第十話 ユージ、領主夫人と代官に護送と交易について報告する
「ユージさん、今日は領主様は不在だそうです」
「あ、そうですか。王都ですかね?」
「ええ、おそらく。王都までは片道で7日かかりますからね。私たちがエルフの里に行く前に出発されたわけですから、行って帰るだけなら帰っていてもおかしくはありませんが……しばらくは王都に滞在されるのでしょう」
プルミエの街、領主の館。
その応接間で、ユージたちはいつものごとく待機していた。
ユージも少しは慣れてきたのだろう。この待ち時間にお茶を楽しみ、ケビンと会話を交わすほどにリラックスしている。
エルフ護送隊として、無事にエルフの少女・リーゼを里に送り届けたこと。
あわよくば、と依頼されたエルフとの交易の交渉結果。
ユージはその二つを報告に来たのだった。
まあ今回も、主に話すのはケビンだと取り決めていたようだが。
ユージとケビンのほかには、アリス、前回から館の中まで入ることを許されたコタロー、王都を拠点にしている1級冒険者でエルフのハルがついてきている。
開拓地から街まで同行したジゼルとゲガスはケビン商会で留守番。
犬人族の少年・マルクは、ケビン商会の専属護衛の二人と一緒に、商会の裏庭で訓練に励んでいた。
「領主様が不在……となると、対応は例のご夫人だけ? ああ、贈り物を持ってくるんだった!」
「ハルさん……」
「ハルさん、止めてください。ややこしいことになります。いやあ、ぎりぎりまで知らせなくてよかったですよ」
はあっとため息を吐くケビン。
どうやらケビンは、わざと今日の会合の相手を知らせなかったようだ。
不在の領主は愛妻家で、妻に手を出されると『首にする』らしいので。物理的に。
ケビン、言動が軽いハルの扱いに慣れてきたようだ。
そんな他愛もない話、だが重要な釘をさしていると。
扉がノックされ、二人の人物が中に入ってくる。
「遅くなった」
最初に入ってきたのは40才前後の男。黒い髪を後ろに撫で付けている。
プルミエの街の代官、そしてホウジョウ村開拓地の徴税も担当している男・レイモンである。
「みなさま、お待たせしました」
続けて領主夫人が応接間に現れる。
二の腕の半ばまで続くロンググローブ、ふわりと空気をはらんだ長いスカート。
そして。
領主が同席した時とは違い、胸元は大きく開いている。
礼の姿勢から戻ったユージの視線が山と谷に吸い込まれる。
あいかわらず、すごかったのだ。
ユージが元いた世界で鍛えてきた特殊技能『スカウター』によると、GかH。
それもエンゾが言うところの『お貴族様用の下着』、いわゆるコルセットのようなものをつけてさらに強調されているのだ。
目を奪われない男がいようか。いや、いまい。
実際、ユージだけではなくハルの目線も吸い込まれている。
だが、正面に座るケビンは平静であった。
持てる者の余裕である。妻帯者なので。
使い物にならないユージは無視して、ケビンが時候や街の話題を提供する。
いつものことである。
領主夫人と会う際にユージの視線が魅惑の谷間をチラ見するのも、アリスがこっそりユージの脇腹をつねるのも、コタローがワフワフッと呆れ顔で首を振るのも。
いつものことである。
「それで……本日は報告ということでいいのかしら?」
艶やかな笑みを浮かべ、領主夫人がケビンに問いかける。
見とれるユージとハルを無視して話は進む。
「はい。ハルさんの案内とユージさんの指揮でエルフの里まで行って参りましたので。まず、保護したエルフの少女は無事に送り届けました」
「まあ! よかったわあ。ハルさん、問題はなかったのかしら?」
「オルガ様、リーゼロッテは無事に家族のもとへ戻りました。オルガ様の行動にエルフは感謝しております。ファビアン様にもよろしくお伝えください」
いつもの軽薄な口調ではなく、かしこまって領主夫人へ、不在の領主へ感謝を告げるハル。
美人で色っぽい女性を前に気取っているようだ。違う。ニンゲンの街に単独で送り込まれているハルは、その気になれば如才なく貴族との会話もこなせるのだ。その気になれば。
「それは何よりですわ。ユージさん、エルフ護送隊長の任、お疲れさまでした。レイモン、あれを」
「はっ」
領主夫人の横に座っていた街の代官・レイモンが、用意していた布袋をテーブルの上に置く。
じゃらり、と布を通して音が鳴る。
「ユージさん、些少ではありますがこちらが護送隊への報酬ですわ。受け取ってくださいませ」
「え? その、王都から戻ってきた時にいただいたような……」
「あら、欲のない方。ユージさん、あれはエルフの少女を一冬保護していただいたこと、それから王都までの往復の報酬です。今回は、このプルミエの街からエルフの里までの護送に対する報酬ですわ。それゆえ、前回と比較したら些少なのですけれども」
「は、はあ……ありがとうございます」
前回と違い、ケビンのアドバイスを受けることなく報酬を手にするユージ。
リーゼを里に送ることが自分の意志であったとしても、役職を引き受けたのは確かなこと。
迷うようであれば、リーゼの護送を担当した面々で分けるなど、使い方を工夫すればいい。
ユージ、前回言われたことを覚えていたようだ。
進歩である。
これでも長なので。
「それで……あわよくばとお願いしていたエルフとの交易については如何でしたか?」
ユージが報酬を受け取ったのを見て、領主夫人が言葉を続ける。
領主夫人の目はユージを見ていたが、問いかけに応えたのはケビンであった。
適材適所である。
「交易というほどの規模ではありませんが、ユージさんが個人的にエルフの里に持ち込む品を物々交換することは許されました」
「まあ! 素晴らしいですわ! ではユージさんは、今後もエルフの里に入ることを許されましたのね!」
「あ、はい。でも、交易って言えるほどのものじゃなさそうで……その、申し訳ないです」
領主夫妻から、あわよくばと頼まれていたエルフと辺境の街との交易。
最上な形ではないことが気になったのか、ペコリと頭を下げるユージ。
だが。
「ユージさん! これがどれほどすごいことか理解されていませんのね! これまで人間とエルフはほとんど交流がありませんでしたの! 個人的な取引を許されただけでも快挙ですのよ!」
「え? あ、ち、ちか、というかすご」
興奮しているのか、頬を紅潮させた領主夫人がぐっとテーブルに身を乗り出し、両手を伸ばしてユージの手を握る。
ユージ、突然のことに挙動不審になっていた。
だが仕方あるまい。
美しく色気がある女性から手を握られ、しかも身を乗り出したことでテーブルの天板で柔らかな双丘が潰れていたのだ。目の前で。
ユージには刺激が強すぎたようだ。
「ユージ殿、オルガ様の言う通りだ。この街の代官である私からも感謝を」
「はい?」
続けて、これまで表情を動かさなかった代官も唇の端を持ち上げてユージに礼を言う。微笑んでいるのだろう。彼の中では。
領主夫人のそばで仕事をするだけあって無表情な男である。なにしろ日常的に谷間が視界に入るので。領主夫人に懸想したとなれば、すぐに愛妻家の領主から首を切られるので。物理的に。
「そ、そんなにすごいことなんですか? その、量もたいしたことはないと思いますけど……」
「充分ですわ! 何より、これまで誰も成し得なかったエルフとの交流が成る。たとえ細い道だとしても、存在することに価値がありますのよ!」
「ユージさん、そういうこと! これまでボクに頼んできた人もいたけど、ずっと断ってきたからね!」
そう言って補足するハル。
王都のゲガス商会の元会頭・ゲガスは、人里に迷い込んだエルフがいないか、稀人は現れていないか情報を探るお役目を務め、報酬としてエルフから絹の布を得ていた。
だがゲガスは、絹の布の出所をエルフだと明かしていない。
テッサ以前の稀人でエルフと取引していた人間もいたが、それも遥か昔のこと。しかもひっそりとであった。
人間とエルフの里との取引は、秘匿されていない中では初めてのことなのだ。
領主夫人と代官が興奮するのも無理はない。
「これはますますユージさんの存在価値が……守る手段を確実にしておかないと……」
顎に手を当ててブツブツと考え込む領主夫人。
肘で巨乳が潰されている。
何が気になったのか、それを見たアリスは両手で自分の胸を押さえていた。ぺたんこである。
「えっと、あの」
「オルガ様。オルガ様!」
「あ、ごめんなさいね、私としたことが。ええっと、そう、素晴らしい成果ですわユージさん。素晴らしすぎて、いまこの場で報酬が思いつきませんの。領主が戻り次第、あらためて報酬を用意いたします」
「報酬ですか? でも、取引には街も領主様たちも関係ないような……」
「ユージさん、交易の交渉は私たちがユージさんに依頼したんですのよ。交渉を成功させ、エルフと取引をはじめる領民に報酬をお渡しするのは当然ですわ。それに……ユージさん、ケビンさん。今後、エルフとの交流で手に入れた品を見せていただけるかしら?」
「え、ええ。いいですよねケビンさん?」
「もちろんです、オルガ様。ふさわしい品があればこちらから伺わせていただきます」
「うふふ、楽しみにしているわ。もちろん良い品であれば購入するつもりよ。エルフの工芸品……うふ、うふふ」
領主夫人は、エルフが手がけた工芸品に思いを馳せて蕩けるような表情を浮かべていた。
エルフが美形ぞろいであることは知られている。その工芸品が美しいことも。
まあどちらもハルのせいなのだが。
華奢なイケメンで、女性にいろいろプレゼントを渡してきたので。
「オルガ様。オルガ様!」
「あらごめんなさい。ありがとうレイモン。ええっと……そう、ユージさん。領主がこの地に帰り次第、連絡させていただきます。申し訳ないのだけれど、報酬はその時まで待っていただけるかしら?」
「あ、はい、わかりました」
あっさりと了承するユージ。
色気に惑わされたわけではない。
領主様に相談して褒美を決めたいんだな、と思っただけである。暢気か。
ともあれ。
こうしてユージは、無事に報告を終わらせるのだった。
カメラは持っていかなかったため、今日の光景を脳内に保存して。