※※今回のお話には残酷な描写が含まれます※※
続きです。と言いつつ実は前回更新分が長すぎた結果、こうして半分に分けただけなんですけどね。どんどん長くなるのはそれだけ文章力が無い故かなぁ、と心配になる今日この頃。まあ大目に見てあげて下さい(笑)
それと今回は人死にシーンがありますので苦手な方はご注意ください。そんなに過激な言い回しはしてないから大丈夫と思うんですが、一応念のため。つーか年齢制限大丈夫かなぁ。セーフですよねぇ。セーフであって下さい。
それではお待たせいたしました。本編をご覧くださいませ。
外は、それはよく晴れていた。首都の町並みを見下ろす、小高い丘の上。作戦本部からは少し離れた場所。その小屋から眺めれば、眼下で繰り広げられるそれが、よく見える。視界を遮るものは何もない。見渡せば見渡した分だけ、それがよく見えた。轟音が響き、黒い煙が上がり、彼らが死んでいく。その様が、怖いくらいによく見えた。
「……っ」
気分が悪い。吐き気がする。気が狂いそうだ。これは一体何の冗談だ? 悪い夢なら覚めてくれ。どうしてこんな事になった? 今、私の目の前で、大勢の吸血鬼が死んでいく。槍で突かれ、砲撃に巻き込まれ、断末魔の声を上げる。最早これは戦争ですらない。これは、これはただの――、
「ただの……虐殺だ」
「ジーク、いい加減にしろ。戦いはもう始まっている。それは、今死んでいっただろう俺の部下への侮辱だぞ」
私の呟きに、先程戻ってきたばかりのヴォルスンングは、不機嫌そうに返した。その目には静かな怒りが宿っている。その目を見られない私は、言葉に詰まり下を向いた。……そうだ、今戦っているのは私の部下でもあるのだ。そんな彼らに対して、今の言葉はあんまりだった。
「……もう、止められないのだろうか」
「ふっ、この戦いを止められるとしたら、それこそ神だけだろうな」
――また、地面が揺らいだ。砲撃の音。随分近い。ここも長くは持たないかも知れない。
「しかし、信じられんな。相手はたった数十人。それだけの兵力で、我らとここまで渡り合うとは……。これが人外。吸血鬼の力という訳か」
ヴォルスングは、感嘆するようにぽつりと漏らした。私もそれには同意を示す。
――そう。彼女たち、吸血鬼たちは、圧倒的に数で劣っているのにも関わらず、連合軍と今現在まで戦闘を続けていた。進行方向から見て、恐らく国境を越えるつもりだろう。彼女たちはまだ諦めていない。必死に生きようとしている。だが、このままでは結果は明らかだ。誰も生き残ることは出来ない。圧倒的な個があったとして、だが、数の前ではあまりに無力だ。次第に追いつめられているのは、ここからでもよく分かった。
「何故、宣戦布告などをしたのだろうか」
やはり分からない。理解に苦しむ。何故だ。これが負け戦なのは、戦う前から分かっていた筈だ。聡明な彼女のこと。勇気と無謀を履き違えるようなことはしないはずだ。一体何故……。
「……それは教会の仕業だよ」
また、ヴォルスングは呟くように言った。
「何だって……」
「三文芝居さ。あの宣戦布告は、教会の連中の謀だ。恐らく吸血鬼側にも、何らかの接触をしているのだろう」
ヴォルスングはそう言うと、視線だけを動かし、壁にかかる十字架を一瞥した。そこには、何の感情も感じられなかった。
……分からない。何なのだ。どういう事なのだ。そんな話は聞いてない。あり得るのか。そんな事が。この戦いを仕組んだ者がいるなど、そんなことが有り得るのか。……だが、もしそうだとすると、昨夜の一件は――、
「……ふざけている。それこそ悪魔じゃないか」
私は立ち上がる。体は小刻みに震えている。なんて事だ。ふざけている。こんなものは、断じて正義などでは無い。許されるはずがない。止めなくては。こんな戦い止めなくては……。
「無駄だよ。今更、お前の声があったところで止まる筈がない」
しかし、ヴォルスングが私の前を塞いだ。平然と。まるで、それが当然であるかのように。今、彼の目にあるものは何なのか、私には判然としない。だが、何かがおかしかった。元々、彼は戦いには消極的だったはずだ。吸血鬼の迫害も最初は反対していた。彼に何があったというのか。
「なあ、ヴォルスング。何故、お前はそんなことを知っているんだ? お前は、俺の知らない何を知っているんだ?」
私は、恐る恐るヴォルスングに聞いた。だが、果たして私は本当に答えを求めているのか。それさえ私は分からなかった。
「……さあな」
「昨晩はどこに行っていた。“補給拠点の確保”じゃないだろう。今まで何をしていた」
睨み付けながら、私は言った。知りたい。でも聞きたくない。混乱する私は、ただヴォルスングを睨むしか出来ない。だが、視線を逸らすことなく、彼を見据え続けた。その目に宿っているのがどんな感情なのか、それを見極めようとした。
すると、不意に彼の口が僅かに歪み、自嘲するかのような笑みを浮かべた。
「ジーク、前にも話したな。俺にはガキが一人いる。まだ本当に小さなガキさ。そして、そのガキが、将来何になりたいかと聞いたらこう答えるんだ。何と言ったと思う?」
……。
何の話だ。
それは今関係あるのだろうか。私は、ヴォルスングが何を言いたいのかを、測りかねていた。
だが、彼は私の答えを待たずに再び話しはじめる。
「兵隊になりたい、だとさ。兵隊になって、敵国の連中を皆殺しにするんだって、嬉しそうに話すんだ。――なァ、分かるか。これが今の世界なんだよ」
私は答えない。――否。答えられない。
「戦争はまだ終わっちゃいない。今なお、心に深い傷を残している。だから、この戦いが必要なんだ」
ヴォルスングは、ただ、真っ直ぐに私を見据えた。今度の彼の目には、私でも分かるくらいの愁いを帯びていた。私は、彼のそんな悲しい瞳を見るのは、初めてだった。こんな表情は、戦場でだって見た事がなかった。
「この戦いを終えて、人は初めて戦争の呪縛から逃れられる。だってそうだろう? 今まで敵だった者と、一緒になって戦う事が出来るんだ。憎悪の対象でしかなかった者たちと、肩を並べる事が出来るんだ。そしてそれは、もう憎しみ合う必要は無いんだと、全ての者に伝える事が出来る。この戦いは宣言だ。平和への第一歩なんだ」
――その為には生け贄が必要だと。その物語が必要であると。それが正義であるというのか。
「だが、それは間違っている。まだ話し合いで解決できるはずだ。吸血鬼を敵にしなくても、平和を手に入れられるはずなんだ」
それでも私は言うのだ。これ以上、死者を出してはならない。これ以上、人の道から外れてはならない。それ以上すれば私たちは、人でも悪魔でも無くなる。それは……、それはただの外道だ。
「今更だな、ジーク。お前の口からそんな言葉が出るか。――なァ、はっきり言ってやろうか」
ヴォルスングは、一歩私に詰め寄った。一度そこで言葉を切る。
「お前はただ、逃げたいだけなんだよ!!」
――ひどく、その言葉は胸に染み渡った。
「お前は、自分の犯した罪の重さから逃げているだけだ。その責任から、逃れたいだけなんだよ」
私は、何も言えない。何も言い返すことができない。ヴォルスングは、なおも続けた。
「俺とお前は、あくまで共犯だ。何も変わりはしない。だったら、きちんと幕を引いてやるのがその責任だ」
ヴォルスングの影が私に覆いかぶさった。……大きい。プレッシャーに押し潰されそうになる。
「それが、例え人の道に反する事だとしても、か?」
私は震えながら、しかし、何とかそれだけ言えた。その言葉にどれ程の説得力があったのか、私には分からない。
「人の道など、とうの昔に外れているだろう。だが、それが平和に繋がると言うのなら俺は何でもする。教会の言いなりにだってなる。喜んで踊ってやるさ。だから、例え“英雄”だろうとも、俺の邪魔はさせない」
――次の瞬間。腹部に強烈な痛みを覚えた。私は、激痛に崩れ落ちた。
「お前、何を……?」
「悪いな、ジーク。ここから先は俺の仕事だ。全部、終わらせてくる」
意識が徐々に薄れていく。私の体は床の上に転がったまま、ヴォルスングを見上げた。。霞んでいく意識の中で、奴が、背を向けて歩き出すのが見えた。その手には、自慢の愛剣が握られている。剣を持ったまま、扉の奥へと消えていく。
「くそっ、待てよ。畜生……」
そして私は、目の前が真っ白になった。
○ ○ ○
いつの間にか、青かった空は黒色に変わり、それはとても狭く見えた。
始まった戦いは、それは酷いものだった。包囲するように人の壁が迫り、敵味方入り乱れた乱戦になっている。作戦も何もあったものじゃない。どうやら、正面から力でねじ潰すつもりらしい。
戦いが始まった直後、まず、遠くに設置された砲台より、砲弾の嵐が私たちを襲った。足止めされている私たちは、あっという間に囲まれる。それから先は、まさに地獄絵図だ。
味方ごと吹き飛ばす気なのか砲撃は未だ止まず、爆風で地面が吹き飛んで、砂埃が宙を舞った。ギラギラと光る剣が振り払われ、尖った槍の先が伸び、大地は赤く染まっていく。鬨の声が轟き、耳鳴りがするような地響きの中、やってくる敵を斬った。なるべく急所を外して斬っているが、既に限界は近い。
周りは一面敵だらけだった。襲いくる敵は、斬っても斬っても休み無く次がやって来る。仲間達の数も大分減ってしまった。横たわる屍の数は、時刻々と増していく。正に地獄と呼ぶに相応しい光景があった。
「オヴェリアさん、駄目だ。こっち側はもう限界だ!」
「諦めないでっ。もうすぐ国境を抜ける。そうしたら軍隊は追って来られない!」
だが……、本当にそうだろうか?
弱気になる仲間に檄を飛ばすが、私自身、それをどこまで信じているのだろうか。――もう、どこにも逃げ場は無い。これはそういう事ではないのか。思っていてもそれを口には出す事は出来ない。口に出した瞬間、私は絶望に覆い尽くされるだろうから。
「くっ、こんなもの数の内に入らないわ!」
だから私は、精一杯の虚勢を張り、体に鞭打って剣を振るう。私が剣を振っているのか、あるいは剣に私が振られているのか。そんなことすら判然としなくなる。意識と無意識の境界があやふやになり、次第に視線は遠くなる。……また、誰かが死んだ。断末魔の声が聞こえた時だった。
「余所見はいかんな――」
「……っ!」
剣と剣とが重なった瞬間、これまでとは違う、重い衝撃が襲ってきた。慌てて意識を呼び戻す。剣は受け止めた私の体ごと吹き飛ばさんと、確かな重量を以て覆い被さった。剣の主と目が合う。――成る程。道理で重い訳だ。
「我は英雄ジークフリードが片腕、ヴォルスング。貴様が吸血鬼のリーダー、オヴェリア・スカーレットに相違無いな。憎き悪魔よ。かかって来るがよい!」
――再度、剣と剣が重なる。瞬間。腕ごと剣に引っ張られ、体が木の葉の様に舞った。全身に痺れる様な痛みが襲う。
「……っと。はじめましてかしら? 噂はかねがね聞いているわ」
着地。あくまで平然と装い、すぐさま二合三合と剣を重ねていく。その一つ一つはとんでもなく重い。少しでも気を抜けば、あっという間に狩られる。
「女子供にも容赦しないってねッ!」
皮肉を言いながら、さらに剣は重なり合う。火花が飛び出んばかりの、激しい打ち合いが続く。どちらも、一歩も引かない。
「戦であればそれも当然。大義の為には、そんな下らんものは捨てる」
斜め上からの一閃。私は体を横に逸して躱す。
「大義? それがあれば、虐殺も正義になるって言うのかしら。あんな子供を殺して、村一つ焼き払っておいて。それでも貴方は正義と言うの?」
体勢を整える為、一歩下がる。――直後、遠くで何かが光った。次いで地面が揺れ爆音が響く。砲撃の音。また誰かが死んだ。じぃんと耳鳴りがする。火薬と血の匂いで、鼻が麻痺してしまいそうだ。
「そうだ。人は何の犠牲もなしに歴史は作れない。お前達を、これからやって来る時代の糧とし、人類は新たな未来を切り開く」
今度の一撃は剣をずらして弾く。衝撃波で土埃が舞った。
……だったら、その為には、どんな犠牲をも厭わないというのか。それが人の歴史だとでも言うのか。
――走る。互いに剣を払いながら走り抜く。背中合わせになった。
「それが欺瞞だと、何故分からないの! 何かを、誰かを、犠牲にして。そんな事でやって来る時代に希望なんて無いわッ!」
振り返り様に、体重を乗せた一撃をお見舞いする。私の思いを乗せた一撃。だが、それは当然の様に防がれた。
「希望ならあるさ! これからの子供たちは戦争なんか知らなくていい。人間同士で血を流さなくてもいい。殺し合いが“合法”である世界なんか知らなくてもいいんだ。これを希望と呼ばずに何と呼ぶ!」
ヴォルスングの怒号と同時に、また爆音が響いた。今度は何人が死んだのか。今、生き残っているのは何人なのだろうか。それでも奴の剣は、回を重ねる毎にキレを増し、私に襲いかかってきた。今何人かを数えている暇は無い。少しでも気を抜けば、私が数えられる側に回る。
「その為には何を犠牲にしても許されるって言うの? もし貴方が逆の立場なら同じ事が言えるというの……!」
それを言い終わる前に、ヴォルスングに襲いかかった吸血鬼が、奴の剣に貫かれて死んだ。……ついさっきまで会話をしていた者だ。ピクンと、一瞬電撃が走ったかのように震え、二度と動かなくなった。顔からは徐々に血の気が引いていく。命が。こんなにも簡単に消えていく。
「仕方ないんだよ。今の世界を見ろ。人が飢え、病んでいる。誰かが変えなければ。多少の犠牲を払ってでも、変えなければならんのだ!」
――瞬間。人間とは思えない程の速度で、奴の剣が振り下ろされる。今までで一番重い。衝撃が私を襲う。とっさに防ぐが、地面にめり込みそうなくらいの力を感じる。……つまり、それがヴォルスングの戦う理由なのか。
だがな。……笑わせるなよ。
「“多少”ですって……? そんな言葉で済まされるの? そんな言葉で終わらせられるの? 貴方たちは、その多少と言って切り捨てた中に、“人生”があったとは考えないのッ?!」
だから吠えた。多くの仲間が死んだ。今もまさに、多くの仲間の命が失われようとしている。それが、こんな言葉で片付けられるのか。多少という、そんな安っぽい言葉で片付けられるのか。そこにあった命の歴史のことなど、一切顧みないと言うのか。
「――それを考えて、こんな事が出来るかッ!!」
真横で、一際大きな爆発が起こった。舞い上がった土砂が容赦なく顔面を襲う。
「……そうさ。考えないんだよ。考えないようにするんだよ! だからお前たちを悪魔とし、“殺してもいい存在”にしたんだッ! そうでなければ、こんな事が出来るものかッ!」
ヴォルスングは、声を荒げ、同時に剣を振り下ろした。先程と同じ威力。だが、脳天を狙ったそれは、私の剣が弾いた。今度は馬鹿に軽く感じた。
「ふざけるな! 考えろよ! 考えろ考えろ、考えろ考えろォッ!!」
――だから、声を枯らし怒鳴った。
「……考えてよ。考えて考えて。それで駄目ならもっと考えて。それでも駄目ならもっともっと考えて。それが人間じゃないの? 人間はそうやってきたんじゃないの? 何で考えることを放棄するのよ!」
訴える。違う。人間はもっと誇り高いはずだ。考えて考えて、それで解決出来ない事は無い筈だ。
何の為に知恵を持った? 何の為に言葉を得た? 何の為に考えることを知った? 暴力による争いを嫌ったからじゃないのか?
「私は覚えている。追い詰められて逃げ場を失った吸血鬼を、受け入れてくれた人たちの事を。私はずっと覚えているっ その時もらったスープの味を、その温かさを。それを忘れた事など一度も無いッ!」
私はずっと覚えている。あの時の人間の素晴らしさを。誇り高き姿を。何度となく祈った。何度となく願った。もう戻れないのかと。また共に暮らすことは出来ないのかと。
「……本当に、戦うしかなかったの? 憎しみ合い、殺し合う事しか出来なかったの?」
もう、考える事で解決は出来なかったのか……。
気が付けば、砲撃は止んでいた。剣を振るっている者も、もう居ない。私とヴォルスングの死合を、ただ眺めていた。もう居ないのだろうか。もう私だけなのだろうか。もう、ここには生きている吸血鬼は、私以外に存在しないのだろうか。
「もうすぐ、もうそこまで来ている。停戦も結んだ。こうやって同盟だって組めた。この戦いが終われば和平への道も開ける。もうすぐ、もう誰も血を流すことがない時代が、誰も悲しみ、涙を流すことのない時代が、もうそこまで来ているんだ……!」
ヴォルスングの剣は止まらなかった。むしろ加速して襲い掛かった。その剣に込められた思いは、並大抵のものではない。辺りの静けさに反比例するように、私たちの斬り合いは激しさを増す。だが、実のところ、私は彼に合わせているだけだった。最早、戦いではない。ただ剣を振るっているだけ。意志の宿らぬ剣はすこぶる軽い。そのまま何合か打ち合う。
そして、奴は言ったのだ。
「お前の夫は死んだぞ」
「……!?」
言葉が、理解出来なかった。
「最後まで娘を庇って死んだ。首を落としたのは俺だ」
「貴方、何を言っているの? そんな……」
分からない。言っている言葉の意味が理解できない。何の話をしているんだ。一体こいつは何を知っているというんだ。
「娘の方は逃げたよ。だが放っておいても問題あるまい? 身寄りもないあんな子供、何もせずとも直に死ぬ。……そうだ。分かるか? もう終わっているんだよ。もう、誰も生き残れはしないんだ!」
ヴォルスングの声は、しかし私には、半分も聞こえていなかった。
「嘘。嘘よ。何で……そんな」
嘘だ。そんなはずは無い。死ぬとしたら私の方。そう思ってここに来た。だから娘たちを任せた。それなのに何故。何故こいつは顔色一つ変えずにそんなことを言えるんだ?
「最後の言葉こうだ。『生きてくれ』。……泣かせる話だな」
――そして、何かが切れる音がした。
「貴様あぁぁぁぁぁッッ!!!!」
止まらない。憎悪が止まらない。
あれほど忌み嫌っていたのに。憎しみに飲まれてはいけないと、あれほど思っていたのに。
――止まらない。憎しみは止まらない。その炎は瞬く間に私の内を覆い尽くす。
古い記憶が蘇る。暗い。冷たい。寂しい。流れる紅い血。そして無数の目。……待て。私は一体何をしようとしている……?
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやるッ!!」
止まらない。動き出した憎悪は止まらない。意識は薄れ、ただ憎しみに飲まれる。牙を剥き爪を伸ばす。剣は捨てた。ただ本能が、人外としての本能のみが私を動かす。
「ふふふ。ああ、いいぞ。それだ。その顔だ。まさしく悪魔に相応しい……」
ヴォルスングは、私の爪を剣で防ぐ。その剣は、三回目で折れた。
「さぁ来い、悪魔よ。終わらせようじゃないか。これで最後だ。存分に暴れるがいい。……その方が、良い物語が出来る」
それでもヴォルスングは、不敵に笑って言うのだ。死体に突き刺さっていた剣を抜き、私に向けて構えた。
――上等だ。見せてやる。吸血鬼の本当の恐ろしさを。
「……我が身に宿る真なる力。お前の思うほど甘くは無いぞ?」
閃光が走る。全てを焼き払う悪魔の火。もうここには死体しか残らない。
「その目にしかと焼きつけろ。封印されし破壊の力。この目で、全てを破壊し尽くしてやる!」
……そして意識は完全に途切れた。
○ ○ ○
「うっ……う、うっ……」
静まり返った中、その嗚咽だけがいつまでも響いた。嗚咽が私の胸を締め付ける。きりきり、きりきりと。私はもう、それ以上は聞きたくなかった。
「フラン。泣いても仕方がないわ」
「でも、お父さんが……」
フランは喚くように言った。その目は、私には見られない。
父は死んだ。私とフランを庇って『逃げろ』と、ずっと叫んでいた。父の胸に剣が突き刺さっていく瞬間を、私は見ていた。何もすることが出来ず、やけにスローモーションな世界で、ただその瞬間を見ていた。刺さった剣を引き抜かれ、ゆっくりと倒れていくところも、傷口から溢れた鮮血で、床が真っ赤に染まっていくところも。私はただ眺めていた。ただ立ち尽くして眺めていた。
だが、私は理解した。次は私たちだと。その剣で貫かれるのは、自分の血で床を染めるのは。次は私たちの番だ。それを理解した瞬間、私は既に駆け出していた。呆然とするフランの手を引き、走り出していた。一撃で死にきれなかった父が、私たちに向かって『逃げろ』と必死に訴えるのを聞きながら。私は父を見捨てて逃げたのだ。
途中から、その父の声も聞こえなくなった。それは本当に突然。泣いていた赤子が急に泣きやむように。合唱を奏でる小鳥が、急に大空へ飛び立つように。何か、音源そのものを断ち切ったかのように。不自然なくらい急速に、静けさを取り戻していった。
だが、それでも私は考えなかった。それがどういう意味なのか、私は考えない。ただ何も考えず、後ろを振り向こうとしたフランを前に向き直させた。とにかく早く。とにかく遠くへ。私は駆けた。
それからずっと走った。ずっとずっと走った。どこに向かっているのかは分からない。敵が追いかけてきているかも分からない。何も分からなかった。何も分かりたくなかった。ただ、フランを守らなきゃいけない、それだけはハッキリ理解していた。私はお姉ちゃんなんだから。私の方が年上なんだから。絶対に妹を守り切らなきゃいけない。その思いだけが、私を突き動かしていた。悲しんでいる暇は無い。泣いている場合では無い。私はフランの手を引いて、ただ駆けていた。
「フラン。お父さんは死んだわ。貴女も見たでしょう?」
私は言うのだ。他に誰もいない小高い丘の上。そこにある大きな木の下で。まるで自分自身に言い聞かせるかのように。その声は、辺りの空気を少しだけ震わせ、静かに響く。私たちの上にある空は、無遠慮なくらいに青く澄んでいた。
「嫌だよ、嫌だよっ そんなの嫌だよっ」
しかしフランは私の言葉を必死で否定する。何度も首を横に振って、その事実を拒絶する。
「何で。何でなの? 何でこんな目に遭わなきゃいけないの? マリアもお父さんも。何も悪いことしてないのに。何でなの!?」
フランは泣き叫ぶように言った。内に溜め込まれた思いをさらけ出した。
……もう、この子は限界だ。昨日は友達が死んで。今、目の前で父が殺されて。この子の心はもう限界なんだ。このままでは、本当に壊れてしまう。
「……フラン。よく聞きなさい。お父さんは言ってたわ、ヴアルに行きなさいって。そこなら安心だからって」
だから私は努めて冷静に言った。私が取り乱す訳にはいかない。それはフランを不安にさせる。私はお姉ちゃんなんだ。私が冷静にならなくちゃいけない。
「何時までもここにいる訳にはいかないわ。もしかしたら、またあいつらが追いかけて来るかもしれない。ヴアルに行きましょう」
「ヴアル……? 嫌だ。私、ヴアルなんか行きたくない。お母さんに会いたい」
パシン、と小さな音が響く。フランは私の手を払い除けた。その時は触れた手は、とても冷たかった。
「我慢しなさい。またすぐに会えるから」
「嘘だ。私、知ってるよ? お母さんは今、戦っている。マリアの仇をとりに行ったんだ。今、向こうで大きな煙が上がってる。お母さん、そこに居るんでしょ?」
……ああ、違う。駄目よ、フラン。そんな事を言っては駄目。
私は必死で言葉を探した。でも見当たらない。どんな言葉も相応しくない。
「ぐずぐずしている余裕は無いわ、フラン。さぁ行きましょう」
フランの拒絶に焦りながら、私は強引に手を引いて歩き出した。駄目だ。考えては駄目だ。私まで動けなくなってしまう。
「嫌だ。私、お母さんの所に行く。もう嫌だよ、もう居なくなっちゃうの嫌だよっ」
なおもフランは拒絶を表した。しかし、私が折れる訳にはいかない。それでは、私は私の義務を果たせない。私は速足で歩く。これ以上、フランの話を聞いてはいけない。私の思いが揺らいでしまう。それは絶対に駄目なのだ。私がフランを守るって決めたんだから。
「でも、だったらお姉ちゃんは平気なの? お母さん死んじゃうかも知れないのに。お姉ちゃんはお母さんを見殺しにするの?」
……そして、私の足は止まった。
「黙りなさい! 私たちが行っても足手まといになるだけよ! 我儘言うんじゃないの!」
――想いは弾けた。止まらない。その想いは言葉となって溢れてくる。
「フラン、あんた自分が何言ってるか分かってるの? あそこはね、“戦場”なんだよ? 人と人が殺し合いをする場所なの! そんな場所であんたに何が出来るのよ。お母さんは戻ってくるって言ってるじゃない。これ以上私を困らせないで!!」
気付けば私は、フランに向かって怒鳴っていた。私の不安を、全てフランにぶつけていた。私は声を荒げ、睨みつけていた。それは、八つ当たりに似ていた。
「嘘だ。本当はお姉ちゃんが一番行きたいくせに。何で嘘吐くの? 何で?」
でもフランは引いてくれない。私を責め立てる。
……やめてくれ。本当に揺らいでしまう。心が迷ってしまう。フランの言葉は棘となって、チクチクと私の胸に突き刺さっていく。
「嘘じゃないわ。私はあんな場所には行きたくない」
「嘘だよ。絶対嘘だよ!」
「嘘じゃない。これ以上、我儘言ったらひどいからね」
私は歩く。駄目だ。駄目だ。聞いては駄目だ。私がヴアルまで連れていくって決めたんだ。私が守るって決めたんだ。迷ったら駄目だ。駄目だ駄目だ。だって私は、私は……、
「絶対嘘だよ、お姉ちゃん。だってお姉ちゃん。……泣いているじゃない!」
――急に、足が止まった。
「……え」
フランは、私の目を真っ直ぐ見つめていた。その紅い瞳の中には私の姿がある。そしてその中の私は、私の顔は……。
嫌だった。お母さんが居なくなるのは嫌だった。でも、私はフランのお姉ちゃんだ。だから、フランの安全を第一に考えなくてはならない。私が弱音を吐いちゃいけない。情けない所を見せちゃいけない。そう思っていた。
だから、言われて初めて気が付いた。或いは気付かないふりをしていた。私の眼にはそれが溜まっていたことに。それが頬を濡らしていたことに。私はそれを見ないふりをしていた。
そうだ、フランの言うとおりだった。私は、私は確かに……、泣いていた。
「行こうよ。まだ終わってない。まだ終わらせない。お母さんの所行こう?」
今度は、フランの方から私に手を差し出す。これではどちらが姉か分かったものじゃない。でも私は、自分の正直な気持ちは、もう分かっていた。
「ごめん、フラン。私、やっぱりお母さんの所に行きたい」
だからその手をとった。今度の手は暖かい。その暖かさに、私はまた涙が出そうになる。
「大丈夫だよ。きっと間に合う。皆と一緒にヴアルに行こう」
フランはそう言って笑ってくれた。その笑みは、その笑みなら、みんな大丈夫な気がした。全部、上手くいく様な気がした。
そして私たちは歩き出す。それが果して正しい選択だったのか、私には分からない。でも後悔だけはしたくなかった。今行かなければきっと後悔する。それだけははっきり分かっていた。
気付けば、私たちは猛スピードでその丘を駆け下りていた。
お疲れさまでした。ご愛読有り難うございます。
次回ですが、これでも一応ラストまでの目処が付きましたので、出来次第更新していきたいと思います。まだ数話かかりますが、もうそこまで長くはならない筈です。……でもあんまり言うとアレだから、やっぱり聞かなかったことにして下さい(笑)
それでは次回また会いましょう。
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