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閑話の閑話 とある掲示板住人、夏休みを満喫する

「加奈子さんすみません、こっちまで来てもらって」


「いいのいいの! 車だと一時間かからないしね!」


「え? そんなに早かったかな?」


「文也おにーちゃん、ママったら早く会いたいからって高速に乗ったんだよ?」


「ちょっと、ひなこ! 女同士のヒミツって言ったでしょ!」


 女が運転する軽自動車には、ほかに二人乗っている。

 助手席にいるのは20代半ばの男。

 緊張した様子である。

 恋人が運転する車に乗っているのに緊張した様子なのは、それなりに理由があった。


 後部座席に乗るのは、女の娘。

 ひなこ10才、ちょっとませた女の子である。

 彼氏はいない。

 最近の都会の小学生は大人が驚くほど進んでいるようだが、地方はその限りではない。きっと。願望ではなく。


「あ、加奈子さん、道わかりま……わかる?」


「ふふ、敬語はいつになったら取れるのかなあ。大丈夫よ文也くん、ナビがあるから」


 半年ちょっと前のお正月、男は女に告白した。

 すでに二人は恋人同士である。こぶ付きの。

 それ以前、アウトレットモールに行った時から、女は敬語を使わなくていいと言っていた。

 意識して使わないようにしているが、それでも男は時おり敬語が出る。


 元引きニートで26才で初めての彼女な男にとって、女性に敬語を使わないのはなかなか難しいようだ。

 男はバイトをしているし定時制高校にも通っているが、同僚も同級生も年齢はまちまち。

 コミュニケーションが苦手な男は、使い分けることなく全員に敬語を使っていた。そのほうがラクなので。

 敬語はそのクセだろう。


「文也くんは道を知ってる? 行ったことあるのかな?」


「子供の頃には行ったことあるよ。道は覚えてないけど、中の様子はなんとなく覚えてる」


「そっか、じゃあひさしぶりなんだねー。ちょっと調べたらけっこう広いみたいでビックリしちゃった!」


「ひなこも見せてもらったの! ()()()、楽しみだね!」


 季節は夏。

 男が通う定時制高校は夏休みに入り、ひなこが通う小学校も夏休み。

 仕事の休みも取れたため、三人は一緒に遊ぶことにしたのだ。

 向かっているのは、男の家からそれなりに近くにある公園。

 加須はなさき水上公園であった。


 プールである。

 水着である。

 男が緊張するのも当然だ。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 男が住む埼玉にも、女が住む栃木にも海はない。


 近隣住人は、海に行きたければ大洗や阿字ケ浦まで行くしかない。

 戦車が街を席巻する前から、あそこは北関東の住人にとっておなじみの街だった。

 夏の海水浴、正月の初日の出スポットとして。

 あるいは気合いを入れて外房まで遠出するか、圏央道や湘南新宿ラインで神奈川に遠出するかである。


 いずれにせよ埼玉在住の男にとって、水着は特別なものであった。

 海がない県な男にとって、水着は日常的なものではない。

 南国とも海沿いとも違うのだ。

 男が最後に生で水着姿の女性を見かけたのは中学時代、いまから10年以上も昔の話である。

 緊張するのも当然だ。


「文也くん、お待たせ!」


「あ、はい、かなこさ…………」


 先にロッカールームを出て待っていたのは、当然ながら男である。

 男は近所のスーパーで買った海パンを履いていた。

 柄なしの地味なヤツである。


 呼ばれて振り返った男はそのまま固まる。

 そこにいたのは恋人である。

 水着姿の恋人である。あと娘。


「文也おにーちゃん、ひなこも新しい水着なんだよ!」


「あ、うん、かわいいねひなちゃん」


「やったー!」


 母親の恋人に褒められて小躍りするひなこ10才。子供である。とりあえず、仲は良いようだ。

 男はひなこのことをチラッとしか見ていないが。

 仕方あるまい。

 それどころではなかったのだ。


「ふふ。文也くん、私はどうかな?」


 ニッコリと笑って、その場でポージングする女。

 上から薄手のパーカーを羽織っているが、ジッパーは全開である。

 中に着ているのはビキニの水着。

 上下別のデザインで、上はひらひらがついたフレアタイプの。


 男は固まっていた。

 顔を赤くして、感想を返せずに目を泳がせるのみ。

 時おりチラッと女のほうを見ては、ふたたび目を逸らす。

 あまりの露出度の高さに直視できないらしい。

 二人は恋人同士だが、手を繋ぐだけのピュアなお付き合いだったので。中学生か。イマドキのではなく、昔の。


「ほら文也おにーちゃん、ここは褒めるところだよ! ママきれいだねって!」


「もう、ひなこったらいっちょまえに! どうかな?」


 スッと目を逸らした男の視線を追いかけるように移動する女。

 あざとい。

 自分の魅力がわかっている行動である。


「えっと、似合ってると、思います。すっごいキレイで、その」


「もうやだ文也くんったら! いい歳だしひなこを産んだんだし、ちょっとライン崩れてて恥ずかしいんだけど」


 女は33才。

 口ではそんなことを言いながら、すらっとした足と腰のくびれと胸の谷間を見せつけている。

 謙遜という名の自慢である。

 ちなみに谷間は幻である。

 ないわけではないが、しょせんCである。何もせずに谷間を作るのは難しい。

 だが、現代日本にも魔法はあるのだ。水着でさえ信じてはいけない。


「ほら二人とも、ずっとここにいないでプールに行くよ! 波のプールも流れるプールもスライダーもあるんだから!」


「はいはい、まず場所を取りましょ。ほら、文也くんも行こ?」


 ニマニマと眺めていたひなこだが、いつまでも動かない二人に焦れたようだ。恋よりプールであった。子供である。

 女はそっと男の手を取って。

 固まっていた男は、引っ張られるように歩き出すのだった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「思った以上に広いね、ここ。ひなこも楽しんでたみたい」


 ひとしきり遊んで、軽い昼食を食べた後。

 力つきたのか、女の子はパラソルの下でタオルをかぶって昼寝していた。


「そうだね、ひなちゃんは楽しそうだった。さざなみプールでぷかぷか浮かんで、流水プールで流されて。スライダーもノリノリだったし」


「私も楽しかったー。これだけ遊んで720円ってすごい! 子供は210円だし。入場料見て笑っちゃった」


「たしか県営だか市営だかで、それで安いんだって叔父さんが」


「あ、そうなんだ。近くにいたら何度も来ちゃうだろうなあ」


「うん、夏休みだし、みんなそう思うみたいだね。この家族連れの多さ……子供だらけ……だ?」


「どうしたの文也くん?」


 突然、キョロキョロと周囲を気にする男。

 

「あ、いや、ちょっと気になっちゃって。なんでもない、なんでもないです。……うん、こんなところにいるはずないんだ」


 家族連れが多く、子供たちであふれかえっているプール。

 水着姿の小学生や幼児がキャッキャとはしゃぐ姿。

 男は慌ててプールサイドに目を向けていた。

 何を、あるいは誰を思い浮かべたのか。


「ああ、隠し撮りしてる人とか? 見た感じそんな人はいなさそうだったけど……」


「あ、はい、そんなようなものです。……ただアイツの場合、ターゲットが子供なんだよなあ。まあいたら捕まるか」


 ボソリと呟く男。

 女には聞こえなかったようだ。

 男の目は、ずっと先にある水深50cm程度の幼児プールの方向に向けられていた。

 そこに男が知る掲示板住人はいない。

 なにしろここは埼玉で、例の住人は遠く離れた札幌に住んでいるので。プールで遊びづらい地方で幸いである。


「はあ、ひさしぶりのプール、楽しかった!」


「その、みんなで行ったりしないの?」


「うーん、なかなかね。海まではちょっと距離があるし。それにほら、大洗のサンビーチはナンパが多いのよ。ほんと面倒で」


「……加奈子さん、キレイだから」


「ふふ、ありがと。それにほら、いまは文也くんがいるし。水着姿でも、他の人に見せたくないもの」


 恥ずかしげにうつむいて言う女。演技、ではないらしい。


「え?」


「文也くんにならいいんだけどね。その、見られても、ちょっとうれしいっていうか。ほら、付き合ってるのに文也くんは何もしてこないから、ちょっと自信なくなっちゃって、でも今日は見てくれて、その」


 水着姿のポージングは、女のアピールであったようだ。

 恋人同士となってから半年ちょっと。

 手を出してこない文也へのアピールである。


 恥ずかしくなったのか、途中で言葉を止めた女。

 無言が続く。

 女の手が伸ばされて、手が繋がれた。

 さすがに手を繋ぐぐらいはこれまでもしている。


 高鳴る鼓動を感じながら、男が女に目を向ける。

 潤んだ瞳と目が合って、まぶたが閉じられる。

 キス待ちである。

 意を決して男が顔を近づけて。


「んんー、ママ、ひなこお腹がすいちゃったー」


 もぞもぞと起き出した女の子の声で、二人がバッと身を離した。

 危ういところである。

 何しろここは公共の場で、二人っきりではないので。



 男が掲示板を発見してから6年目の夏。

 ユージがゆっくりとだが成長してきたように、掲示板の住人たちも変わっていく者たちがいる。

 遠藤文也、26才。

 人生で初めてバイトをはじめ、人生初の告白で人生初の彼女ができて、定時制の高校に通いはじめた男。

 男は間もなく、『一夏の経験』をするのかもしれない。

 まあ恋人同士なので、夏だけで終わるわけではないだろう。きっと。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 ところで、ロリ野郎や盗撮魔を気にした男が忘れていたことがある。


 掲示板住人には、家族持ちもいる。

 しかも、女と同じ宇都宮在住の。


「こちらインフラ、目標同士が接近するも断念した模様。すまんがそろそろ監視を解除する」


「パパ何してるの? 仕事の電話? せっかくのプールなのに!」


「ああすまん、友達から電話があったんだ。大丈夫、もう終わったから。よーし、俺ももう(ひと)泳ぎしてくるかな!」


 スネークではない。

 もし何かあった時のためのサポートである。

 男の恋の進捗は、友人たちに共有されているらしい。

 サポートのために。

 そう、サポートのために。


あれ、もう一場面入れるはずが……

このネタはこれで終わりです。


次話、明日18時投稿予定です!

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― 新着の感想 ―
[一言] お?ここが爆破地点かな?おぉん?
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