※※今回のお話には残酷な描写が含まれます※※
お久しぶりでございます。ようやく更新となりました。更新まで律義に一か月掛ってしまい、申し訳ないです。あと、うっかり昼間に更新してごめんなさい。丁度この時間帯が空いていたもので。
と、ご託はこのくらいにして、それでは本編の方、ごゆっかりお楽しみ下さいませ。
ヴアルはそれは巨大な建物だった。遠目にもそれと分かる大きなシルエット。拵えも立派で、様々な装飾を施されたその屋敷は、まさに貴族の住まう場所と言える。元々ヴアルは、母の実家だったらしいが、これなら母が貴族の出だったという話にも信憑性が出てくる。
だが立地場所は最悪だった。とてもじゃないが貴族の屋敷があるような場所ではない。
ヴアルがあるのは深い深い森の奥だ。名前も知らないような植物が鬱蒼と生い茂る秘境の地。人間の住む世界からは大分離れており、しかし妖怪の住む魔性の森ともまた、少し距離を置いている。そしてそれは、森の妖怪に追い出され、しかし、まだ人間とも上手くいっていなかった時代の状況を、如実に表していた。
どちらでもない半端者。何者にも属せない孤独。母が人間を求めた気持ちも、少し分かる気がした。
戦争が終結したのは、事件が終わって間もなくの事だった。母が死んだあの処刑台の下で、多くの国が和平の宣言を交わし、晴れて戦争の時代に終止符が打たれた。
既に国民は、英雄が作る新たな国に関心を移し、吸血鬼には見向きもしなくなった。今までの狂気が嘘のように霧散し、吸血鬼は過去のものとされた。随分勝手な話だが、それはそれで私にとっては都合がいい。これ以上、私たちに関わらないでくれれば、それでいい。
フランは、あれから塞ぎこんだまま、ろくに会話をしてくれない。食欲も無いらしく、体力もどんどん落ちている。一人で部屋に閉じこもり、時々、思い出した様に大きな声で泣いている。
だが、それは仕方ないのかもしれない。私自身もどうしていいのか分からないのだ。あまりに色々な事がありすぎた。
でも、私まで落ち込んでいる訳にはいかなかった。今はまだ貯えがある。だがそれもすぐに底を付く。日々の暮らしは次第に苦しくなってくるだろう。元々こんな森深くの場所にあるのだ。食料だって乏しい。
なら、私は動かなければならない。悲しんでいる時間など無い。
でも、何かをしなければと気ばかり焦って、私はまだ何も出来ずにいる。このままではいけない。でも何をすればいいか分からない。
そして、そんな日が続いていた時の事だった。
「英雄が死んだ。今回の和平に反対していたグループに暗殺された」
まず、それだけ言った。すると彼女は、一瞬だけ眉をひそめ、しかし今度は楽しそうに言う。
「そう。ならその相棒は英雄を守りきれなかったという訳ね」
幼き吸血鬼は笑う。それは存分に皮肉のこもった冷徹な笑いだった。
「確か、ヴォルスングと言ったわね。ならお前は、その報告をしに来ただけなの?」
「ああ。今更お前たちをどうこうする気は無いよ」
言って思わず苦笑いが出た。ほんの少し前、私は彼女を殺そうとしていたのに。
それは小さな部屋だった。ヴアルという屋敷の巨大な外観に比べると、それはまるで取るに足らない部屋だ。そこに私と彼女はいた。
正直、部屋に通してもらえるとは思っていなかった。門前で追い返されてもおかしくない。私がこの場に居られる事は、本当に奇跡に近かった。
「せっかく椅子も出したんだ。座りなさいな。長くなるんでしょう?」
「そうだな」
手に持っていた鞄を横に置き、出された椅子に座る。すると彼女も同時に座り、だがその警戒は解かずに私を睨む。
「存分に聞かせて貰おうわ、英雄の最後を」
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
昨日の事だ。昨日、あいつは他国の要人との会合に出席する事になっていた。戦争再発防止の協力関係を結ぶ為の会合だ。争いは終結したとはいえ、世はまだ荒れている。こういった外交政策は頻繁に行われていた。私はその隣で警護をすることが主な仕事だった。
その一方で、国内に英雄に対してよくない感情を持つ者がいることが分かっていた。常に最前線で外国と戦っていた我が軍の一部だ。吸血鬼騒動や、いきなりの和平に反感を覚え、英雄に対する不信感を募らせていた。
だからその時も、そういった連中の襲撃に備え、警備は厳重にされていた。英雄の移動ルートは重要機密とされ、関係者でも容易に知る事は出来なかった。
対策は十分にしていた。だが事件は起こった。
会合の場所となる町へと続く平坦な街道。その街道を遮る巨大な門。私は、門の裏で待つ警備兵に合図を送り門を開放させた。しかし、何かトラブルがあったようで、私たちの一行は二重門の中に、少しの間待たされることになった。その時だ。物陰から十数人の武装集団が現れ、襲いかかって来た。どうやら門兵もグルだったらしく、両側の門が封鎖され退路を断たれた。
私は戦った。敵方も手練揃いで、中々手強い。二、三傷を負ったがそれでも戦い続けた。しかし、必死で戦いようやく敵を追い払った時には、すでに英雄の心臓は貫かれていた。
「……情報が漏れていたんだ。恐らく教会の上層部。連中が意図的に情報を流したんだろう。連中は、いつか英雄が、国民に吸血鬼伝説の真実を公表するのでは無いかと疑念を抱いていた。もし本当に公表されれば教会への信頼は地に落ち、内乱が勃発するかもしれない。それを恐れていた」
彼女は私を睨んだまま、黙って話に耳を傾ける。
「もちろん英雄だってそれは分かっていたんだ。公表するつもりは無かった。それでも、罪の意識に悩まされ続ける英雄の態度に、教会は不信を高めていった」
「実行犯はどうなった?」
「教会の持つ軍によって殲滅されたよ。大義名分が出来たものだから、馬鹿にに手際がいい。恐らく元々そのつもりだったんだろうな。これで教会は邪魔ものを同時に葬る事が出来たという訳だ」
教会は新たな政府を発足し、今や国の全権力を握った。結局私は、最初から最後まで、いい様に踊らさていただけだった。
「ふふ。いい気味ね。せいせいしたわ」
そして、そこまで話を聞いた彼女は、ゆっくりと口の端を釣り上げ、不敵に笑う。
「結局何も変われやしないのね人間は。同じ事を何度も何度も。そんなに殺し合いが好きなら、永遠に殺し合っていればいいわ」
私は何も反論できない。もう十分、私自身が思い知らされてしまったから。
あの吸血鬼は確かに言っていた。今の彼女と同じ事を、あの処刑場で。何度でも繰り返すと。そしてそれは現実となった。
「で? ならお前は何をしに来た。それを伝えに来ただけじゃないでしょう?」
そして彼女は問う。彼女は愚かな私の事など、既に何もかもお見通しだった。
そう。私はただ報告をする為に来た訳ではない。
「お前に頼みがある」
言って、姿勢を正す。これからが一番重要なところだ。正面に佇む彼女は、何も言わず私を見ている。
「英雄はずっと、お前に謝罪しなくては為らないと思っていた。お前に裁かれないといけないと思っていた。あいつは吸血鬼への罪の意識を抱えていたからな。しかし今は国が不安定だ。罪の清算にはまだ早い。だが、それは常に頭の中に引っ掛かっていた」
「……」
「当然、お前たちがまだ生きている事も、今どこに居るのかという事も、英雄は既に知っていた。だから、いつかその日が来たら、お前に会いに行こうと思っていた。自分を殺して貰おうと、ずっと考えていた」
「何が言いたい」
一呼吸おく。大丈夫、覚悟は決まっている。
そして私は言った。
「私を殺してくれないか? お前にはその権利がある」
「……ッ!!」
ドン、と。彼女は音を出して立ち上がった。座っていた椅子が倒れる。
「お前! くそっ、分かってるのか!? 全部お前が、お前のせいで!!」
視界がぐらつく。私は、自分の子供くらいの体格の者に、その身をいいように揺さぶられていた。
「ふざけんな! ちくしょう! 殺してやる! 殺してやる!!」
私に首にその手が掛かる。鈍い痛みと共に、生ぬるいモノが流れるのが分かった。
これで、ようやく解放される。天を仰ぎ目を閉じた。さあ、終わりだ。そう思っていた。
だが、
「ちっ……!」
彼女は小さく舌打つと、私の首筋から手を離し、そのまま身体を突き飛ばした。意外な反応に対処できず、強かに尻を打つ。再び目を向けると、彼女は私に背を向けたまま、無言で立っていた。
「……何故、殺さないのだ」
緩慢な動作でゆっくりと立ち上がる。彼女が何を考えているのか、私にはまだ分からない。
「ふふふ。ねえ、殺してくれですって? 随分勝手な事を言うのね。自分が死ねば、全部無かった事に出来るとでも思っているの? その罪が全部消えるとでも思っているの? あんたは何も分かっていない!」
彼女は強い口調で言う。横に倒れた椅子が蹴り飛ばされ、簡単に足が折れた。
「お前をここで殺して、そしてどうなる? 英雄の片腕だった男だ。教会連中が黙っているとでも?」
「それは……」
言われてようやく気付いた。確かに、私がここで殺されれば、教会の者たちもこれを見過ごせない。そんな簡単な事さえ、私は見落としていたと言うのか。
「もう帰れ。……結局、お前は自分が楽になりたいだけだ。私たちの事なんかこれっぽっちも考えちゃいない。自分の罪から逃れたいだけなんだ」
まくし立てるように責める。最早、私に言葉は無い。いつか英雄に言った言葉が、私のもとに戻って来たのだ。
「いいか。私はお前を殺さない。もうこれ以上責めもしない。だが覚えておけ。私はお前を許さない。お前が生きようが、死のうが、生まれ変わろうが、私はお前を決して許さない」
「……」
私は答えない。答える為の言葉が無い。
「これ以上私たちに関わるな。一人で勝手に悩め。勝手に苦しめ。勝手にもがけ。勝手に悔いろ。永遠で地獄で地獄しろ。それが私の願いよ」
彼女の言葉は私の胸の一番奥をえぐる。例えようも無い虚しさを感じる。私は一体何をしに来たのだろうか。もうそれすら分からなかった。
「……済まなかった。もう二度とここには来ない。邪魔をしたな」
そう言って彼女に背を向ける。そして、下に置いてあった鞄を手に取り、歩き出す。これはもう必要ない。彼女に対する侮辱だ。こんなもので何か出来る訳がなかったのだ。
しかし、その扉に手を掛けようとした時だった。
「待ちなさい」
呼ばれて振り返る。彼女は私に背を向けたままだ。私は、彼女が一体何を思っているのかは分からず困惑する。
「何か……?」
「それは、その金は……置いていきなさい」
「……!!」
鞄を持つ手が、震えているのが分かった。
「その中に入っているんでしょう? それは、置いていきなさい」
音もなく、静かに崩れ落ちた。全身が凍えるように寒い。
「ああ……ああ!」
そうだ。何を勘違いしていたのだ、私は。まだ全然足りなかった。分かったつもりで何も分かっちゃいなかったんだ。何も考えてなどいなかったんだ。理解する事など出来ない。出来る筈も無い。そうか。そうかこれが私の――、
「私の、罪なのか……」
愕然とした。私はその重みで、今にも押し潰されそうだった。
「済まない。済まない……!!」
ああ、私は一体何をした? 数えきれない犠牲を出して、それを正義と嘯いて、そして一体何を得た? その小さな背中に、私は何を背負わせたんだ?
「済まないっ!! 済まないっ!!」
両手を着いて頭を下げた。壊れる。壊れてしましそうだった。本当に壊れてしまえたら、どんなに楽か分からない。なんて愚かだ。救いようも無い愚か者だ。
なあ、私は何をした? 誰か教えてくれ。私を壊してくれ。私は一体何をしたんだ!?
「済まない……! 済まない……っ!」
私は、そのまま私は屋敷の外に投げ出された。しかし、その重い門扉が無慈悲に閉まって尚、叫ぶ事を止められなかった。何を叫んでいるのか分からない。何に叫んでいるのか分からない。ただ、薄暗い森の中で私の情けない叫びだけが、いつまでも辺りを木霊した。
戻ることも進むことも、止まることも出来ない。
殺してもらうまでもない。私は既に死んでいた。
「……あら、結構入ってるじゃない」
あの馬鹿を追い出した後、鞄を開けて中の物を確認すると、そこには大金が入っていた。大きめの鞄に札束がぎっしり。これはいい。暫く生活に困る事は無さそうだ。
「まったく馬鹿な奴だ。こんな所になんか来なきゃ良かったのに」
本当に馬鹿だ。愚かで滑稽で、律儀にこんな大金まで用意して。それで何か変わるとでも思っていたのか。自分が救われるとでも思っていたのか。
「ふふふ。本当に馬鹿。あー、おかしい! ふふふ。あーっははははははは!」
声を出して笑う。止まらない。笑いが止まらない。何故か笑いを堪える事出来なかった。私の笑いは止められず、そして――、
「ちくしょうッ!!!」
うな垂れて倒れ込んだ。
何度も床を叩く。何度も何度も天に向かって吠える。
「ちくしょう! ちくしょう!」
無力だ。なんて無力だ。あいつは父と母の敵なのに。憎くて憎くて堪らないのに。この手で討つことも出来ない。そればかりか、その敵に情けを乞うて施しを受けなければ、生きることも出来ない。
「くそッ! くそッ! くそうッ!!!!」
力が欲しい。何か巨大な力が。この世の理不尽をものともしない程、圧倒的で超越的な力が。守りたいもの全部を守りきれるくらい絶対無比な力が。
運命を、ねじ曲げる力が。
もし運命を操る者がいるのなら、もし運命に神がいるのなら、私がそいつを殺してやる。神の座から引きずり下ろしてやる。そして私が代わりに神になってやる。私が、私の運命を変えてやる……!
「生きてやる。どんな事をしても生き延びてやる……!」
私はもう、覚悟は決まった。
父と母が死んでから暫く経った。姉は私たちの暮らしを支える為、貿易商の仕事を始めた。私には、姉がどんな事をしているのかは分からないけど、ただその忙しさから、生き残るために必死である事は伝わってくる。
でもそれは、私と姉を遠ざけていった。
姉は時折、馬車に乗って出かけていく。人間の商人と商談に行くのだそうだ。今日も朝早くから、移動の準備をしている。そして、こういう時は大抵、一月以上帰らない。
私には、姉がどんな気持ちで、それに挑んでいるのかは分からない。あんなに酷い事をされてきた。人間を嫌いにならないのだろうか。悔しくはないのだろうか。
でも私は、他に方法は無いんだろうという事も分かっている。今はこんな状況。手段なんか選んでいられない。元より、何もしていない私に、何かを言う権利もない。それでも私の思いは複雑だった。
冷たい朝の空気が包むヴアルの正門。私はその門扉の横に佇み、出かけていく姉を見送る役目だ。
外には既に馬車が待機させてあり、運転手がやる気の無さそうに馬を撫でていた。馬車は荷台に幌を張っただけの簡素な作りで、姉はこの中に荷物と一緒にに押し詰められて移動する事になる。場合によっては生ものも運搬するのだから、それは並大抵のことでない。
しかしその姉は、何の躊躇いも無く荷台に乗ると、私に一度だけ頷き、そのまま馬車を発進させた。馬の嘶きと同時に少しぎこちなく車輪が回りはじめ、馬車がゆっくりと動きだす。私はそれを、ただ横で眺める。
馬車は、ヴアルを覆う鬱蒼とした木々の間をかき分け、町の方へと真っ直ぐに進んでいく。ヴアルの周辺にだけ敷かれた石畳の道に馬の蹄と車輪の回る音が響き、時折、軋む荷台が悲鳴を上げる。そうして、幌の陰から僅かに見えていた姉の顔は、次第に小さくなっていき、そして終に見えなくなった。
「フランドール様。もうお部屋に戻られては?」
私のすぐ後ろから、女の声が聞こえてきた。とても綺麗な声だった。
「もう少しここにいる」
「そこで待たれても、お姉さまは帰ってきません。風邪を引くだけ損ですよ」
「うるさいなぁ、もう」
そこまで言われて、私は渋々振り返る。目の前には、私のよく知る女がいた。
彼女の名前はメイリー。この家で働くただ一人の使用人だ。恭しく私に頭を下げているが、これで一癖ある人物でもある。ただ私は、鈴の鳴るような彼女の綺麗な声を嫌いでは無い。
メイリーは細身の割に背が高く、背の低い私とではまるで親子のように身長差がある。真っ直ぐ腰まで下ろした長い赤髪を持ち、風に揺れるサイドの三つ編みは彼女のトレードマークになっていた。
メイリーは私の父と母に縁があったらしく、吸血鬼伝説を信じていない。よく気が利くし、快活で小さな事に拘らない性格で、私の話し相手にもなってくれている。聞けば私たちと同じく妖怪だと言うが、しかしその正体はよく分からない。
「お姉ちゃん。また、しばらく帰ってこないって」
「その様ですね」
「つまんないの。前はずっと一緒だったのに」
「また、すぐに帰られますよ」
そして、そのまま二、三会話を続けるが、もう戻りましょうと言うメイリーに促され、私はようやく観念する。恨めしくメイリーを睨みながら、とぼとぼと館の方へと歩き出した。
玄関の扉をくぐり抜けた後、一度だけ姉の向かっていた方へ振り返る。あの道の向こうに姉が居る。でもそこに続く風景は、重々しい扉が少しずつ奪っていき、鈍い音をたてた扉はゆっくり閉まっていく。私はそれを、世界と私とを遮断する結界のようにも感じた。
これでしばらく外に出ることはない。そうして私は、またヴアルに残されたのだった。
「フランドール様。もう少しお食事を摂られてはいかがですか?」
「いらない。だって美味しくないんだもん」
私がそう言うと、パン、と音をたて、お皿の上にあったものが独りでに弾け飛ぶ。メイリ―の作った料理は、ぐるんと宙を舞った後、情けない音を出しながら床に落ちた。
「フランドール様。“また”ですか?」
「ふふふ」
“また”と言われて、私は少し得意げになる。これが、最近の私のお気に入りなのだ。
『ぎゅっとしてドカーン』
ある日、私に芽生えた能力だ。私は両手を使わずに、目の前の物を弾きとばす力を手に入れた。……いや、でも本当は手を使っている。この手の中にこそ秘密があるのだ。
私の手のひらには“目”があった。何の目なのかはよく分からないけど、この“目”をギュッと握って潰せば、目の前のものを何でも弾き飛ばす事が出来た。まるでそのモノ自体が内側から弾けるように、それは綺麗に粉々になった。
今の手品も、この力で料理の目を潰した事で、独りでに弾け飛んだのだ。
「まったく、何故このような事をなさるんですか?」
「いいでしょ。ホントに美味しくなかったんだからさ」
しかしそれを聞くメイリーは、呆れながら尚も私を咎める。何度も聞いたようなつまらないお小言。しかし、眉をつり上げたメイリーの顔を見ながら、私はまた少し嬉しくなる。今回の悪戯も中々上手くいった様だ。
もう何度目かは忘れてしまった。一度や二度くらいでは無い。姉が居なくなると私は、決まってこんな態度をとる。まるで駄々をこねる子供のように、我儘を言って困らせる。そうすればメイリ―が私を構ってくれる。そうやって寂しさを紛らわせていたのだ。
「フランドール様。私はレミリア様に留守の間の事は一切任されております。ですが、こう何度も続く様でしたら、私はレミリア様にこの件を報告しなくてはなりません」
「お姉ちゃんは関係無いでしょ」
「しかし、これではあまりに酷すぎます。いいですかフランドール様。今度同じ様な事をしたら、すぐに貴女のお姉さまをお呼びしますからね」
「……」
少しやりすぎた様だ。急に旗色が悪くなる。
「へーんだ、呼べるもんなら呼んでみろ! どうせここには居ないんだから!」
都合の悪くなった私は、近くにあった小さなカボチャを丸ごとメイリーに投げつけて、自分の部屋に引き返す。もう今日は十分だ。
「こら、フランドール様!」
しかし当然、怒ったメイリーが私を捕まえようとする。
「フランドール様。もう許しませ……きゃっ!」
しかし、私はすかさず投げつけたカボチャを力を使って弾いてやった。
「メイリ―の間抜けー」
「なっ、お待ちください、フランドール様!」
そうして、メイリーが怯んでいる間に、私はさっさと引き上げたのだった。
この力がどういう力で、どんな意味があるのかは分からない。でも、それは成程、私にはぴったりの力だった。
「フラン。お行儀よく食べなさい。食べにくいわ」
そして、そんな日が続いたある日、私は久しぶりに姉と一緒に食事をしていた。
いつもの鬱憤を晴らすように甘えていた私は、しかし姉の言葉の意味がよく分からず困惑する。
「いいじゃん。久しぶりなんだから」
「もう子供じゃないでしょ。あまり私にくっつかないで」
そう言って姉は、無理やり私を押し離す。
「まだ子供だもん」
「もう子供のままでは居られないの」
すかさず抗議するも、姉は私の言葉をつんけんとして返す。何故姉がそんな態度を取るのか分からない。そんなにピリピリしなくてもいいのに。私は楽しみにしていたのに。姉と一緒に居られる事を楽しみのしていたのに。
何だか面白くなかった私は、更に姉に噛みつく。
「ふんだ。お姉ちゃんだってまだ子供じゃん。その人形、もう放したら?」
言って、私の視線は姉の膝元に向かう。そこには綺麗なお人形さんがあった。
「……フランには関係ないでしょ」
姉はそっぽを向きながら言う。しかし、その態度が何より子供っぽい。
それは母に貰った人形だった。母の形見になってしまった人形。姉はその人形を、まるで母の代わりとするように、いつも持ち歩いた。朝も昼も、食事の時も夜寝るときも、商談への旅路にだって欠かさず持っていった。それはきっと、姉が急に大人になる為に、どうしても必要な物だったんだろう。
「そんなの邪魔なだけだよ。お行儀悪い」
でも、そんな事も知りながら、私は姉にきつい言葉をかける。姉を激しく非難する。私はその人形をもつ姉が、どうしようもなく気に入らなかった。
「フランには関係ないって言ってるでしょ」
「関係あるもん。いっつも私には、お姉ちゃん面するくせに。お姉ちゃん方が子供だよ」
追い打ちをかける様に、さらに言葉を重ねる。何故か言葉が止まらなかった。酷い事を言っているのは分かっている。でも止まってくれない。これ以上は言っちゃ駄目なのに。言葉は溢れてくる。
気に入らない。何故だか分からにけど、その人形は気に入らない。
だから私は言った。
「それ。なんだか汚いよ。早く捨てちゃえば?」
「なっ、これはお母さんに貰った大事な物なの! いくらフランでも、それを言ったら許さないわ!」
「ふーんだ。お姉ちゃんの甘えん坊!」
私は席を立つ。居心地が悪い。もう姉の言葉など聞きたくない。
「待ちなさいフラン! ちゃんと謝りなさい!」
後ろから姉の声が聞こえる。だけどそれを無視してどんどん歩く。聞きたくない。もう聞きたくない。そして扉に前までくると、
「……お姉ちゃんの馬鹿」
それだけ言った。そうして私は、自分の部屋に引き上げる事にした。
「また、行くの?」
翌日、朝早くから聞こえた物音で目覚めた私は、姉の部屋を訪ねていた。部屋の中は、旅支度のなのだろう、様々な荷物で散らかっている。姉はまた外出する気だ。昨日帰って来たばかりなのに。また私を置いて出ていくのだろうか。
「お姉ちゃん、帰ってきたら一杯遊んでくれるって約束したよ」
「仕方が無いでしょう、急に仕事が入ったんだから。夜までには戻るわ」
「嫌だ、今日がいい」
「我儘言わないの」
姉はまたも私を突き放す。近付こうとすればするほど姉は私から遠ざかっていく。
私の中で、私自身でも、よく分からない感情が溢れていくのが分かった。
「お姉ちゃんの嘘吐き」
「嘘は吐いていないわ。夜には遊んであげるんだから」
「何で! 約束したのに!」
「仕方無いって言ってるでしょ! フラン、あんた昨日からおかしいわよ?!」
「おかしいのはお姉ちゃんだよ! 約束したのに!」
認めたくない。そんな事、認めたくない。近くにあった物を、手当たり次第に投げつける。嫌だ。嫌だ。こんなの嫌だ。
「いい加減にしなさい! 何で我儘ばかり言うの!」
「馬鹿! お姉ちゃんの馬鹿! もうお姉ちゃんなんか大嫌い! 顔も見たくない!」
もう、ここには居たくない。私は 言うだけ言うとまた自分の部屋に走り去った。分からない。何でこんな事になったのか分からない。もう私は限界だった。
「……もう、困った子」
最後に姉が、そう呟くのが聞こえた。
それからしばらくして、姉の乗った馬車が出ていった。私は二階の自分の部屋で、馬車が動き出す音だけを聞いていた。いってらっしゃいも今日は無い。私は初めて見送りに行かなかった。
私はそのまま部屋の隅で丸くなる。メイリーも今日は買い出しに行くといって出ていった。今日は館に一人きり。もう何もする気にならなかった。
私は、姉の事がもう分からない。あまりに差が開き過ぎた。姉はもう私とは違う。大人の道を歩み始めた。その変化に付いていけない子供のままの私は、その差に、その違いに、どうしようもなく混乱する。
ついこの前だ。私と姉と、母と父と、私たち一緒に暮らしていた。姉は母にべったりの甘えん坊で、そのくせ私とマリアとで遊んでいるときは偉そうに威張り散らして。子供っぽくて負けん気が強くて、でも実は誰よりも優しかったのも私は知っている。そしてそんな姉の姿が、私にとっての姉の姿だった。
何の気なしに姉の部屋に入ってみた。普段からあまり使っていないので、私の部屋より大分小奇麗にされている。だが机の上には書類の束が乱雑に置かれ、その様子も私の部屋と全然違っていた。
そこには昔の姉を思わせるものなど何も無かった。もう姉は私の姉では無いのではないかとさえ思ってしまう。ここでも、姉と私には大きな差があった。
急に胸が痛くなった。きりきり、きりきりと。締め付けるような痛みが襲う。心の中に穴があいたような虚しい気持ち。私は思わず胸を押さえてしゃがみ込む。そして、そのとき床に落ちた滴を見て、私は自分が泣いているのに気付いた。
「お父さん、お母さん。私、寂しいよぅ……」
不意にベッドの方を見る。私のより一回り小さいベッドだ。しかし、私はその上にあるものを見て驚いた。あの人形があるのだ。昨日喧嘩の種になったあの人形。どうしようもなく気に入らなかったあの人形。いつも絶対に手放さなかった姉が、今日は偶々忘れていったのだろうか。
私の中で、何か黒い感情が芽生えいくのが分かった。次第にその感情は大きくなっていく。ぞっとするような嫌な感情。でもそれは、今よりもっと昔からあった感情にも思えた。ずっとずっと私の心の隅にあった物のように思えた。
姉は全然私に構ってくれない。そうだこんな物。
「……えいっ」
馬車は揺れる。それにつられて私の身体も右へ左へ揺れ動く。窮屈な荷台の上で馬車に遊ばれながら、私はフランの事を考えていた。
どうもフランの様子がおかしい。使用人のメイリーからも、最近フランが情緒不安定だと聞かされていたが、思っていたよりひどい。まるで何かに怯えている様だった。
でも、私は分かっている。それは全部私のせいだ。フランはただ恐れているだけ。また失うのを恐れているだけ。ただ寂しいだけなんだ。
確かに使用人のメイリ―にはよく懐いている。あの子が悪戯するのは、構って欲しい相手にだけだ。でもフランはそれ以上に、“私に”構って欲しいんだ。姉である私を求めているんだ。
フランは、母も父も友達も、全部自分の目の前で奪われた。そして残っているのは私一人だけ。そのフランが、私を求めるのは当然の事なのに。でも私はフランを拒絶してしまった。仕事に疲れていた事を言い訳にして、私はフランから逃げた。
少しは軌道に乗りはじめたが、仕事は未だに安定しない。忙しさは続いている。町には住めない以上、ヴアルで生きていくしかない。そしてそれには資金が必要だし、何より私は決めたんだ。誰よりも強大な力を手に入れると。でも、そう思えば思うほどに、フランと会う機会は減っていった。
私は間違いだったのだろうか。フランを守るという決意は、どこかで道を間違えてしまったのだろうか。
分からない。でも私は既に、この道を進むしか無かった。今更引き返す事は出来ない。そしてだからこそ、余計に胸が痛んだ。
「今日は妹さんがお見えになられん様でしたが、どうかしました?」
不意に運転手の男から話しかけられた。考え事に夢中だった私は、それに少し驚く。
この男、安い値段で雇っているので、運転は荒いし言葉遣いもなっていないが、吸血鬼に偏見は持っていない。
「大したことはないわ。ただの喧嘩よ」
「それは困ったことになりましたね」
「まったく嫌になるわ。あなた、何か気分転換になるような話はないかしら?」
私は大した期待もせずに男に聞いてみる。もう、考えるのは止めよう。どのみち私一人では答えは出ない。とにかく話題を変えたかった。
「はぁ、気分転換になるかどうかは分かりやせんが。今、町の方でちょっとした騒ぎになっている事ならあります」
「何かしら」
「それが、あの英雄の片腕、……確かヴォルスングっていったかな。どうやら死んだようですよ」
――え?
「詳しく聞かせてもらえるかしら」
焦る気持ちを抑えて静かに続きを促す。しかし、動揺は隠せなかった。
「んー、私も人から少し聞いただけで、詳しい話は知らないんですがね。昨日の朝、路地裏でヴォルスングの死体が発見されたそうです。しかもそれが酷い様相でして。なんでも喉元に鉄材が突き刺さっていたって話です」
「誰かに殺された……?」
「いいや、自殺だそうですよ。自分で刺したんです。嫌な死に方だ。というのもその男、以前より酒場で飲んだくれては暴れまわるという事で、ちょっと問題になっていたんですね」
「酔ったぐらいじゃ、そんな死に方はしないと思うけど?」
「ええ。それが前の晩の事なんですがね。その日もえらく飲んでまして。あんまりにも飲み過ぎだってんで、酒場の主が止めにいったんですよ。ところがその男、暴れに暴れて。ついには勢い余って店主を殴り殺してしまったそうです」
「へえ……」
「それで直ぐにその場を逃げ出したんですがね。結局、次に日の朝には死体になってたって事で。まあ、一時は国民のスターとも呼ばれたほどの男だ。捕まって世間に恥を晒すよりは、自殺の方を選んだんだろうって話です。私に言わせりゃ、どっちも大して変わらんと思うんですがね」
運転手は、そう言ってカラカラと笑った。
ヤケ酒飲んで、挙げ句人を殺して、それで自殺した? 自らの恥より死を選んだ? 馬鹿な。あそこまでの精神力を持った男だ。そんな事でくたばるはずが無い。
そうだ、あの男は殺されたんだ。追い込まれ、逃げ場を奪われ、そしてそれは全部私の――、
「ふん。ようやくケジメを付けたか」
「へ? 何か仰いました?」
「何でもない。ありがとう。暇潰しにはなったわ」
馬車は相変わらずガタガタと揺れながら走る。いつの間にか陰鬱な森を抜け、薄い緑が茂る草原に出ていた。これよりもう少し走れば、道はもっとなだらかになり、馬車は人間の住む世界へと入っていく。
空には澄んだ青。そこに浮かぶ雲は気持ちよさそうに風と戯れる。だが私の心は、その爽やかな景色とは裏腹に、何か、晴れない靄のようなものが覆っていた。
違う。それは何か違う。そんなよく分からない気持ちが芽生える。逃げられたと思った。追い込んだのは私なのに。あの男に逃げられたと思った。手の届かない場所に置いていかれたと思った。
道が変わった。道はデコボコの荒い地面から、整備されたされた石畳となる。これから先は人間の領域だ。
「何ですって……?」
「今言った通りです。これ以上、貴女と取引をする事が出来なくなりました」
目の前の、まだ若い商人は言う。若いが、この地域で巨大商会を置く大商人だ。
「何で! そんな急に!」
「状況が変わったんです。お聞きになられませんでしたか? 少し前から政府による監視の目が強化されました。不法な武器流入を防ぐ為だそうです。そして分かっていると思いますが、貴女の商売は明らかに不法だ」
「くっ……」
苦虫を噛み潰したような気分だった。
教会の主導の元に発足された新政府は、『英雄神、ジークフリート』を信仰の新たなシンボルとし、今や強大な力を持った。そしてその力はこの国の経済全体にも及び、その主導権を完全に握っている。未だに潜む反政府組織に対する潰しの名目で、正規の貿易のルートは全て監視下に置かれ、どれだけ利益を上げても税金でほとんど持っていかれた。
まともなルートでは、もう商売なんて成り立たない。そして、商人として駆け出しの、しかも吸血鬼である私が、まともなルートで成り立つ訳が無かった。
「でも、それなら貴方たちも同じでしょう? 裏取引はどんな場所でも行われている。貴方達は商人を辞めるつもり?」
「いえ、武器の事や葉っぱの事は、我々も大した問題と思っていません。規制がかかるなら規制を利用してやるまでです。ですが、どうにも出来ない問題もある。もう分かっている筈です」
彼は私を指して言う。それで私は納得する。何が言いたいのかは大体分かった。
「貴女が吸血鬼であるという事が問題なんです。吸血鬼との取引がバレれば、我々も無事では済まない。これ以上の関与は危険と言わざるを得ません」
確かに吸血鬼との取引がバレたら、いや、吸血鬼の存在がバレたら、私はおろか関わった全員が処罰の対象になるだろう。磔にされて首を落とされる。
「でも、こんなのって……」
「仕方ありません。ですが、我々にとっても貴女との取引は魅力的ではあるんですよ。貴女は中々に金の回し方が上手い。出来れば引き続きお付き合いしていきたいと思っています。ですがリスクが大きい事には変わりない。だから一つ、条件を提示させて頂きます」
そう言って彼は一度区切る。成程。そういう事か。彼が何を望んでいるか、私は既に理解した。
「……口止め料。そういう事かしら?」
「察しがよくて助かります。そう、リスクに見合うだけの付加価値を付けて頂ければ、我々も納得できます。貴女には辛いでしょうが、これが最大の譲歩です。……如何しますか?」
ふん。どうするもこうするも無い。分かっていて聞いているくせに。答えは決まっている。
「取引が無くなれば、私は商売を続けていけない。……条件を飲むわ」
「交渉成立ですね」
そうして私は彼の提示した金額を払う。少なくない金額だ。毎回こんな額を払うとなると、商売はますます厳しくなる。せっかく軌道に乗り始めたのに。まだ私には力が足りなかった。
「ところでレミリアさん。私、最近“臨時収入”があしましてね。いつもお世話になっている貴女に贈り物があるのですよ」
「……?」
彼は自分の弟子を呼んで、小さな箱を受け取った。両手で収まる程度の箱だ。そしてそれを私に差し出す。その蓋をゆっくり開けてみる。
「何、これ?」
「貴女のものです。似合ってくれるといいんですがね。まあ、偶の収入があった時くらい金をばら撒かないと、経済を回ってくれませんので」
そこには小さいがかなり高価と思われる首飾りがあった。先程私が払った口止め料と同等か、それ以上の価値があるだろう。
「何故こんなことを?」
問う。意味が分からない。何がしたいのだろうか。しかし彼は、
「……保険、ですよ」
自嘲気味に笑いながら、そう言った。
「私たちは怖いんです。己の弱さが怖い。政府から圧力を受ければ、すぐに屈してしまう。ちっぽけで弱い人間でしかない。でも、私たちは商人だ。そして商人とは、金の上での約束を絶対に破らない。金狂いだ何だと陰口も言われていますが、私たちは、それが金の上での約束ならば、例え拷問にかけられても絶対に守り通します。それが商人としての誇りだからです」
彼の眼は、真っ直ぐ私を見つめる。そこに、彼なりの覚悟を垣間見た気がした。
「レミリアさん。私は、ヴラムさんやオヴェリアさんには計り知れない恩がある。私たちは彼らによって救われたんです。戦禍に巻き込まれた私たちを、彼らが救ってくれた。居場所を与えてくれた。なのに我々は、彼らの力なってやれなかった。何も出来なかった。私はそれを今でも悔いています。だからせめて、貴女にこれくらいやらせて下さい」
「……」
初めて聞いた話だった。父も母も、そんな事は一度も話してはくれなかった。
でも、だからなのか。吸血鬼である私に不信感を持たないのも、まだ駆け出しの私に商売の運び方を教えてくれたのも。彼らは私を知っていたのか。
彼は最後に言う。
「貴女にこれを言うのは酷かもしれません。今まで人間は酷い事をしてきた。今はまだ許せないかもしれません。でもどうか、どうか人間を見捨てないでやって下さい。いつか変われると信じてやって下さい……」
そして私は、また一つ人間が分からなくなった。
私はまた馬車に揺られる。頭の中に巡るのは沢山の言葉。いろんな事がありすぎて、頭が破裂しそうだ。もう、人間とういモノが全然分からなかった。
ヴォルスングは死んだ。罪の重さに押し潰され、自我を崩壊させて死んだ。
何故あの男は罪を感じたのだろうか。私は許さないと言ったのだ。生きても死んでも転生しても許さないと言ったのだ。でも、何をしても許されないのならば、何もしなければいい話だ。忘れてしまえばいいだけなのだ。なのにあの男は、真正面から己の罪を見てしまった。
商会の連中も分からない。単に私を利用しているだけだと思っていたのに。彼らは私をずっと見ていてくれた。恩人の危機に何も出来なかった事を悔いていた。そしてそれは、私が思っていた人間像とは少し違っていた。
いつしか私は、人間全てを憎んでいた様な気がする。利用できるだけ利用して、私の力の糧にしてやろうと思っていた。
でも、ヒトは憎しみ合ってばかりではいられない。それは私自身が言った事だ。だから本当は、憎むべき悪なんて、初めから何処にも居なかったのかもしれない。ただ弱かった。ただ単純に、純粋に弱かっただけなのかもしれない。
でも、それならいつか、人間と分かりあえる日が来るのだろうか。今はまだ許せない。でもいつか、共に笑い、手を取り合える日が来るのだろうか。母の願いが叶う時が来るのだろうか。
今はまだ分からない。でも私は、その日が来る事を少しだけ願った。
馬車はゆっくりとヴアルに向かって進む。道は再び整備のされていないデコボコの道に変わっており、もうすぐヴアルが近い事を示していた。
私は今すぐには変われない。でも、出来ることからやっていこうと思う。まずはフランと仲直りしなくちゃ。今日くらい一杯甘えさせてやろう。
そう思うと少し笑みが零れてきた。何だ、そんな身近な事でいいのか。でも、それなら大丈夫。私たちは大丈夫。私たちなら、きっと上手くいく。
少しだけ穏やかな気分になった。幌の間から吹く風が頬を優しく撫でる。車輪の回る音だけが響き、温かい静寂が私を包んでいく。そして、
「な、なんだありゃあ!」
その静寂は、運転手の情けない叫びによって破られた。
「何があったの!?」
「ヴアルが、ああ、ヴアルが! レミリア様、ヴアルが!!」
要領の得ない運転手に舌打ちしながら、私は幌から顔出してヴアルがある方角を見る。でも、
「何で……。嘘でしょ……?」
でも、そこにヴアルは無く、嫌な煙が昇っているだけだった。
馬車を降りて、急いで現場に駆け寄った。近くまで来ると、その壮絶な光景に目まいを覚えそうになる。
「……っ!」
立ち尽くして言葉を失う。道を間違えたと言われた方がまだ理解出来る。私の頭脳がまるで現実に追いつかない。目の前の光景にただただ圧倒される。
それは破壊だった。まるで戦争。いや、それより酷い。これは壊す事だけを目的にした破壊だ。壊すためだけの破壊だ。屋根は無い。壁は無い。床も抜けて地下が丸見えだ。瓦礫の山だけが虚しくそびえる。
完全なる破壊。完全なる木端微塵。全部が全部、一切が一切、ヴアルは廃墟となるまで破壊されていた。
「どうして……? 一体何が……」
分からない。何も分からない。だけど、そこまできて、ようやく私は一番大事な事に気付く。
「そうだ! フランは?!」
走る。走る。フラン! どうか無事でいて!
瓦礫の山を掻き分ける。フランは自分のの部屋籠っていた。既に部屋などどこにも存在しないのに、でも私はフランの部屋を探して走った。
「フラン! どこっ!?」
声を張り上げて叫ぶ。嫌だ。フランまで居なくなるのは絶対嫌だった。そして、
「あれ? おねーちゃん。どうしたの? そんなに急いで」
それは随分のん気な声だった。
「え……? フラン? 無事なの?」
フランは丁度、瓦礫の中心に立っていた。微かに残る残骸から、そこが元私の部屋だったと分かる。
「うん。何ともないよ」
「そう。良かった……」
フランの顔を見ると、私は全身の力が抜けて、腰が砕けた様に情けなく座り込んだ。良かった。本当に良かった。
「ねえ、フラン。一体何があったの? あなた、一体どこに行ってたの?」
「私はずっとここに居たよ。それとね、これも私がやったの。えへへ。すごいでしょー」
「フラン……?」
何かがおかしい。フランは普通じゃなかった。目はどこか遠くを見るようで、まるで焦点が合っていない。足取りもおぼつかず、フラフラと身体は揺れている。でも不思議な事に、フラン自身は怪我をしている様には見えず、服にも汚れ一つ無かった。
だが、私はフランの手に持っているものを見て愕然とする。
「フラン、それ……」
「これ? これもね、私が壊したの。全部全部私が壊したの。あははは。すごいでしょ。ねえ、すごいって言ってよ」
フランは黒こげになったそれを投げ捨て、まるで面白い事のように言う。
ああ駄目だ。おかしい。もう、何もかもがおかしかった。
「あは。私、何だかとっても気分がいいんだ。笑いが止まらない。ねぇ、お姉ちゃんも一緒に笑おうよ。ねえ、あはははははは」
笑う。笑う。フランは笑う。まるで壊れたおもちゃの様に。ただ笑う。ただただ、笑っていた。
「あはは。ねぇ、おかしい。あは。あはははは。あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
寒気がした。身体の震えが止まらない。何が何だか分からない。頭の中がぐちゃぐちゃになって壊れそうだ。もう私の理解を超えている。
でも、ただ一つだけ、そんな私でも分かった事がある。
私は、自分の妹に恐怖している。
「……フラン、何で……っ!!」
そしてフランは、ついに壊れてしまった。
お疲れさまでした。読了、感謝致します。
物語的には、ようやく核心に入っていった様な気がします。まさかフラン編がこんない長くなるとは思いませんでしたが、二桁台にはいかない予定です。これからフランはどうなってしまうのか。引き続きお付き合い頂ければ幸いです。
それではまた次回お会いしましょう。では。
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