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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-c『異世界社会生活』
18/59

18・ひよひよと鳴くその雛は、鳥時々獣。

 空を伝う宵の光はゆらゆらと闇に揺らめき、星のきらめきは寝息を立てて、月光は雲の合間を縫って燃えている。夜露を含んだ草木の香りは、風の中に溶けて月夜に沈んだ町を撫で、夜の闇にそうっと消えていく。

 町の灯が消え夜陰に静まっているというのに、窓からさす月明かりをかき消すように、その部屋からは微かに光が一点、小さく漏れていた。

 三本の足のついた洋燈(ランプ)は木製の机の端に置かれ、月の灯を閉じ込めたようなぼんやりとした魔力の火が、ガラスの中で燃えていた。洋燈は平坦な机を照らし、並べられたレンズは木目を透かし、きらきらと微粒子の灯を映していた。


「無理しなくていいよ。おいら、急いでるわけじゃないし。明日早いのに」

 ロゲンハイドは何回か心配そうに声をかけるが、当のオキシは「あと、もうちょっとだけ」を繰り返し相手にしていない。性格上、興味がある事柄の作業を始めると、のめりこんでなかなか止められなくなってしまうのだ。

 オキシは時折、澄んだレンズを洋燈の下で透かして集積する光線を机に映している。大体であるが焦点距離測っているのだ。そうして何枚もあるレンズの中から良さそうなものを選びだした。

 次は宿舎の管理人から借りてきたハサミや接着糊を使い、紙コップから筒を2つ作った。片方の筒にもう片方の筒を入れられるように、片方の筒は少し小さめに作ってある。出し入れすることによってピントを合わせられるようにするためだ。筒の内側は黒く塗り、光が反射しないでよりきれいに見えるよう、一手間かけた。


 結局、その夜のうちに望遠鏡を作り上げてしまった。

 一通りの作業が終わり、ふと背伸びをすれば、窓の外がすでに薄ら明るくなっていることに気がついた。今日もまた、眠ることなく朝を迎えていた。

 オキシはちらっと白衣のポケットに入っている銀色の時計を見た。ガラスに覆われた文字盤の上で、おおよそ夜明けの時間とは不つり合いな時刻を示している。その時計は決して壊れているわけではなく、ただ単にこの時計が地球の時しか刻んでいないのである。この時計が正確な時間をさすことは、もう無いだろう。

「日蝕はだいたい15時間程度か」

 オキシは蝕が始まる頃にも時刻を見ていたので、おおよその時間を計測できた。たとえ正確な時は指示さなくとも、時の長さを測る分には何も不都合はないのだ。

 時刻を確かめたオキシは時計をしまう。時計は懐の中で何ら変わることなく機械仕掛けの音を響かせて、規則的に巡りつづけている。



「ちょっと早いけれど、そろそろ時間だね。行って来るよ」

 オキシは鞄を肩にかけ、出かける準備をする。仕事の待ち合わせの時間は「太陽が月から完全に出る頃」と、わりとおおざっぱで感覚的な頃合を示された。この世界に時刻を示す機械は存在するが、時間の感覚は日常的に細かくこだわっていないようなのだ。


「いってらっしゃい。何かあったら、いつでも呼んでね」

 ロゲンハイドは今日は留守番するらしい。望遠鏡で色々なものを覗きに行くようだ。


「いろいろ覗くのはいいけれど、望遠鏡で太陽を覗くと失明してしまう危険があるから、気をつけて。じゃあ、いってきます」

 目の構造がヒトと異なる精霊が失明するかどうかはわからないが、注意しておくにこしたことはない。

 そして、オキシはいつもと変わらぬ様子で部屋から出ていった。


「……昨夜だって寝てないのに。何で平気なんだろう?」

 確か人間と言う生き物は睡眠が必要ではなかったかと、元気に出かけていくオキシを見送りながら、少しだけ疑問に思うロゲンハイドだった。



「こんな朝早くから店が出ているんだ」

 早朝の時間だというのに、広場ではいくつかの露店が開いていた。朝早く仕事へ出かけたり、旅立つ人たちのためだろう。朝市のような雰囲気で、昼間とはまた異なった賑やかさがあった。

 一通り広場を見回し、次にオキシは広場の中心にある変な塔(オブジェ)を見上げる。町のどこにいても見えるように中心の広場で、高くそびえ立っている。改めて見てみると変わらず妙な造形だ。

 キセノンからは最初「町のシンボル」としか聞いていなかったが、昨日、彼がこの塔で時刻を確認していたのを見て、この塔の正体を知ったのだ。実はこの塔は魔法仕掛けの時計だったのである。その時は驚いてしまった。到底、時計だなんて思えない風体で、単なる前衛的な建築物かと思っていたのだ。


 今、塔は全体的に緑に染まっている。今日は黄色の太陽が昇る日なので、時が進むにつれだんだんと黄色が強く変化していき、真昼には完全に黄色なる。その様子で人々は時刻を知るのだ。おおざっぱな時刻しか示さない時計塔ではあるが、空が常に晴れているとは限らないので、この時計は大いに役に立っている。

 頂点にある大きな輪に沿って散っている球体が何を示しているのか、オキシにはまだわからなかったが、あれもまた何か意味があるものなのだろうと、今は思うことにした。


 集合場所である塔の前には、すでに数人集まっていた。種族性別年齢はばらばらで、顔見知りの者同士、小さな組をつくり雑談をしていた。

 人を見渡して見ても、やはり身長が高い者が多い。自分よりも高い背丈の人がこうも並んでいると、彼らに身長差があったとしても「おおきい」という印象だけが先にたって、その個々の差の方にはあまり目が行かなくなってしまう。

 オキシはすでに成長期は終わって、数年前から身長は伸びなくなっている。あと数年この町にいたとして、今後ずっとこの身長のままで成長しないのを目にすれば、ずいぶん小さな種族だと思われてしまうだろうか。


「おはよう、君はモモーロの仕分けに登録した者かね?」

 塔の真下で帳面を持った責任者(リーダー)らしき男性が、声をかけてくる。オキシは頷くと、彼は次に名を尋ねて、その名簿に確認の印をつけた。まだ全員は集まっていないのでもう少し待つように言われた。オキシは集団の隅っこの方でぼんやりとあたりの景色を見ていた。


 そうやって景色を見ていると、話し掛けてくる者があった。

「おはよう。今日は同じくらいの子がいて良かったわ。あまり見かけない顔ね。あたいは、テルル。あんたは?」

 声のする方を振り向くと、同じくらいの身長の女の子がいた。長い栗色の髪を一つに束ねて編んでいる。彼女の髪は単色ではなく、境目が不明瞭ながら唐茶や亜麻色を含んで濃淡の移りゆく虎斑が散っている。まるで熱帯の平原に生きる動物のようにも見える、なんとも不思議で美しい縞模様の浮かぶ印象的な髪だった。


「僕は沖石。この町には、最近来たばかりなんだ。よろしく」

 年齢については明らかに勘違いをしているが、面倒なのでその勘違いは放っておくことにした。

「そうなんだ。よろしくね、オキシ。……あ、魔動車が来たみたい」


 牧場までは少し距離があるので、魔動車という乗り物で移動する。

 魔で動く車。読んで字のごとく、間違いなく魔法の産物であろう。オキシは魔法の力で動く自動車、つまりは燃料が魔力なだけで自動車のように走る乗り物だろうと勝手に思い込んでいたのだが、想像したものと少し異なっていた。

「箱が……浮かんでいる」

 その浮かんでいる大きな箱を見て、オキシは驚きを隠せない。

 魔動車と呼ばれたその車には車輪がなく、穏やかな水面を帆走る(はしる)船のように滑らかに疾走していた。窓や乗降口と言った多少の付属品があり自動車にも見えないことはないが、箱が浮かんで道を走っているのだ。比喩表現ではなく、本当に箱が宙に浮かんでいるのだ。


「何を当たり前のこと?」

 テルルは、不思議なものを見るような表情をしているオキシに言った。

「あぁ……ええと、僕の住んでいたところには魔法なかったから、こういう物を見たことないんだ」

 ガソリンで動く機械仕掛けの自動車ならば馴染み深いのだが、車輪もない箱が疾走する様は不可思議でならなかった。


「というとウェンウェンウェム地方から来たんだね。魔法がないって不便でしょ?」

 魔法がないと言うと、皆はその地方を思うらしい。

「いや、不便とか便利とかいう前に、魔法が身近にある生活が、どんなものなのかまったく想像もついてないよ。あの車が浮かんでいる現象は魔法によるもの言うのは、すぐに想像がつくけれど」

 明らかにおかしなものならば気がつくが、自分の気がつかないところで魔法の産物に触れていてもおかしくない。昨日手に入れたこの小さな鞄でさえ魔法がかかっているのだ。いったい、どれほどの物に魔法が使われているのか検討もつかなかった。

「ふぅん、変なの」

 テルルは怪訝そうな顔をして、一言そう言った。


「全員揃いましたので、皆さん移動します」

 責任者の男性がそう叫ぶ。

 オキシはテルルとともに列に並び、魔動車に乗り込んだ。魔動車はすうっと滑らかに発進し、早すぎず遅すぎずの速さで町を抜け草原に出る。

 電動機(エンジン)がないのだろうか、あの空気を震わす低音の振動が聞こえない。道路に接していないせいか、舗装のされていない土の道でも動きはなめらかで揺れもない。


「思ったよりも速い。どのくらいまで速度は出るんだろう」

 オキシは後ろに流されていく草々を目で追いながら、疑問を口にする。

「この車はこの速さが限度ね。もっと質の良い魔動機(エンジン)を積めば、多分早くなるわ」

「そういう物なんだ」

 使う燃料が魔力という得体の知れないものなだけで、その仕組み自体は自動車と大差ないのかもしれない。


 オキシは窓の外を見る。

 地平線に向かって土の道はゆるやかにのびている。うっすらと銀を含んだ白に塗装された魔動車は、緑に吹かれた草原を目的地に向かって走っていく。

 いつしか道脇には、木で組まれた柵が続くようになっていた。ここら一帯がモモーロを飼っている牧草の原なのだろう。囲われているのは柵の向うではなく、自分たちの通っている道の方ではないかという錯覚に陥り始めた。

 駆ける風につかまって、養分の豊富な生きた泥の匂いや、草の醗酵した温かな匂い、獣の生活している臭い、いわゆる田舎らしい特有の香りが漂ってくる。牧舎の姿はまだ見えてこないが、確実に近づいていることが感じ取れた。

 田舎育ちのオキシは、豚や牛のいる牧舎がある道をよく通っていたので、臭いでなんとなく家畜の判別がつく程度には鼻がきいた。しかし、漂ってくる獣臭は、記憶と照らし合わせても、まったくなじみのない臭いであった。


 やがて地平線に見えてきたのは、2本の木が手を取りあいながら生えているような門であった。道路を挟むように丸太が立ち、高い所で緩やかに弧を描いた一枚板の看板が組んである。大地から生えた蔦が絡まり、根づいたその柱は木のように緑々と、そびえ立つように堂々とあった。

 その木製の門をくぐり抜け、少し進んだところで魔動車は停車した。向こうにある茅葺(かやぶき)屋根の建物が牧舎だろうか、だいぶ離れているいうのに、ひよひよと雛の高い鳴き声が漏れている。


 車に乗っていた全ての人が降りると、責任者(リーダー)は一人ひとり名を呼び、数人づつの班に振り分けた。

 知り合ったばかりのテルルとは違う班になってしまった。

「違う班になっちゃったね」

 テルルは残念そうに言った。

「そうだね」

 特に残念であるという、そのような感情は特になかったが適当に合わせておく。


 班が決まったところで、ぞろぞろと雛の声に満ちた建物に入る。中ではすでに数人が作業しており、布を頭に巻いた人、首にタオルを巻いた人、何か歌を口ずさむ人が、それぞれの仕事をこなしていた。

 箱の積み重なった台車を押している人とすれ違う。その台車にも車輪がなく、氷の上をすべるように荷物を載せながら動いている。

 浮かぶ(はこぶ)というイメージがあれば、誰でも使えるごく普通な魔法の道具なのだが、この世界の一般的はオキシにとって一般的とは限らない。車輪がない造形の車たちは違和感がとてつもない。

 この世界では、車輪や滑車といった力学的な現象を利用した器械はあまり発達していない。そのような原理に頼らなくとも、魔法という事象で物質を動かし運ぶことができるからだ。



 電燈がたくさん吊るされて、その下にワラの敷き詰められた大きな箱がある。繊維の絡む柔らかなワラの上、淡い桃色をした雛が密集していた。体はふわふわとした綿のような獣毛が生えそろい、嘴を持っていたが翼はなく、足は獣のように4つ足で鱗に覆われている。鳥の要素がいくらか強いが、どこか獣のようでもある、よくわからない生物であった。

 オキシの所属する班は、初めての者たちが集められたようだ。作業に入る前に雌雄の見分け方の講習があった。落ち着きのない雛の細かい特徴を見なくてはいけないが、分かりやすい特徴なので本当に誰にでも仕分けはできそうだ。


「数匹くらい間違ったって、かまわないから気軽にやってくれ」

 そう言うと、責任者の彼もまたモモーロの仕分ける作業に取りかかり始めた。


 オキシは雑踏の中から雛を1匹すくいあげる。手のひらに感じるのは、非常に小さな肉球の感触や、あまり鋭くない足先にある爪の感触、ほんのりとした体温だ。

 覆われた綿のような毛の温かな胴体は、少し力を入れてしまえば簡単に潰せてしまいそうなほど小さく脆そうに感じてしまう。大切に扱わなくてはいけないという緊張が手の中に収まり、震えてしている。それは雛の力強い生命の脈動が伝わったものなのか、雛を持つことに馴れていない自身の手の震えによるものなのか、オキシには分からなかった。


 オキシはぎこちない手つきで雛を仕分けていく。時々つかみ損ねて落としそうになったり、雛の足が指にしがみついて離さなかったり、多少の苦労はあったが、なんとかこなした。


 ふと何気なく顔をあげて隣の台で作業をしている人物を見る。袖をまくった腕は4本で、頭部中央の前から後ろにかけてまるで鶏冠のように髪を立てている。鉄パイプを持って改造したバイクに乗っているのが似合いそうな外見である。

 しかしそれにもかかわらず彼はまじめな熟練者なのだろう、ほとんど一瞬で雌雄を見分け、雛をつかみ横の収納箱に移していく。次々に箱の中に放る様子は、見ていて感動さえ覚える圧倒的な風景だ。箱ひとつに5、6人で作業しているのに、彼はおそらく同じ量を一人で行っているのだ。伊達にモヒカン刈りではないと言うことだろうか。



「そろそろお昼の休憩にしましょう」

 オキシたちの班がなんとか2箱ほどの雛を仕分けた頃、責任者はそう呼びかけた。今から昼食のための休憩に入る。

「あれ、お昼は?」

 どこからともなく、テルルがやってくる。

「え、まぁ、うん……ええと、僕は昼を食べる習慣ないから、今から適当に散歩でもしようかと」

 食事はとらなくともいい体質だ。そして、特に食べたい気分でもなかったので、何も持ってこなかったのだ。食べなくともいい体質とはとても言えないので、うまくごまかしておく。テルルに声をかけられなければ、休憩時間は外を適当にうろついて過ごそうと思っていたことは本当である。


「それでお腹すかない?」

 昼を抜くなんて考えられないといった様子でテルルは尋ねた。

「うん、大丈夫」

 食べなくとも嘘偽りなく平気なのだ。昼だけではなく、朝も夜も必要ないのだが、その情報は秘密である。

「そうなの。たまには、あたいも外で食べようかな」

 テルルは、オキシの散歩についていく気満々である。



 建物から出て、オキシとテルルは近くの樹の下に座る。

「これあげるよ」

 テルルは何種類かあるパンのうち一つをオキシに差し出した。丸い形をしたパンで皮には光沢があり、とてもいい焼色をしている。ふんわりと柔らかそうなパンだ。

「でも、それテルルの昼ご飯」

「いいのいいの、あたいの分はたくさんあるし。それ柔らかめのパンなんだけれど、あたいは固めが好きだから、気にしなくていいよ」

 テルルは固めパンをスープやミルクに浸して食べるのが好きなのだ。

「でも……」

「もしかして、柔らかいパンは苦手?」

 柔らかいパンが苦手という人がいることをテルルは知っていた。オキシもその一人なのではないかと危惧する。

「いや、パンはどんなパンでも食べれるけれど」

「じゃあ、どうぞ。牧場のミルクも貰ってきたよ。ご飯は一緒に食べた方が楽しいんだから」

 実は、牧場で働く時は、ミルクが飲み放題なのだ。テルルはオキシの分も持ってきていたのだ。

「確かに食事は多い方が楽しいとは言うけれど」

「つべこべ言わずに食べる!」

 オキシが決めかねていると、ミルクの入った瓶を無理やり手渡された。

「じ、じゃあ、いただきます」

 オキシはパンを口にした。

「やわらかくておいしい……」

 皮は薄く、中はたっぷり空気を含んでしっとりとしている。

(このパンは発酵させたものだろうか)

 オキシの頭の中は、酵母菌のことでいっぱいだ。


「どう? 仕事は、馴れてきた?」

 テルルは昼食のパンを頬張りながら、そう尋ねた。

「……う、うん。だいぶね」

(あぶないあぶない)

 微生物偏執狂(マニア)の血がうずいて、もう少しで爆発するところだった。オキシは、そっと胸をなでおろす。

「……」

 テルルはじっとオキシを見つめている。

(酵母菌にちょっとだけ思いをはせていたので、不審に思ったか?)

 沈黙に耐えられなくなったオキシは目をそらした。


「オキシって、もしかして、はにかみ屋?」

「いや、そういうわけじゃ」

 誰だってそんなに見つめられれば、視線をそらしたくなるものではなかろうか。

「だって、時々もじもじしてはっきりしないし、ちょっと引っ込み思案なのかなって」

「そ、そうかな」

 説明が面倒くさいから適当にごまかしたり、言葉を濁したりしているので、そうとらえられても仕方ないのかもしれない。


「言いたいことがったら、はっきり言わないとダメだよ」

 子供は時として大人以上に、鋭く正論を口にする。

「わかっているけれど」

 大人には大人の事情がある。

 実を言えばオキシは子供が苦手であった。ちょっと騒がしいから苦手という理由もあるが、どう扱ったらいいのかわからず妙な苦手意識を持ってしまうのだ。

 個人的な理由で苦手意識をもってしまっているので、親近感を持って接してくれるテルルには申し訳がないのだが、心の底ではどうしても少し距離を置いてしまうのである。



 パンも食べ終わり、二人はよく晴れた空を見上げている。

 雲は流れ、鳥が群れで飛んでいく。木陰に吹く風は髪をなでていき、心地良く抜けていく。天気もいいので、仕事がなければこのまま観察に出かけたい気分になってしまう。


「きっと、今、目をつぶると雛の幻がみえるくらいに焼きついているよ」

「あぁ、確かに。何か雛的なものがひょこひょこと動いているよ」

 オキシはまぶたに映る幻影を感じていた。

 長時間見続けたものが、こう言う風にまぶたの裏に残像として映っているかのように見える現象は、専門の用語で何と言っただろうか。いつか大学の講義で習ったような気がするのだが、もうすっかり忘れてしまった。


「モモーロに取り憑つかれたね」

 テルルが笑いながら冗談を言う。

「そうだね。すっかり憑かれた」

 オキシもつられて笑みかえす。


「ところでオキシはお金ためて何するの? あたいはいつか王都へ行った時に色々買い物したいと思っているよ」

 テルルはそれが夢らしい。稼いだものは幾らかは家に入れているが、王都旅行のために貯めているらしい。


「僕は……ひとまずは生活できればいいやと思っている」

 生活、といっても食費はそんなにかからないので、問題となるのは家賃である。

 部屋を借りる時、1日単位で借りるよりも数日単位で借りたほうが安くなる。なので、お金のかからないあの宿舎にいられる間のうちに、少しでも貯めてしまおうと思っていた。

「そっか、オキシはこの町の人じゃないから……生活のためって、なんだか夢がないね」

「僕もそう思う」

 オキシは苦笑う。

 しかし、思ってみれば生活費以外のことで、お金を使って何かしたいと思うことが取り立ててあるわけではなかった。観察に必要な微々たる雑貨を購入することは除くにしても、だ。


(研究室に引きこもりっきりだったから、個人的な買い物を楽しむ事なんてここ数年してないし、それに欲しいものは時間くらいだったからな)

 意外に物欲が無いと思ってしまったオキシだった。

 そういうとりとめのない会話をして、昼の時間を過ごした。昼休憩が終わって、引き続き仕事だ。


 午後は微睡み(まどろみ)まったりとしている。隣にいるテルルは睡魔と戦い中で時々雛を持ったまま、とろんとしている。すぐに、はっとしては作業を始めるのだが、単純作業に再び睡魔に捕まってしまうようだ。雛も手のひらの上で心地よさそうにしている。

 声をかけた方がいいだろうか。あるいは軽く揺さぶった方がいいだろうか。

(居眠りなんて、基本的に放っておくものだったからなぁ)

 授業中に居眠りをしているのは、よく見かけることで特に気にしたこともなかった。


「テルル、大丈夫?」

 小さく声をかけてみるが返ってくるのは生返事。さてどうしたものかと少し悩んだ末に、オキシはもう放っておくことを選んだ。一応声はかけたし、放っておいても微睡む時間は一時的な現象で、自然に終わるのだから。


 一方、モモーロの雛は元気である。ひよひよと鳴いて軽くつつきあい戯れていたり、他の仲間の腹の下に潜ろうとしていたり、隣同士で身を寄せ合ってぼんやりと仕分ける人々を見上げている。

 そのような様子の雛に和みながら、オキシは仕事をこなしていった。



 しばらくモモーロの雌雄を見分け続けているうちに、オキシは気がついたことがあった。どう見てもオスは胸のあたりに濃紫色の模様があるのだ。メスにはその模様はない。それは明らかで、見間違いではない。

 他の数匹を確かめて見ても、間違いなくオスの特徴を持つものには模様があり、メスには模様のあるものが1匹もいない。例外は存在しなかった。

 こんなわかりやすく確かめやすい特徴を、この仕事をしている人が気がつかないはずは無い。考えられるのは、見えている人間は自分だけなのかもしれないという仮定である。

 生物によって見える色の範囲はまったく異なっている。地球の生物で言えば、人間の見ている世界と、犬や猫の見ている世界は違う。犬や猫は人よりも少ない(いろ)しか見ることができないのだ。逆に鳥や昆虫の中には紫外線や赤外線など、人間が感知しない光を見ることができる種類もいる。今、映っている世界は、ほんの一部に過ぎない。自然の世界は、見る(しる)には広く、そして深く濃い。

 同じものを見ても、生物によって、それぞれに異なったものが見えている。モモーロと、この世界のヒトが見ている世界は違う。モモーロたちは、この濃紫色が見えている。そして、オキシにもそれが見えている。


(ちょっとずるいけれど、僕には見えるのだから仕方がない)

 その模様は明瞭、雛をすくいあげれば一目見るだけでわかってしまうので、楽々と仕分けられてしまう。一人で作業している4つ腕の人に比べると劣ってしまうが、他の人よりは少しだけ早く雛の雌雄を見分けることができるようになった。


(案外、楽しいものだな。雛の仕分け)

 ほんのちょっとだけ見分け方が簡単になり、得した気分のオキシは生活費稼ぎの天職をここに見つけたと思った。だからといって、さすがに毎日やろうとまでは思わないが、たまにやるくらいならば問題なくこなしていけそうだと、オキシは感じたのだった。



 月が地平線から顔をのぞかせる頃、一日の仕事は終わりとなる。来た時と同じ魔動車に乗り、町へと戻る。

 町に着くと組合(ギルド)に終了の報告をする人が多い。報告は何日か分まとめて出すこともできるが、大抵の人はその日のうちに提出し、給金をもらう。オキシとテルルも人の流れに乗って、報告に向かった。

 報酬は現金での受け取りも可能だが、大半の者はそのまま付属の銀行に振り込んでいるようだ。この銀行は貯金しても利子などはつかず、定期的に預けている額に比例した税が少し取られる。しかし、それでも多くの人が利用している理由は、高い安全性と利便性である。

 硬貨は数十枚も持てばかさばり重くなっていく。そして、あまり多く持ち歩いていると、盗人に狙われやすく、盗まれたときの痛手も大きい。大量の硬貨の保管場所に困った時、そんな時にこの銀行は役に立つのだ。

 時折引かれる税もそれほど多いわけではなく、安心を買っているような感覚で利用する人も多い。銀行というよりかは、貸し金庫に近い制度である。

 登録証を作るときにそのような制度があることを聞いたが、そんなに多くはため込まないだろうと思い、オキシは今のところ口座は作っていない。

 今日一日働いた分の硬貨を貰うと、オキシはお礼を言い、手に入れたばかりの給金を大事にしまった。


「オキシは明日も来る?」

 帰り際、テルルはオキシに尋ねた。

「しばらくは働くつもり」

 虎狛亭でしばらく部屋を借りることができるくらいまで貯めるつもりでいる。

「そっか。じゃあ、また明日ね」

 テルルと分かれ、オキシは馴れてきた道を宿舎へ向かって歩いた。

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