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召喚と代償

願いと贖罪

作者: 葉琉

「腹が減った」

 私が目を覚ましたとたん、聞こえてきたのはそんな声だった。

 みれば、黒々としたつぶらな瞳の蛇が、私のお腹の上あたりに乗り、こっちをのぞき込んでいる。こころなしか不機嫌そうに感じたのは、さっき聞こえた声の響きのせいだろうか。

「腹が減った」

 蛇はもう一度繰り返した。

 しかし、私は返事が出来ない。

 どうしようもないからだ。蛇の主食が、私が一般的に知っているものと同じなら、いくらだって用意できるが、彼の主食は【呪い】なのである。

「なあ、いっそ、お前がちょっと誰かに呪いでもかけられてみないか」

「嫌」

 即答してから、私は掛布を払いのける。

 その勢いで、蛇の体はころころと寝台を転がった。ぎりぎり縁で落ちるのを踏みとどまった蛇から、抗議の声があがる。

「ひどいぞ、なんだこの扱いは!」

「乙女の寝室に勝手に入り込むような蛇に、優しくする気持ちは起きません」

「でも、腹が減っているんだ。ほらほら、また俺はやせたぞ」

 と言われても、見た目では全然わからない。

 つまんで持ってみても、重さは変わらないだろう。確かに鱗に艶はない気はするが。

「全然そう見えないけど」

 着替えるため、寝台から降りるついでに、蛇をつまみ上げ、近くの椅子の上に放り投げた。

「わー! なんてことするんだー!」

 くるくるとうまいこと回転しながら飛んでいった蛇に、私は笑ってしまう。

「着替えるんだから、あっちを向いていてよ」

「誰が見るか」

 椅子の上でとぐろを巻くと、蛇はきちんと余所を向いた。変なところで紳士的なんだよね。

 そういうところも含めて、やっぱり妙な生き物だと思う。

 見た目は蛇そのものだけれど、私が知っている蛇とは、かなり違っている。つぶらな黒い目も人と同じくらいよく見えているみたいだし、実際そのへんにいる蛇の目より大きい。牙に毒はないらしいが、実は尻尾の先から針のようなものが出て、それで相手の体をしびれされることが出来るのだという。死に至らしめるほどではないが、少しの間相手が動けなくなるので、自分よりも強い相手から逃げる時には役立つらしい。

 でも一番変なところは、この蛇は言葉を話すということだろう。

 蛇曰く、元いた世界で、彼の種族は皆普通に言葉が話せたらしい。でも、ここの世界と、蛇の世界の言語はまったく違う。

 それなのに、どうして言葉が通じるのか。

 蛇といろいろ話をした結果、どうやら魔法陣自体に言語を自動変換するため魔法が組み込まれていたのではないかということになった。

 もちろん、それでも疑問は残る。あの魔法陣は、生き物を召喚するものではないと聞いたし、皆もそう信じていた。その前提があるとすれば、偉大な魔法使いがそんなものを組み込むはずがない。それとも、魔法使いはその可能性までも考えていたのだろうか。

 今となっては、わからないことだけれど、少なくとも蛇や私たちにとってはありがたい魔法ではあった。言っていることがわからなかったら、神子様の呪いも解けなかったわけだし、彼が何に困っているかも、理解できなかっただろう。

 とりあえず、今一番の蛇の悩みは、食糧事情だ。

 この辺りの呪いは全部食べ尽くして食料がなくなったらしく、常に腹が減ったと言っている。

 召喚した手前、そこだけでもなんとかしたいのだけれど、これが中々うまくいかない。

 先輩の魔法使いにどこかで呪いを受けた人がいたら教えてくれと頼んでいるし、やっかいな呪いが見つかれば陛下が何か命令してくるだろうとは思ってはいるけれど、それほど世の中呪われた人がいるわけではない。

 とりあえず、食べなくても一月はなんとかなるという蛇の言葉を信じるしかなかった。

「着替えたから、出かけるよ」

 いつもの動きやすい服に着替え、そう声をかけると、蛇がこちらを向いた。

「また書庫か? 飽きないな、お前」

 王直属の魔法使いといっても、普段は仕事があるわけではない。

 どこかで誰かが呪いを受けなければ、することはないのだ。

 だから、陛下から許可をもらって、最近の私は王宮の奥にある書庫に入り浸っている。もちろん、研究や勉強の合間を縫ってだから、時間は限られているけれど。

「あそこには、あちこちから取り寄せた変な本がいっぱいあるからね」

 生きている間に読み尽くせるのかというほどの蔵書。せっかく、城の中にいるのだ。利用できるのならば、利用する。実際、どうしてここにこんな物がという、意味がよくわからない本もたくさん見つけたのだ。

「俺も行く、どうせ暇だ」

 蛇はするすると椅子から降り、私の杖に巻き付いた。最近では、こうやって私の愛用の杖に巻き付いて移動するのが当たり前になっている。見た目は不気味なので、本当は遠慮したいんだけどね。すれ違う王宮の侍女さんたちも、怯えているみたいだし。

 かといって、腕やら首やらに巻き付かれたら、今度は違う意味で怖がられるだろうということで、仕方なく杖に巻き付くことを許しているのだ。

「今日は、何を読もうかな。そういえば、『道ばたに生えている草の正しい食べ方』って本があったよね」

「お前な、もっとまともな本を読め」

「じゃあ、『人にも食べられる石のおはなし』とか?」

「それのどこが、まともな本なんだ」

 せっかく普通では入れない場所なんだから、もう少し高尚な本を読めと、お小言を言われてしまった。

「いつか役に立つかもしれないのに」

「立つか!」

 そんなのわからないじゃないの。

 ぶつぶつと文句をいいながらも、仲良く書庫へと向かう。

 

 陛下から呼び出しを受けたのは、そんな穏やかな日のことだった。

 東の果てにある領地で、呪いが確認されたので、調査の上、祓ってほしい。

 当然のごとく、拒否権のない私は、蛇とともに、その日のうちに王都を旅立ったのだった。



「なんなの、この茨」

 私は、目の前に広がる光景に、唖然とした。

 確かに屋敷を茨が覆っているとは聞いていた。でも。この量は尋常じゃない。屋敷そのものが見えないのだ。まるで、強大な茨の塊のようにも見える。こんもりと盛り上がっていて、周りに庭があり、鉄製の塀がぐるりと周辺を囲っていなければ、小高い丘にしか思えない。

「なかなか食べがいのある呪いだな」

 蛇の舌なめずりが聞こえたような気がした。

「呪い? やっぱりこの茨が?」

「ああ、間違いない。棘のひとつひとつに呪いの種が詰まっていて、それが体内に入ることで呪いが発動するようだ。呪いの種がプチプチした感触で面白い。それに、茨そのものもどうやら、相手の魔力や生気を吸い取る力があるようだ。ああ、うっかり触るなよ。呪われるぞ」

 私は、ずずずっと、後ろに下がった。もちろん、茨から距離をとるためである。

「おい。どうして逃げる体勢なんだ」

 蛇が器用に首だけをこちらに向けて、そう言った。

「だって、呪われたら嫌だし」

「安心しろ。その時は、俺がおいしく頂いてやる」

 その言い方は誤解を受けそうだ。声だけ聞いたらね。だって、実際は蛇だし。

「おいしそうではあるが、これを食べただけでは呪いは解けないだろうな」

 蛇の舌が伸びて、茨の一部をぺろりと舐めたあと、そう言った。蛇が舐めた部分は茶色に変色するけれど、すぐに元の色に戻ってしまう。

「茨は、元凶じゃないの?」

「違うな。屋敷のどこかに、茨を発生させているものがあるはずだ」

 確かに、茨自体は、ごく普通のどこにでもある植物と同じ形や色をしている。呪いを発生しているもの特有の魔力は感じられるが、全体的に希薄で曖昧だった。

 それによくみると、茨は外側―――つまり屋敷の周りの土の部分から生えているのではなく、中から出てきて壁を覆っているようなのだ。

 古びた窓のガラスは割れているし、壁も朽ちていてあちこち穴が空いているのが、わずかな茨の隙間から見える。とはいっても、あまりにも茨が密集しすぎていて、この屋敷の玄関がどこにあるのかも、よくわからない。

 よくある建て方の屋敷だから、大体の位置は想像できないことはないけれど、この状態で扉を開くのも無理そうだ。

「元凶を探すにしても、中の様子がわからないと」

 蛇はともかく、私はこの茨を突っ切って中にはいる勇気はない。

「燃やしたら、どうなるんだろう」

 一瞬、そう思ったけれど。

「やめておけ。ここへ来る途中聞いただろう? 燃やそうとしたがだめだったと」

 言われて、私は、案内してくれた街常駐の騎士の話を思い出した。

 没落した貴族が所有していて今は空き家となっている屋敷が突如として茨に覆われたのは数日前。

 魔法使いや騎士たちが原因を調べにむかったところ、茨に阻まれ中に入れず、さらに触れた茨に呪われ、騎士は生気を、魔法使いは魔力を吸い取られてしまったのだという。

 剣で切ろうとしても切れず、炎で焼こうとしても叶わず、魔法使いの解呪魔法も聞かない。

 普通の呪いではないのでは、ということで、すぐに報告が王宮に届いた。

 なにしろ、そこには、最近売り出し中の魔法使い―――実際は、新人一級魔法使いだけれど、精霊を召喚した私と、呪いを解いた精霊様がいる。

 なんとかしてくださいとの嘆願に、陛下が私にすぐに行くように命令したのだ。

 蛇はわくわく、私は憂鬱、というまったく正反対の状態でやってきた街の医療院で見たのは、まるで病人のように青白い顔をして立つこともできないほど弱った騎士様と魔法使いだった。

 彼らは、蛇が呪いを解いたが、体が完全に元に戻るにはしばらくかかるという。

 呪いを食べた蛇も、もしかするとこれは魔族が関わっているかもしれないと言いだし、私は覚悟を決めるとともに、気を引き締めた。

 成り行きで王直属の魔法使いになったとはいえ、魔法使いとしての責任はある。

 なにより、あんなふうになった人たちを見れば、放っておくことなどできなかった。

 それにね。

 目がね。

 医療院で、私を見た皆の、期待にみちた目。

 あれを振り切って逃げ帰るなんて出来るだろうか。……小心者の私には出来ないよ。

 どうせ、呪いを食べるのは蛇だし、私はその補助をするだけだ。

 大丈夫、まだ実践したことはないけれど、攻撃魔法は使えるし、いざというときのために、転移の魔法だって修得してる。

 大丈夫、大丈夫。

「おい。何杖を抱えてぶつぶつ言っているんだ」

 器用に杖に体を絡ませた蛇が、にゅーっと上半分を伸ばして、私の鼻を舐めた。

 当然、びっくりした私は杖を落としそうになって慌ててしまう。

「驚かさないでよ!」

「あのな、しっかりしてくれよ。『異界から精霊を呼び出した偉大な魔法使い』様」

「やーめーてー!」

 さらにぺろぺろと私の顔を舐めていた蛇が言った言葉に、思わず飛び上がってしまった。

その呼び名だけは、口にしないで欲しかったのに。

 自分だって、『精霊』様のくせに。

 だいたい、そんな二つ名いらない。

 それに、最近出回っている、私と蛇の絵姿。あきらかに、別人だ。

 先輩方が手に入れて私に見せてくれた『異界から精霊を呼び出した偉大な魔法使い』は、絶世の美女だった。髪の色と目の色は同じなのに、顔が違う。蛇も光り輝くなんだかもやもやした紐みたいなものとしてかかれていた。おそらく、私が噂の魔法使いだと言っても、誰も信じないだろう。

 実際、さっきまでいた医療院でも、疑われたんだよね。

 私が陛下から渡された紋章付きの指輪を見せなければ、絶対信じてもらえなかった。

 小娘と蛇の組合せだから、当たり前といえばそうだけど。

「で、どうするの。燃やせない、切れない、だと、屋敷の中に入れない」

「そうだな」

 蛇は目を閉じて、考え始めた。やがて目を開いた蛇は、まっすぐに茨を見つめている。

「おまえは、自分の周りに結界みたいなものを張れるか?」

「結界?」

「そうだ。さっき、俺が茨を食ったとき、葉や茎が変色して枯れかけただろう?」

 私は、さきほど見た、茶色に変わった茨を思い出す。

 蛇が離れるとすぐに再生してしまったけれど、確かに呪いを食べ続けていれば、穴くらいならば空くかもしれない。ただ、それだとすぐにふさがってしまうだろうから、私の体の周りに結界を張って、茨に触れないようにすれば、中に入れるってことだろうか。

 私が自分の考えを蛇に伝えると、めずらしくわかっているじゃないかと、言われてしまった。

「できそうか?」

「たぶん。これでも一級魔法使いだよ」

 私たち魔法使いが魔法を使う時は、呪文を唱えることもあるが、そのほとんどは魔法陣を使用する。とはいっても、魔法陣を、いちいちその場で描いていたのでは間に合わないので、自分が得意なものや、簡単な魔法を使う時に必要な魔法陣は、あらかじめ杖―――人によっては宝石だったり、装飾品だったりするけれど、それに覚えさせていて、自分の魔力を注ぎ込み呼び出せば発動するようにしているのだ。それを複数同時に扱えるようになれば一人前とされていて、熟練した魔法使いならば、かなり大きな魔法陣を使えるという。

 私は、まだ新人だから、そこまでではないけれど、結界程度ならば、それほど魔力を使わずとも張れる。今の状態ならば、それに強化魔法を重ねがけすればいいだろう。

「油断するなよ」

「わかってる」

 私は杖を握りしめると、頷いた。

「心配するな。もし失敗して呪われても、ちゃんとおいしく食べてやるから」

 だから、その言い方は怪しいんだって。

「でも、大丈夫? ずっと呪いを食べ続けるのは、大変じゃない?」

「心配するな。俺は大食漢だ」

 本当かな。

 そもそも、呪いはどうやって栄養分に変換されているんだろう。量はどのくらい食べれるんだろう。気になるけど、ここで聞くわけにもいかないしな。

 蛇が妙に嬉しそうだから、心配しなくても大丈夫かもしれないけど。

「行くぞ」

 そう言われて、私は魔法を発動するために、自身の魔力を解放した。



 屋敷の中は、想像したよりも、だいぶんましだった。

 確かに壁や床、天井にそってびっしり茨に覆われているが、空間をふさぐような状態ゃない。

 ただ、蛇が茨に触れて変色するたびに、のたうち回るようにうごめく蔓が結構不気味だ。

 私はといえば、自分の周りに結界をつくり、蛇のあとをゆっくりとついて行っている。

 屋敷内に入るために無理矢理こじ開けた穴がふさがらないように結界をはって、穴を押し広げながら入るのは、中々大変だったけれど、入ってしまえば、茨が覆っている部分は限られていた。

 最初は、茨が突然伸びてきて、こちらに襲いかかってくるのではないかとも思ったけれど、動けないのか、先端部分をふるふると振るわせているだけだ。

 茨が再生してこちらに伸びてこないように防ぐだけで、大丈夫そう。

 もちろん、こちらを油断させるための罠ということもあるので、警戒は怠らないけれど。

「同じ方向から、茨が伸びているな」

 天井の高い広い部屋―――おそらく大広間であろう場所で、蛇が言った。

 その場でいったん動きを止め、食べるのをやめた蛇が茨に絡みとられないように、蛇の周りにも結界を張る。

 そうやって、私も辺りを見回すと、確かに茨は一定の場所からその蔦を伸ばしているように見えた。

「2階、から?」

 大広間へと続く大きな階段に目をやると、上がりきって左側から茨は伸びているようだった。

「そうだな、行ってみるか?」

 問いかけだけれど、行かないという答えはないことはわかっている。

 私が頷いたことを確認した蛇が、呪いを食べることを再開した。

 そうして、私たちは、その先にあるものを確かめるために歩き始める。



「これ、何」

 たどり着いた部屋で見たのは、長椅子に腰掛けた女だった。

 だけど、人といっていいのだろうか。

 彼女は美しい。白磁の肌に、赤い唇。切れ長の目は、澄んだ青色だ。

 顔も整っているし、薄い布で作られた服の上からでも、女の身体が艶めかしく豊満なのがわかる。

 ただ、人と言えないものを彼女は持っていた。

 髪―――ではなかった。

 彼女の頭から伸びるのは、茨。絡み合い、もつれ合いながら、広がっている茨は、彼女を中心に屋敷内を覆っているのだ。

「あら、ようこそ。魔法使い様」

 女が立ち上がり、優雅に腰をかがめた。

 それに合わせるように、茨が揺れる。

「ここで網を張っていれば、魔法使い様が引っかかってくれると思っていたわ」

 艶やかな笑みを浮かべるけれど、女の目は笑っていなかった。

「絵姿ほどには、美しくないのねえ。でも、魔力はすばらしいわ。今まで来た人間と違って、あなたの魔力をもらえれば、もっと美しくなれる気がするわ」

 うっとりとそんなことを口にする女に、医療院で見た、生気や魔力を吸い取られ苦しむ人たちを思い出す。

「リューリが狙いか」

 蛇が、茨を食べることを止め、すばやく私に近づいた。器用に私の体に絡みつきながら昇ってくると、右手に持っていた杖までたどり着きいつもの定位置に収まる。

「そうね、その子が邪魔だ―――という方がいらしてね。わたくしに永遠をくださる代わりに、あなたを殺せと言われたわ。殺し方は好きにしていいんですって。だから、その魔力を吸い尽くしてしまおうと思ったの」

 誰だよ、そんな物騒な依頼をしたのは。ついそう叫びそうになる。

 なにしろ、こっちはまだ一級魔法使いになったばかりの新米だ。しかも、実勢経験も実務経験もない状態でいきなり召喚に成功してしまったものだから、普通の一級魔法使いが積んでいくべきものを何一つ持っていない。

「ねえ、異世界の方。そんな小娘につかずに、わたくしたちのところへ来ない? そちらにいても、元の世界に帰れないわ」

 白い手が揺らめいて、手招きする。

「お前が、俺を帰らせてくれるとは思えないけどな」

「わたくしじゃなくて、主が」

「主?」

 問い返す私に、女は唇を歪めた。

「わたくしに、力と永遠と美しさをくださったすばらしい方よ」

「そのすばらしい方が、俺を素直に元の世界に帰してくれるとは、思えないが」

「あら、疑うの?」

「あんたの主がどれだけすごい力を持っているのか知らないが、俺なりに調べた結果、帰るというのは無理なようだぞ」

 いつのまに、そんなことを調べていたんだろう。

 確かに、現時点では、蛇を元の世界へと帰す魔法は存在しない。神殿の方でも 調べてはいたようだけれど、結果はあまりよくないとのことだった。今後の研究次第では可能性がないわけではないけど、理論的に、送り返す方が、呼び寄せるよりも難しいのだ。一応、蛇を召喚したのは私だから、責任を持ってこれでもいろいろ文献を当たったりした。先輩の力も借りたし、神殿の巫女にも頭を下げた。

 それでも駄目だったから、そのことに関しては、蛇に全てを話して謝ったばかりだ。

「出来ないことを堂々と口にする相手は、信用できない」

 蛇の声は硬い。

 彼は、姿は蛇だけれど、頭はよいし、理解力も記憶力も驚くほどだ。始めの頃はまったくわからなかったはずのこの世界の文字も、いつのまにか読めるようになっている。

 ついでに、私の側で、魔法に関することをいろいろ勉強しているうちに、自分は使えないというのに、やたらと詳しくなってしまっていたのだ。恐るべし異世界の蛇である。

「あらあら、頑固ねえ。全ての呪いを食べちゃうなんて面白い存在だから、興味はあったんだけれど、そこの魔法使いに肩入れするなら、やっぱり敵だわ」

 ざわざわと、周りで茨がうごめく。

 一応結界は維持し続けているけれど、圧迫感が増したようだ。

 杖から伸びてきた蛇の頭が耳元に近づき囁いた。

「やはり、女が茨を使って相手に呪いを植え付けているのは間違いないようだな。しかし、茨が髪の毛とは笑えない。いくら美人だったとしても、あれはないだろう」

 蛇の癖に、こいつは奇麗な人間が好きなのである。王城内にある私たちの部屋に、お気に入りのちょっときつめの美人な侍女さんが来ると、浮かれているのがよくわかる。

 怖がられているのを承知で、侍女さんの周りをうろうろしたり、話しかけたり。

 あきれて邪魔になるからと以前尻尾を軽く踏みつけてやったら、2日くらい口聞いてくれなかったんだよね。『精霊』様の癖に俗物すぎるよね!

「異世界の方。やはりあなたとは相容れないようね」

 ふいに茨が揺らめいた。

 今まで屋敷中を覆っていたはずなのに、するすると茨が縮み、女の頭に吸い込まれていったのだ。それはそれで気持ち悪くて、思わず顔をしかめてしまった。

 蛇も何か言いたそうだ。

 と思ったとたん、先端が全てこちらに向かってきた。

 とっさに杖を構え魔法陣を呼び出し、結界を強化するけれど、あっというまに茨に覆われてしまった。

 まるで、大きな球体に包まれているような状態である。視界も茨に阻まれて何も見えない。

「大丈夫か」

 蛇の言葉に頷く。

 継続して魔法を維持し続けるのは、それほど苦じゃない。ただ、結界を破壊しようと蠢く締め付けを抑えるのは魔力を使う。

 なぜなら、相手が結界からも魔力を吸い取っているからだ。

 それを蛇に告げると、彼は難しい顔をした。

「下がっていろ」

「どうするの」

「俺には魔力はないし、生気は食べられたらどうなるかわからないが、今のところ、呪いに触れても大丈夫だった。このまま呪いを食べながら本体に近づいてみようと思う」

「でも、近づいてどうするの? 蛇は魔法も使えないし、あるとすれば尻尾の……」

 言いかけて口をつぐむ。

 きらり、と蛇のつぶらな瞳が輝いた気がしたからだ。

「あれにも、効くのかな」

「自信はある」

 本当かな。

「もし、失敗したとしも、必ず隙はつくる。どんな術でもいい。本体を狙って、呪いの元を絶て」

「絶てって、簡単に言うけれど、どうやって?」

 茨は切れないし燃えない。たとえ、あの女の人を傷つけたとしても、茨そのものに魔力が宿っているのならば、根本的な解決にはならない。

「茨を媒体に、呪いを生み出しているのは、あの女だ。呪いを食べたとき、あの女が魔物だとわかった。……ところで、この世界では、魔法使いは魔法陣で魔法を発動する。ならば、魔物は?」

「陣ではなく、呪文?」

「そうだ。呪文によって、呪いを生み出す」

 魔法使いも、魔物も、根本にある魔力は同じ。発動方法が違うだけなのだ。

「で、魔物の多くは、魔法使いが物体に魔法陣を覚えさせるように、その身に呪文を刻み込む」

 そう。

 魔物は、自身が魔力の塊だ。そこに様々な呪文を刻み込むことで、彼らは簡単素早く魔法を使う。呪文の形態は、文字や模様など様々だけれど、魔法使いと同じように、その数が多い方が強い。

 もちろん、魔物によって魔力の質や多さは違うから、どんな呪文も受け入れられるわけではない。弱い魔物など、たった1種類ということもあるし、まったく持たないものもいた。

「茨自身には、呪文は刻まれていなさそうだから、おそらく体のどこかにあるそれを封じるなり、消すなり、好きにやってみろ」

「ええ!? そんな高等なことをやれと?」

「一級魔法使いなんだろう?」

 実戦経験ないのに!

 そもそも魔物の呪文を封じるには、どの魔法を使えばいいのか。

「俺は行くぞ」

「クチナ!」

 思わず、その名前を口にする。

 よほどのことがないと呼ばない名前に、蛇は尻尾を振った。

「大丈夫だ。それよりわかっているな」

 私は頷く。

 これでも一応一級魔法使いだ。

 やるしかないのだ。

 杖を握りしめた手に力を込める。

 杖に自身が記憶させた魔法陣の中から、蛇の希望に添える魔法を考える。あせっちゃだめだ。

 まずは、どこに呪文が刻まれているかということから、確かめないと。魔物の体に刻まれた呪文は、目に見えるわけではないのだから。

 どの呪文がいいのかと考えながら、結界から抜け出して、呪いを食べながら進む蛇が茨にからみ取られないように、後ろや上から近づくそれを魔法で弾くことも忘れない。 

 何回か、蛇に伸びる茨をはじいて。

 あれ、と思った。

 私は茨を防ぐので精一杯だ。

 蛇も、食べることに一生懸命だ。

 茨は相変わらず私から魔力を吸い取っているし、遠からず魔力を維持できなくなるかもしれない。

 蛇だって、尽きない呪いの茨に決して優位なわけではない。

 はっきり言えば、あっちの方が有利で、今物理的に攻撃されたり、魔法を使われれば、私も蛇も簡単に倒せるはずだ。

 でも、彼女はそれをしない。

 まさかと思うけど。

 この魔物は、ひとつしか魔法が使えない? それとも、攻撃するような魔法は持っていないのか。

 そんなことってあるのだろうか。

 魔力を吸い取る呪いってだけで、ものすごいことだし、だんだん私も結界を維持しつつ蛇を守るのは苦しくなってきている。あと数刻もたたないうちに私の力は尽きるだろう。

 そういう有利な状況だから、こちらの魔力を吸いつくすまで、待つつもりなのか、何か奥の手を隠しているのか。

「異世界の方。こちらに近づいてきて、何をするつもりかしら。あなたが呪いを食べること以外、何も出来ないことくらい、知っているのよ」

 蛇に襲いかかる茨の量が増えるのにいらいらしながらも、私は魔物の体を探った。

 魔法陣は微弱ながらもそれ自体で魔力を放っている。呪文が刻みこまれているならば、そこもやはり魔力が集まっているかもしれない。

 魔力の有無を確かめる魔方陣を呼び出し、茨の隙間から様子を伺う。

 一番魔力が集まっているのは―――額?

 それ以外には何もない。

 やっぱり呪文はひとつ?

「あらあら、魔法使い様は何をしているのかしら。へえ、私の魔力を調べているの?」

 歪められた唇から漏れた言葉は、こちらのことを馬鹿にしているような声音だった。

「無駄よ。あなたの魔力、結構減ってきているでしょう? それにそんなことして何になるの。こちらはあなたの魔力を吸い取っているし、どんどん力が沸いてきているのよ。その証拠に、ほら」

 絡まる茨の強さが増した。

 同時に魔力を一気に搾り取られて、目が回りそうになる。

「リューリ!」

 蛇の呼び声に、唇を噛み締める。

 口の中に苦い血の味が広がったけれど、そのせいで、意識の方ははっきりした。

 まだ、大丈夫。

 自慢じゃないけど、魔力量には自信があるのだ。そこだけは、先輩方や師匠に褒められている。気合いを入れ直し、私は蛇を見た。

 蛇はかなりの距離を進んでいる。

 あと少し。もう少しで、魔物のところにたどり着きそうだ。

 私は、頭の中で、素早く自身が使える魔法を考える。呪文そのものを消すのは無理だ。封印なんて魔法、私は苦手。

 後は、物理的な魔法しかない。

 私が得意なのは、風を操る魔法。

 その中でも、最近覚えたばかりの風を刃のようにして使う魔法を、私は呼び出した。

 いつでも、それを放てるよう準備だけはしておく。

 そうしておいて、ちらりと蛇の様子を伺う。

 近づいた蛇を、女がつかもうとする。だが、蛇は少し抵抗する仕草を見せただけで、簡単に捕まってしまう。

 蛇らしくない鈍い動きに、それがわざとだとわかる。

「あらあら、呪いを食べる以外、何もできないのかしら。そっちの魔法使い様も、何か魔法を使おうとしているけれど、無駄よ。もし何かしたら、この蛇、ひねりつぶしちゃうから」

 勝ち誇ったような笑顔の前で、蛇の尻尾だけがゆらゆらと揺れていた。

 完全に力がないような様子だけれど、たぶん違う。

「さあ、いい加減抵抗するのはやめなさい」

 そう言った時だった。

 ふいと動いた蛇の尻尾が魔物の手に当たった。

 一瞬のことだったけれど、それが魔物にとって、致命的なことだったってわかる。だって、その瞬間、魔物の体が硬直し、その手に握っていた蛇を落としたから。

 茨の拘束が解ける。

 私は、その隙を見逃したりはせず、結界を解いて一気に魔物に駆け寄った。

 魔物は唇を開いて何かを言おうとしているけれど、言葉にはならない。

 杖を突き出した私は、魔法を使うために意識を集中する。

 ありったけの魔力を込めた魔法で、私は魔物の額を切り裂いた。



 辺りに伸びていた茨が、まるで断末魔の悲鳴を上げるかのように、軋みながら耳障りな音を立てていく。

 葉が落ち、棘が抜け、みずみずしい緑色が、茶色に変わった。

 そうして、まるで髪の毛が抜けていくように、次々と床に落ち、崩れていく。

「ああああ-!」

 叫ぶ魔物の手は、ひからびていく。悪夢でも見ているかのように、美しかった皮膚は皺だらけになり、骨が浮き出てきた。

 残されたのは、縺れ艶を失った白髪の、老婆。

 あの美しかった姿は、どこにもない。力も入らないのか、足下もおぼつかないようだ。

 動く様子もなくうずくまった老婆がこちらを攻撃してこないことを確認すると、私の足から力が抜けた。

「何故……」

 しゃがれた声とともに、顔を上げた老婆がこちらを睨み付けた。

 うん、私も何故って気がしている。こんなにうまくいくとは思わなかったし。

「まだ、体がうまく動かない。その異世界の生き物は何をしたの!」

 悲鳴のような叫びに、当の蛇はしきりに首を傾げている。

「ただ、針で刺しただけなんだが。ほんの少ししびれるだけで、割とすぐ切れるものだぞ」

「もしかすると、こっちの世界の人間や魔物では、効き具合が違うのかも? 試すのは初めてなんでしょう?」

「そうだな。他の生き物で試したことがないから、わからないが……試してみるか」

「やめなさい」

 目が本気だし。

 それよりも、魔物はもう呪いを生み出すことは出来ないのだろうか。

 私が切り裂いたはずの額は、いつのまにか、うっすらと赤い筋だけを残して、元に戻りかけている。けれども、魔力自体を探ってみても、そこには何もない。名残のように、何かがあった気配を感じるだけだ。うまく呪文は壊れたのかもしれないけど、やっぱり何か釈然としない。

「たかが魔法使いの力で、あの方から頂いた呪文が消えるはずはないのに!」

 魔物はまだ叫んでいる。

 私だって、訳がわからないのだ。魔物に何度同じことを聞かれても、答えなんて返せるはずがない。

「研究する必要はあるのかも」

 蛇の毒と、この世界の魔法。個々ならば、たいした力がなくとも、重なると何か作用が変わるのかもしれない。

 けれど、それを調べるのは後回しだ。

 今は、この魔物をなんとかするのが先。

 私は、魔物に近づくと、呪縛の魔法を唱えて、それ以上動けないようにした。

 もうすぐ、王国の騎士たちが来るだろう。

 近くで待機してもらっていて、呪いが消えたらすぐに来てもらえるようにしていたのだ。

 引き渡したあと、魔物をどうするかまでは私の仕事ではない。もちろん、その後どうなるのかも、私は知ることも出来ない。

 私達の仕事は、あくまで『呪いを消すこと』なのだから。

 全てを失い、老婆のようになってしまった魔物をほんの少し気の毒に思いながらも、私は騎士の到着を待った。



「誰なんだろうね、私を殺そうとした人って」

 騎士たちが老婆を連れこの場を去り、蛇と私だけになってから、気になっていたことを口にした。

 そのあたりも含めて、陛下に報告しないと駄目なんだろうな。面倒だ。

「これからも、狙われるのかな」

「そりゃ、あんたを倒せば、『異界から精霊を呼び出した偉大な魔法使い』よりも強いってことになるからな。箔もつくだろう」

「そもそも、召喚術が成功したからって、私自身が強いってわけじゃないんですけど」

 何度も繰り返すようだけれど、本当に私は一級魔法使いとしては、新人なのだ。

「そうだな。俺はあんたのことを知っているから、まだまだ経験不足なのだとわかっている。でも、他人はそうは思わないだろう?」

 反論できなかった。

 世の中に出回っている絵姿。

 一人歩きした噂。

 実際に、医療院で現実の私を見た人は、最初本人だと信じてくれなかった。

「狙われても死なないように、しっかり修行しろよ」

「わかっている。元々、世界一の魔法使いになるのが目標なんだから」

 そうでなければ、故郷から遠く離れたこの国で、何年も頑張ったりはしない。

「蛇も協力してよ。私一人じゃ、偉大な魔法使いなんて、まだまだ荷が重すぎる」

「ああ。そうだな。……その代わり、俺を裏切るなよ、リューリ」

 どこか暗い響きを持った声が、そう告げる。

 蛇を召喚したのは私だ。

 彼を、彼の属する世界から引き離したのは、一生消えない罪だ。

「裏切らないよ」

 ……裏切れない、が正しいのだろう。

「だいたい、こんな生意気でうるさい蛇、一匹に出来ないじゃないの」

 わざと陽気に言ってみたのは、自分自身の罪悪感をごまかすため。

「そうだな、お前、友達も少なそうだし、俺がいなくなるとかわいそうなことになりそうだ」

「いるわよ! 友達くらい」

 ……少ないけど。

「忘れるなよ。俺は、お前だけは信じている」

 どういう意味?

 問い返そうとしたけれど、蛇はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、いつもとは違い、杖ではなく、私の肩に這い上ってくる。

「クチナ?」

 呼びかけても返事をせず、目を閉じて肩に張り付いたままのクチナが寂しそうに見えて、頭をそっとなでた。

 一瞬だけ、ちらりと目が開いたけれど、クチナは動かない。

「私は、できないことは言わないよ」

 だから、あなたを裏切らないことを信じて。

 そんなことを言える立場ではないことはわかっている。だけど、気持ちに嘘がないことだけは、知ってほしい。ひとりぼっちにはしない。それが私のあなたへの贖罪。

「だから、帰ろう。……お城の私たちの部屋へ」

 ああ、と小さな声が聞こえて気がして、私は微笑んだ。

 大丈夫、ずっと一緒にいるよ。

 その気持ちが少しでも伝わるように、私はずっと蛇の頭を撫で続けた。

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