をつかめるようだ。ちょっとした発見であったが、だからといって今は特に用があるわけでもない。このまま放っておくことにした。
部屋に差し込む斜陽はホコリに当たって舞っている。空に月は昇ったが、まだ太陽を隠すほどの時間ではない。
オキシは鞄を机の上に置きベットに腰かける。その揺れが収まらないうちに重力に任せて倒れた。弾む布団を背中に感じながら、柔らかな感触に全身を沈めオキシは息を吐く。
今後のことを、いろいろ考えてみる。いろいろとは言ったものの、出てくるものは「観察したい」という欲求のみ。頭の中はそればかりだ。
オキシは手を伸ばして鞄を引き寄せて、中から本を取る。本を宙に固定し、仰向けのまま、ぱらぱらと眺めた。ずいぶんと書き込んだものだと、我ながら感心してしまう。
異世界の微生物で、一番のお気に入りは「ミジンコもどき」だ。その名が示す通り、ミジンコに非常に似た微生物だ。このミジンコもどきに惹かれるのは、地球のミジンコに似ていると言う愛着に似た感情もあるかもしれない。
この世界で見つけたその微生物を「ミジンコ」とそのまま呼んでしまっても構わないような気もしたのだが、だからといって単純にミジンコと呼ぶのも、どこか違和感があった。ミジンコというと、地球のあのミジンコがどうしても思い浮かんでしまうのだ。
そういうどうでもいいような意味不明で不毛な悩みが堂々巡っていたが、結局その時は「ミジンコ」に「もどき」をつけることで落ち着いた。
ミジンコもどきは、多分、おそらく、高い確率で動物である。だが本当にそう分類してもでいいのだろうかと、オキシは迷っている。なぜならば成体の姿だけを見れば動物であると言えるが、その一生を見てみると果たしてそうなのかと思う事実もあり、何なのかよくわからない生物なのだ。
草原の水たまりではじめて出会った時、見た目が完全に動物であったので、そう思っていた。しかし、ミジンコもどきを観察をしていると、動物では考えられない変化が起こった。
夜が明け、太陽の光が水中に差し込んだその瞬間、ミジンコもどきのほとんどの個体にそれが起きたのだ。腹部のあたりが割れ、そこから発芽を始めたのだ。ミジンコもどきから生えてきたものには、胞子のような粉がたっぷり入った袋がなっていた。すぐにその袋は弾け、あっという間に無数の胞子は水中に消えていった。
残されたのは、すべてを放出し空っぽになった塵のような殻だけ。ミジンコもどきが、そういう菌に寄生されていたのだと思い、その胞子が今後どうなるのか気になり、行方を追った。ミジンコもどきに寄生する生物ならば、それがどのような工程で行われるのか、是非とも観察したかったのである。
胞子はしばらく水中を漂ったのち、水の底に沈んでいった。その胞子が土の上に落ち着くと、胞子から細い管が四本生え、まるで根のように泥の中に潜り込ませていった。胞子が泥に固定されると、細胞分裂がはじまり、新たな命が育ちはじめた。泥に抱かれながら数時間かけて発生し、そして、そこからとうとう生まれたのだ。予想に反して先ほど見た「ミジンコもどき」を小さくしたような生物が。
ミジンコもどきは何かに寄生されてしまった宿主かと思っていた。だが、実はその胞子こそがミジンコもどきの卵だったのである。あれが彼らの産卵だったのである。
地球とは異なる産卵風景に、それは、それは、騙された気分になったのだ。
「うわ、何たる思い込み。何たる真実。ミジンコもどきめ、発芽して増えるなんて聞いてないぞ。ミジンコとまったく生態が違うじゃないか! これだから、発見の瞬間は……最高なんだよ!」
オキシは思わず嬉々として叫んでいた。まさに、そういう例があるので、油断ならないのである。
異世界に来て早々、先入観の恐ろしさと、異世界の生物がやはり別世界のものだという事を知ったのだった。
ミジンコもどきは普段は光に対して逃げようとするのだが、成熟すると光に向かい産卵のために散ってしまう。成熟した個体にもしもずっと光が当たらなければ、いつまで生きるのか、どうなるのかという実験を兼ねて、ロゲンハイドに作ってもらった水の板のうち何枚かは、1日中、陽の射さない日陰に置いている。今のところ、彼らは弾けることなく生き続けている。産卵には光が条件のひとつであるという仮説は正しそうだ。
水中に散った胞子のような卵は、水底の泥の層まで到達しないと生まれない。彼らは成体になるまで泥の中で過ごすのだ。
1度、卵として散ってしまったら、泥の環境にたどり着くまでずっとそのままの姿で水中をいつまでも延々と漂い続けるのかという実験もしている。こちらは今のところ、日陰と日向の2つの環境に配置している。長く日に当たっても、長く漂い続けても、いつか泥にさえたどり着ければ卵は孵るのだろうか、ということを調べるのだ。
そして、地球では、水たまりに住むような生物は乾燥に対して対策を練っているものがいる。水のない間は生物それぞれの方法で乾燥対策を取っているのだ。乾燥している限り、干からびた干物のようにしているが、ひとたび雨などが降り水に触れれば元のように復活するのである。この星でも、水たまりの生物たちは何か対策を練っているのだろうか。
それを確かめるべく、いくつかの成長段階のミジンコもどきや卵は、陰干しにして緩やかに乾燥中だ。そして、しばらくしたら水に戻してみようと思っている。
彼らの生態はまだまだ分からないことだらけだ。調べたいことは山ほどある。地球の常識と比べてみて想像できることもあれば、常識にとらわれてばかりいては見えないものもある。その先入観を取り払うのは、なかなかに難しい。
オキシは本を閉じ机の上に放り投げた。
外から届く光が窓のガラスを透かして部屋の床で揺れている。空では、だいぶ太陽が隠されて月の光が強くなったようだ。
異世界でも光の弱まる暮夜の時間はどこか物悲しい。草木のすれる音、虫の声が月夜の紗に浮かんでは溶けていく。ささやくような音は響いているが、それがかえってあたりの静けさを際立たせる。
布団の温かな落ち着く感触は、すべてを呑みこむ泥のように温かな澱みを内包し微睡が湧き出てくる。何日もの間忘れていた沈み込む心地よい眠気に引きこまれそうになる。
これからどうするか。
このまま寝ないで朝まで起き続けることもできる。眠ってしまうこともできる。
これから何をしていくのか。
漠然とした気持ちしかなく明確な目的がない。考えても答えは出ない。ちょうどいいから眠ってしまおうか。
月に磨かれて、景色は透き通った夜の戸張の中に深く沈んでいる。幽きまどろみの淵に身体を押し込めて、意識は夢へと逃避していく。
うつうつと見る夢は現実味があるようで形をなさない、意味不明の集合体。それが何かと思う前にぼうっと静かに凪いで曖昧になっていく。
感じたのは懐かしい田んぼの風景と、空に揺れる電線、飛行機雲。幼いころよく見た空の色と草の色。見覚えのあるどこか懐かしい建物が自生する街を抜けて線路を超えれば、田んぼが広がり、その中に神社の杜がぽつりとある。
空はやたらと澄んでいて、水槽に満たされた水面を見ているようだった。冴えた青を映す田畑で挟まれたアスファルトの道は真っ白で、草の生えたあぜ道は水声に揺れていた。
田んぼのぬかるみの、その踏んだときの感触は、たまらなく現実のものに近い錯覚を覚える。足の裏、指の間に感じる泥の柔らかくほんのり暖かい感触。
その泥を玩具のバケツですくう。バケツに張られた水は風に震えていた。オタマジャクシやヤゴといった大きな生物はもちろん、小さな粒たちが動いている。
それを父に貸してもらった虫眼鏡で覗き込む。
彼らの小さな小さな広い世界。はじめて見るその自然の美しさ、生きている感動を知ってしまった。
見れば見るほど、知れば知るほど、深みにはまっていく。生命を育む泥に沈んでいる世界。あふれでる小さな生命たちの泥の中、バケツは青を映す空で満たされている。
夢に深く消えていく、幼き頃に過ごした故郷の憧景。
目が開いた。
視界に映るのは枕の白の色、その先の木の壁である。
昼間、働きに行った牧場の泥の匂いのせいだろうか、久しぶりに見た故郷の生温かい夢だ。
意識のはっきりとする頃には、夢はほとんど朝の陽日に溶けて消えてしまうが、今はまだ目覚めたばかりで鮮明に残っている。ほんの一時の消え残る夢が支配する時間である。
夢と現実、目覚めと眠りを行き来し、その間でいつまでもまどろんでいたい。けだるいこの感覚は非常に心地いい。時間に追われることがなくなったので、自然に任せるままに、その感覚が消えてしまうまで、思う存分に味わっていられるのだ。
「眼鏡、眼鏡はどこいった」
緩やかに覚醒に必要な工程が遂行されていく。長年組まれた手順により、指先だけが枕元を探り眼鏡を求める動作する。しかし数秒後、急にやる気をなくしたかのように動きが止まり、オキシは深く息をつき、ゆるりと起き上がった。
眼鏡はもう必要ないのである。
窓からの光はまだ夜の色を映していた。この星の夜は、ずいぶんと長い。オキシは顔を洗うために洗い場まで行く。
顔を洗って多少は目が覚めたが、いまいちすっきりしない。オキシはまだ少し湿って頬にかかる髪を耳の後ろにかけた。風呂にでも飛び込みたい気分であった。
この地方にはお湯をためてゆっくりつかる風呂の習慣がない。川や池で軽く沐浴する程度である。顔を洗う程度ならば、各家に引いてある小さな水場で済むが、全身ともなると近くを流れる川へわざわざ行かなくては行けない。
どこに誰がいるかわからないような開けた場所での水浴びは、現代日本の生活に馴れてしまっているオキシには少し抵抗があった。それに朝の水はとても冷たそうだ。
と、もっともそれらしい理由をつけてはいるが、一番を占めている理由はただ単純にその場所まで行くことがとても面倒くさいだけである。
「ロゲンに頼めば、今すぐにすっきりできるだろうか」
この世界にはそういう便利な魔法がある事を思い出した。
『ロゲン、今、来れる?』
ロゲンハイドを思い浮かべ、体内の何か繋がった感じを引き寄せて語りかけた。
「呼んだ?」
すぐに水を散らしながらロゲンハイドが現れた。
「びっくりした」
何の前触れもなく顕現したので驚いた。そういえば、精霊を召還するのは初めてだ。契約してからは、ずっと一緒にいたのだ。
「何か用?」
「ちょっと寝汗かいちゃって、ちょっとすっきりしたいんだ。それから服もこれしかないから、ついでに汚れも落として欲しい」
面倒なので、服も体も全ての洗濯を頼んだ。
「任せて!」
ロゲンハイドが指を鳴らすと、オキシの視界は透明に包まれた。それは水であった。しかし息苦しくはない。ほどよい水温に包まれて、心地良い。そう思うのも一瞬で、あっという間に水は引いて乾いていく。
「おぉ、これが魔法の力。素敵だ、素敵すぎる。ありがとう、ロゲン」
早いしさっぱりする、癖になりそうだ。オキシは魔法という非常に便利な代物の味を知ってしまった。
「オキィシって、思いのほか胸があるよね」
ロゲンハイドは水そのものの精霊。水で覆っているモノの形を感じることは造作ないことであった。
ロゲンハイドはオキシがあまりに子供のような外見に見えるので、彼女が成人していると言っているものの、そんなに無いのかと思っていた。さらにいえば、普段は体の線を隠すような、少しゆったり目な服を着ているので少年のような体形に見えることもあり、その思いが強かったのだ。しかし、オキシは成人女性であることには変わりなく、やはり出るところは一応出ていたのだ。それでも、この世界の成人女性と比べてしまうと微妙な大きさになってしまうのだが。
「……」
ロゲンハイドの発言を聞いたオキシは、無言のままロゲンハイドを握りつぶす勢いでわしづかみにする。そして、容赦なしに勢いよく床に叩きつけた。かなり強く打ちつけたので、ロゲンハイドは床に体のすべてを飛び散らせて、無残な水たまりになってしまった。
「あ、ロゲン。大丈夫?」
「……まさかこうなるとは思わなかったよ。まったく酷いな」
飛び散った体は残らず集まり、再び人型を作る。ロゲンハイドはすっかり元の形に戻り、透明な体を揺らしていた。まったく怪我は負っていないようだ。精霊には物理攻撃はほとんど効かないのである。
「いや、なんとなく、つい」
オキシはうっすら笑みを浮かべた。ちょっとやりすぎてしまったかもしれない。笑ってごまかした。
「なんとなくで、あんなに強く叩きつける?」
透明な腕を組みながらロゲンハイドは言う。
「それは、ちょっとだけ反省している。ごめん」
反射的に動いてしまったとはいえ、手加減しようと思えばできたのだ。
「もうオキィシは、本当に何をするかわからないよ」
行動の読めないオキシには、いつも驚かされる。
「でも、とにかく。これからも、この魔法よろしく」
何にせよ、あっという間に洗浄・乾燥が終わってしまうこの魔法はすばらしい。これを体験してしまったら、今までの入浴には戻れない。もうこれ以外にはない。オキシは大絶賛だった。
「でも、次はおいらを投げないでよ」
ロゲンハイドは、にやりと笑みながら言った。
「わ、わかってるよ。ところで、望遠鏡で世界を覗いた感想はどう?」
オキシはロゲンハイドに尋ねた。望遠鏡の評価を聞きたかったのだ。
「いいね、最高だよ」
ロゲンハイドは望遠鏡を気に入ってくれたようだ。ロゲンハイドはどこからともなく望遠鏡を取りだした。精霊は自分の所有物を自由に出し入れできる小さな空間を持っているのだ。
「月も、遠くの森も、よく見える」
望遠鏡を手に、嬉しそうに見たものを語っていた。
「お気に召したようで良かったよ」
紙の筒はどうしても強度や耐久性に問題がある。もう少し丈夫で見栄えがいい筒を市場で見つけたら、改良版でも作ろうとオキシは心に決めた。
「ところで、ロゲン。ひとつお願いできるかな」
「なに?」
「月から太陽が出てきたら教えて。僕もいくらか気をつけるけれど、多分、というか絶対に気がつかないから」
夜が明けるまで、まだしばらく時間がある。出かける時間まで観察したかったのだ。
ここが自分の家ならば、目ざまし時計を3個ほど設定しておくのだが、そんなものはここにはない。この世界で目ざまし時計3個分に匹敵するものは、ロゲンハイドのあのうるさい声なのだ。
「いいよ」
ロゲンハイドは快諾した。
「ありがとう。そして今のうちに謝っておくよ。暴言はいてごめんね、ロゲン」
きっと、そうなるに違いないのだ。
「うあ、なんとなく想像つくなぁ。でも、あんまり気にしないでいいよ。おいらはそんなのは平気なのだ!」
ロゲンハイドは胸を張って言った。
――数刻後。
「おはよう」
テルルはオキシを見つけると、手を振り駆けよってきた。
「おはよう」
オキシは挨拶を返す。ロゲンハイドのおかげで、オキシは時間に遅れることなく集合場所に行くことができた。ロゲンハイドは本当にいい精霊だ。今度、お礼に少し多めに魔力提供でもしようと、オキシはそう思う。
「今日も頑張ろうね、オキシ」
テルルはにっこり微笑みながらそう言った。
今日はテルルと同じ班に振り分けられ、二人は隣同士で作業する。仕分けの仕事はまだ2日目だが、モモーロの模様が見えることもあり順調にこなしていく。だいぶ雛の扱いも馴れてきた。
「見分けるの早いよね。それで間違わないんだから、すごいよね。何か、いいコツでもあるの?」
テルルには、オキシがほぼ一瞬で見分けているように見えるのだ。しかも、それでいて正確なのである。テルルは尊敬のまなざしを向けている。
「なんと言うか……なんて言おう」
他人には見えていない模様なんて、そもそもどう説明したらいいのだろう?
「そこ、しゃっべてないで手を動かす!」
多少のおしゃべりなら見逃してくれるが、ちょっとおしゃべりに夢中になって作業が止まってしまったようだ。班のリーダーが注意する。
怒られてしまったが助かった。この話はここでおしまいになったのだから。
今日の休憩時間は一人で過ごしている。
最初はテルルをはじめ、仕事仲間と昼食を摂っていたのだが、どうもこういう交流は苦手なのだ。何を話したらいいのか分からず気持ちが焦ってしまう。少し居心地が悪いので、頃合を見てこっそり抜け出し、昨日はできなかった探索をしていたのだ。
「やっぱり一人って落ち着く」
観察しだすと時間を忘れるので、仕事中は顕微鏡の目で『見る』ことは封印している。代わりに虫の翅や葉や実などを拾っては熱中しない程度に眺めている。
鳥の羽や虫の翅、何かの種、何かの葉、牧場にも草原と同じようにいろいろなものが落ちている。変わった形の全く知らない虫、知らない草。見るもの全てが新しい。そのようなささやかな自然を見ていると、何もかもが不思議でならなかった子供の頃に戻ったような気分になってくる。
昨日は、それらのものを拾うとテルルに「そんなの拾わないの」と怒られてしまっていた。しかし今日は彼女はいないので、思う存分に拾っては光に透かして眺めていた。
気になるものを拾っていると、モモーロの雛が1匹木陰から現れた。ここはモモーロの牧場、放し飼いのモモーロが普通に歩いているのだ。
この放し飼いの雛は、仕分けている雛よりも少し成長している個体だ。雛の間は鳥に近い見た目だが、大人になるにつれて毛並みも肉付きもより獣のようになり、人を乗せて走ることができるほど大きくなる。そこそこの力を持っているので、荷台をつけて荷物を運ばせたり、長旅のお供にしたりと昔から活躍してきた。
最近では魔動車が普及しつつあるが、モモーロはいまだに根強い人気がある。とりわけ過酷な地を旅する者にとっては、いざという時に食糧になるということが大きいのである。
オキシはふと思いついて、そのモモーロをつかまえて切り株に乗せた。雛は切り株から降りられず、右往左往している。
オキシは本を鞄から取り出し、モモーロをスケッチし始めた。つぶらな瞳に、くちばし、4本の足、そして雛の綿毛の1本1本まで丁寧に描いていく。
「今日は一人なんだな」
モモーロの雛を描きこんでいると声をかけるものがいた。声のした方を見上げれば、声の主は鶏冠頭の青年である。彼は、ものすごい速さでモモーロを仕分けられる人だ。
仕事場では、後ろ姿しか見ていなかったので気がつかなかったが、よくよく見てみるとモヒカンのように見えたのは単なる鶏冠であった。ガラの悪いように見えて怖い外見だったが、そういう外見なだけで、対峙してみれば普通の青年だった。
「何をしているんだ?」
「まぁ、いろいろと」
「その絵はモモーロか。上手だな」
オキシの描いていた絵を見て、感心したように頷いた。そして、大きな手のひらで、オキシの頭をなでる。ここに来てから、よくなでられるとオキシは思いながら、絵をほめられたことに対してお礼を言う。
「ありがとう。で、カボンさんは僕に何か用?」
彼とは話したことはなかったが、この牧場主の息子なので何度か名を聞いたことがあった。しかし、その彼がまだ数日も働いていない自分に何用かと思うのだ。
「ん、特に用って程でもないのだが……君は何か他人には見えないものが見えているのではないかい?」
カボンは、そう問いかけた。突然そう言われても何のことか分からないので、オキシは首を傾げるしかなかった。
「たとえばモモーロの模様、それが見えているのではないかい?」
カボンはさらに言葉を続けた。
「モモーロの……」
モモーロの模様とは、オスにしか存在しないあの模様のことだろうか? 他の人には見えない模様かと思っていたけれども、見える人が他にもいるということだろうか?
「いや、知ってどうこうするわけじゃないんだ」
オキシの沈黙を警戒として受け取ったのか、カボンは経緯を話し始めた。
牧場で長く働く人たちの間には「モモーロの模様が見える人がいる」という噂があった。本当にごく稀にしか現れないので、少し昔までは虚実入り混じった信憑性にかける噂の域をでなかった。
しかし最近、魔術師たちが儀式のニエとして、様々な生き物を特殊な魔法陣の中に置いたところ、模様や色が浮かび上がる生物がいたらしい。
そのひとつがモモーロで、詳しく調べてみるとモモーロについては性別の違いで模様の浮かぶ反応が現れるか否かが決まることを突き止めた。
そして、その話を聞いた魔技師がその魔法陣を使った魔法具を作った。一般の人にも見えるようにすればモモーロの仕分ける作業効率もあがると実用化を目指しているのだ。
「数年前に友人に誘われて魔技師が開発した試作機を見に行ったことがあったんだ。そのときにモモーロに模様があるのを実際に見た」
カボンはいつの間にかその研究について熱く語っていた。彼はもしかすると、モモーロを愛してやまないのかもしれない。オキシは黙ったままカボンの話を聞いていた。
魔法やモモーロはオキシにとっては専門外であるが、どこぞの研究者たちが実験や技術開発を頑張っているのは、すばらしいことだと思う。オキシはそういう技術的な濃い話を聞くのは好きであった。
「それでモモーロに模様があることが証明された今、あの噂の真相はその魔法を使わずとも模様が見える魔眼の一種を持っていた人だったんじゃないかと思ってさ」
カボンはオキシの目を覗きこむ。
「君の瞳の色は変わっている。だから人に見えないものが色々と見えてもおかしくないと思ったのさ」
迷信的で安直な理論の飛躍が見られるが、勘は正しいと言えよう。
「カボンさんの言う通り、確かに僕はモモーロの模様は見えるけれど、特別他人には見えないものが見え……」
見えているわけじゃないと言いかけて、少なくともオキシには他人には見えない微生物を見る事ができることを思いだした。この能力は、広義には魔眼というものの一種に含まれるのだろうか。こと魔法に関しては、わからないことだらけのオキシは戸惑ってしまう。
「人が見えないものが見えるのは認めるけれど、でもどうして僕が模様を見えていると思うようになったの?」
魔眼であるか否かはとにかく、カボンがそう思い至った経緯を知りたかった。
「仕分ける時に腹のあたりを確認しているようだったから、もしかして見えているんじゃないかなと思ってね。いやぁ、本当に見える人が存在するとは」
カボンは感動している。そして、オキシを再びなでる。彼にとって見れば噂の中でしか存在しなかった者に会えたわけだ。それはそれは感涙にむせいでも仕方のないことだろう。
「そういえば、カボンさんも見分けるの早いですよね」
雛をつかんだ瞬間に、見分けているように見えるのだ。
「あぁ、それはオレくらい熟練になると、触り心地でわかるんだ」
カボンは得意げに4本の腕を組んだ。
「それはそれで、すごいと思う」
さすがモモーロ牧場の息子といったところだ。
「仕事ができる人が増えるのは嬉しいことだ。これからも手伝いよろしくな」
そう言ってカボンは、オキシの頭にぽんと手を置く。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
仕事の拘束時間が長いというのが面倒くさいが、仕分けることは、まぁまぁ楽しい。
まだ異世界に来て数日。自分の身の振り方さえ定まっておらず、新しい場所での生活に慣れることで手いっぱいであったが、モモーロと触れ合うのは悪くはないと、思うオキシだった。