数年ほど前の話だ。
魔王がいなくなった。
悪逆非道の限りを尽くした現世にある絶対悪。
存在するだけで人を死に追いやる恐怖の権化。
だがそれも彼の娘であり、前勇者の娘である新しい勇者の手によって潰えた。
何故前の勇者は魔王の嫁などになったのかは理解できないところではあるが、何らかの考えがあったのだろう、もしかしたら自分の子に魔王を倒させるために我が身を犠牲にしたのかもしれない。
兎にも角にも魔王は消え去りに、世界は人の支配下に戻ったわけだ。
何処にでもあるような町の寂れた修道院の傍にある小さな公園。
そこではまだ年端も行かないような子供達が無邪気に、楽しそうに走り回っている。
どの子も魔王の時代に生まれたとは思えないほど楽しそうで、楽しそうで。
この時代にどれだけの人が死んだのか、泣いたのか、絶望したのか。
それを知らないであろう子供達に一人の旅人風の女性が微笑んでいた。
銀色の髪が太陽の光を受け、雪のように輝いている。
「ねぇねぇお姉ちゃん、今日もお話を聞かせて?」
「私も聞きたいー!」
「おれもー!」
「そうね……今日は少し難しくて、悲しい……魔王と勇者のお話をしましょうか」
無邪気な一人の少女を切っ掛けに幾人もの子供達が集まってくる。
ここでは彼女は一人の語り部だった。
自分を知るもののいないこの小さな町では自分は他人になれた。
故に今日も彼女は語る――――小さな小さな少女の物語を。
少女はとある国の森の中にあるお城で生まれ育った。
誰からも褒められ、愛された少女には強く美しく誇り高い母と優しくて少し過保護な父がいた。
幸せだった……。
何もかもが、世界の全てが少女を祝福していた気がした。
ただ、その家族には小さな綻びがあったのだ。
少女だけが知らない綻びが・・。
「サーシャ、強くなるのよ? 貴方の血に負けないように、運命に負けないように、世界に絶望しないように」
「はい! さーしゃつよくなる!!」
「ふふ、いい子ね、サーシャは強くなるわ。私よりもあの人よりも……だからきっと悲しいことや辛いことを沢山知ることになると思うの……だけど負けないで? 貴方には私とあの人の願いだから」
少女の母は何かある度に彼女にその言葉を聞かせていた。
血に負けるな、運命に負けるな、世界に絶望するな……。
母はいつも悲しそうにその言葉をかけていた。
そしてある日、母は眠るように死んだ……そうだ。
少女は知らなかったのだ、母の死んだ理由を、母の死は言葉と事実でしか伝えられなかったから。
あんなにも元気だった母は突然消えてしまった。
「おかーさま……」
小さな、少女の小さな手が横たわる母の頬に触れる。
母は微笑んでいた、満足気に、いつもと変わらぬ微笑みで。
それが逆に母の死を鮮明にした。
「う……お……かぁーさまぁ……ひぐ……っうぇ…………」
少女は母が横たわる棺を前に一人静かに泣いた。
誰よりも慕った母、愛した母、強かった母、美しかった母、気高かった母。
戻らぬ人を想い静かに少女は泣いた。
幾年月が流れ、少女は大人になり、勇者と呼ぶに相応しい力と意思を身に着けた。
彼女は何よりも自分の目標であり憧れだった母の後を継ぎ、この世界の何処かに居るであろう魔王を打倒すべく、剣や魔法を覚えた、今では母と同等の実力を持っているであろう父に引けをとらないだろう。
それが残酷な運命への一歩とは知らずに――――。
「…………も可哀想に……」
「ま……若かった…………のにねぇ……」
彼女は偶然にもその場に居合わせてしまった。
いや、居合わせたというのには語弊があるだろうか、丁度使用人達からは影になり 見えない位置に居た、というのが正確な答えだ。
そこで彼女は母の言葉の意味を知る。
「陛下は魔王で、奥様は勇者……血の呪いは避けられないのかねぇ」
「一番可哀想なのは姫様よ……あのお方は奥様の血を濃く受け継いでいる……いずれは陛下と殺し合うことに……」
「陛下も……奥様の次は姫様と……本当に残酷な運命だねぇ……」
衝撃的だった。
その話が本当ならば母を殺したのは父。
そしてその父こそが自分が打倒しようとしていた魔王。
目の前が真っ暗になる感覚に陥った。
何故、なんでこんな事に?私が、父と母が何をしたの?
母が死んでから今まで毎日のように母の絵を見ながら涙を浮かべていた父。
あの優しくて、いつも笑っていて、それなのに寂しがり屋な父が魔王だなんて魔王だなんて魔王だなんて……。
世界が崩れていく。
母の言葉はきっとこの事だったのだ。
血の呪い。
魔王は勇者の滅亡を願い、勇者は魔王の打倒を願う。
そして彼女は母の次に愛する魔王に別れと戦線布告を告げ、城を出た。
歩んだ道にはいつの間にか親しかった城の者達の亡骸と魔王が横たわっていた。
振り返れば、倒れ伏す同じように父を打倒した仲間達。
彼女は自分の肩にかかった髪を払う。
いつの間にか、誰もが褒めてくれた銀色の髪は赤黒い血に染まっていた。
空虚が彼女を襲う。
泣き腫らし、世界を呪った。
どうして父と母と自分にこんな運命を与えたのだ。
魔王など世界に必要だったのか、何故そんな者を作ったのだ。
もし父が魔王ではなく普通の人間だったなら。
もし母が勇者ではなく普通の人間だったなら。
小さな嗚咽と共に呪いを呟く。
しかし……憎悪は出来なかった。
愛した魔王は最期までいつものように困ったような微笑みを浮かべていたから。
母の遺体と同じ、いつもと同じ微笑みを浮かべていたのだ。
彼女は泣いた。
泣いて泣いて泣いて泣いて……気づけば涙も出なくなっていた。
少女のような勇者は幽霊のように立ち上がり、夜の闇へと消えた。
それが勇者の最後。
世界の物語と結末。
それが……世界に知られている"物語"。
「ひっぐ……うぇぇ……」
「かあいそうだよぉ……」
「そうね……でも勇者さんは大丈夫よ」
「え?なんでぇ……?」
「それはね……」そう彼女が言いかけるとそれを遮るように低い男の声が何処からか聞こえてきた。
子供達は向かってくる人影を見つけて嬉しそうに笑う。
その人影もまた彼女のように子供達から好かれる旅人の一人だった。
「そろそろ出発するぞ? 今日はエーリカの命日だ」
現れたのは背の高い、彼女と同じく銀色の髪と顔面に入った一本の傷が特徴的な剣士風のナイスミドル。
しかしその雰囲気は優しげで、人懐っこい笑みがその雰囲気を引き立てている。
それを追うように茶色いコートを着た男が走ってくる。
「陛下、急がねば汽車に乗り遅れます!!」
白髪まじりの老紳士だ。
コートの中には貴族の使用人が着るような高そうな礼服がチラりと見える。
「おお、そうかそうか! 我が娘よ! 急がねば遅れてしまうそうだ! それはさておきセバスチャン!! その呼び方はやめろと何度言ったらわかるんだ!!」
「そんな事はどうでも良いですから急ぎますよ、陛下!」
そう言うとセバスチャンと呼ばれた老紳士は疾風のように身を翻し、その場から消えた。
一本傷の男性は溜め息をついてからまた笑みを浮べ―――。
「行くぞ! サーシャ!!」
「……はいっ! お父様!!」
そして銀色の親子は町の外へと楽しそうに走り去っていった。
本当の物語……それはハッピーエンドなのだ。
でもそれは私と父とセバスチャンと……今は何処かで楽しくやっているであろう仲間達だけの物語。
誰にも教えない、秘密の、秘密の物語。
お母様、私は貴方の言葉を守りました。
今はお父様とセバスチャンと三人で楽しくやっています。
人たちに嘘を吐くのは忍びないですけど、魔王が生きてるなんてバレたら大変ですもんね。
それに私の話を聞いて喜んでくれる人がいるのは凄い嬉しいんです。
勿論普通の話もしますよ?小さい頃にお母様から聞いた夢物語とか……。
それと、そろそろ恋人とかも欲しい年頃ですが、お父様がやたら邪魔してくるんですよ…………。
良いかな〜って思った人も「サーシャはワタシのものだァ!!」とか、変な勘違いされそうなこと言っちゃうんです…………ハァ。
でも……あと少し位なら良いかなって思っています。
だって、ねぇ?
大事な大事なお父様ですもの。
…………。
あ、そういえば…………あの子達に最後まで話してないや……勇者は大事なものだけは守った、って……ね。
嗚呼、神様。
できることなら、私とお父様に平和な時間をください……。
あ、あと……少し……欲張りかもしれませんがお父様の過保護を少しだけ治して欲しいです……。
勇者と魔王とその執事を乗せた汽車は、彼らの始まった国へと進んでいく。
汽笛が響く…………まるで祝福の笛の音のように。 |